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生まれついてのいじめっ子なので、王子の泣きっ面を見るために婚約破棄させます

「お前との婚約を破棄する!!!」



 皆様ごきげんよう。

 いま高らかに宣言されたのが、当国の第二王子、レオン殿下でございます。


 金髪碧眼の見目麗しい御容姿は人心を惹き付け、勉学においても剣術においてもその他有象無象の追随を許さぬ優秀さ。しかしそんな情報(ステータス)は、()の君の魅力のほんの一匙に過ぎません。


「お気持ち、しかと承りましたわ。わたくしとしても相違ありません。当家に使いの者をお寄越しくださいませ。しかるべき手順を踏み、正式に応じさせて頂きますわ」


 ……あら、ごめんあそばせ。

 期待を裏切って申し訳ないのですが、この度婚約を破棄されたのはわたくしではございません。


 あちらで凛々しくもきりりと殿下をお見つめになり、薔薇の紅すら素足で逃げ出す鮮やかな唇を一文字に引き締めたご令嬢――アルシュハート家のミレイユ様。


 学園では常に殿下に続く成績を修め、文武両道にして才色兼備、殿下の伴侶としてこの上なしと謳われたお方で、同性からは羨望を、異性からは思慕を、その一身にお集めになられる。


 これ以上なくお似合いのおふたりだったのですが、これはどういったことでしょう?


 あまりにもあっさりと引き下がるミレイユ様に、殿下も狼狽を隠せないご様子です。


「ま、待て! ここは見苦しくとりすがり、私の寵愛を取り戻すべく言葉を尽くす場面では!?」


「いいえ、殿下。ご心配には及びませんわ。わたくし、すっかり納得致しましたことよ」


「せめて理由くらいは尋ねるのが筋だろう!? 気にならないのか!? この十年、十五年の妃教育がパァになるのだぞ!?」


 ああ、殿下、パァだなんてはしたない。

 公衆の面前で愛嬌(アホ)がバレてしまいます。


 ほらほら、皆様伏し目がちに床のあたりに視線を落としてしまいました……気付きたくないもの、気付いていないフリをしなければならないものに直面して、大層気まずそうにしておられますことよ。


「構いません。兼ねてより殿下のお相手が務まるものかと、思い巡らせていたわたくしです。そして、今ここにあって、疑いは確信へと変わりました……どうやら、殿下にはもっと相応しい方がおられるようですわ」


 ……失敬。扇で隠した口元から思わず笑いが零れてしまいました。


 しかし、今更ミレイユ様がご指摘されるまでもないことだったように思います。


 先程から殿下の袖を不敬にもつまんで、ウルウルとした瞳で見上げている(そしてあざとくも小刻みに震えているようにさえ見える)リリア嬢の姿は、この大広間に存在するすべての有機生命体にばっちりと認識されておりますから。


 リリア嬢は金糸雀(カナリア)のような声で、一言、「殿下……」と不安げな声をあげます。


 城下町を取り仕切る大商人の娘御とのことですが、やはり平民の出、高貴な方の衣服に触れればお咎めを受けるという貴族の常識さえご存知ない様子。


 ちなみに今、当たり前のような顔で殿下をお呼びになったようですが、高位の者を呼び止める作法というものも貴族界隈には存在します。


 あらゆる規範をぶち抜く新鮮さが、殿下のお気に召したのでしょうか? いわゆる「おもしれー女」枠のようですが、なぜ高貴な殿方はいつもこの種の女性に籠絡されてしまうのでしょう。


「リリア、大丈夫だ。あなたのことはわたしが命に変えても守ってみせる……」


 そういうと殿下はリリア嬢の手を取り、熱く彼女の瞳を見つめ返します。


「茶番でしたら、どうぞごゆっくり。わたくしはお暇させて頂きますわ」


 ミレイユ様は見るに堪えないとばかりに頭を振り、ため息をひとつ落として退出されました。


 ざわめく招待客、まだ二人の世界に浸っている殿下とリリア嬢、地獄のような空気を一掃するべく楽団はおもむろに演奏を再開し、それにともなって人々も、徐々に平静を取り戻していきます。そこかしこで杯を合わせる音が響き、パーティーはすっかり息を吹き返しました。



