第十三話 禍の記憶
今から数千年前。支配者族は自らに反旗を翻した種族を滅ぼすために、その「支配する力」を使って数々の生物兵器を生み出した。
それらの多くは旧き戦いの中で湯水のように生み出され消耗されていったが、そのうちの幾種かはルーラー族が謎の滅亡を迎えた後も生き残った。生物をベースとして造られたもののうち、生殖能力を残したものは、主を失った新たな世界で繁殖し野生化した。
かつて兵器として造られたその生物群は、従来の生物にはない凶暴さと身体能力を有しており、「生物系古代兵器」と呼ばれ、駆除の対象として賞金がかけられている。各国の騎士団の任務には自国の警備の他に、領内に出没する生物系古代兵器の駆除も含まれる。
陸生のもので最も知られているのは「四頭獣」と呼ばれる四つ首の合成獣で、家畜や人間を襲って捕食することから恐れられている。
また、海生のものでは「海狼」と呼ばれる狼と古代鮫の合成獣が船を襲い沈没させることで有名だ。
それらの生物系古代兵器の中で、他種族討伐の尖兵として造られたのが「禍の記憶」である。
感情も痛覚も持たず、殺戮のためだけに造られた彼らの存在理由は、主の命に従いただ目の前の「敵」を「殲滅する」ということのみ。
伝説では、わずか数十体で深き割れ目の住人である侏儒族を滅ぼした後、蟲の姿をした外甲族に挑んだが、彼らの造り出した機甲兵「機械仕掛けの神」に敗れたという。
もはや古に滅んだ生物兵器と思われていたが、数十年前にある古代遺跡の発掘時に生き残った一体が発見された。その際に警備にあたっていた連盟師団の小隊六十名を全滅させ、原罪の騎士団を派遣してようやく破壊したという経緯から、大世界連盟指定遺物A3級に位置付けられている生物系古代兵器である。
ヴァラ・クーヴァは大気を軋る甲高い電子音を発しながら、赤い光を放つ瞳で二匹の獲物を交互に見やる。そして不意に頭を垂れて身を屈め、その足がバネのように折りたたまれたかと思うと、弾丸が撃ち出されたかのような速度で一気に間合いを詰めた。
数多の旧き種族を屠った聖銀の電磁爪が火花を散らしながら獲物に襲いかかる。その直線上にいる犬人は大口を開けて嗤いながら刀を構える。
金属同士がぶつかり合う音が森の静けさを破った。
犬人は電磁爪を両手で押さえた刀の鍔元でかろうじて受け止めているが、衝突の衝撃で踏ん張った両脚は苔生した地面をえぐりながら五メートルほど後退し、さらに突き出される力でずりずりと圧されていく。
犬人の口元は闘いの快楽に変わらず嗤ったままだが、その目には先程までの余裕がない。電磁爪を捌こうとするが突き出す力は凄まじく、力の均衡を破れば一気に守りを突き崩されそうだ。
その特徴のない刀は聖銀とぶつかり合って折れないだけでも驚異的なことだが、金属の軋む音がその限界も近いことを表している。次第に上体が反ってバチバチと火花を散らす爪の先端が鼻先まで迫る。
その様を嘲笑うかのようにヴァラ・クーヴァの赤い瞳が不安定に点滅し、完全に動きを封じられた犬人の脇腹を引き裂こうと、もう片方の電磁爪が振り上げられた。
「――今だクロ、やれ!」
犬人の叫び声と共にヴァラ・クーヴァの凍鉄の身体が大きく傾いだ。
背をかがめて跳躍した猫人の女が、構えた白銀の短剣ごとその側面に突進したのだ。
ヴァラ・クーヴァは大きく横に弾かれて苔生した地面を転がり、絡み合った古木の根にぶち当たって止まった。
女は反動で自身も弾き飛ばされながらも空中で体勢を立て直し、音もなく地面に着地する。
