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56テールズ ~聖杯の伝説~  作者: 曽我部穂岐
第一章 始まりの物語
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第一話 日常、変わりなくとも

世界名

五十六番目の世界。


銀河名

第二銀河。


惑星名

第三惑星。


大陸名

アイオリス大陸。


国名

エクベルト王国。


町名

フレンネル。


 さらに正確に言えば、この馬鹿みたいに平和な田舎町の端にある、場違いな古びた道場だ。


 白髪交じりの髪を後ろで束ね、深いしわを刻んだ顔の老人と、まだ幼さの残る金髪の少年が、それぞれ竹刀と木刀を持って向かい合っていた。


 二人の距離はおよそ三メートル。その間を、ひとつの吐息で裂けてしまいそうなほど張りつめた空気が支配していた。


 冷たい板間の床を、少年がすり足でじりじりと間合いを詰める。同時に正眼に構えた老人の竹刀の切っ先が、わずかに下がった。


 先に仕掛けたのは少年の方だった。

 気合の入った掛け声とともに一足で老人の側面に飛び込み、屈むような低い体勢から右胴を一文字に払う。

 しかし老人は切っ先でその一撃を軽くさばき、身体を反転させて少年の右肩めがけて竹刀を振り下ろした。


 だが、そこに少年はいない。

 先ほど老人が彼の一撃目を受け止めた際、背後に回り込んでいたのだ。そして無防備な背中に渾身の一撃を振り下ろした。


 ぼごっ、という鈍い音が室内に響く。しかし、老人は動かない。


 代わりに、少年は木刀を取り落とし、腹を抱えて崩れ落ちた。右袈裟を外したはずの老人の竹刀の柄が逆さに半円を描き、少年の鳩尾みぞおちを見事に捉えていたのだ。


「油断大敵……じゃな。勝利など確信するものではない」


 真剣の納刀と同じように切っ先を返して竹刀を腰横、右手に納め、袴の裾を叩きながら老人が振り返る。


「おーっ、すげえ!」


 同時に道場の隅から歓声が上がった。薄汚れた道着を着て正座している、縁なしの眼鏡をかけた黒髪の少年が、パチパチと手を叩いている。


「さっすが師匠。レイなんざ、赤子の手をひねるがごとしっすねえ」


「なんだと、ジル。今のはちょっと油断してみただけよ……っと」


 レイと呼ばれた少年――本名レイモンド・カリスは、木刀につかまってずるぺたと立ち上がりながら、腹に力の入らない声で言い返した。


 本気でないとはいえ、失神しなかっただけでもたいしたものだ。その肩を老人の竹刀がぴしりと打つ。

 そして鋭い眼光で見下ろしながら、皮肉たっぷりに言った。


「ああ、油断も油断、いいところじゃ。あれほど相手の得物から目を離すな、といつも言うておるじゃろうが。まったく、わしが背後を取らせたのが誘いだということさえ見抜けんとはのう」


 言い返そうとする少年を制して、さらに続ける。


「第一、振りが大きすぎじゃ。剣術は腕力勝負ではないぞ」


「ぬう……。しかし次はかからないぞ」


「愚か者、二度も同じ手は見せんわ。――それより飯じゃ。この頃は急に動くと腹が減ってかなわん」


 老人は最後には笑いながら、突っかかる少年を軽くいなし、手拭いで汗を拭きながら奥の引き戸の中に消えた。


 黒髪の少年は、老人の姿が完全に見えなくなったのを確認してからレイに話しかけた。


「いやあ、さすがは烏丸からすま九郎。何度見てもレベルが違うね。お前のひょろい構えなんかと違って、立ってるだけで威圧感があるよな」


 彼の名はジル・スチュアート。レイの親友で、この田舎町フレンネルで一番大きな(といってもたかが知れているが)商店の長男だ。だが商売にまったく興味がない。その代わり刀剣や剣術に異常と言っていいほど詳しく、暇さえあればその類いの分厚い本ばかり読みあさっている、いわゆる剣術マニアである。


