第四十八話 信ずるは己
刀、銘道興。
附、黒漆鞘打刀拵。
鎬造、庵棟、細身、小振りながら反り返し、中峰。茎は刃上がり栗尻、目釘穴二つ。
鍛は板目良くつみ、地沸厚く煌めき、地景しきりに入り、地斑まじる。刃文は互の目に小乱れ交え厚くつき、金筋、砂流かかる。
帽子は火焔状に焼詰。
彫物は表裏に角止の棒樋。
九郎が真剣勝負のためにレイに渡した刀に対するジルの鑑定だ。
葦原愚竜坊道興は十年程前、インドラ大陸ナカツの刀工界に突然現れた気鋭の新人である。
元はラテライト大陸出身の賞金稼ぎ、師につかず独学で刀鍛冶を学んだという異色の刀工で、作は細身ながら均整のとれた古久野津風、帽子火焔に互の目小乱れ交りという独特の刃文を特徴とする。
いずれの作品にも完成された品格があり、工歴はかなり浅いながらもナカツ二十一名工の一人に数えられる。
ジルは数年間から九郎に頼み込んで何度か所持する刀の鑑定をさせてもらっていた。その際にレイも立ち会うことが多く、この刀は特にレイが気に入ったものだった。
ジル曰く、「道興の評価は鰻昇り。現状でも四十マモンは下らない。五年経ったら倍以上の値になってるはず。数打ちじゃないから多分、師匠に贈られたものだと思うけど、とにかくレイには勿体なすぎる」
そのレイはと言うと、九郎に皆伝伝授の真剣勝負を言い渡された直後から、ロベルトが病み上がりなのを心配して止めるのも聞かず、刀を持って一心不乱に素振りをしていた。
素振りと言っても烏丸流の仮想敵を想定した演武である。
レイは壱ノ型の基本の構え、正眼からやや利き腕の方に刀を傾けて構えている。しばらく眼前の空間とにらみ合った後、鋭い掛け声を発して一気に歩を詰める。そして勢いのまま右袈裟斬り。
鋼の刃が空気を裂く鋭い音が響き、レイは刀を振り下ろしたままの姿勢で止まる。
「あー、今のも死んだな」
外野から呑気な声がして張りつめた空気が緩んだ。
ロベルトは板間に胡坐をかいて、その右足に肘をつき先程から何十回と繰り返しているレイの動作を評した。
「鍔鳴りは高速で抜刀と納刀を行う技だ。その名の通り、動作が早すぎて刃筋はおろか剣閃すら見えねえ。間合いの内にいるなら回避はまず不可能、構えから予測して防御に徹していたとしても連続で撃たれたら対処のしようがない」
レイは硬直していた姿勢をようやく崩して呼吸を整えた後、再び最初の立ち位置へと戻り始める。
「つまり、勝機があるとすれば間合いの外から攻撃すること、これ以外に無え」
それを見ながらロベルトは浅い溜息をついて続ける。
「だからさっきから言ってるが、お前から跳び込んでいっても分が良くなるわけじゃねえんだよ。そもそもお前、鍔鳴りを見たことがあんのか?」
「……無い」
すでにレイは前を見据えて刀を構えている。
「――だったら尚更、無理だろその方法は。いくら踏み込みと振り下ろしの重力加速が剣に乗ったとしても剣速は到底敵わねえ。勝ってるのは剣圧だけだ。刃を抑え込む前に身体が斬られてんだよ」
言いながらレイの動きを目で追うが、それは先程と全く同じ残像を彼の視線に写しただけだった。
「伊達に『不破剣技』と呼ばれてるわけじゃねえんだぞ? お前と九郎殿の体格はほぼ同じ、間合いの広さもそうは違わねえ。リーチで優位に立とうとすれば得物を変えるしかない。悪いことは言わんから勝ちたいなら俺と魔剣具現化の練習をしろ。セント・クレドなら一瞬の具象化でも間合いで圧倒的優位に立てる」
しかし、レイは聞く耳を持たず、また元の立ち位置に戻って剣を構える。
「…そんなもの使って勝っても意味が無いんだよ。俺は俺の力だけでじいさんを破る」
「お前の言い分も分からんでもねえが……俺は九郎殿からお前の最終試験の為に魔剣の扱い方を教えろと言われてんだ。九郎殿は対セント・クレドを想定してるんだぞ」
「それならなおさら嫌だね。そんなものに頼るって思われてんのがまず癪だ。何度言われてもこれは譲れない」
視線を合わさずに言いきって再び素振りに没頭するレイに、ロベルトは呆れ顔でぐしゃぐしゃと銀髪を掻き乱した。