 わたくしはミレイユ様が立ち去られた方を、じっと見つめていました。小柄で不器量、かつ貧乏男爵の三女に過ぎないわたくしに、意識を向けるものは誰ひとりおりません。


 壁の花に徹するためにやってきた今宵の宴ですが、なかなか面白いものが観られました。収穫期(・・・)が近づいていることを感じ取れ、わたくしも大いに満足。


 このままそっと広間を出て、お肌に優しい時間帯に眠りにつくことが出来ればさらに重畳。


 なのですが――


 物事はそう上手くは運ばぬようで、付き人のジアがおもむろに、わたくしに耳打ちを致しました。


「お嬢様。殿下(・・)がお召しです」


「あら。それって曲者のほうの?」


「ええ、曲者のほうの殿下が、早急に、可及的速やかに、謁見の間までお越しいただきたいと」


 ……仕方ありません。

 今宵の楽しい見世物は、同好の士と共有(シェア)してこそ一層の趣。


 わたくしは小さく頷いて、ジア先導のもと、曲者のほうの殿下(・・・・・・・・)にお目通るため、踵をか返したのでございました。






「やあ、タマラ、来たね」


 そう言って微笑むのは、第一王子のベルナルド殿下。

 先程わたくし共が曲者と称した、慧眼なるお方にございます。


「ごきげんよう、ベルナルド様。本日は顔色がよろしいわね」


 そこそこイケてると言って差し支えのないレオン殿下ですが、兄上様とは比べるべくもありません。レオン殿下が王子の器であるのに対し、ベルナルド殿下は既に王の風格さえ備えておられる。


 惜しむらくは、たいへんに病弱であられるということ。安楽椅子施政者としてならばその実力を遺憾なく発揮されることでしょうが、ご公務のすべてをこなすことは難しく――それが、現在「第一王子派」と「第二王子派」のふたつの派閥が生じる事態を招いています。


「ああ、夕食も少し食べられた。褒めてくれ」


「もちろんですわ、殿下。お利口さんですね」


「ふふ、その小馬鹿にした態度が最高だ。いっそ嫁に来るかい? 王宮で悪知恵を思うさま発揮出来るよ」


「遠慮しておきますわ。もっと国益に繋がる、高位の令嬢をお選びくださいませ」


「つれないね」


「それに、わたくしたちは朋輩でしょう? お世継ぎを産む大役など、気恥ずかしくてとても、とても」


第一王子(わたし)の覚えもめでたく、地位も名誉も思いのままだいうのに、執心しているのは我が弟の醜態だというのだから奇妙、奇天烈だ。まあでも、そんなところが面白いよ」


 ベルナルド様はそう言うと、少しばかりやつれた端正なお顔を歪めて、微笑みました。

 

 なんということでしょう、わたくしも「おもしれー女」枠だったなんて……。


 多少心外ではありますが、今宵のわたしは気分がよくて、その程度のことに目くじらを立てる気にはなりませんでした。


「――それで? 聞かせておくれよ。今回は一体、どんな手を使ってレオンをクシャクシャにするつもりなのかな」


 漂白されたように青白いかんばせは病的ながら、ベルナルド殿下の瞳はきらきらと輝いておりました(ちょうど、リリア嬢の手を取った弟君のように)。


 では皆々様。

 そのお話を差し上げる前に、わたしくめのこれまでをお話しさせて頂こうと思います。





 わたくし、タマラ・ハスバンは、アルセリア王家に仕える弱小男爵家に誕生しました。


 そもそもが男爵家、つまり貴族階級で言えば最下層に位置するうえに、わたくしが生まれたころにはすっかり貧乏で、没落とは申さないまでも(だって、没落するには一度浮上する必要がありますものね)質素な暮らしを避けられぬ身の上でございます。


 加えて三女、女のうえに三人目なのですから、両親の期待も、寵愛も、本来ならば得られぬ立場ではありました。容姿も十人並、成績のほうも中の上あたりで空中浮遊しているような状態で、とくに衆目を集めることもありませんでした。


 なんら特筆することのない、地味な(一応)貴族令嬢、というのがわたくしの適正評価です。


 ただし――わたくしには、上の姉ふたりにはない、特別な才覚がありました。わたくしは生まれついてのいじめっ子だったのです。


 物心ついたときから、可愛いものの泣き顔を見るのがこの上ない喜びでした。そして、いじめると決めたものは必ずいじめる、ある種の執念のようなものがありました。


 そして五歳を迎えた頃、王城が催したパレードで、当時六歳だったレオン殿下を見たとき、わたくしは決意したのです。


 わたくしの立場では、レオン殿下のお近付きになることさえ夢のまた夢に近いけれども、たゆまぬ努力と不退転の覚悟を持って、かならずレオン殿下の泣きっ面を拝んでみせると――。