 しかし剣の腕の方は見事にからっきしで、素手でも大差ないくらいだが、実技見たさにこの道場に通い続けている。余談だが彼の眼鏡は伊達だ。彼が言うには、眼鏡という文明の利器を装備することにより、人間はより賢く見せられるとか何とか。


「――っておい。聞けよ、レイ」


 レイは彼の話などまったく聞いていない様子で、あぐらをかいたまま片手で素振りをしながら、何やらぶつぶつつぶやいている。


「じいさんの大振りが誘いなのは分かってた。――で、俺の唐竹割りが多少無謀なのも分かってたし、じいさんがその後に逆さ突きを狙ってたのも分かっていたんだ」


「――それでも、こっちの木刀の方が先に入るはずだった。でも実際はじいさんの突きの方が早かった。何故だ? 俺の剣速がじいさんの突きより遅かったっていうのか……?」


「何だ。負け惜しみかよ。見苦しいぞ」


「違う。俺は予測できていたんだ。全部、完璧だった。でも入らなかった」


「師匠の逆さ突きの方が速かったからに決まってんだろ」


「……まあ、そういうことだよな」


 レイはまだ納得のいかない表情で、しきりに首をかしげている。


「……何で後手の石突きの方が、先手の唐竹割りより速いんだよ。体重だって乗ってるし、剣速で負けるわけないんだ」


 それを聞いてジルは、嘲るように一笑した。


「当たり前だろ。相手を誰だと思ってんだよ。烏丸九郎だぞ、烏丸九郎。お前が勝てるわけないだろ。負けて当然なんだよ、とーぜん」


 師に心酔しているジルにとって、技術論は二の次だ。


「何だと。第一、あのじいさんがそんなに強いのかよ」


 思わずむっとして聞き返したが、それがいけなかった。ジルは我が意を得たりと言わんばかりに目を輝かせ、身を乗り出して熱く語り始めた。


「そりゃあ、師匠――いや、烏丸九郎と言えば、インドラ大陸に伝わる帝可御流の一つ、烏丸流剣術の創始者にして、かの絶対不破剣技『鍔鳴つばなり』の使い手!」


「その刀捌さばきたるや、時には流水のごとく静麗に舞い、時には龍虎のごとく猛然と敵に襲いかかる! 特に剣の速さにおいては天下無双と言われるほどで、その洗練された剣の妙技を一度目にした者あらば、その虜とならんこと間違いなしッ!」


 彼の口調は次第に熱を帯び、拳を握って目をつぶり、仰角四十五度のあたりを見上げて、すでに自分の世界に入ってしまっている。


「あー……インドラ大陸ねー。行ってみてーなー」


 わざと的外れな相槌を打ってみるが、効果はまったくない。


「――そう、特に十年前に王都ミクチュアで行われた剣術大会での『牛殺士トレアドール』こと、双刀の魔剣士シェリング・ラファルトとの一戦は、師匠の魅力を最大に語っているんだ。若干十八歳のラファルトに対し、師匠は六十を超えていた。大勢の予想も師匠に不利なものだった。――しかしッ!」


「炎と氷、二つの魔剣を操るラファルトの双刀術を、師匠の愛刀『鳴神なるかみ』はまったく寄せ付けなかったんだ。この名刀は、かの天上天下十剣の天下五剣の一つで、バシシンの名工、獅子家しじや永継ながつぐの最高傑作! 優美な曲線を描いた細身の刀身、地鉄じがね小板目こいため詰んで美しく、重花丁字ちょうじの刃文が――」


 どんどん発展していって永遠に終わりそうにないジルの話に、しばらく虚ろな目で天井の雨漏りのシミを数えていたが、それも尽きて、レイはゆっくり立ち上がった。


「……メシにすっか」


「――永継の刀を手にした時、師匠はこう言ったに違いない。これは真の――ん?

