第18話 立つ者が止める
ここはレイアノーティア。
名は人を座らせ、役目は人を歩かせる。
だが、歩くための前提が崩れたとき、人は役目より先に——恐怖で動く。
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朝の時点で、コムギは分かっていた。
用意が足りなかったわけでは断じて無かった。
しかし配分を組み替えるたびに想定外が上書きされ、もう全く別の依頼と言っても過言では無かった。
——もう、追いつかない。
コムギは隊列を止めた。
道の端。草の匂い。汗の匂い。乾いた喉の匂い。
誰も言葉を出さないまま、視線だけが集まってくる。
鍋も火もない。
この場に必要なのは調理ではなく、宣言だ。
コムギはリュックの紐を握り、帽子の影から全員を見上げた。
小柄な身体に似合わないほど、端まで届く声で言う。
「……正直に言います」
声が震えないように、息を一度だけ深く入れる。
「食材が、間に合いません」
ざわり、と空気が揺れた。
反論ではない。理解の揺れだ。
「この依頼内容、書類より厳しすぎます。
想定より消耗が激しいし、魔物が活発すぎる。
このままだと、生きて帰れなくなります」
“生きて帰れない”のところで、いくつかの視線が伏せられた。
もう、誰も薄々ではない。ちゃんと気づいている。
「だから、皆さんの協力が必要です」
コムギは続けた。
「拾える食べ物は拾ってください。
水も節約してください。
戦うんじゃなくて、生き延びるために動いてください。
——私ひとりでは、想定外が多すぎて、皆さんを支えられません」
最後の一文が胸に刺さった。
“私ひとりでは”は、昔の癖に反する言葉だ。
でも今日は、言わないと終わる。
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最初に声を出したのは、別班の年配の冒険者だった。
「……そうだな。厳しすぎる」
その声が、場に一本の線を引いた。
「俺らも分かってる。お前のせいじゃない。
できることをやろう。拾えるもんは拾って水も分け合う」
誰かが頷く。
次の誰かが「任せきりは違う」と言う。
「俺、野草の見分けなら少し」
「木の実ならいける」
「火起こしは俺がやる」
小さな声が重なって、場が“なんとかする方向”へ動き始めた。
コムギは喉の奥が熱くなるのを感じた。
責められる準備をしていた分、支えられる言葉が刺さる。
(……よかった)
よかった、と心の中で言った、その瞬間だった。
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「ふざけんなよ!」
若い冒険者が前に出て、鋭い声を浴びせた。
顔は赤く、目は乾き、充血している。恐怖がそのまま怒りになった顔だった。
「それ、お前の仕事だろ!? 補給だろ!?
なんとかしろよ! “できません”って何だよ!」
別の男も被せる。
「そうだ! 俺らは戦う係だろ!
