第五十話 運命、底なしの流砂に似て
「……ぐぎぁああああああっ――」
バルバリッチャが苦痛に呻く声が、不規則な玄武岩の岩壁に幾重にも反響して、地獄の断末魔の絶叫にも思える。
「煩いぞ。腕がちぎれたぐらいで悲鳴を上げるな」
いたるところに血の染み込んだ薄汚い白衣を着た小柄な男が、拾ってきた戸板に竹の足を組み合わせたような、簡易というより雑で不潔な手術台に縛り付けられているバルバリッチャの血まみれの右腕を、黙々と縫い合わせている。
だが、発せられた声はその男のものではない。
「……ぐ、兄上、すまん……」
苦痛に表情を歪めながらも、バルバリッチャが声の方向へ顔を傾ける。洞窟の壁に吊るされた鉱石ランプの青白い光が作った影の中から、大きなブーツを履いた足だけが覗いていた。
「ふん。自分の力に溺れて、俺の許可なく手柄を独占しようとするからだ」
声の主は、にべもなく冷酷に突き放した。
「そのガキがお前の魔術を無効化させたという魔剣。かなりの高ランクの古代兵器と見た。やはりあの情報は正しかった。その存在を確認できたのが唯一の救いだな。
部下を三十名近くも失って、何の収穫もなかったら――弟といえど、ただでは済まさんところだぞ?」
声は浅く笑っていた。それが逆にバルバリッチャの恐怖を呼び起こした。
声の主は、片腕を失い力なく横たわっているぼろきれのようなバルバリッチャの姿を、暗がりの中から見て薄笑いを浮かべているに違いない。
バルバリッチャは痛覚も忘れ、早口で弁解の言葉を並べた。
「し、しかし兄上。あの魔剣は本当に危険だ。刀身が自在に具現化する……何か人業ではとても及ばないような異種の力が作用している……。一度空間に現象として生じた魔術を強制消滅させてしまうなど、考えられない」
「それに、もう一人厄介な男がいる。賞金稼ぎのようだが暗殺術を心得ている、化け物みたいに怪力の大男だ。僕の魔術を受けて満足な体では無いと思うが……」
「お前の範疇で勝手に話を進めるな」
野太い声がバルバリッチャの話を不機嫌に遮った。
それはバルバリッチャにとって死刑宣告に近い響きを持っていた。彼の顔から生気が引き、代わりに脂汗がどっと浮き出た。
影の奥からこちらへ歩み寄ってくる重い足音が、彼の鼓動をさらに速めた。青白い鉱石ランプの光が、暗がりの高みに男の顔を半分だけ浮かび上がらせた。
太く濃い眉毛に、ごつごつとした彫りの深い顔の輪郭。こめかみから頬骨の下にかけて大きな傷跡があり、吊り上った瞳は病的な血の赤に燃えている。
男はさらに足を進め、次第に全身があらわになっていく。
がっちりとした体格で背丈は百九十センチと少し。筋肉質に盛り上がった二の腕には、鎌首を掲げた蛇神の刺青が施されている。
男は手術台のそばで足を止め、血まみれのバルバリッチャを侮蔑の視線で見下ろした。
薄汚れた即席の医者が切断面の止血と縫合を終え、男に頭を下げたまま黒子のように地面を這いながら後退した。男の太い腕が動作の開始を見せ、バルバリッチャは思わず目をつぶった。
「俺にはこれがある」
男の手が伸びたのはバルバリッチャの顔面ではなく、その頭の側の岩壁だった。
男は突然締まりのない笑みを浮かべ、岩壁に鎖で縛り付けられた、布で幾重にも巻かれた細長い包みの端にゆっくりと手をかけた。
そしてそれを鎖ごと岩壁から引きちぎった。
「全隊を霧降山に集結させろ。私部隊も支配下の盗賊団もだ。俺はお前のように古代兵器を軽視したりはしない。マッシュウ強盗団、総勢二百五十余人。全力で潰しにかかる」
ちぎれたビスと鎖と石片が、湿った地面を跳ねて転がる。
男はその細長い包みを片手で持ち、もう片方の掌で軽く叩きながら――呆けた老人が盆栽を子供のように愛し扱うような、ある種の自己満足に満ちた恍惚を、顔中に充満させた。
「魔術を霧散させるほどの高機能の古代兵器なら、Aランク級の指定遺物に違いねえ。そんな代物がなぜあの田舎町にあるのかは知らねえが、その魔剣を手にすれば俺はもっと強くなれる。
王国騎士団に怯えてこんな山の中にこそこそ隠れている必要もなくなる。それどころか奴らを滅ぼして、この国を乗っ取ることも可能だ」
「し、しかし――」
バルバリッチャの声を男の鋭い視線が遮った。彼はごくりと唾を飲み込んでから言葉を続けた。
