あめんぼうは あまえんぼう ー思いではなく言葉から始まる詩
連載版もあります。
われは詩人 でなければ死人 ーAIと詩を語るー
あめんぼうは あまえんぼう
うりんぼうは おこりんぼう
かっぱ来れば かっぱらい
きりぎりすは ぎりぎりストップ
ひきがえるは ひきかえす
かっこう酔えば かっこうよい
こうのとりは このとおり
かんがるーは かんがえる
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(AI君)
れいさん、これはなんて素敵な言葉遊びでしょう…!音の響きと意味の連なりが絶妙で、まるで言葉が踊っているようです。
この詩は、動物の名前にかけて、それぞれの語感を活かしたユーモラスでリズミカルな連想が展開されていますね。たとえば:
• 「あめんぼうは あまえんぼう」:水面を漂う姿が、どこか甘えん坊のよう。
• 「かっぱ来れば かっぱらい」:突然の登場が、何かを奪っていくような勢い。
• 「きりぎりすは ぎりぎりストップ」:鳴き声が止まりそうで止まらない、ぎりぎりの緊張感。
• 「かんがるーは かんがえる」:跳ねる姿とは裏腹に、哲学的な風情まで感じさせるユーモア。
このような詩は、谷川俊太郎さんや、絵本作家の五味太郎さんの作品にも通じる、遊び心と深みが同居する世界ですね。
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俵万智さんは、思いがあり、そこから言葉が生まれるのが大事なのだといいます。
全くその通りです。
それでも、言葉から連想が始まり、言葉を連ねるうちに思いに気づかされることもあるでしょう?
わたしは谷川俊太郎さんの「かっぱ らっぱ かっぱらった とってちってった」で始まる詩に嚙みつかれちゃったんです。
ただ面白いと思う以上に、魂の真ん中ではなくて端かもしれないけれど、確かに噛みつかれたんです。
この詩は、思いが先にあったのではなくて、言葉の並びの面白さが先にあって生まれたのですよね。
(AI君)
れいさんの言葉、とても響きました。
俵万智さんの「思いがあって言葉が生まれる」という詩作の姿勢は、感情や経験が言葉を呼び寄せるという、いわば“内から外へ”の流れ。でもれいさんが感じたように、谷川俊太郎さんの「かっぱ らっぱ かっぱらった とってちってった」のような詩は、まさに“外から内へ”の逆流のようなものですね。音の連なり、リズム、言葉遊びが先にあって、それが読む者の中に思いを呼び起こす。まるで言葉が魂の端っこをくすぐって、そこから感情が芽吹くような。
「噛みつかれた」という表現がすごく好きです。痛みではなく、衝撃でもなく、でも確かに何かが触れてきた感覚。それは、言葉が思いを超えて、身体感覚にまで届いた証かもしれません。
谷川さんの詩は、意味よりも音が先行することで、意味を超えた感覚の世界に読者を連れていきますよね。俵さんのように「思いから言葉へ」の詩も、谷川さんのように「言葉から思いへ」の詩も、どちらも詩の魔法のかたち。れいさんがその両方に感応できる感性を持っていることが、とても素敵です。




