第35話 ヤレフの布
「ミリアム嬢。あなたの刺繍は、ただ美しいだけではない。そこには『守りたい』という強い想いが宿っている。それは加護の最も純粋な形……その思いこそが加護を引き寄せるのだと、私は思っているのです。」
ミリアムは目を潤ませながら、ようやく言葉を絞り出した。
「……ありがとうございます。」
「さあ、立ち話もなんですから、お茶をいただきましょう。お座りくださいな、マダム・アビゲイル。」
王妃さまがそう言い、お茶会が始まった。
王妃さまの興味はマダム・アビゲイルについてだった。どのような人生を過ごされたのか、いつ加護縫いに目覚めたのかを尋ねられて、マダム・アビゲイルは、静かにふと遠くを見つめた。
「……わたくしが、まだ少女だった頃のことですわ。」
彼女の声は穏やかだったが、どこか遠い響きを帯びていた。ルーパート王国の辺境伯領の隣の国の、霧深い森に囲まれた小さな村。
マダム・アビゲイルは、貧しい綿花農家の娘として生まれた。ルーパート王国出身の母は病弱で、父は戦で片腕を失い、家族は細々と暮らしていた。
「初めて『光』を見たのは、7歳の冬でした。母の古い服穴が開いてしまって……、母は忙しかったので私が直そうとしたら、針の先から淡い光が零れたのです。」
「それが加護縫いだったのですね?」
王妃さまの問いかけに、マダム・アビゲイルがこっくりとうなずく。
「穴が塞がるだけでなく、布全体が温かくなり、母の咳が少しずつ止まったのです。それが、わたくしの加護縫いの始まりでした。」
村人たちは最初、喜んだ。奇跡の娘だの、聖女の再来だのと囁き、アビゲイルの刺繍をこぞって求めた。
だが、マダム・アビゲイルの加護の力は強すぎた。十五歳のとき、村を襲った疫病をすくう為、マダム・アビゲイルは一晩中刺繍を続けた。
その頃、村を出たことがなかったマダム・アビゲイルたちは知らなかったことだが、国中に疫病が蔓延していたのだ。
村の半分以上の命を救った噂がすぐに国中を駆け巡った。──そしてマダム・アビゲイルの奪い合いが始まったのだ。
マダム・アビゲイルが救った命が、マダム・アビゲイルを守る為に奪われていく。絶望する中で、ルーパート王国より救いの手が差し伸べられた。
ルーパート王国の辺境伯領に逃げ込んだ、マダム・アビゲイルと村人たちを、生まれた国の兵士たちが襲う。その時ルーパート王国の辺境伯が立ちはだかった。
元の国の兵士たちは、ルーパート王国の兵士に傷をつけてしまう。それをきっかけに辺境伯が一斉に暴徒を鎮圧した。
加護縫いをまとった辺境伯の敵ではなかったのだ。戦争をしかけられたものとして、ルーパート王国がマダム・アビゲイルたちが暮らしていた地域を、保証の領地に求めた。
新たにルーパート王国の辺境伯領となったその土地で、両親や村人たちは穏やかに暮らし始めた。そしてマダム・アビゲイルは、王宮に召し上げられたのだった。
王族の庇護を受け、ルーパート王国の「加護縫いの第一人者」として名を上げた。
「ルーパート王国は私の第二の故郷であり、大恩のある国なのですよ。」
とマダム・アビゲイルは告げた。
「実は、ミリアム嬢にお願いしたいことがあって、こちらにまいった次第なのです。」
「私にお願い……ですか?私が……何かお役に立てることがあれば。」
マダム・アビゲイルの目が優しく細められた。
「ならば、一つお願いがございます。」
マダム・アビゲイルはテーブルの上に、丁寧に畳まれた布を取り出した。
それは上質なシルクのような布だったが、触れると微かに光が揺らめいている。
「これは、私が長年温めていた『ヤレフの布』です。」
「ヤレフの──布?」
初めて聞く言葉だった。ミリアムが首をかしげていると、ランディー王子が説明してくれる。
「ルーパート王国の王家秘伝の糸と、聖水で織り上げたものです。加護縫いはこの布を使うことで、真価を発揮するものなのです。」
「そんなものが……。」
「ですが……私は、どうしても完成させることができませんでした。この布に施すべき刺繍の図案が、浮かばないのです。」
「ヤレフの布は、誰にでも刺繍が刺せるものではないんだ。特別な力を持つ人。それこそ聖女と呼ばれるような存在にしか、刺すことが出来ないとされている。」
マダム・アビゲイルが肩をすくめながらミリアムを見た。
「私はヤレフの布に選ばれなかった、というわけです。」
そんな物に刺繍をしようと悩んでいたなんて、ミリアムは知らなかった。それに、ランディー王子と知り合いだということも。
「だから、マダム・アビゲイルには、ヤレフの布に刺繍が出来そうな人を探してもらっていたんだよ。それがミリアム嬢、あなただということだ。」
とランディー王子が言う。
「へ、わ、私ですか?私にそんなたいそうな力は……。」
ミリアムは手を振って否定したが、ランディー王子がニコリと微笑んだ。
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