「しかし兄上。あの魔剣はあまりにも危険だ。高ランクの古代兵器ならなおさら――」
「それは先程も聞いた。まさか、俺が負けるとでも言うのか?」
男のこめかみに血管が薄く浮かび出るのが見えた。
「いっ、いや、そういうわけでは……。ただ僕は、あれを実際に見た者としての警告を……」
男は慌てて否定するバルバリッチャを冷めた視線で見下げた。
「ふん。俺の弟ともあろう者が臆したか……。ならばお前が来る必要はない。どのみちその身体では戦力にならんし、士気が下がる。
それにもはや――退くことは出来んのだ」
「退くことは出来ない? それはどういう……まさか、情報を提供してきたあの妙な男と関わりがあるのか?」
「それはお前の知るべきことではない。知ればお前も絡め取られる。俺と同じく不朽の鎖輪にな。
不朽の鎖輪から退くことは、死を意味する」
「不朽の鎖輪……?」
「俺は、さるお方と契約した。今、俺はそのお方の力で満ち溢れている。この俺にあの魔剣を与えられる可能性があるのなら、それが死のリスクと背中合わせだとしても――軽すぎるくらいだ」
「――定め、運命、回る、廻る。鎖、鎖。錆びず、朽ちず、我らが母。汝は強大にして、永遠――」
「これで三度目。今度こそ、始まるのだ。全てはここから……ははは、素晴らしい」
話の途中で兄の声質が変わり、かすれるような笑い声と共に妄想のような訳の分からない単語を繰り返した。
(さるお方? 契約? 母? まただ。何のことを言っているんだ? 最近の兄上はどうかしている……)
そこに立っている男は明らかに、バルバリッチャの知っている兄上ではなかった。
自信に満ちた笑みを浮かべているが、一方で何かに怯えるように時々背後を見やり、視線が定まらない。足元も落ち着かず、酔いと夢遊病の複合症状のような、自分の意志で動いていないような足運びで、先程から同じ場所を右往左往している。
それは今に始まったことではなかった。ある時期から兄上は変容した。
光を極端に嫌がり、いつも洞窟の最深部の部屋にランプ一つ置かずに閉じこもっている。
感情が不安定で、些細なことで不機嫌になったかと思えば唐突に笑い出す。
聞く方からすれば意味のない単語の羅列を何度も繰り返して呟き、興奮すると話が錯綜して何を伝えたいのか全く分からなくなる。
それが今回はさらに顕著だ。
「――畏れるなら去れ。そして俺の前に二度と現れるな」
兄上は夢から醒めたように突然正気に戻り、そう言い放つと肩に壁から引き剥がした細長い包みを乗せ、また憑かれたような気味の悪い笑い声で光届かぬ暗闇の奥へと消えた。
鉱石ランプの光がどこからか入って来た湿った風に吹かれて、洞窟内の壁の青い投影を不安に揺らした。
バルバリッチャの忘れていた痛覚が甦り、彼は苦痛に呻きながら手術台の上からずり落ちるような格好で辛うじて地面に降り立った。
「くそ、無理だ……」
バルバリッチャは呻いた。それは斬り落とされた腕の苦痛が生み出した声ではなく、焦燥と不安が生み出した声だ。
「いくら兄上でも……あの魔剣は危険すぎる。それにあんなものに手をつければ、この王国どころか大世界連盟が動き出す。
その上でこの国を乗っ取るだって? もしそんなことが可能だとしても、連盟の治安維持部隊に野盗程度の生ぬるい戦術で勝てるわけがない。それは兄上も分かっているはずだ。
それなのに何故、そこまであの魔剣にこだわるんだ」
死のリスクと背中合わせだとしても軽すぎる? ――冗談じゃない、玉砕覚悟で突っ込むなんて野盗のやることじゃない。
数日前に襲撃があってそれが失敗したとなれば、町の連中はまた襲って来るかもしれないと警戒しているだろう。
無防備なところを襲う、奇襲が野盗の鉄則じゃないか。それを正面から大人数でかかろうなど、奇策にしても幼稚で単純すぎる。強引な手段などでは破れないのが鉄則だ。
(兄上はどう見ても正気じゃない。何としてもこの件からは手を引かせなければ……)
バルバリッチャは疼く右腕を押さえて、壁際に寄りかかり這うようにして兄の後を追った。
数歩、歩いただけで激痛が襲う。壁に全体重を預け、息をついた。同時に背中を百足が這ったような悪寒と吐き気が走り、彼の背筋を強制的に伸ばした。
(嫌な予感しかしない…。兄上は誰かに操られているようだ。契約? あのお方? くそっ、一体何のことだ!)
