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56テールズ ~聖杯の伝説~  作者: 曽我部穂岐
第一章 始まりの物語
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第三十五話 巨獣の背

 九郎の部屋は、レイの部屋に比べれば物がいくらか置かれていた。


 それでも必要最低限といった感じで、レイの部屋にあるのと同じような、こじんまりした木の座卓がある。座卓の上には硯箱と、書きかけの手紙らしきものが置かれていた。座卓から少し離れたところには敷布団が丁寧にたたまれており、部屋の奥には古い桐箪笥と、本が見事に整理された二段の棚が並んでいる。


 桐箪笥の一番下の引き出しには刀が納められているのだろう。頑丈な鉄錠がかかっていた。

 本棚に並べられている本を、目についた順に挙げていくと――「刀剣目録」「万国草本」「シェエラザートの予言詩録」「アイオリス大陸の歴史」「独歩毘沙門流剣術指南」「ヴァンパイア族の長寿と純血度の関連性に関する報告書」「水中翼船(ハイドロフォイル)の操作方法・上級者編」「庭木の移植~枯れさせない為にこんな方法があった!~」…………。


 洋書も混じっているが、ほとんどが毛筆の和綴じだ。どうやら九郎自ら写本したらしい。これを吝嗇(りんしょく)と見るか、倹約と見るかは意見が分かれそうだが、下の棚の中央にある「アイオリス大陸の歴史」などは十五センチ近い厚さがある。これを原本から写したのだとすれば、感服に値する。


 九郎は部屋の隅に積んであった鈍色の座布団の山から二枚を引き抜き、部屋の中央に間を開けて並べた。次に反対側の壁近くに置いてある漆塗りの燭台を座布団の傍まで寄せ、火縄に火を点けた。


 真っ暗だった部屋に、薄い光が浮かび上がる。

 廃油で満たされた燭台の器に灯った炎が、障子の隙間から吹き込む夜風に不規則に揺れた。


 彼らは座布団の上に向かい合って座った。大きさの違う二つの、ぼやけた影が床に伸びる。


「腹の探り合いをしていてもらちがあかぬ。わしが説明するより先に、まずおぬしの意見を聞こうか。今回の件に関して、どう考えておる?」


「その『今回の件』というのは、どこからどこまでです。この町が野盗の襲撃を受けた、という点に限ってのことですか?」


「いや、それをどう取るかはおぬしの自由じゃよ。――今回の出来事を、どう捉えるかはな」


「そうですか。では単刀直入に言いましょう。これは計画ですよ」


「ほう」


「この町に野盗が襲撃をかけるのも、その目的が古代兵器であるのも、その日に俺がここに来ることも、レイモンド・カリスが古代兵器を操る力に目覚めるのも――今に至る全てが、あらかじめそうなるように仕組まれていた。完璧で、壮大な計画です。それをあなたは『運命』と例えた」


「……ほう」


「俺はこの数日間、考えました。今回の不自然すぎる出来事の目的は何なのか。仕組まれたことだとすれば、何のために練られたのか――と」


「最初の俺の目的は、古代兵器セント・クレドの回収でした。ところが事が進むにつれて、問題がすり代えられていた。最重要視すべきはセント・クレドの魔剣であったはずが、いつの間にかそれがレイモンド・カリスになっている」


「つまり最初から、この計画において最も重要なのは烏丸九郎でもロベルト・ディアマンでもセント・クレドでもない。目的は最初からレイモンド・カリスだ。これから先のことは分かりませんが、少なくとも今回の件に関しては、レイを中心にして、彼のために仕組まれていた。俺やあなたやニコラを含め、全てはそのために用意された駒にしか過ぎなかった」


「……ほう」


 確信した表情で強く言い切ったロベルトに、九郎はしばらく沈黙した。

 だが不意に両膝を叩き、突然、手を打って笑いだした。


「ほう、ほうほうほう。素晴らしい、素晴らしいぞ。流石(さすが)はロベルト・ディアマンじゃ。よくぞ一日二日でそれだけのことを推理したものよ。お主の推論は的を射ておるぞ。しかし、まだ正解とは言えぬな」


「当たり前ですよ。俺の持っている情報程度じゃ、はっきりした全体像は分かりません。あなたは俺よりもっと深く関わっている――そう見ていますが」


「ふむ。そう思うのはもっともじゃが、わしはさほど重要な役割ではない。しかしロベルトよ。重ねて言うが、わしはお主の推論が正解じゃとはまだ言うておらぬぞ。的を射ていると表現しただけじゃ。的に当たってはいるが、それが中心に近いか遠いかは言うておらぬ」


「では、どうなのですか?」


 ロベルトは改めて九郎の顔を直視した。九郎は一呼吸、間を開けてから答えた。


「近い……と考えておる」


「考えて?」


「そうじゃ。お主の言う通り、わしも駒の一つに過ぎぬ。自分に与えられた任務は把握していても、全体像を確証するには至らぬ。わしは疾走する巨大な獣の背に乗っておるが、自分の膝の上の猫をあやすのに手を焼いておるのじゃ。自分を運ぶ獣の顔など見えはせぬ。それが犬か獅子か化け物か――その判別さえもつかぬ」


