ひぐらしのいない夏
八月最後の週末、俺は五年ぶりに祖母の住む実家に帰ってきていた。
畳の匂い、蚊取り線香の煙、縁側から見える田んぼ。何もかもが記憶通りで、逆にそれが少し怖かった。時間だけがここに置いていかれたみたいで……。
夕方、五時半。空がオレンジから紫に変わりはじめる、あの一瞬。
――タマタマタマタマ。
聞き慣れたリズムではあった。ひぐらしのようでもあるし違うような気もする。同じ音程、同じ間隔で正確に繰り返される。
「空耳……だよな」
縁側に座ったまま、俺は動けずにいた。音は止まない。むしろ、だんだん近づいてくる気がした。
――タマタマタマタマ。
そして、応えるように。
――キンキンキンキン。
今度は反対側、裏の竹林の方から。
金属同士がぶつかるような、硬く冷たい音。
――人か?
いや。
人の気配なんて無い。
二つの音は、まるで会話でもするみたいに、交互に響きはじめた。
タマタマタマタマ。
キンキンキンキン。
タマタマタマタマ。
キンキンキンキン。
間隔がどんどん短くなっていく。呼吸が浅くなる。汗が背中を伝う。
これは、まずい。何かが、来る。何かとんでもないものが――俺は震える声で、その"何か"に向かって絞り出すように咆えた。
「ただの下ネタじゃねえかっ」
タマタマタマタマ。
キンキンキンキン。
――夏の残照は、まだ何かを語り足りないとでも言うように、いつまでも軒先に留まっていた。




