第三話 旅立ち
道幅三メートル程の土道がフレンネルから蛇行しながら牧草地帯を南に向かって伸びている。道の両端にはひょろりと背ばかりが高いポプラの木が植えられているが、それも等間隔ではなく気まぐれで植えたかのように非対称でまばらだ。
街道と名は付いているものの旅人や馬車の往来は殆どなく、通り抜けるのは山桜の花弁を運ぶ風ばかりである。
フレンネルから霧降山を抜けてバーサーストに至るこの街道は、もともと開拓団の物資運搬道として整備されたものだ。
エクベルト王国が成立してから五十年ほど経った頃、王国北部の開拓は他の地域に比べると著しく遅れており、特にバーサースト以北は人の手が殆ど入ったことのない未開の地だった。
開拓の歩みを阻んでいたのは霧降山脈とその中心部に口をあける霧降谷の存在であった。霧降山脈の古称、アルトパテルとは古代テオト語で「無色の隔絶」を意味し、一度立ち入れば悪意ある霧に惑わされ、日の光届かぬ深い谷に迷い込んで二度と帰って来られない、と恐れられていた。
その迷信を打破し、霧降山脈越えに成功した最初の開拓使の一団が霧降山脈北部のふもとに興した町がフレンネルである。
開拓時代初期には北部開拓団へ物資を運ぶ中継地として栄えたが、開拓が一段落し、霧降山脈の東周りに森林を切り開いて平地を通る大きな街道が整備されると、その地位は一転する。
霧の立ち込める山越え道よりも、多少の時間はかかっても安全で馬車で多くの物資運搬が可能な東周りの街道が流通の主要道となり、霧降山のふもとにたたずむフレンネルの町はその恩恵から切り離される形となった。
その寂れた街道を霧降山に向かって歩く二つの影がある。
影の主の一人は身長二メートルを越える黒づくめの大男。ぼさぼさの銀髪に毛皮の襟飾りが付いたコートを着て、左肩に大きな皮袋を提げている。
隣を並んで歩くもう一人は大男より頭二つ分ほど低いせいでひどく小さく見えるが、年相応であろう背丈の金髪の少年。麻の背嚢を背負い、腰の刀帯に差された刀の黒漆鞘が歩みに合わせて上下に揺れている。
「――おい、ロベルトのおっさん」
不意に少年が大男の背中に呼びかけた。
「ん、何だ、レイ」
ロベルトは首だけ振り返った。
「もうちょっと歩くペースを落としてくれよ。歩幅が違い過ぎてこっちはずっと早歩きなんだよ」
町を出てからもう三十分は経っただろうか。レイは早足で少々疲れたのか、少し呼吸を乱している。
「ああ、そうかすまんな。一人旅が長いもんでそこまでは気が回らなかったぜ」
そう言いながらコートの胸ポケットから煙草を取り出す。真横まで追いついてきたレイを横目に、器用に片手でマッチを擦って咥えた煙草の火をつけながら言った。
「しかし大層な見送りだったな」
レイの出立はフレンネルの住人総出の見送りだった。
ロベルトはレイをミクチュアに連れていくにあたり、魔剣のことを彼らに話すわけにはいかないので、自分が大世界連盟の本部職員でレイの剣才を見込んで連盟の機構師団にスカウトすると説明した。詳細は伏せているが嘘は言っていない。
普段からレイの外の世界に対する憧れを知っていた町人達は、フレンネル出身者の機構師団入りは初めてだと我が事のように喜び、またレイのことをよく知らない人たちも、決死の覚悟で町を野盗から救った小さな英雄の旅立ちを見送ろうと、町の正門の下に大勢が集まった。
住人を代表して、町長、ニコラ・スタールが餞別の言葉を贈った。
レイは町長の長話を聞くのも当分はないだろうからと、最初の方は神妙な面持ちで聞いていたが、町長は未だ腹に巻いた包帯が取れておらず、白いそれが褐色の肌と相まって腹巻にしか見えないので、次第にこみ上げてくる笑いを抑えるのに必死だった。
この町で育った者としての誇りと矜持を持ってどうのこうの言っている辺りで、話に飽きてきたジルが空気を読んだのか読んでないのか、わざとらしい大きなくしゃみをして話を遮り、父親に首根っこを掴まれて怒られていた。
そのことが印象に残り過ぎて、町長の話の内容はあまり覚えていない。
そもそも、今まで数えきれないほどの説教を受けてきたレイは、町長の話を聞き流す癖が付いているので、どちらかと言うとそのせいかもしれないが。
その後、友人たちがレイを囲み、別れの言葉を交わしていたが、途中で離れたところにいた緑髪の少女が駆けてきて小さな布の袋を手渡した。レイが中を除くと平底の小瓶が二つ、それと白い精霊樹の枝を格子状に組み合わせて作られた匂い玉入れが入っていた。