「ち、ちょっと待って下さい。与えられた任務ってどういうことです? それに、疾走する巨大な獣? 何の比喩です? 話が交錯して、よく分かりませんよ」


「ああ、すまぬな。どうやらこれは、お主の情報外のようじゃな」


 九郎は太い筋の入った首を少し下げて平謝りした。それから両肩を交互に回すしぐさをして、視線をロベルトに戻す。


「お主の言う通り、これは計画じゃ。全ては仕組まれたことじゃ」


 九郎はひどく神妙な面持ちで、低く言った。

 ロベルトはつられて、たいした意味もなく深くうなづいた。


「この計画の発案者、指揮者が誰か――分かっておるか」


 九郎の質問にロベルトは素早く答える。


「それはもちろん分かっています。仮面の男です。あの、名前の無い、我らの団長(ボス)ですよ。彼は普段から連盟の陰に隠れて何事かやっていたようですから、それがこの計画だと推測するのは容易(たやす)い。ニコラにセント・クレドの魔剣を預けたのも、その回収を俺に命じたのも彼です」


「先程あなたが言った『与えられた任務』も、彼から依頼されたものだとすれば、あの男の関与は確実になる。彼が黒幕で、全てを裏で操っていた――そう考える方が自然でしょう」


 その答えに九郎は顔つきを変えぬまま、うなずいた。


「全くその通りじゃ。わしの任務というのは、あやつから依頼されたものよ。

 あれは十……年前のことであったか。わしはそろそろ連盟の職務からの引退を考えておった。担当じゃった古代遺跡(メガリス)の調査も、そこの遺物の回収も、ガーディアンの排除もあらかた終わっておったし、どこぞの田舎に引っ込むつもりであった」


「そんな折に、あの名無しがわしに話があると言うてな。もちろん、あやつは囚われの身であるから直接言ってきたわけではなく、言伝(ことづて)じゃったが、最初は無視しようかと思っておった。何しろあやつは、ほとんど死人じゃからな。まだこの世に存在しておるから完全な死人とは言わぬが、精神も肉体も朽ちかけておる半死人じゃ」


「これから隠遁して、残されたわずかな余生を安らかに過ごそうとしている老いぼれが、あのような運命(さだめ)に逆らって――生きているか死んでいるかの定義もつかぬ男に関わるのは、非常によくないと考えたのじゃよ。

 それに、わしはあやつの部屋があまり好きではなかった。あの独特の陰気臭さというか、湿っぽさが、老躯と枯骨に沁みるのであろうな」


 ロベルトは少し笑った。烏丸九郎ほどの人物でも、昔のことになると自嘲的になるのが可笑しく、少し悲しかった。


「それはそうでしょう。あそこは牢獄ですからね。あの空気が好きだという人間は、そういませんよ」


 ロベルトの感情を察したのか、九郎も苦笑しながら返した。


「それもそうじゃな。じゃが世の中には変わり者がおって、あのような生きている者の墓場でも、穢れた外界よりは遥かにましだと思う者もおる。わしはそこまで悟りきれてはおらぬだけじゃ。その点に関しては、あの男は尊敬に値するかもしれんな」


 そこで会話はしばらく中断した。


 九郎が、もう少し話が長引くからお茶でも入れようと言って席を立ったからだ。数分して柏木の盆に、ほうじ茶の入った湯飲みが二つ運ばれてきた。九郎は膝を曲げて馬鹿に丁寧なしぐさでロベルトの前に湯飲みを進める。続けて自分も、湯飲みを持ったまま腰を下ろした。


「どこまで話したかな。……ああ、あやつから言伝があった、というところまでじゃったか」


 九郎はすぐさま湯飲みに口をつけ、ほうじ茶をすすりながら言った。

 ロベルトも多少喉が渇いていたので自然に目の前の湯飲みに手を伸ばしたが、触れた途端、あまりの熱さに思わず手を引っ込めた。


「……熱くないんですか、それ」


 呆れたような口調に、九郎は自嘲的な笑みを浮かべる。


「皮膚も舌も感覚が鈍るのじゃよ。老いてくるとな」


 ロベルトは、ほうじ茶にはもう少し冷めてから手をつけることにして、話の先を促した。老人は熱い液体をもう一口すすってから続ける。


「わしは最初、あやつを無視するつもりでおったが、日が経つにつれて、あやつに会うのもこれが最後になるかもしれんと思うようになってな。親密ではなかったにしろ長い付き合いじゃし、無理に暇を作って会いに行ったのじゃよ」


「すると全くの偶然じゃが、その日は『解魂日』じゃってな。あやつは一年ぶりに、あの部屋の束縛から解かれて前庭の石碑の周囲を、あてもなくうろついておった。その手足に巻きついていた鎖と仮面はそのままじゃったが――一つだけ、いつもとは違うところがあったのじゃよ」

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