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56テールズ ~聖杯の伝説~  作者: 曽我部穂岐
第一章 始まりの物語
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第四十一話 食わず嫌い

 居間ではすでに目覚めたレイが食卓の前に座っていた。


 座っていると言うよりかは寄りかかっているという表現が正しいかもしれない。食卓の上に顔を乗せてだらりと両手を垂らしていかにも餓えた人、という雰囲気を漂わせている。


 ロベルトの顔を見るなり「死ぬほど腹減ったぞー、何か食わせろー」と机の上をばしばし叩きながら力の無い声で言った。


 ロベルトはこいつの腹の減り具合を考えるに美味い昼飯にありつけそうだ、とレイに悟られぬよう心の中でニヤつきながら食事を待った。



 だが運ばれてきた食事を見た瞬間に、ロベルトのテンションは一気に下がった。


 それは正に、円石を万丈の山に転じたら千尋の谷まで落ちてしまった程の衝撃と急落ぶりなのではないか、という訳の分からない思考が彼の脳裏を錯綜気味に駆け抜けた。


 彼はしばらく沈黙し、硬化していた。それから軽く深呼吸をし、感情を整えた後、願わくは先ほど我が網膜と脳が認識した映像が泡沫(うたかた)の幻であるようにと薄い願望を抱きながら、もう一度、食卓の上に目をやった。


 だが、それは決して幻などではなく、確かな存在感と威圧感と絶望を伴って木目のぼやけた食卓の上に乗っかっていたのだった。


「こっ……これは、もしかして、蜂の子―――それにそっちのは、跳蝗(イナゴ)の佃煮……」


 眼前に置かれた水樹草の和え物の小鉢の中には、緑の茎の間に乳白色の幼虫が多数、見え隠れしている。

 そして食卓の中央の皿には、足と羽をむしられているものの、まだ昆虫としての姿を保った(煮崩れていたらそれはそれで嫌だが)飴色の佃煮がどっさりと盛られていた。


「滋養食じゃよ。レイはここ数日、白粥ぐらいしか口にしておらんから栄養のあるものを、と思うてな。三日前から仕込んでおいたのよ。

なに、大食漢が二人いようがこれだけの量があるんじゃ、遠慮はいらんぞ」


 九郎が何気なく言いながらイナゴを箸で口に運ぶ。


 九郎の故郷であるインドラ大陸には昆虫食の習慣があると聞いてはいたが、まさか遠く離れたアイオリス大陸で出くわすとは思ってもみなかった。


「まあ、イナゴも蜂の子も本来なら秋が一番美味いんじゃがなあ」


「いっ、いや、俺、菜食主義者(ベジタリアン)ですし……」


 ロベルトは露骨に頬の辺りをひくつかせながら、あまり関係ない言葉を辛うじて発した。それぐらい錯乱していたということだ。


 これなら多少の金銭的リスクを負って自腹を切って宿屋で食べるか、昼食抜きで空腹に耐えるかした方が遥かにましだったかも知れない。これが運命(さだめ)だというのか…


 頭の中を後悔の念が駆け巡るが、しかし今さら退くわけにはいかない。決して逃れることは出来ないのだ。


 ロベルトは何故か頭に浮かんできた予言詩の一節を大きな深呼吸ともに飲み込むと、箸を掴んで最大の勇気を振り絞り、小鉢の中の幼虫と水樹草を掴んだ。


 しかし口に運ぶ瞬間に、この蜂の子が茹でたものではなく、文字通りの「新鮮獲れたて」で箸の先でびちびちと最後の抵抗などされたら、それはもう拷問以外の何ものでもない悶絶昏倒だな、とエグイ想像をしてしまった。


 これはもう勢いで食うしかないと思って上げた箸が見事にぴたりと宙に止まり、さらに箸を通じて手に伝わる蜂の子のぶにゃりとした感触が烈しい嫌悪感を促す。


 彼の腕が細かく振動しながら次第にゆっくりと下がって、箸は元の小鉢の中に収まった。


(ま、負けた……)


 ロベルトは敗北感を噛みしめながら首をうなだれた。


(くっ、この俺が、虫ごときに……しかし水樹草ぐらいなら……いや、それはあまりにみみっちい――)


 隣を見るとレイが凄まじいスピードで一心不乱に蜂の子とイナゴを交互に口に運んでいる。


 相当、空腹だったのだろう。ロベルトが呆れ顔で見ているとレイがその視線に気付いおて顔を上げた。


「む。はんはほうは?」


「飲み込んでから話せよ。何言ってんのか分からねえし、口の端からイナゴの腹が見えて気持わりい……」


 ロベルトはぐったりした声で言った。レイは咀嚼と嚥下を済ませてから、もう一度口を開いた。


「おっさん、食わねえのか? 全く減ってねえぞ」


「いやな、虫はちょっとな……」


「そうか? 蜂の子は卵みたいな味でうまいし、イナゴの佃煮なんて普通の佃煮と殆ど変わらないぞ?」


「味とかの問題じゃねえ。外見……って言うかそれ以前に虫だろうが」


「何でだよ、虫も魚も腹の中に入っちまえば一緒じゃねえか」


「一緒じゃねえよ。ウナギと梅干とか食い合わせの問題ならともかく、魚と虫だぞ? それが腹に入っちまえば一緒って、なんだその野蛮な発想は」


 ロベルトは露骨にひく。


 だが、レイはロベルトの言うことの方がよっぽど理解できないといった顔つきで、さらにイナゴ一匹を口の中に運んだ。


 するとそのやり取りを食卓の向かいで聞いていた九郎が不意に立ち上がった。


「ううむ、やはり西方人にいきなり虫食はきつかったようじゃの。仕方ない、特別に普通の飯を用意してあるからそれを持ってきてやろう」


「特別に普通の飯って…。用意していたのなら最初から出してくださいよ……」


 ロベルトはぐったりと肩を落とす。


「いや、お主の反応があまりに面白かったのでな。それに空腹は何よりの調味料ともいう。その勢いならもしや食えるかも、とな」


「いやいやいや……勢いで食わせようとしないで下さい」


 さらにぐったりとさせることを九郎は笑いながら言う。



 それからしばらくして、ようやくロベルトは干鱈の焼き物と青菜の煮浸しという昼飯にありつくことができたのだった。

我ながらこのくだり誰得だよ…


あ、ちなみに私は長野県民ではないですが、両方とも食べたことはあります。普通に美味かったです。



【更新情報】


『56テールズ人物紹介』に「ジル・スチュアート」を追加しました。併せてご覧くださいませ。

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