犬人も刀を外に払ってから、調子を確かめるように肩を回しているが、二人の視線は仰向けに倒れたヴァラ・クーヴァを見据えたままだ。
金属の軋む音がしてその下半身が先に立ち上がり、それに引っ張られるように上半身が起き上がって、最後に捻じれた首が一回転して二人の方に向き直った。
「聖銀の刃が通らんだと…」
クロと呼ばれた女がその様子を見て低く呻く。ヴァラ・クーヴァの青い金属光沢を放つ身体には一掻きの傷すら入っていない。
「ヒャハハ、言ったろ、ボディは凍鉄だってよ。反圧膜でも張られてんだろ」
凍鉄、すなわち凍える鉄と呼ばれる魔法金属はマイナス百度の固体の状態を保つ原子流動の極めて低い金属で、魔力に反応して加えられた力を減少させる負のエネルギーを生み出す。
「それにあの電磁爪もやべえなぁ。ありゃ、触れただけでも黒コゲになるぜ」
他人事のように嗤うが、その瞳は緩慢な足取りで再び近づいて来るヴァラ・クーヴァを捉えている。
「ではどうする」
先程の突進力なら一瞬で間合いを侵せるであろう位置まで迫ったヴァラ・クーヴァに黒い女は再び体勢を低くとって聖銀の短剣を構える。
「ゴーレムにしても同じだがよぉ。人の形をしてるモンは大概、頭を潰しゃあ動かなくなるもんさ。タマなら何とかなるだろ」
「……何だ、タマと言うのは」
女は声に出すべきかどうか迷ったような間の後に、面倒臭そうに呟く。
「ヒャハハ、俺の愛刀の名さ。コイツも喰い意地が張った奴でなあ、ヒャハハハ――」
女の言をあざとく聞きつけた犬人は、ひと際大きく嗤いながら上半身のコートを脱ぎ棄てた。
唐突に嗤い声が沈黙して、犬人は頭を落として深く、大きく息を吸い込む。そして天を仰いで再び鋭い牙の並ぶ口を開いた。
「―――ゥゥウウオオオオオオオオオオ!!」
遠吠えの様な咆哮と共に、毛皮の上からでもその形が分かるほどに全身の筋肉が盛り上がっていく。
その雄叫びに誘われるかのように、ヴァラ・クーヴァが身を屈める。
「狂化か。狂った犬にはお似合いだな!」
恐るべき速度の突進から振り下ろされた電磁爪を跳び下がってかわした女は皮肉に叫ぶ。
「ヒャハハハハ、クロも出し惜しみしてると死ねるぜ。なんせ相手はお伽話の住人だからなあ!」
同じく、もう片方の電磁爪を寸前でかわし、興奮と狂気に血走った眼で犬人が返す。
攻撃を外し、突進の勢いのままに二人の間を駆け抜けていくヴァラ・クーヴァだったが、ブレーキをかけるように両足を突き出して地面を踏みしめると、後ろ向きのまま二人の方に向かって跳ねた。
中空でグリンと上半身が一回転し、再び赤い光が獲物を捉える。
「ヒャハハハハハハハハ!!」
振り下ろされる電磁爪を見上げたまま、犬人は大口を開けて嗤っていた。
「さっきと同じと思うなよ、墓守ィ!」
かざした片手の刀で電磁爪を難なく受け止めると、落ちてくる凍鉄の身体に蹴りを入れる。ヴァラ・クーヴァが再び空中に浮き、落下しながら崩れた体勢を立て直そうと身体をねじる。
犬人は刀を両手で持ち直し、大きく振り被るとその着地する瞬間を狙い、一気に踏み込んで斬り下ろした。
ヴァラ・クーヴァの肩口に刃がめり込む。そこは球状の金属で腕と肩が接続された可動部になっており、他の部位に比べて細くなっている。凍鉄の生み出す反圧膜が冷気と共に刃を一瞬圧し返すが、狂化により犬人の膨れ上がった二の腕の筋肉が一層盛り上がって力任せに刃を圧し込む。
刃が可動部の球体にめり込んだ瞬間、金属の弾ける音がして可動部が砕け散り、腕が胴体から離れた。
