第10話 立っていればいい
ここはレイアノーティア。
役目は人を座らせる。
だが、ときどき――立つことを選ぶ者がいる。
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三日目の朝。
依頼は小規模な荷運びの護衛だった。
危険は少ないが報酬も少ない。
だからこそ、気が抜ける。気が抜ける仕事ほど、転ぶときは派手に転ぶ。
荷車は二台、御者は二人、運び手が三人の編成だ。
顔つきはおだやかだが、背中は緊張している。森を抜けるだけで、金が動く。金が動けば、厄介も動く。
ガルドは自然と前に立った。
誰も言っていない。トンヌラも何も言わない。
ただ、体がそうしてしまう。
立つと決めた日の余韻が、まだ背骨の中に残っていた。
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街道は穏やかだった。
風が草を揺らし、荷車の軋みが規則正しく響く。
何も起きない。だからこそ、考える。
(俺は、なぜ立ってる)
期待があるからか。
“バトル・ウォーデン”という言葉が背中に貼りついているからか。
――違う。
昨日は怖かった。
それでも逃げなかった自分を、手放したくなかった。
理由はそれだけで十分だった。
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森の影が、わずかに揺れた。
小さな魔物が一匹、現れる。
弱い。脅威ではない。だが荷運びの男たちは怯む。金を積んででも護衛を雇ったのは、こういう「小さい怖さ」の積み重ねが一番疲れるからだ。
ガルドは一歩前に出た。
構えないし叫ばない。
ただ、立つだけ。
魔物は唸り、止まり、こちらを見た。
そして、踵を返す。
誰も傷つかないし誰も称賛しないまま、荷車は進む。
……はずだった。
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「おお……!」
御者の一人が思わず声を上げた。
「今の見たか? あの魔物、あんたらの――」
視線がトンヌラに向く。
腕を組んで、妙に偉そうにしている男に。
「……さっきのは、団長さんが睨んだからだろ? あの“圧”!」
誤解が、気持ちよく滑り込んでくる。
ガルドが固まる。
(違う。俺が立った……)と言いたい顔だ。
トンヌラは、間の抜けた顔で首をかしげた。
「俺?」
「そうだよ! だって普通、魔物があんなに素直に――」
「いや、俺は腕を組んでただけだぞ」
トンヌラは淡々と言う。
否定しているのに、謙遜に聞こえる声だった。
ガルドが、少し慌てて口を挟む。
「違います。俺が、前に……」
御者は笑った。
「いいっていいって! そういうの、分かるよ。強い人ほど言わないやつだろ?」
誤解は、否定に強い。
トンヌラはため息をつく。
「勝手に決めるなよ……」
小さくぼやいて、受け流した。
受け流し方が、妙に慣れている。
(この人どんな人生送ってきたんだ)
ガルドは一瞬そう思い、すぐに前を向いた。
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荷車が進む。
ガルドは、また前に立つ。
誤解が誰に向いても、自分の位置は変わらない。変えない。
(俺が、立つんだ)
命令ではなく、宣言でもない。
ただの選択だ。
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昼休憩。
荷車の影で、硬いパンをかじる。
「助かりました」
運び手の男がガルドに頭を下げる。
ガルドは少し迷ってから、いつもの逃げ方をしなかった。
「立っただけです」
それでいい。
それが一番正確だ。
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帰り道。
トンヌラが言う。
「慣れたか」
「少しだけ」
「勝ったか」
「勝ってません」
ガルドは一拍だけ置き、続ける。
「でも、負けてません」
トンヌラは笑った。
「それで十分じゃないか」
軽い。
その軽さが、ガルドの肩から余計な力を抜く。
(今日も大丈夫だったな)
内心ホッとしている。
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夕暮れ。
ギルドの門が見える。
ガルドは立ち止まらない。
もう“立たされている”のではない。立っている。
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ギルド奥。
水晶が静かに光る。
《バトル・ウォーデン》
表示は安定している。
その横で《ネームレス》は、細い波形のまま揺れている。今はまだ。
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夜、ギルド裏の厨房で、帳簿が開かれている。
トンヌラ
ガルド
二つの名前の横に、数字が整えられている。
その下。
空欄が一つ。
まだ名前は書かれていない。だが行は用意されている。ペン先が一瞬、そこに止まる。
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宿へ戻る道。
ガルドが言う。
「トンヌラさん」
「なんだ」
「俺、明日も立ちます」
命令ではない。
確認だ。
トンヌラは肩をすくめる。
「好きにしろ」
軽い。
その軽さが、支えになる。
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ここはレイアノーティア。
完璧な世界。
だが、立つことを選んだ者が一人いる。
そして――
何もしていないはずの男に、誤解が勝手に積もっていく。
世界はまだ気づいていない。
だが一行ずれた物語は、二度と元の順番には戻らない。
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第10話 了




