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56テールズ ~聖杯の伝説~  作者: 曽我部穂岐
第二章 霧中のエルミタージュ
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第六話 剣豪、衰えず

 烏丸流剣術、弐ノ型には幾種類かの抜刀技術がある。


 基本となるのは俗に「鍔鳴り」と呼ばれる、抜き打ちと納刀を瞬時に行う抜刀「せん


 帯に差した状態の鞘をしっかりと左手で固定し、寸勁すんけいにより左の軸足から生じた最小限の体軸の回転エネルギーを、丹田から右手を通じて刀に乗せて最短距離で切り上げる。


 それに対して、鞘を帯から外し、左手で持った状態から一文字の横薙ぎを繰り出すのが、抜刀「かんぬき


 鞘を帯から外してあえて不安定な状態にし、軸となる左足から踏み込みの右足、そして刀を抜く右手に鞘を引く左手という動作を加えることにより、上半身と下半身の後方から前方への平行する体重移動を爆発的なエネルギーに変えて最大の威力を出す。

 「閃」とは異なり、より広範囲に刀を振り払う技であり、納刀は行わず刀は抜き放たれたままとなる。



 その刀を抜き放ったままの姿勢で止まった九郎の両脇を、二頭の馬が駆け抜けていく。


 それぞれ刀と金砕棒を握った二本の肘から先の腕が、武器を振り払った勢いのまま円を描きながら九郎の後方に吹き飛んだ。

 

 馬の主は二人とも脇腹から血を吹き上げ、力の抜けた上半身がグラリと傾くとそのまま地面に墜落し、石畳の上を派手に転がった。


 空馬はやがて勢いを失って減速し、広場の行き詰めの商店の前で行き場をなくして、荒い息を吐きながら右往左往していた。


 九郎は息をつく間もなく抜いた刀を両手で握り直すと、身体目がけて飛んできた矢を刃の腹で叩き落とした。


「何をぼさっとしている! かかれ!」


 折れた矢が石畳に跳ね返ったのと同時に、小鬼が馬上から次の矢をつがえながら叫ぶ。


 首領級の亜人二人が一撃で討ち取られたのを見て茫然としていた野盗達はその声に我に返り、武器を構えると一斉に怒声を発しながら九郎目がけて走りだす。


「乱戦は望むところじゃが――いかんせん数が多いのう!」


 その間にも走ってくる野盗を追い越して、次の弓矢が風を裂きながら飛んでくる。

九郎は返す刃で矢を叩き落とすと、その勢いのまま刀を納刀した。



 迫ってくる野盗は数十名。その様はまさに押し寄せる人の壁。


 彼らはいずれも、これだけの数がいればいかに野盗団の主力二人を一撃で討ち取った老人とは言え、簡単に嬲り殺せると思っているのだろう。その顔に恐れはなく、いずれも怒りとも高揚ともとれる表情に歪んでいる。


 その最前列を走っていた者たちが九郎の間合いに踏み込んだ瞬間、短い金属音が続けざまに鳴った。


 前方四人の野盗の胸部に三筋の紅い線が走った。そして、次の瞬間には一斉に散る花弁の様な血しぶきを上げながら、もんどりうって倒れる。


 目にも止まらぬ鍔鳴り、「閃」の乱れ撃ち。


 抜刀「三散花さざんか


 しかしそれに構わず、倒れこむ者を踏み越えて殺到した野盗達は九郎目がけて手にした武器を振り下ろす。


 だが、それも九郎の身体には届かなかった。


 抜刀「裏閂うらかんぬき


 しゃがみこんだ体勢から、体を反転させて遠心力を乗せた横薙ぎ。先程、亜人二人の太い腕を容易に斬り落とした名刀の刃は、野盗達の着込んだチェインメイルの上から腹部にめり込み、取り囲んだ五人を後方に弾き飛ばした。


 一瞬のうちに九人が仕留められたことで、流石に野盗達の足が鈍る。


 九郎は抜き身の刀を提げたまま、真横に駆けだした。つられて野盗達の壁も横に移動を始める。しかし、前方を向いて前に走るのと、顔を九郎の方に横向けながら走るのとでは勝手が違う。ましてや密集した大人数での移動は、前の者が邪魔になり思うように速度が出ない。

 九郎は十メートルほどの移動で集団から一定の距離を取ることに成功した。


 しかし、九郎の視線はそのさらに奥にあった。騎馬の小鬼が野盗達の集団の奥を隠れるように移動しているのを捉えたからだ。


 野盗達の頭を越えて弓矢が続けざまに等間隔で飛んで来る。射手の姿は集団の奥に隠れて見えないが、いずれも正確に九郎を捉えた射撃だ。


 次々に飛んで来る矢を刀で叩き落としながら、九郎は次手を考えていた。徒歩の野盗達は射撃の合間に一斉に斬りかかるが、間合いを侵した瞬間に斬り伏せられ、九郎との距離を詰めることができない。