小瓶の中身は傷薬の軟膏、匂い玉は獣除け用で腰に下げられるように麻紐が付いており、両方とも彼女が自分で薬草を調合したものらしい。
彼女はレイの手を両手で握りしめ、自分の額に当てると瞳を閉じて、祈るように頭を垂れた。
細い唇からレイにかろうじて聞き取れるくらいの小さな声でいくつかの古き言葉が漏れたが、例え他の者に聞こえたとしてもその意味を知るのは彼女の祖母か九郎くらいだっただろう。
レイは首を傾げて幼馴染の少女の祈りの間、彼女に任せるままに右手を預けていた。
彼女はしばらくして顔上げて、レイの手を離すと彼を見つめて言った。
「いってらっしゃい」 と。
その顔には普段あまり感情を表に出さない少女には珍しく、穏やかな笑みが溢れていた。
レイは心の奥に暖かみが広がっていくのを感じ、同じく自信にあふれた笑顔で言葉を返した。
「いってきます」 と。
その様子を彼女の祖母や他の大人たちは微笑ましく見ていたが、ジルを含めた「シトリちゃんをレイの兇剣から護る会」の会員の少年らは全員が「レイ、爆発しろ」と念じたという。
「なあなあ、そういえばあの時、シトリが聞いたことない言葉で呟いてたんだけど、おっさん聞こえたか?」
レイは、ずり落ちてきた背嚢の肩ひもを背負い直すと、並んで歩くロベルトを見上げながら聞いた。
「いや、はっきりとは聞こえなかったが…。方神の加護じゃないのか」
ロベルトはたいして興味無さそうに煙草をふかしながら答える。
「方神の加護?」
「ああ、古い呪いの言葉だよ。安全な旅でありますように、って感じのな」
「ふーん、古語かあ。エバー・モーメント・ウィズユー?とか何とか言ってたけど」
ロベルトはレイの呟きを聞くと立ち止まって大声で笑い始めた。
「ははは――あの娘、奥手かと思ったらなかなか言うじゃねえか、なあこの色男が!」
言いながら乱暴にレイの背中を叩く。レイは突然の攻撃に迷惑そうに身体を捩りながら言葉の意味を聞き返すがロベルトは相手にせず、笑いながら言った。
「それは俺の口から言うべきじゃあねえよなあ。知りたきゃ自分で調べろよ」
その後もレイは執拗にロベルトから言葉の意味を聞き出そうとしたが、彼はそのほとんどを軽くあしらって相手にしなかった。
そうこうしているうちに二人の歩いている街道は牧草地帯から、まばらな低木が周囲に生えた林の入口に差しかかっていた。
ロベルトはまだ突っかかってくるレイの頭を片手で抑えつけながら周囲を見回すと、道から少し外れたところにちょうど腰かけに成りそうな高さの岩を見つけて、その傍らに肩にかけていた革袋を置いた。
「とりあえず、ここらで一休みするか」
「おい、おっさん俺はまだ意味聞いてねえぞ―――んぐ」
なおも迫ってくるレイの口に革袋の中から取り出した燕麦パンの一つを押し込んで黙らせる。レイは当然、憮然とした顔をしたが、自分の腹の減り具合を再認識して、黙って自分の背嚢から竹の水筒を取り出すと、草むらにどかっと座ってパンを食べ始めた。
「とりあえず、今後のルート確認をしておくか」
ロベルトはもう一つのパンを頬張りながら、革袋から縁のすり減った楮麻紙の地図を取り出して広げると、レイの目の前にある平たい岩の上に置いた。
ロベルトは地図の山脈部分を指さしながら言った。
「今からもう半時も歩けば霧降山の山越え道に入るだろう。街道は山脈の北側から西の尾根を通って、南側の斜面に続いている。多めに見ても四時間くらいか。バーサーストへは夕暮れまでには着けるはずだ」
レイはパンを咥えたまま地図を覗き込んではみたものの、すぐに興味をなくして口の中のパンを水で流しこんだ。
「あのなあ、おっさん。俺がいくら田舎者だからってバーサーストくらい何度も行ったことあるんだよ」
「まあ、一応な。山の天気は変わり易いし、霧が出てきて迷われちゃあ敵わんからな」
「いや、いくら霧降山だからってこの時期に視界を遮るほどの濃霧なんて聞いたことねえよ。それより俺の方が地元民なんだ。おっさんの方が迷うんじゃないのかよ」
二人はお互いに冗談を言い合いながら、林の入口で昼食をとった。
霧降山の天辺には薄い雲が幾筋かかかっているものの、太陽はそのさらに上から暖かな日差しを彼らに注いでいる。
風が吹いて低木の茂みを少し揺らした。飛ばされた木の葉の先には、寂れた街道が山脈の濃い緑色の稜線を縁取るように広がる森の中へと続いている。
彼らの旅は、始まったばかりである。
Ever moment with you
どんな時もあなたと共に
この世界での古西語は英語を流用してます。
文法とかは適当なのでその辺はご容赦ください。