バルバリッチャは苛立ちの拳を壁に力無く叩きつけ、数ヶ月前の出来事を必死で思い出そうとしていた。
道化のような赤く丸い鼻の、商人風の醜い男が彼らのアジトにやって来たのは、霧の深い夜だった。
いつもならそんな胡散臭い男は入口で門番に追い払われるのだが、そいつはなぜか検問を素通りして、彼らの部屋に直接入って来た。
道化鼻の男は、嫌悪感を催すような媚びへつらいの低姿勢でにじり寄ってくると、最高に魅惑的でいい儲け話があると言った。ある町を襲い、そこにある宝石類を男が高く買い取る――という話だった。
しかしバルバリッチャは、その話に男が言うような魅力を何も感じなかった。
男が挙げたフレンネルという町は、山の中の辺鄙な田舎町で、自治団も駐在騎士もいない。警護はざるだが、かと言ってわざわざ襲う価値もない場所だったからだ。
野盗というのは商人以上に慎重で、現実主義者だ。
生業としている行為が犯罪であるがために、自分をハイリスクにさらす職業だけに、労働に対する代価に妥協はない。襲撃してもそれに見合う財産が奪えなければ、その襲撃はただ自分の首にかかった懸賞金額を高めるだけの――賞金稼ぎに身を危険にさらす行為にしか過ぎない。
だから野盗は目立ってはならない。高名になってはならないのだ。
懸賞金額が金貨千枚を超えるような名うての殺し屋や暗殺者なら、自分の首の価値が上がることを喜ぶかもしれない。
実力ある彼らは名を売ることによって仕事の依頼が増え、仲間内に力を誇示し牽制することができる。
しかし野盗は違う。彼らは常道から挫折して堕ちてきた連中だけに、己の力量の限界を嫌というほど身に沁みて理解している。野盗は個々が非力であるが故に群れるのだ。
出る杭がすぐに打たれるように、中途半端に有名になってしまった野盗は、腕利きの賞金稼ぎの格好の稼ぎどころになってしまう。
襲撃の回数は最小限。リスクの高い行動はしない。奇襲が鉄則。
これが野盗としてやっていく上での常識だ。彼らマッシュウ兄弟も、そのことは充分理解していた。
だから兄上も最初は不機嫌で、乗り気ではなかった。
だが途中で男は、その町に古代兵器があると言い出した。
男の思惑通り、兄上の態度は急変した。兄上はバルバリッチャに席を外せと言い、数時間、部屋から出て来なかった。
今考えると、不審に思う部分はたくさんある。
そもそも古代兵器は全面的に連盟の管轄下にあり、取引が合法化されている低ランクの一部を除いて、そうそう世間に流失するものではない。
なぜ普段慎重な兄上が、古代兵器という――普通に考えれば男が商談をうまく進めるためについた嘘かもしれない、信憑性の薄い話に――何の疑いも持たず、簡単に食いついたのか。
(あの時、あの間、あの道化の男は兄上と何を話したんだ?
部屋から出て来たとき兄上はひどく上機嫌だった。いや、上機嫌どころか僕でも見たことのない、締まりのない薄気味悪い笑みを浮かべていた。今と同じ笑みだ。確実に、あの時から兄上はおかしくなった)
焦燥にかき消される記憶を振り払って、バルバリッチャは今、自分がすべき最善の処置を考えた。
(兄上は狂っている。あの魔剣の虜になっている。妄想に取り付かれて現実の判断が出来ていない。止められるのは僕しかいない。今更、兄上を見捨てるわけにはいかない……)
暗く狭い岩の三叉通路を左に曲がろうとしたその時、その先の闇の中から重く直線的な衝撃が、バルバリッチャの腹部に突き刺さった。
自分の鳩尾を襲ったものが何だったのかを確認する間もなく、瞬間的に足元から力が大地に奪われ、彼は膝から崩れていく。
「……ぐ、あ……兄上――」
スローモーションでフェードアウトしていく視界の上に、兄上の顔がわずかに確認できた。
「悪いな……お前はそこで寝ていろ。俺はお前を死なせ―――」
その声を最後まで聞き取ろうと、必死で意識の端にすがりついていたが、掠れゆく白界は突然暗転し、無情にもバルバリッチャの思考を暗闇の中に引きずり込んだ。
湿った風が洞窟の湿った空気と混ざり合い、彼は黴っぽい土の匂いを無意識の奥で僅かに感じたが、それもすぐに暗闇の中に呑み込まれて消えた。
運命は底なしの流砂に似て、幾つもの歯車を次々と、その懐の奥深くへと飲み込んでいく……。
己が道を知り得て、その渦中に自ら身を投じた者。
知らず知らずの内に渦の端に足を踏み入れてしまった者。
あるいは拒絶したにもかかわらず流れの中央に絡め取られ、足掻きながらも抵抗空しく沈んでいく者。
それらの歯車は超空間的な複雑さで多元多重に絡み合い、運命という大観を成す。
その流れはゆっくりだが残酷に、しかし確実に、一つの結末に向かって時を刻む。
機械仕掛けの神、規定の未来、不可避の現実、歴史の道標、避けがたい事象、人間の意志を超越する無慈悲、起こってしまった過去に対して己の無力さを否定する口実――。
運命の呼び名はそれぞれでも、その響きは常にどこか耽美で劇的で終局的で破滅的で、――そして辿り着く場所はいつも同じ。
終わりの時
すでに針は刻み出して
止めること叶わず
逃れること能わず
我ら、座してその時を待つか
我ら、立ち上がりその時を拒むか
いずれにしても事は成らず
然し我らは動く
故に我らは動く
その時、来たるに備えて……
これにて、第一章「始まりの物語」完結です。
拙い文章でしたが、ここまで読んでいただき有難うございます。
一章通しての感想、評価をいただければ幸いです。今後ともよろしくお願いします。




