第4話 覚悟、完了…
ここはレイアノーティア。
役目は人を座らせる。
だが――立ち上がる瞬間までは、教えてくれない。
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昨日と同じ林道だった。
同じ道幅。
同じ湿った土の匂い。
同じように木々が空を覆っている。
それなのに、空気はまるで違った。
重い。
森そのものが息を潜めているみたいに、音が薄い。鳥の気配も、葉擦れも、どこか遠い。
前を見ていたガルドが、小さく言った。
「……来ます」
沈んだ声だった。
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藪の奥から、獣が姿を現す。
昨日より一回り大きい。毛並みは荒れ、瞳は濁り、焦点が合っていない。生き物の目というより、ただ前にあるものを壊すためだけに動いている目だった。
止まらない目。
理屈も、様子見もない。本能だけで進んでくるものの目だ。
ガルドの足が、半歩下がる。
「トンヌラさん……無理です」
「何が」
「俺じゃ、立ってるだけじゃ……」
声が震えていた。
その震えは今この場の恐怖だけじゃない。頭の奥で、別の景色まで揺れているのが分かる。
暗い部屋。
閉じたカーテン。
見上げるばかりだった天井。
廊下越しに聞こえる、親のため息。
《役に立たない》
(立たなかったのは、俺だ)
ガルドの顔に、そんな言葉がそのまま浮かんでいた。
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獣が突進する。
土が跳ねる。地面が砕ける。枝が折れる。距離が、一瞬で消える。
ガルドが完全に腰を引いた、その瞬間――
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俺は動けなかった。
(これ、普通に詰みでは?)
心は全力で逃げている。むしろ今すぐ逃げろと叫んでいる。十五年山にこもった厨二病にも、さすがに現実の牙は怖い。
だが。
口だけが、先に決めた。
「覚悟、完了……!」
低く、はっきりと。
自分に言っているのか、世界に言っているのか、俺にも分からない。分からないまま、言い切った。
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空気が止まる。
本当に一瞬だけ、森の時間が詰まったみたいに何も動かなくなる。
ガルドが振り向いた。
俺は一歩だけ前に出る。足は震えている。膝も本当は笑いたいはずだ。だが、引かない。
「お前は逃げるために立ってるんじゃない」
言い切る。
根拠はない。
理屈もない。
でも、ここで濁したら終わる気がした。
「立っていれば、負けない」
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ガルドの胸が強く打つ。
逃げるか。
立つか。
二択だった。
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(俺は、ずっと立たなかった)
天井を見上げていた日々。
言い訳を抱えていた時間。
外に出なければ、負けたことにもならないと思っていた自分。
「たたかったら負けだと思ってるんで」
あれは理屈じゃない。
逃げの形だった。
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獣が目前まで迫る。
もう時間はない。
考える猶予も、言い訳を並べる余裕もない。
ガルドが歯を食いしばる。
血が熱を帯びる。
背骨が、まっすぐに伸びる。
足の震えが消えたわけじゃない。だが、その震えごと前に出る。
「……俺は」
拳を握る。
「立つ!!」
そして、トンヌラの言葉に呼応するように、今度は自分の意思で叫ぶ。
「覚悟、完了……!」
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その瞬間。
空気が震えた。
地面に見えない円が走る。風もないのに、足元から何かが立ち上がる。淡い赤の光が、ガルドの周囲を静かに包んだ。
俺は理解していない。
何が起きているのか、どうしてそうなるのか、何一つ分からない。
だが、確信だけはあった。
こいつは、これだ。
視線をまっすぐ向ける。
一拍。
世界が、息を呑む。
「……お前は」
言葉が、選ばれる。
選んだ覚えはない。考えた覚えもない。それでも、口はためらわなかった。
「《バトル・ウォーデン》のガルドだ」
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その名が、空間に刻まれる。
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獣が止まった。
見えない壁に鼻先をぶつけたみたいに、ぴたりと止まる。唸り、牙を剥き、前脚で土を掻く。だが、それ以上の一歩が出ない。
踏み込めない。
ガルドは、ただ立っている。
振らない。
殴らない。
攻撃しない。
それでも――前にいる。
その“前にいる”という事実だけが、獣の進行を止めていた。
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獣が吠え、後退る。
一歩。
また一歩。
やがて森の奥へ消えていく。
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静寂。
遅れて風が戻る。止まっていた葉が揺れ、張りつめていた森が、ようやく息を吐いた。
ガルドの呼吸は荒い。
だが、膝は笑っていない。
「……俺」
自分の腕を見る。
筋肉が、明らかに隆起していた。服の上からでも分かるくらい、昨日までの体つきとは違う。
「何、今の」
俺は腕を組む。
「立っただけだろ」
「気のせいで筋肉太くなります!?」
「世界が気を利かせたんだろ」
根拠はない。
だが、本当にそうとしか言えなかった。
森の奥で、何かが“追いついた”音がした気がした。
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その夜。
ギルドの水晶が、微かに光る。
《バトル・ウォーデン:ガルド》
記録係が首をひねる。
「……いつ登録された?」
登録時刻は、戦闘後。
水晶判定はしていない。
それでも、刻まれている。
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ここはレイアノーティア。
役目は与えられるものではない。
立った瞬間に――後から追いつくものだ。
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第4話 了




