第四十二話 自己紹介
昼食が終わった後、三人は道場に向かった。
レイは病み上がりであったが、食欲を満たした後に身体を動かしたくてうずうずしているのが見て取れたし、何よりロベルトは九郎との約束を果たす必要があった。
レイを連れて行くにあたって九郎が提示した条件は、「魔剣を扱えるかどうか見極めること」だった。
レイは魔剣の資格所持者となったとはいえ、まだ完全にセント・クレドを操れているわけではない。
具現化できたのはわずか数分。しかもそれは、魔剣が宿主の生命の危機に反応して、力を貸し与えただけだ。
それでは駄目なのだ。死にかけの状態からしか切り札が使えないなら、いくら命があっても足りない。
なにより危険なのは、魔剣の妖力に魅入られてしまうことだ。
あの剣の以前の持ち主がどういう状態になったかを知っている九郎にとって、最大の懸念は魔剣を扱う技量よりも、精神汚染にレイが耐えられるかどうか——そこにあった。
九郎は、レイの精神力を試すための“最終試験”を行いたいと言った。
その準備としてロベルトに頼んだのは、レイに魔剣の説明と扱い方を指導することだった。
「わしはレイに教えられることは全て教えてしまって、これ以上はもう何もできぬ。それに古代兵器ならお主の方が知識があるじゃろう」
自分で魔剣などを扱ったことのないロベルトは、理論と実践は違うと最初は渋った。しかし九郎の有無を言わせぬ口調に、ついに折れた形となったのだった。
九郎は急く必要はない、と言ったものの、ロベルトも悠長にいつまでもこの町に留まるわけにはいかない。レイの驚異的な回復力を見込んで、目覚め次第指導にかかる——という手筈になった。
レイは道場に入ると、身体の軋みをほぐすように首を左右に傾げ、両腕をぐるぐる回した。
それから大きく背伸びをして身体を捻り、長時間の睡眠で緩んだ全身の筋肉に刺激を与え、素足で数度軽く跳ねる。
いつも稽古前に行う一連の運動によって、徐々に頭の奥に引っかかっていた靄のようなしこりが晴れてきた。
錆びたギアに潤滑油を注いだかのように、脳からの命令がゆっくりと、しかし確実に全身の隅々の細胞まで正確に伝達されるのを感じる。今まで肉体と精神との連繋を阻害していた束縛感から、少しずつ解放されていく。
「どうだ、怪我の方は大丈夫か?」
腕組みをしたロベルトが横から問う。
レイは身体への意識の伝達を再確認するかのように、拳を握ったり開いたりしながら答えた。
「うーん、痛みはないから治ってるみたいだけど……まだ身体の細部まで思い通りに動かせてないというか、全身が完全には機能していないというか……指とか足先が少し麻痺してるような感覚が残ってる」
ロベルトはその答えに、組んでいた片手を顎先に当てて嘆息しながらレイの全身を見た。床の間の壁に持たれかかって座っていた九郎が、ロベルトの言葉を代弁する。
「全く、驚異的な回復力じゃな……」
「んー、そうなのか?」
レイは両手を腰に当てて身体を大きく後ろに反らしながら、詰まった声で言った。
「ああ、医者の判断じゃ全治一ヶ月ってのを五日で動けるまでになったんだから、充分バケモノだな」
「魔術の直撃食らっても何ともないおっさんの方が、よっぽど人間離れしてると俺は思うけどね」
バケモノ扱いされたことにカチンときたらしく、レイは身体を起こしながら皮肉口調で言い返した。
ロベルトは少し自嘲的に笑ったが、急にまじめな顔つきになってレイの正面に向き直った。
「さて、冗談を言い合っている時間はあまりねえ。身体が大丈夫なら本題に入ろうか」
「何だよ、本題って。怪我人をいきなり道場なんかに連れてきてさ」
「まあ、座れ。まずは話だ」
レイは言う割には久しぶりに身体を動かせると思って張り切っていたらしく、やや残念な表情で冷たい板間の床に腰を下した。
ロベルトはレイに正対して、その向かいに胡坐をかいた。九郎はその様子を見守るように、壁際にもたれかかったままだ。
「お前に幾つか訊きたいことがある」
「え、何を?」
レイは明らかに面倒臭そうに斜め上方を見ながら言った。長い話はごめんだと言いたげな表情だ。
「まあ、そういう顔をするな。残念ながら短い話になりそうもねえ。俺が聞きたいのは、キノコ頭の魔術士を退けた時の事だ。お前はどこまで覚えている?」
問いにレイはうつむき、頭を抑えて深く考え込んだ。
しばらくしてもその格好のまま動かないので、ロベルトが心配して声をかけると、ようやく頭を上げた。
「よく分からない……そのことを思い出そうとすると頭の奥の何かが邪魔をするんだ。記憶が霞んで、濃いフィルターがかかったみたいで——」
そこまで発したとき、突然激しい頭痛がレイを襲った。彼は頭を抱えて前に崩れこんだ。
「おい、大丈夫か」
ロベルトがレイの身体を支える。頭痛は持続性を持って彼の頭を箍で締め上げていた。それは彼が思考するのを拒んでいるようだった。
「後遺症じゃな。やはり精神汚染は免れぬか……」
九郎が心配そうに壁から身を起こす。しかしロベルトは片手を挙げてそれを制した。
「いや、この程度の記憶障害ならほとんど心配はありません。汚染といっても大したものじゃない」
最重度の古代兵器の精神汚染者を目にしたことのあるロベルトからすれば、これほど軽度の症状で済んでいること自体が奇跡的だと感じていた。
もともと古代兵器は偉大な古代種族のために造られたものだ。いかに資格所持者といえど、人程度ではその身に余る能力を最初から完全に調伏できるはずもない。
ロベルトはレイの呼吸が落ち着くのを待ってから、ゆっくりと言葉を発した。
「お前は古代兵器で、あの魔術士を退けた」
「古代兵器……?」
頭痛は治まったようで、レイが顔を上げる。
「そう、魔剣だ」
「魔……剣——思い出した。声だ。声がしたんだ……」
はっとして、レイはまた考え込む表情に戻った。
「声だと?」
「そう。気を失っている間に声がしたんだ。俺の奥から誰かが呼んだ」
「そいつは、俺に語りかけてきて……我が名を唱えよ、とか何とか……そうだ。そいつの名前は——」
「セント・クレド、だろ」
レイは驚いた顔をロベルトに向けた。続けて言葉を発しようとしたが、再び頭痛が襲ってきたらしく、短く呻いて額を抑える。
「もういい。あまり深く思い出そうとするな。人というものは、あまりに強すぎるショックを受けると、それが肉体に影響しないようにその時の記憶を自ら阻害するように出来ている。それを無理に引っ張り出そうとするのは精神的に良くない」
そこまで言って、今度はロベルトが考えるように少し間を取った。
「しかし、声が聞こえた、か。どうやらお前が資格所持者ってのは間違いないようだな」
「ちょっと待ってくれよ。古代兵器? 魔剣? 資格が何だって? 言ってることが全然分かんねえ」
「まあ待て。その説明をするには、お前にきちんと自己紹介をしておかないとな」
「はあ?」
混乱しているレイを尻目に、ロベルトはすくっと立ち上がった。
座っているレイは当然、見上げるような形になる。
「俺の名前はロベルト・ディアマン。大世界連盟、治安機構管轄機関構成員。――所属は『原罪の騎士団』」
その言葉とともに、普段でさえ大きな身体が、さらに巨大に見えた。