 メシ……っておい。おいて行くなっ! つーか人の話聞けよッ」


 喚き声を背に、昼食の握り飯の包みを下げて、軋む縁側を下りる。


 空を見上げると、ちぎれた雲の切れ端が風に乗って、あてもなくゆっくり飛んでいく。その下の小高い丘で、右回りにねじれた古い巨木が、その両腕に茂った若草色の葉をたなびかせている。そこはちょうど道場の裏手だ。


 天気のいい日、彼はいつもそこで昼食をとる。今日もそうすることにした。




 両脇に色とりどりの花々を抱えた、なだらかな丘をゆるゆると歩いていると、ジルが転げそうになりながら慌てて追いかけてきた。


「だから、待てって、言っ、てんだろうが」


 たいした距離を走ったわけでもないのに、彼は息を上がらせながらレイの肩をつかんで立ち止まる。そして呼吸を整えてから、話しかけた。


「――ったく、人の話を最後まで聞かないのはお前の悪い癖だぞ」


「お前が勝手に喋り始めたんだろ。それにお前のしつこいうんちく話は、日が暮れても終わらないからな」


 そう言い返して歩き出すレイの挑発を、ジルが聞き流せるはずもない。


「何だと。俺の話は親切かつ丁寧で、理路整然、起承転結。それでいて所々に気の利いたウィットとジョークと冗談に富み――」


「だーっ! それがしつこいって言ってんだよ。ウィットとジョークと冗談って、全部意味同じだろーが。あと、何でいっつも道着着てんだよ」


「ちょっとはニュアンスが違うんだよ。それと道着の方がかっこいいだろうが。お前の方こそ練習の時ぐらい道着着ろ!」


「そう言うのを屁理屈って言うんだよ。しかも全然かっこよくねーし、練習なんてろくにしないお前に言われたくねー……お?」


 レイが突然言い争うのをやめて、ジルの肩越しに丘の下を見下ろした。


 丘の下から十数メートル離れたところに小道がある。このフレンネルから少し北にある小さな山村に通じる道だ。


 そこを向こうから人が一人、歩いてくる。少々太り気味の体格に、真っ白なシャツと折り目のついたブラウンのズボン。彼らには見慣れた格好だ。


「あれ、町長だよな」


「ああ、町長だな」


「何してんだ」


「そりゃ歩いてんだろ」


「ああ?」


「おお?」


 再び睨み合うレイとジルに気付いたらしく、町長が軽快とは言えぬ足取りで走ってくる。


 そして丘の下から呼びかける。


「よう、レイ、ジル。またケンカか」


「ああそうだ」


「そうだ」


 互いに相手の顔を見据えて動かない彼らの横顔に、町長は半分禿げた茶色い頭を叩きながら、呆れた声で言った。


「……お前ら、仲良いな」


「何ィ?」


 ハモって今度はこちらを睨み付けてくる二人に大笑いした後、町長は思い出したように話題を変えた。


「そうだ。ジル、お前の親父さんが捜してたぞ。まあ、いつものことだが。剣術なんぞ物騒なものばかりに熱中して、ちっとも商いの道を知ろうともせん、とか何とか嘆いていたな。これもいつものことだが」


「あのオヤジは平和ボケし過ぎてるんだよ。こういう世の中、自分の身ぐらい守れるようにしないと」


 と、ジルは他人事のように足下の小石を蹴飛ばす。

 レイはその隣で、彼の思いっきり矛盾した答えに吹き出しそうになるのを、両手で口をふさいで必死で我慢している。ジルの事なかれ主義は町でも一番だろうし、自分の腕を磨くために剣術を習っているわけでもない。


「ま、何にせよ若人が汗を流すのは良いことだ。私も若い頃はよくやっていたよ」


 町長も笑いながら答える。そして、おもむろに中天に差しかかった太陽に目をやった。


「――おっと、いかん。早く帰って書類の整理をせねば。今日は客人が来るし……ああ、部屋も片付けておかないとな」


 そう言って彼はきびすを返して歩き出した。しばらく歩いて、彼らの方を振り向く。


「怪我しない程度にがんばれよー」


「町長の方こそ前見て歩けよ、木にぶつかるぞー」


 ジルが言い終わらないうちに、町長は木の手前の石につまずいて転んだ。


「……早くメシにしようぜ。メシ」


 レイはそれを見ていないことにして、巨木の方へと駆け出した。

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