第34話 懐かしい手
ミリアムは思わず息を呑んだ。目の前に立つ女性は、前世の記憶そのものだった。
他国の血が混じった褐色の肌、白髪交じりの銀髪を優雅にまとめ、深い青の瞳が知性と温かさを湛えている。
仕立ての良い黒のドレスに、指先だけが繊細な銀糸の刺繍で飾られている。あの頃と同じ、控えめなのに圧倒的な存在感。
「マダム・アビゲイル……本当に、あなたなのですね。アンバスター王国でお会いできるとは思いませんでした。」
ミリアムの声が震えた。両手で鼻から下を覆って涙ぐむ。
「ミリぽむ、だいじょうぶだッピ?どこか痛いッピ?」
「平気。嬉しすぎただけ。」
心配そうに周囲を飛び回るアリアドネに、小声でそう伝える。
前世では、ミリアムが没落した後にようやく出会った師匠。1度目の人生にはマダム・アビゲイルがいなかったので、寂しい人生だった。2度目の人生で初めて出会った人。
この間の巻き戻り前も、なぜか出会わなかった。2度目以降の人生で、ミリアムの刺繍の可能性を見出してくれた人。
路地裏の小さな工房で、厳しくも愛情深く針の持ち方から糸の選び方、加護縫いの仕方まで教えてくれた人。
最期まで傍にいてくれた、唯一の理解者だった。だから巻き戻る前も探したのだ。いつもの路地裏の小さな工房に、マダム・アビゲイルの姿を。だがなぜか工房自体がなかった。そんなことは未だかつて初めてだった。
だが巻き戻り後、すぐに貴族令嬢たちに店を用意され、その店が起動にのった為、ミリアムはマダム・アビゲイルを探すことを忘れてしまった。心のほんの片隅に、師匠の存在がありながらも。
「ミリアム嬢!?だいじょうぶ?」
王妃さまが心配げに言う。
「だ、だいじょうぶです。感動してしまって……。まさかマダム・アビゲイルにお会いできるだなんて。」
「まあ、そんなに感激してくれたのね。わたくしもお会いしてみたいと思っていたのよ。ルーパート王国屈指の加護縫いの使い手ですもの。」
「は……はい……。憧れなんです……。」
ミリアムは王妃さまが差し出したハンカチで涙を拭いながらそう誤魔化した。
アビゲイルは穏やかに微笑み、ゆっくりと頭を下げた。
「初めまして、ミリアム・フォン・ローゼンハイデン様。マダム・アビゲイルと申します。こちらこそ、刺繍大会で賞を取った方にお会いしたいと無理を言いました。お会いできて光栄です。」
マダム・アビゲイルは貴族ではない為、カーテシーはしない。また、他国の血が入っている為、胃のあたりに手のひら上に向けたような状態でお辞儀をするのがマナーだ。
加護縫いの力が発動したことで、ルーパート王国に住むことになったが、故国を愛している気持ちをお辞儀に込めているのだと、昔教えてもらったことがある。
「あなたの刺繍を拝見した時から、ずっと気になっていました。あの独特の光の流れ……『加護の糸』と呼ぶに相応しい輝き。私と同じ……いえ、私以上に純粋で強い加護を、あなたはお持ちなのだと感じます。」
そう言われてミリアムはびっくりする。刺繍大会の刺繍に加護は込めていない。別に必要なかったからだ。普通にさしただけである。それなのに、加護を持っていると言われるとは思わなかった。
何度か巻き戻った際も、あんたは加護縫いが出来そうなんだけどねえ……?おかしいねえ……?不思議だねえ……と、その都度首をかしげられたのだ。
加護縫いが出来れば生活は一気に楽になる。地位だって高くなる。なにしろ加護縫いのルーパート王国なのだから。でも一度も出来た試しはなかった。
王妃が優しく口を挟む。
「マダム・アビゲイルはね、ルーパート王国でも『加護縫いの聖女』と呼ばれるほどの人物なの。」
「はい、存じています。」
「彼女が『ぜひ会いたい』と言い出したとき、ランディー王子がすぐに動いてくださって……こうして出会いが実現したのよ。」
それだ。ミリアムは疑問に思った。そもそもお忍びではなかったのか?先触れを出してもランディー王子の存在について何も言われなかったと両親も話していたというのに。
ミリアムが流し目でランディー王子を見ると、ランディー王子が苦笑しながら肩をすくめた。
「実は僕もかなり強引に頼み込んでしまったんですよ。マダムが『この刺繍の主を見ずにはいられない』とまで言うものだから。」
話をそらすようにランディー王子が言う。
ミリアムは胸が熱くなった。前世では、師匠に「弟子にしてください」と頭を下げたのは、ミリアムの方だった。今度は逆。こちらが、師匠に認められている。
アビゲイルが小さく息を吐き、静かに口を開いた。
「……ランディー殿下は、私にある手紙をくださったのです。『いずれ、あなたが最も待ち望む弟子が、この王国に現れる』と。そして私はアンバスター王国に来て、あなたの刺繍に出会ったのです。」
ミリアムが再びランディー王子を見ようと首をひねった瞬間、マダム・アビゲイルが声をかけてくる。
「ミリアム嬢、お手に触れても?」
「あ、は、はい。」
アビゲイルが一歩近づき、ミリアムの両手をそっと取った。その手は、針仕事でできた小さな傷跡がいくつも残っている、懐かしい感触だった。
────────────────────
コンテスト参加中です。よろしくお願いします。
0時の更新もあります。
X(旧Twitter)始めてみました。
よろしければアカウントフォローお願いします。
@YinYang2145675
少しでも面白いと思ったら、エピソードごとのイイネ、または応援するを押していただけたら幸いです。
ランキングには反映しませんが、作者のモチベーションが上がります。




