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56テールズ ~聖杯の伝説~  作者: 曽我部穂岐
第二章 霧中のエルミタージュ
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第十八話 旅は道連れ

 少女の頭上へと落ちて来たそれは、真空刃の直撃を受けて前方に弾き飛ばされ、鈍い音を立てて茂みの中へと墜落した。


 少女は様子を見ようと前へ一歩踏み出した。その時、背後から声が響いた


「――悪い、ちょっと我慢してくれよっ!!」


 振り向いた少女の口が突然、麻布でふさがれる。背後の茂みに潜んでいたレイが飛び出して少女を羽交い締めにしたのだ。


 少女の頭上に落ちて来たのは、石が詰められた麻袋。レイはその端をロープで結んで木の幹に引っ掛けて吊るし、ロープの端を持って離れた茂みに隠れて少女が近づくのを待ってロープを離したのだ。


 そして少女が頭上に気を取られた好きに背後から飛びかかり、シトリ特製の傷薬を塗り込んだ麻布で口をふさいだ。



 少女はレイを振り払おうと抵抗して暴れる。両者は揉み合いになり倒れ込んで地面を転がる。


 だが、力勝負なら男であるレイの方が優勢だ。少女を仰向けにして馬乗りになると身体を抑えつける。少女は激しく抵抗していたが、アセラスの芳香を吸い込むにつれてその紫色の瞳に光が戻り、押しつけられた麻布の下からうめき声で何かを訴え始めた。


 その様子にレイは安堵して、麻布を抑えつけていた手を口から放した。少女は首を振って顔にかかった髪を払い、ぷはっと短く息を吐いた後、澄んだ瞳でじっとレイを見上げる。


 そして、深く空気を吸い込んだ。


「よかった…正気に――」


「いつまで胸揉んでんだコラアアア!!」


「――もぶぅッ!??」


 少女の振り上げた拳が見事に顎に突き刺さり、レイの視界は暗転した。






「…あっ、目が覚めた??」


 徐々に白んで来た意識を降ってきた声が呼び起こした。倦怠感を振り払って目を開けると、しゃがみこんでこちらを覗きこむ少女の顔が視界に飛び込んできた。


「いやー、悪いわ。まさかあんなに綺麗に入ると思わなくてさあ…。あっ、あと私も混乱してたっていうのもあるような、ないような?」


「ないのかよ…いててて」


 茶目っ気に首を傾げて両手を合わす少女に苦笑しながら殴られた顎をさする。そこは少し腫れて熱を帯びているように感じる。


「まー、お互い不可抗力ということで今回は許してあげなくもないわよ?」


「ええー、それあんたが言うセリフか? 俺、魔術で殺されかけたりしたんだけど…」


 上半身を起こしながら半眼で言い返すレイに、少女は逆に心外だと言いたげな表情で再び首を傾げた。


「だって私、あの時まともな精神状態じゃなかったし本来の半分も威力出てないわよ?」


「嘘つくなよ、あの固い鱗みたいな木が真っ二つになってたぞ。当たったら死ぬわ!」


 レイは思わず声を大きくしたが、それを気にした風もなく少女は続ける。


「そっちだって、ほいほい避けてたじゃないの。確かに精度欠いてたとは言え白崩術アスプロージョンも使ってないのに身体能力だけで魔術かわすなんて……思わずイラっときて上位術撃っちゃったわ」


「おー、あの凍らせる風か。おかげで指先が若干凍傷気味――っておい、わりかしはっきり記憶あるじゃないか。ほんとに正気失ってたのか?」


 レイはまだじんわりと痺れるような熱さを帯びた両手の指先を擦り合わせ、少女に疑いの視線を投げかけた。


「あっ――そーよ! 何なのあの霧は。街道歩いてたはずなのになぜか気付いたら谷底にいるし、眠いし、寒いし、変な声はするし、頭痛いし!!」


 その一言で一気に記憶が鮮明になったのか、少女は感情のままに矢継ぎ早に話し出す。


「――ちょっと待って。一回落ち着こうか。お互い名乗ってもないのに話進め過ぎだよ」


 レイは少女の顔の前に手をかざしてその話を遮った。


「あー、そうね、落ち着くわ…」


 少女ははっとして急激に声のトーンを下げると、深く息を吐いた。



 レイは立ち上がって、深呼吸をする少女を改めて見やる。


 歳の頃はレイよりは少し上だろうか。背丈はレイと同じくらいだが「森の賢者ウッドワイズ」という種族の違いのせいもあってか大人びて見える。美人かと言われれば間違いなく誰もがそうだと答えるだろう。


 少女の肩から腰までを覆う銀色のケープは山羊革ゴートスキン。綺麗に脱色となめし処理がされていて、襟の裏面には毛皮が縫い付けられており、レイが素人目に見てもそれなりの逸品であると分かる。

