第5話 名を預かる者
第5話 名を預かる
ここはレイアノーティア。
役目は人を救い、
同時に縛る。
――だが、その役目がどこから来たのかを、気にする者は少ない。
⸻
ギルドに戻った瞬間、空気が違った。
昨日までと同じ建物のはずなのに、音の鳴り方が違う。食堂から漏れる笑い声は少しだけ低く、受付前のざわめきは、こちらを避けるように流れていく。
見られている。
真正面からではない。ちらりと見て、すぐ外す。だがそれが何度も続けば、視線の数は嫌でも分かる。
昨日まで、ただの新人だったはずの俺たちに、妙な距離ができていた。
「おい、あいつだろ」
「水晶が……」
「順番が逆だったって」
順番?
俺は眉をひそめる。
受付嬢の姿勢が、昨日よりわずかに硬い。笑顔は同じなのに、背筋だけが仕事以上にまっすぐだった。
「トンヌラ様」
「様?」
思わず聞き返した。
昨日までは“ネームレスさん”だった。せめてそこは変えないでほしい。変に持ち上げられると、だいたいろくなことにならない。
「ガルド様の件ですが」
横でガルドが固まる。
「え、俺?」
受付は一枚の紙を差し出した。
そこには、確かに刻まれている。
ガルド
職業:バトル・ウォーデン
登録時刻――戦闘終了後。
「通常、職業は水晶判定時に確定します」
「だろうな」
「ですが今回は……」
一瞬、言葉を選ぶ間があった。
「定義が、追従しました」
⸻
ガルドが俺を見る。
俺もガルドを見る。
「……昨日言ったやつだな」
「言いましたね」
「ノリで」
「ノリでしたよね?」
確認されても困る。
困るが、事実なので否定もできない。
⸻
周囲のざわめきが、少しだけ熱を帯びる。
「ネームレスって何なんだ?」
「名を与えたのか?」
「いや、預かったとか聞いたぞ」
“預かった”。
その単語だけが、妙に耳に残った。
軽いようで、重い。
格好いいようで、少し気味が悪い。
⸻
俺は近くの水差しから水を注ぎ、一口飲んだ。
「違う」
即答する。
「俺は何もしてない」
事実だ。
立てと言っただけだ。
覚悟を決めろと叫んだだけだ。
名前を言っただけだ。
――それだけだ。
⸻
だが、“それだけ”で足りる世界もある。
そのことを、俺はまだよく分かっていなかった。
⸻
受付が続ける。
「ネームレスという職業は、公式な記録に存在しません」
「前例なし、だろ」
「はい。ただ――」
視線が、わずかに揺れる。
「古い文献の中に、“名を預かる者”という記述があります」
⸻
背中が、ほんの少しだけ冷えた。
十五年前の言葉が蘇る。
《名は器だ》
《名を預かる者は、世界に線を引く》
あの時は、ただ格好いいと思った。
意味は分からなくても、厨二病には十分すぎた。
今は違う。
格好いい、だけでは済まない感じがある。
意味が、こっちへ近づいてきている。
⸻
ガルドが、小さく言う。
「トンヌラさん……俺、あなたに言われて……」
「立っただけだろ」
「でも、あのとき」
ガルドの目が、妙にまっすぐだった。
「覚悟、完了って」
俺も言った。
勢いだ。
たぶん。
いや、本当にたぶんでしかない。
だが、その“たぶん”がこうして紙になって戻ってくると、少し怖い。
⸻
ここはレイアノーティア。
人は結果に意味を与える。
意味があった方が、安心できるからだ。
筋が通っていた方が、世界は理解しやすい。
――意味がなかった場合は、もっと怖い。
⸻
食堂の隅で、冒険者たちが囁く。
「ネームレスってさ、名前がないんじゃない」
「名を持たないんじゃない」
「名を“持たせる側”なんじゃねえの?」
空気が、ざわりと揺れた。
誰かが面白がり、誰かが怖がり、誰かが距離を測っている。
たった一つの誤解が、輪郭を持ち始めていた。
⸻
俺は登録証を見る。
トンヌラ
職業:ネームレス
何も増えていない。
何も変わっていない。
だが、周囲の視線だけが明らかに変わっている。
職業の文字はそのままなのに、解釈だけが勝手に育っていく。
厄介だ。
そして、少しだけ面白い。
⸻
ガルドがぽつりと言う。
「俺……もう自宅警備員じゃないですかね」
「警備員だろ」
「え?」
「家の規模が変わっただけだ」
ガルドが笑う。
「それ、ずるい言い方ですよ」
「便利だろ」
「便利ですけど」
笑いは小さい。
だが、その奥に確かなものがある。
立った。
逃げなかった。
その事実は、もう消えない。
⸻
ギルドの奥で、水晶が微かに震える。
《ネームレス》
表示は変わらない。
だが、波形だけがわずかに乱れている。一定であるはずの揺れが、一拍だけ遅れ、ほんの少しだけ戻る。
記録係が眉を寄せた。
「……触れてないのに」
誰も答えない。
それが一番、不気味だった。
⸻
宿へ戻る道、夕暮れの光が長い影を引いていた。
石畳の上に、俺とガルドの影が並ぶ。昨日より、ガルドの影は少しだけまっすぐに見えた。
「トンヌラさん」
「なんだ」
「俺、立っててよかったですか」
少しだけ考える。
考えて、結局いちばん軽い答えを選ぶ。
「お前が決めたことだ」
ガルドは黙って頷いた。
それだけで、十分だった。
⸻
ここで、誤解がひとつ固定される。
“名を与えた者”ではなく、
“名を預かった者”。
だが、その区別をする者はいない。
皆、分かりやすい方へ流れていく。
それが世界というものだ。
⸻
ここはレイアノーティア。
名は人を座らせる。
だが時々――
誰かの覚悟が、名を呼び寄せる。
そして呼ばれた名は、
たいてい俺のせいにされる。
⸻
第5話 了