補給が崩れたら終わりだろ! 責任取れ!」
コムギの背中が冷たくなる。
耳の奥で、あの日の声が鳴る。
——お前のせいだ。
止めに入る声も上がった。
「やめろよ、今それ言うな!」
「分かってるだろ、異常なんだよ!」
「喧嘩してる場合じゃねえ!」
止める側と責める側。
言葉がぶつかり、肩がぶつかり、押し合いになる。
「触んなよ!」
「触ってねえ!」
「ふざけんな!」
拳が上がりかける。
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トンヌラが、前へ出た。
腕を組んだまま、いつもの調子で言う。
「やめろ」
声は低い。
だが今日は、それだけでは足りない。
責める側の目がトンヌラを刺す。
「……お前が強いなら止めろよ」
「団長だろ!? 何とかしてくれよ!」
「強いんだろ!? だったら——!」
誤解が、ここで牙をむいた。
“強いはず”の人間に解決を押しつける形で。
トンヌラの喉が乾く。
何を言っても、どこかが壊れる気がする。
「俺は——」
言いかけて、止まる。
“何もしてない”ことが、今日は仇になる。
言えば無責任に聞こえるし、黙れば悪化する。
空気が言っている。
——もう限界だ、と。
(詰んだか……)
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そのとき、ガルドが真ん中へ入った。
迷いのない一歩で前に出る。
殴るでも止めるでもなく、ただ間に立つ。
——それだけで、空気が止まった。
殴ろうとしていた拳が止まる。
押し返そうとしていた肩が止まる。
喧嘩の勢いが、急に行き場を失う。
誰も、ガルドを殴れない。
殴ろうとした瞬間、そこから先へ進めなくなることを身体が知っている。
それが《バトル・ウォーデン》だった。
立つことで境界を作る職。
ガルドの息は上がっていた。足も重い。
それでも立っている。
「……やめてください」
声は大きくない。
なのに、全員に届く。
「ここで仲間同士……」
一度、目を閉じる。
勝ち負けの枠に入った瞬間、壊れる。
昨日までの自分が言い訳にしていた言葉が、今は守りの技になっている。
「戦ったら、負けだと思います」
誰かが唇を噛む。
責めていた男の肩が震える。
「俺たち、死にたくないんだよ……!」
突然、声が割れて涙が落ちた。
怒鳴っていたのに、泣いている。
泣きながら拳を下ろしている。
「……怖いんだよ。
こんなの、依頼じゃねえ……帰れないのかよ……!」
その涙は恥ではない。
全員が同じ場所にあると、認めた涙だった。
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コムギの視界が、一瞬だけ暗くなる。
焚き火の煙。
空になった鍋。
冷たい布。
そして、動かない人たち。
また昔の苦い思い出が続く。
あの日も、誰かが泣いた。
泣いたあと、誰かが倒れた。
倒れたあと、帰って来れなかった人がいた。
全滅ではない。
だが想定外の犠牲が出た。喉の奥がきゅっと縮む。
(また……)
同じになる。
また、自分の配分が足りなくて。
また、誰かが動かなくなって。
また——。
そこで、ガルドの声が重なる。
「……止めます」
小さな声。
でも芯だけが硬い。
「ここで、壊れないように」
ガルドは立ったまま、コムギを見る。
責めない目だ。逃げろとも言わない。背負えとも言わない。
ただ、“一緒にここにいる”という目だった。
コムギは息を吸う。
止まりかけた手が、リュックの紐を握り直す。
震えは消えない。
でも、逃げない。
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トンヌラが、ようやく声を出す。
勢いではない。
飾りでもない。
静かに言葉を落とす。
「……協力しろ」
命令の形を借りた、お願いだった。
「生きて帰るために、今はコムギに従え」
責める側も止める側も、目を伏せて頷く。
無言の合意だ。
コムギは全員を見回した。
「……ありがとうございます」
声が少し震れる。
震れたまま、続ける。
「私も、逃げません。
でも——一人では無理です。手を貸してください」
さっきと同じ言葉なのに、今度は違う重さで届いた。
誰かが言う。
「分かった」
「やる」
「拾う」
「火は任せろ」
その声の束が、ようやく“隊”になる。
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ガルドは、まだ立っていた。
喧嘩は止まった。
怒りも止まった。
涙は、止まっていない。
でも、殴り合いは終わった。
終わらせたのは強さではない。立ったことだ。
トンヌラは腕を組んだまま、心の中でだけ言う。
(……俺、今、何もしてないどころじゃないな)
焦りが胸の奥で音を立てる。
だが焦りに飲まれたら終わる。
だから、いつもの雑さで前を見る。
「拾えるもん拾いながら行くか」
コムギが小さく頷く。
ガルドも頷く。
涙の男も袖で顔を拭いて頷く。
(あの時とは違う。1人じゃないんだ)
コムギの手に、力が入った。
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ここはレイアノーティア。
不足は、人を責めるために現れるわけじゃない。
だが不足の中で、
誰を責めないかを選べたとき——
物語は、まだ折れずに続く。
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第18話 了




