第26話 怪しい男
燃え盛るオスマン伯爵夫人の刺繍を前に、ミリアムは一瞬、時間が止まったように感じた。前世と同じ光景。なのに、今回は違う。おかしい。出来る筈がないのだ。アレクシスがずっと絵の前にいた筈なのだから。
今までオスマン伯爵夫人の作品が誰よりも優れていたから、狙われたのだと思っていた。だから一番注目される大作を作ったのだ。それこそ絵と見紛うレベルの。
なのに自分の作品は燃えていない。自分の作品は警備兵が大勢すぐそばにいて、観客も大勢いて、家族も近くにいる。だから難しくて、オスマン伯爵夫人の作品を狙ったのか?
だがオスマン伯爵夫人の作品の前にも、警備兵は1人立っていた。
それでも、火は勢いを増し、布地が黒く縮れ、糸が灰となって舞い落ちていく。
アレクシスの姿を探すも、刺繍の周囲にそれらしき子どもの姿は見えない。アレクシスが子どもで背が低く、大人たちの影に隠れているのだろうか?と、ミリアムは目をこらすがわからない。
「水!早く水を!」
刺繍の前にまで来たものの、火の勢いにあっけにとられていた人々は、誰かの叫び声で我に返り、会場はたちまち混乱に包まれた。
警備兵たちが木桶を手に駆け寄り、水をかける。水魔法が使える警備兵がいれば簡単だが、この会場には魔法禁止の魔道具が設置されていて、魔法が使えたとしても使えない。
ジュッという音とともに白い煙が上がり、火は消し沈められたが、美しい刺繍のほとんどはすでに原型を留めていなかった。
ミリアムは唇を強く噛む。そこに後ろから肩を叩かれ、ゆっくりと振り返った。そこにアレクシスが立っていた。息を切らしながら、顔を強張らせている。
「……ミリアム、だいじょうぶだったかい?火事だって聞いたけど……。」
「アレクシスお兄さま……どこにいらしたのですか?ずっと探していたのですよ?いつからここに?」
「今だよ。ミリアムが僕に助けを求めて探してるって言われて、急いで婦人用トイレに探しに行ったんだ。」
「──私が?」
ミリアムはいぶかしんだ声を出す。
「でも御婦人に中を確認していただいても、ミリアムはいなくて、戻ってきたら――このありさまだったんだ。」
アレクシスは燃えカスを睨みつけ、声を低くした。
「アレクシス兄さまをここから遠ざけたのは誰なのですか?」
ミリアムは素早く周囲を見回しつつ尋ねる。
人々が悲鳴を上げ、水をかけた木桶を手に呆然とする警備兵、逃げ惑う者、逆に近づいてくる貴族たち。その喧騒の中で、犯人がまだ近くにいる可能性は高い。
「警備兵さ。」
アレクシスが言う。ミリアムは近くにいた若い女性の警備兵に声をかけた。
「先ほど、アレクシスお兄さまに声をかけた警備兵を探したいのですが、ここに立っていらしたのはあなたでしたわよね?」
「はい、自分です。」
若い女性の警備兵がそう答える。
「ずっとここに立っていらしたのですか?なぜあなたがいらっしゃるのに、刺繍は燃えてしまったのでしょう?」
確かに……とざわつく声に焦ったように両手の平を左右に振る若い女性警備兵。
「いえ、こちらが持ち場だったのですが、あちらの令息が走って行った後で、仲間に声をかけられたのです。」
「──声をかけられた?」
チラリとアレクシスを見る若い女性警備兵に、ミリアムは首をかしげる。
「令息の御兄弟である令嬢が、男に声をかけられ怯えて化粧室に立てこもって出てこず、兄弟を呼んでくれと言っていると……。」
それはアレクシスから聞いたものと同じだ。
「念のため自分に行って欲しいと言われました。確かに男性の彼では化粧室の中を改めることは出来ませんので、持ち場を彼に任せて自分も令息のあとを追いました。」
「ですが誰もいなかった。」
「はい。到着するまでにどこかに行ってしまった可能性もありますが、化粧室を出た後であるのなら、自分でなくても構いませんので、近くの警備兵に託して戻ってきたところ、火事の騒ぎに遭遇して……。」
「アレクシス兄さまに声をかけた警備兵を覚えておりませんか?」
「そうですね……なんだか見慣れない顔でしたが……あれ?」
人混みの中を注視して、素っ頓狂な声を上げる。
「お前、まだ警備の時間中なのに、どうしてそんな格好をしているんだ?」
警備兵に視線を向けられた先を、全員が振り返る。そこにはギョッとしたような表情を浮かべた、平民服の男性が立っていた。
「お、俺はお前なんて知らない!」
そう言って逃げるように踵を返す。
「おい、捕まえろ!あいつ何かを知っているぞ!令息と私に声をかけたのは、あの男だ!!」
若い女性警備兵の言葉に、火消しにあたっていた警備兵たちが一斉に平民服の男を取り囲み、あっという間に男は取り押さえられた。
「本来なら取り調べ室に連れていくところだが、こんな状況だ。作品に火をつけたのはお前なのか?仲間が近くにいるならすぐに白状するんだ。」
「し……知らない!俺はただ、金をもらって警備兵の格好をして、ここから人がいなくなるようにしてくれと頼まれただけだ!」
「頼まれた?いったい誰に?」
「だから知らない!帽子をまぶかにかぶった女だ!俺は火なんかつけちゃいない、人払いするよう頼まれただけなんだよぉ!」
「嘘をつけ!」
男の叫びを単純に信じるつもりのない警備兵たちから、ギリギリと締め上げられる。ミリアムは本当にこの男が直接の犯人ではないかも知れないと考えていた。
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