表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56テールズ ~聖杯の伝説~  作者: 曽我部穂岐
第二章 霧中のエルミタージュ
69/116

第十七話 強襲

 薄れた霧の奥から姿を現したのは、肩から腰までを覆う短めのケープローブに手甲と脚絆を身に付けた旅装束の少女。濃い緑色の長髪が両方の肩から垂れている。顔はうつむき気味の陰に隠れて表情を読み取ることはできない。


 レイは現れたのが自分と同じくらいの背丈の少女だということに驚いたが、気を締め直してビシリと少女を指さして糾弾する。


「…誰だよ、お前は。何で攻撃してく――」


 少女の濡れた唇がかすかに動いた。


鞭打つ鋭刃ハグピート


 小さな声に意思が乗り、促されるように薄い霧が渦を巻いてレイの方に向かって流れ始めた。そして、少女の眼前に霧が弾かれてできた薄い半月状の無空の層が一気に空気の流れに吸い寄せられ、レイ目がけて飛んでくる。


「――うおおおおッ!?」


 レイはとっさに跳び退いたが、足元の木の根につまずいて仏手檜葉ブシュヒバの茂みに突っ込んだ。


「っいきなりかよっ! おい、人の話聞け――ぇえええ!!?」


 レイは茂みから顔を上げて抗議するが、すぐに迫った二撃目に再び地面を蹴って今度は横に跳ぶ。


 後方にあった封鱗木シギラリアの大木は真空刃の連撃を受けて、その斜めに断ち切られた幹が周囲の枝葉を巻き込みながら音を立てて倒れる。


(風雷を操る魔術……太術たいじゅつだったっけ? あんな太い木の幹を両断するなんて威嚇で撃つ威力じゃない……でも精度はあのキノコ頭ほどじゃないな。それに霧が立ち込めてるお蔭で真空刃の軌道が分かりやすい。見極めて避けることはできそうだけど…)


 レイは立ち上がって、ゆらゆらと不安定な足取りで歩を詰めてくる少女に向かって叫ぶ。


「ちょ、待ってくれよ! ――ほら、刀は納めたぞ!」


 納刀して両手を挙げながら、害意がないことをアピールする。少女のうつむいた顔が少し上向き、その顔が薄い霧の中に浮かび上がった。


 一瞬、見とれるような端正な顔立ち。濡れて雫が滴り落ちる濃い緑髪に長く尖った耳。どうやら少女は「森の賢者ウッドワイズ」と呼ばれる亜人アレフのようだ。だが、その紫色の瞳には淀んで光がない。


「こっちは危害を加える気はないんだ。お前も道に迷ったのか…?」


 その問いに少女の殺気が少し和らいだ気がした。だが、その視線はレイの方を向いているにもかかわらず、さらに奥を見つめているかのように動きがない。わずかな沈黙の後、少女の唇が動いた。


「……鞭打つ鋭刃ハグピート


「――ってやっぱ駄目かぁ!!」


 またも霧を裂いて飛んで来る真空刃をかわしながら叫ぶ。続けざまに飛んでくる真空刃を大きく飛び下がって避けると、屈んだ姿勢で地面に着地した。


「くそう、何なんだよ一体」


 その姿勢のまま、少女の方を見上げる。先程から少女から放たれる殺気は魔術を放つ直前は強く明確だが、その後は急激に弱くなる。レイはそのことが気にかかって少女に攻撃できずにいた。放たれる魔術は明らかな殺意とそれにふさわしい威力のものだが、その後の挙動が一致しない。そして、少女の眼からは、――そうだ意思が感じられない。


(まさか、無色の隔絶アルト・パテルで正気を失っているのか…?)


 レイは尾根の窪地で自分が陥った酩酊に似た症状を思い出して、はっとした。良く見ると少女の手足の剥きだした肌は擦り傷だらけで、その不安定な足取りは片足を引きずっているように見える。谷に迷い込んだ際にどこから落ちて負った傷だろうか。


 少女を倒すという選択肢は初めからレイにはないが、彼女をこのまま放置して逃げるというのも後味の悪い話だ。だが、少女を正気に戻すにしても、動きを止めるためには接近しなければならない。


 正面突破しようにも魔術で迎撃される危険が高い。接近して距離を縮めればどうにかなるかもしれないが、現状では厳しそうだ。突っ込んで行ったところを突風で動きを封じられて真空刃を撃ちこまれたら、回避する自信がない。


 しかし、幸いにも微睡みのおかげで少女の動きは緩慢だ。地の利を生かせば勝算はこちらにある。


「とりあえず、一時退避だっ」


 レイはあえて少女に聞こえるように叫んで身を返すと、霧の奥へと向かって駆けだした。






 ――ここはどこだろう。


 目は確かにはっきりと開いているはずだが、視界はぼやけて全てがかすんで見える。思考の奥に圧しかかる鈍重な感覚によって、それが漂う霧によるものなのか、微睡みによるものなのかの判別がつかない。