「ヒャハハハ、いけるぜ、クロ! 関節は他ほど強くねえ!」
刀を振り下ろした勢いを身体の回転に変え、空いた腹部に回し蹴りを食らわせながら叫ぶ。ヴァラ・クーヴァは後方に仰け反りながらも、残った片方の電磁爪を薙ぐが、犬人は上体を大きく反らしてそれを回避する。
「その刀、なまくらではないようだな!」
黒い女は懐から取り出した二本の聖銀の短剣を投げながら皮肉で返す。放たれた短剣は一直線に飛び、踏み出そうとするヴァラ・クーヴァの両膝を貫いた。
動き出そうとしたところを突然、両足の動きを封じられてバランスを崩したヴァラ・クーヴァは後ろのめりに倒れていく。
「なまくらじゃねえさ。タマだって言ってんだろ、ヒャハハハ!!」
その顔面を目がけて犬人は逆手に持ちかえた刀を突き下ろした。
赤い光を放つ右目に切先が吸い込まれる。熟れた果実を踏みつぶしたような生々しい音がして、刀はヴァラ・クーヴァの頭部をぶち抜いた。
その身体が激しく痙攣し、苔生した地面に仰向けに倒れ込んだ。残った片腕は足掻くように振り上げられたが、やがて力が抜けてだらりと垂れた。
「ヒャハハ、やるじゃねえかクロ!」
犬人は満足気に嗤いながら黒い女の方を向く。しかし、女は異変を察して叫んだ。
「まずい! ジャド、避けろ!!」
その声に犬人は不審気に倒れたヴァラ・クーヴァを見下ろした。刀が突き立てられたままの右目に相対して、形を保ったままの左目が激しく点滅を繰り返している。
次の瞬間、赤い光が一気に溢れだして、犬人の視界を奪った。
頭部から赤い線が伸びて空間を縦に薙いだ。光線は一瞬で収束して宙に掻き消え、その目から完全に光が失せた。
光の薙いだ地面は鋭い刃物で裂かれたかのように抉られ、その直線上の木々の幹や枝は真っ二つに切断されて地面に落ちている。そして、その切断面からは煙が吹きあがっている。
「熱光線……あの瞳は燃星晶か。魔法金属の大安売りだな」
「―――ヒャハハハ、危ねえ危ねえ」
身を起こした犬人は、右頬に一筋に傷が入り、毛皮が焼き切れてそこから滴り落ちる血を長い舌で舐めながら嗤った。
そして倒れたヴァラ・クーヴァの身体を蹴って転がし、完全に停止しているのを確認してから、その頭に突き刺さった愛刀を引き抜いた。
「だが、これで墓守もいなくなったことだし、ヒャハハ、暴くとするか――」
犬人は刃先にこびりついた得体の知れない白い液体を血ぶりしながら刀を納めると、眼前に聳え立つ白蝋石の墓石を見上げた。
しかし、その視線はすぐに墓石の足元に向き直された。
その茂みの奥から浮かび上がってきたのは、赤い瞳。
その数は十二。
白蝋石の墓石の裏側から姿を現したのは、「禍の記憶」
「な……六体だと…!」
身体を軋ませながら、電磁爪を構えて近づいてくる赤い六対の瞳に、思わず黒い女が後ずさりをする。
「ヒャハハ、流石にこいつはやばいぜ」
犬人もその声は嗤っていない。
――だが、その声は絶望もしていなかった。
「仕方ねえ。できれば使いたくねえが――おいクロ、絶対に俺の前に出るんじゃねえぞ」
「何をする気だ」
犬人は女の問いに答えることなく、その前に一歩踏み出した。
そして愛刀を鞘から抜き放つと眼前に掲げて、その刃文を見つめながら大きく口を開けた。
そして、嗤い、叫ぶ。
「ヒャハハハハハハ、タマ、起きろ! 喰わせてやるよ!!」
黒い女は、犬人が無造作に振り払った刀に、全身から何かを吸い取られるような感触を覚えたが、すぐに思考が白で埋め尽くされて、意識は切断された。