 膠着こうちゃくした両者の状態を先に破ったのは、野盗達だった。


 集団の後方から高い草笛の音が響いたかと思うと、それまで九郎を追うように移動していた野盗達が一斉に歩みを止めた。


 そして、今までとは逆に集団が後退を始め、広場の輪郭を覆うように左右に人垣が伸び始める。


 九郎は最初、足を止めていぶかしげにその動きを眺めていたが、その意図を悟るや否や広がっていく人垣の端へ向かって駆けだした。


 しかし、思慮した分、九郎の反応は遅れていた。九郎が駆けだしてすぐに、人垣の端から全力で駆けていく小鬼の騎馬が姿を現したのだ。


 九郎はすぐにその方向へと距離を詰めようとしたが、人の足が馬に追いつける筈はない。騎馬は広場の外周を全力で駆け抜け、容易に九郎の背後に回り込んだ。



 同時に広がっていた野盗の集団が左右の翼を収束させ、再び一つの人壁となって九郎の方へとじりじりと前進を始めた。



 前門に野盗の集団、後門に小鬼の騎馬。


 挟み撃ちされた格好になった九郎は、徐々に距離を詰めてくる両者を交互に見やる。そして、何を思ったのか刀を納刀すると、ゆっくりした動作で帯に差し直し、両腕を着物のそでに突っ込んで組み、考え込む仕草をし始めた。


 あからさまな無防備な格好に警戒した両者の足が止まった。だが、すぐに思わせぶりな行動をして時間を稼ぐ作戦なのだと気付いて、九郎に迫る歩みを再開した。


 その一瞬の躊躇を見計らうように、九郎は突如、踵を返して前方の野盗達に背を向けると、袖に両手を突っ込んだままの恰好で後方の小鬼の騎馬に向かって駆けだした。


 不意の突進に意表を突かれた小鬼だが、最後のわる足掻あがきだとでも思ったのか、余裕の表情で浅く笑うと、背後の矢筒に手を伸ばして素早く三本の矢を弓につがえた。


 三角射ちデルタショット。すなわち、一射で三本の矢を放つ至難の技だが、弦が唸る音と共に放たれた矢は、全てが九郎に吸い込まれるように正確な螺旋の軌道で飛んでいく。

 優れた手先と視覚、そして空間認識能力を併せ持つ小鬼ゴブリン族だからこそできる芸当だ。


 小鬼は着弾を確認する間もなく、すぐさま矢筒から矢を二本引き抜くと、その矢羽の片側をむしり取って弓につがえ、今度は二本同時に矢を放った。


 片側の矢羽を失った矢は空気抵抗を受けて不規則な弧を描き、交差しながら同じく九郎目がけて飛んでいく。これも飛燕射ちスワローショットと呼ばれる高難度の弓技だ。


 迫った両者の距離は二十メートル弱


 合計五本の矢が、風切り音を発しながらそれぞれ独特の軌道で九郎に向かってくる。

 どう考えても回避は不可能だが、九郎は駆ける速度を緩めない。それどころかさらに強く地面を蹴って加速する。


 十七メートル。


 九郎はそこで初めて、裾から両手を抜き、左手で鞘を抑えた。


 十五メートル。


 既に三本の矢じりの先は九郎の間合いを侵している。九郎の右手が開き、掌から何かがこぼれ落ちたが、それに構わず柄を握る。

 

 しかし未だ、刃は鞘に収まったままだ。


 後から放たれた二本の矢も間合いに侵入し、先の三本は目睫もくしょうの間にまで迫っている。


 十三メートル。


 ――ようやく、刃が抜き放たれた。


 そして、同時に乾いた金属音が響いた。





 五本。


九郎の草鞋が石畳を擦り止まった時には、全ての矢が剣に巻き込まれるようにへし折られて、地面に叩き落とされていた。


 最初の三本を落とされたとしても、時間差で飛んで来る後射の二本は防げない。小鬼の勝算はそこにあった。


 身体に当たる極限まで引きつけなければ、五本の矢全てを同時に打ち落とすことはできなかっただろう。それを可能にしたのも驚異的な剣の速さを誇る抜刀があってこそだ。



 しかし、野盗達の驚愕はそれに留まらなかった。


 九郎から十メートル以上離れた位置にいた小鬼の肩から力が抜け、だらんと両手が下げられたかと思うと、その手から朱塗の弓が離されて地面に落ちた。


 そして首がガクンと垂れて体が揺らぐと、前のめりになって馬上から転がり落ちたのだ。



 何が起こったのか理解できた者は、一人としていないだろう。


 石畳の上で、「慟哭のユングニッケル」と呼ばれた小鬼は白目を剥いて気絶していた。そして、その眉間には小指の先ほどの小さな金属球がめり込んでいる。


 九郎は考え込む仕草をした際に、袖の中に隠していた鉄の小球を右手で掴んでいた。

 小石などを指で弾いて攻撃する「指弾しだん」という技術スキルがあるが、九郎はこれを刀で行ったのだ。


 すなわち、矢を迎撃する抜刀「閃」を放つ瞬間に鉄球を右手から放し、抜きと同時に刀の柄尻に当てて撃ち出す。


 抜刀「弾撥だんぱつ


 普通なら到底考えられないような芸当だが、瞬時に爆発的な加速度で放たれる柄に当たった鉄球は十分な攻撃力を保ったまま、小鬼の眉間に突き刺さった。


 九郎がリスクを侵しても小鬼との距離を詰めようとしたのは、弓と刀という圧倒的なリーチの不利を覆すための切り札で確実に仕留められる距離まで近づく必要があったからだ。



 圧倒的有利の状況を覆された野盗達の統率は一気に乱れた。彼らは我を失って怒声と共に九郎目がけてなだれ込んで来た。



「――今じゃ!」


 迫り来る怒りの壁を前に、九郎は大きな声を張り上げて右手を高く掲げた。


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