 そして、目の前にいる少年は誰だろう。こちらに向かって何かを訴えかけてくるが、口元が動くのが見えるばかりで何も聞こえない。少年は手にした刀を鞘に納め、両手を挙げてこちらに話しかけてくる。


 しかし、その動作が何を意味するのかが理解できない。もどかしさが胸の奥を満たしていくが、それをどうにかしようという気力が湧いてこない。


 不意にそれらの全ての疑問を否定するように、頭の奥から揺さぶるような声がゆっくりと響いた。


『コ、ロ、セ』


 その声に縫い付けられたように思考が動かなくなった。だが、意思に反して声に操られるように唇が動く。瞬く間に眼前に魔術構成が組みあがり、そこに魔力が流れ込んで空間を満たす。


 ――ああ、駄目だ。そんな不完全な構成じゃ、本来の威力はでないのに。流し込んだ魔力の大きさもタイミングもまるでめちゃくちゃだ。


 目の前で起きているのは自分の行為であるはずなのに、まるで他人が魔術を放つのを見ているかのようだ。少女は批評家のように一連の魔術組成を評しながら、少年に向かって飛んでいく真空刃を虚ろな瞳で眺めていた。


 少年は不意に飛んできた魔術に驚きながらも、身を翻して真空刃をかわした。不完全とはいえ、近距離から放った魔術をかわされたことに驚いて、少女の顔に一瞬表情が戻ったが、すぐにまた頭の中に響く声が彼女の意思を奪う。


『コ、ロ、セ』


 再び魔術構成が組まれ真空刃が飛ぶが、それは標的を捉えずに仏手檜葉ブシュヒバの茂みの葉を宙に散らしただけだった。少年はしゃがんだ姿勢でしばらくこちらの様子をうかがっていたが、突然、身を返して駆け出すと霧の奥へとその姿がかすんでいく。


『オ、エ』


 声に促されて足が動き出す。


 ……ここはどこだろう。


 何故、あの少年を追わなければならないのか。そもそもあの少年は誰だろう。理性の端で繰り返される疑問に少女の足は動きを緩めた。だが、頭の中に再び声が響いて、少女は面倒くさそうに歩みを再開した。


 緩慢な足取りでどれくらい歩いただろうが。時間の感覚さえ、微睡みが狂わせて判断できない。辺りを見回しても、目に映るのは霧にかすんだ地衣樹ばかり。少年の姿を認識することは出来ない。


『オ、エ。 コ、ロ、セ。 オ、エ。 コ、ロ、セ』


 壊れた機械のように狂ったリズムで声が響く。延々と繰り返す声は頭の中に反射する。微睡みに墜ちそうになる度にその声に呼び起こされ、意図せぬ身体の動きに不快感が積もっていく。


 蓄積した苛立ちが少女の意思を目覚めさせた。それはほんの一瞬だったが、今度は自分の意思で精密な魔術構成を組み上げる。堰を切ったように魔力が流れ込み、再び少女の目から光が消える。


「……暗き風よボーラ・スクーラ


 少し間が空いて、感情の消えた言霊が続いた。


 一気に解き放たれた魔力が空間に干渉する。一瞬、周りの空気が重みを増して、森の中を静寂が支配した。そして大きな音と共に一気に吹きつける風が、一帯の木の枝葉と茂みを揺らした。


 辺りの温度が急激に下がる。霧の粒子は一瞬で凍って細かな氷となって風に乗り、かすかな光を反射し煌めきながら森の中を吹きぬけた。


「――何だ、寒ッ……わわっ、手が凍る!?」


 吹きつける氷風の中、木々の間から小さな悲鳴が聞こえた。


 少女はその方角を一瞥し、眼前の空間に複数の魔術構成を一度に組んだ。一斉に放たれた真空刃が霧を裂いて、次々と森の奥へと突き刺さる。直撃を受けた木々が重なるように倒れ、千切れた枝葉が舞った。


 倒木の轟音が続いた後、森に静寂が戻った。風圧で吹き飛ばされていた薄い霧が再び辺りを覆い始める。茫然とその様子を眺めていた少女の頭に声が響き、彼女は歩みを倒れた木々の方へと進める。


 数歩足を進めたその時、頭上からの風切り音に少女は気だるそうに顔を上げた。


 頭上の霧を裂いて封鱗木シギラリアの幹から何かが、彼女目がけて落ちて来ていた。


 少女の防衛本能がとっさに魔術構成を展開する。


鞭打つ鋭刃ハグピート!」


 真空刃は落ちてくるそれを確実に捉えて、前方へと弾き飛ばした。


【更新情報】

『56テールズ人物紹介』№7【シトリ・ブランシー】の紹介文及びイラストを修正しました。併せてご覧くださいませ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