そして、そのとがった長い耳には銀杏の葉を模った銀のピアスが四つ連なっている。


 手甲と脚絆をした旅装束であるが、ケープや装飾品などの身なりからして、裕福な家の子女といった印象を受ける。


 少女は肩についた染み苔の破片を払い落すとレイの方に向き直って、少し間をおいてから名乗った。


「私の名前は――、ウィニー。……ウィニー・オーヴァンスよ」


 少女は少し言い淀んだが、レイは気にかけず名乗り返す。


「レイモンド・カリスだ。レイって呼んでくれよ」


「レイね。お礼が遅くなったけど、さっきはありがと。助かったわ」


 言いながら手をひらひらと振る。二人の間の地面を霧ネズミミストリアが小さく鳴きながら駆けて行った。


「俺はフレンネルからバーサーストに向かう途中だったんだ。西側の尾根の辺りで急に霧が出て来たんだけど、ウィニーはどこで霧に?」


 霧ネズミミストリアが霧の中に消えていった方向を見ながらレイが問う。


「……ふーん、フレンネルから来たんだ。私はフレンネルに向かってたところよ。霧が出たのは……そ-ね、同じく西側の尾根に差しかかったくらいだったと思うわ」


 ウィニーと名乗った少女は何かが引っかかるような言い方をしながらも、レイの問いに答えた。


「やっぱり、無色の隔絶アルト・パテルか…」


「――アルト・パテル??」


 聞き返してくるウィニーにレイは組んだ腕をほどいて顔を上げた。


「ん? 知らないのか。悪意ある霧が旅人を谷に迷わせるっていう――」


「あー、そんな昔話あったわね。そう言えば霧降山脈の古い呼び方もアルトパテルだっけ。まさか信じてるの? あんなの迷信に決まってるじゃない」


 ばっさりと否定され、ムッとした表情をするレイの眼前に少女は指を立てると、得意げに話し始めた。


「いーい? 私は魔術士だから魔素を感じることができるの。あの薄気味悪い霧には間違いなく魔素が含まれてたわ。魔素っていうのは魔術構成を介してこの世界の法則を強制使役する際に生じる世界の歪み。世界法則に従って運行されてる自然界には絶対発生しない。つまり、あの悪意ある霧は人為的に発生させられたものよ。断言するわ」


「人為的にって…魔術だって言うのか? ――でも俺が歩いてた間中、視界がほとんど見えないくらい霧が濃く立ち込めてたぞ。魔術ってそんな長時間持続するものなのか?」


 レイの反論に今度はウィニーが困ったような顔で首を傾げる。


「んー、それが分っかんないのよね。魔術構成による法則使役は限定した空間に作用するものだから、広範囲に長時間事象を発生させ続けるなんて、普通はできるわけがないんだけど…」


 ウィニーは言いながら、横にあった封鱗木シギラリアを見上げる。その梢は相変わらず深い霧に隠れて窺うことができない。


「それにあの霧には意思があったわ。ここの霧と違ってね。頭の中に気味の悪い声が響いて、その声に操られてた、って感じかな」


 そして思い出したように手を打つと、レイの方へと視線を戻した。


「あー、そういえば君を見た瞬間から声が急にはっきりと聞こえてきたような……君、何か人に恨まれるような心当たりがあったりしない?」


「そんな覚えな――いや、あるか。……でも、そうだとしても完全に逆恨みだけどな」


 レイの脳裏に浮かび上がったのはキノコ頭で頬がくぼんだ痩せぎすの顔。ウィニーの言うとおり「無色の隔絶アルト・パテル」が魔術だとすれば、彼が思い浮かべる魔術士は一人しかいない。

 

 橋から転落した際に命綱を切った人影もあの魔術士だったのか。


「あるの!? 冗談だったんだけど…」


 驚くウィニーにレイは自分の身の上を話すべきか一瞬迷った。――だが、旅は道連れと言う。この霧降谷から抜け出すにはお互い協力するしかない。自分のせいで危険に晒される可能性がある以上、彼女にも知る権利はあるはずだ。


「マッシュウ野盗団って知ってるか?」


「知ってるわよ。このあたりじゃ悪名高い連中じゃない。――あー、分かった。どーせ下っ端にでもちょっかい出したんでしょ?」


 ウィニーがその名を恐れている様子はない。魔術に自信があるのだろう。ちょっかいと言うか向こうが襲って来たんだけどな、と思いながらレイは答えを返す。


「下っ端かどうか知らないけど、そこのバルバ――なんとかマッシュウっていう魔術士の腕を斬り落したんだよ。狙われてるとしたら多分それじゃないかな」


「えー!? それってひょっとしてバルバリッチャ・マッシュウのこと? 嘘でしょ、アイツ高位のけい術士って聞いてるわよ。首領級の賞金首だし、話盛り過ぎよ」


「いや、別に信じてくれなくてもいいけどね。そうと決まったわけじゃないし」


 信じられないのも無理はない。レイ自身がまだあの時のことを、自分の成したことだと実感できていないくらいだからだ。それに自分の持つ「魔剣」のことは他言しないようにロベルトから固く言われている。


 それに目の前の少女は好奇心旺盛のようだ。自分もそうだから、彼女も同じ匂いがするのがなんとなく分かる。あまり深く話を進めると、レイがどうやってバルバリッチャを倒したのかを知りたがるに違いない。


「まー、大丈夫よ。私も二度も同じ手は食わないわ。少しでも魔素を感じた時点で霧なんか突風で吹き飛ばしてやるんだから」


 しかしウィニーはレイの話にそれ以上の興味を持たなかったようだ。


「おっ、それは頼もしいな。とりあえず谷を抜けるまでよろしくな!」


 差し出したレイの手をウィニーが握り返す。


「まーかせなさい。まずは登る道を見つけないとね」



 かくして、旅は再び二人連れとなった。


 頭上を漂う霧を通してわずかに射しこむ赤みを帯びた陽の光は、急速にその明度を失いつつある。地衣樹の葉が落とす影は森全体を覆い隠し、夕闇が霧の海に埋没した谷を包もうとしていた。



【用語解説】


森の賢者ウッドワイズ

十二賢者の一人を祖に持つとされる、記憶力が特に優れ、高い魔力を持つ種族。そのため職業的に見ると魔術士や学者が多い。尖った耳が特徴。

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