(ったく、頑固にも程があるだろうが。魔剣の力に溺れてねえのは見事なもんだが――、いや、こいつの場合は信用してねえんだろうな。信ずるは己の力のみってヤツか。この齢で武人の鑑とは恐れ入るが、これはこれで扱いににくいぜ…)
考えあぐねているロベルトの思考を、後ろの引き戸が開いた音が遮った。
「おーい、レイ。師匠に聞いたら道場に……っとと―――って、何やってんだ?」
黒髪の少年が引き戸の間から勢いよく入ってきたが、すぐ前に座っているロベルトの大きな背中にぶつかりそうになって少しよろめく。
「――お、ジルか。ありゃあ斬られる練習だ」
「斬られる練習?」
ジルはレイを見ながら首を傾げる
「おう。明後日、皆伝伝授の真剣勝負をするんだとよ」
「なっ…ついにか!? あの動きを見るにもしや鍔鳴りを!?」
「ほう、演武を見ただけで分かるのか」
「いやだってアレ、前からレイが師匠の鍔鳴り対策にやってる素振りだからな」
ジルによるとさんざん九郎の逸話を聞かされたレイと彼が、鍔鳴りが「不破剣技」かどうかについて口論となり、「自分が破って証明してやる」と言って始めたらしい。
レイは試行錯誤を繰り返した結果、下手な小細工を使っても破れない、ならば真っ向勝負で打ち破るのみ、と考えたらしい。
「壱ノ型から踏み込んでの右袈裟はレイの最も得意とする技だからな。師匠と試合する時も、とどめをいっつもそれにこだわるもんだから、いい加減手を変えろって言うんだけどさ。あいつ一度言い出したらやりきるまで絶対聞きやしないから」
言いながらロベルトの横に同じく胡坐をかく。
しかし、そこでレイの振っている刀に気付いたようだ。
「あー、あれ道興じゃないか! やっぱり師匠はレイに渡すつもりだったのか。くそう、うらやましい…」
ウチで扱ってる商品の中にあれと似たような刀なかったか、すげかえても分からんだろ、などと不穏なつぶやきをしている。
しかし、それもすぐに鋭い空気を斬る音に途絶えて、二人は無言のまま、同じ動きをひたすら繰り返すレイを見つめていた。
刀を右傾ぎに構え、眼前を見据える。
じりじりと両足が床板を擦り、不意に止まる。
そこから一気に床を蹴っての踏み込み。
同時に大きく刀を振りかぶり、渾身の力で振り下ろす。
時間にすれば五秒にも満たない動作だが、ロベルトは一心不乱に振り下ろされる刀の軌跡に、どこかで見たような既視感を覚えていた。
それが何かを思い起こそうとするが思考のどこかに引っかかって、なかなか頭の中に出てこない。
しかし、こういう時に限って深く考えれば考えるほどに余計な雑念ばかり浮かび出てきて埒が明かないものだ。
いつもなら、それが大したことでもないと思いこむことにして記憶の深堀りを諦めるところだが、今回ばかりは何か重大な違和感を見落としている気がする。
そこで、あえて頭を空にしようと何も考えずにしばらくその動作をぼーっと見つめていると、不意に記憶の隅からそれが湧き出てきた。
ロベルトは突然、両膝を打って勢いよく立ちあがる。
あまりに突然だったので隣に座っていたジルは驚いて胡坐を崩した。レイも思わず動きを止めて、ロベルトの方を見た。
「レイ、お前の信念は分かった。俺の負けだ。それが最良の選択だと言うなら、自分の思うやり方を貫いてみろ」
ロベルトは言いながらレイに歩み寄る。
自分では神妙な顔つきをしているつもりだが、内心の感情をレイに読みとられはしまいかと心漫ろでならなかった。
「――だが、俺のアドバイスを一つ聞け」
それは彼とレイの思惑をどちらも満たす名案だった。ただし、その真意をレイに覚られてしまっては意味がなくなってしまう。
自分はポーカーフェイスはあまり得意でない。しかし表情を出さぬように注力しながら、レイの肩に手を置いて言った。
「俺が教えたいのは『心構え』だ」
【更新情報】
『56テールズ人物紹介』に№6【バルバリッチャ・マッシュウ】を追加しました。
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