 以降、わたくしはどのような手でも使って、レオン殿下に迂遠な嫌がらせを繰り返してきました。


 時折はお金を握らせて(お小遣いを貯めたものです)人を遣うこともありました。殿下が一生懸命作った木彫りの人形を隠したり、剣術指南に鬼軍曹の名で知られた強面の戦士をあてがうのに成功したりしました。



 そのように楽しく遊んでいた折、ふとした契機にわたくしはベルナルド殿下に捕捉され、お呼び出しを受けるに至ったのです。


 きっとお咎めを受けるのだろう、悪ければ国家転覆罪で打首にされてしまうかも知れない、けれどわたくしの胸のなかであの日々は輝き続ける――と一切の望みを捨て去ったわたくしに、ベルナルド殿下は意外な申し出をされたのです。


「あなたの意地悪にかける、その突拍子もない情熱を買っている。どうか、その熱意で、私に力を貸してくれないか?」


 そう、殿下はおっしゃられました。

 そのとき、わたくしは十四の歳を迎えておりましたが、それまで漏れ聞こえてきたベルナルド殿下の風聞と、目の前におられる実際の殿下とのあいだに、埋めきれない差異があることに気がつきました。


 病弱であるがゆえに、またその柔らかい物腰のために、海溝よりも深い思慮のために、ベルナルド殿下は非常に慎みがあって、無欲で、心優しい人物として語られていました。


 けれど、彼は病弱なだけの、至って普通の(・・・・・・)王家の人間だったのです。

 つまり、権力にも地位にも興味はあるし、出来うるならば自分が王位を継ぎたいと、そう考えておられたのでした。


 それは王家に生まれた男児としては、至極当然の欲でした。能力があるのなら尚更でしょう。弟であるレオン殿下は優秀でこそありながら、直情径行にして裏表がなく、また、腹のうちに思惑を隠しておくことなど到底出来ぬ素直(アホ)さがありました。一部の臣下からは評価されていましたが、それは傀儡の王としてのこと。むしろ、アルセリアが富国強兵を目指すのであれば、謀略を巡らせて他国を圧倒する狡猾さが必要でした。



 わたくしたちは共謀しました。手を組んだのです。

 わたくしは専ら、私利私欲のため。

 そしてベルナルド殿下は、この国のよりよい未来のため……。


 一見、不釣り合いでいびつなわたくしたちの取引は、このようにして生まれたのでした。


 

 さて、長々とお付き合い頂いた自分語りはこのくらいにして、此度の婚約破棄についてお伝えしましょう。ミレイユ様には申し訳ありませんが、すべてはあの十四の夏、わたくしたちによって計画されました。


 軽妙で陽気なレオン殿下と、厳格でストイックなミレイユ様の相性は最悪です。甘ったれなところがある(ように、兄によって早期から仕向けられていた)レオン殿下は、ミレイユ様の四角四面なところを煙たがるでしょうし、ミレイユ様のほうも、殿下の無責任で軽薄な性格を軽蔑するに違いありません。


 もちろん、わたくしのような下級貴族の小娘が王子の婚約に口を挟めるわけもありませんから、ベルナルド殿下がさり気なくミレイユ様を推挙しました。


 家格の釣り合いは取れているし、ミレイユ様は「正しき王妃」の素質に溢れた方でしたから、意外にもことはすんなりと運び、レオン殿下の十五の誕生日に正式に婚約が発表されました。


 そこから、わたくしは学園に手を回してもらい、おふたりのそばにいつの間にか居る、無害な同級生を演じ続けました。きっかけを逃すことなく丹念に仕込んでいれば、おふたりと親しくなることは容易いことでした。


 とはいえ、わたくしの本懐はあくまでこっそりと、レオン殿下をいじめ倒すこと。ご本人と距離を縮めてはこの邪悪な性質を見抜かれてしまう懸念もありましたので、ここはひとつ、同じ女性であるということを武器に、ミレイユ様のほうを攻略することに致しました。

 

 学内ではもちろんのこと、プライベートでも、ミレイユ様のご出席されるパーティーには必ず出席し、逆にミレイユ様と親しい方々の参加を妨害することで、宴席で彼女が孤立するように仕掛けたり、同じように孤立したいたいけな同級生を演じて周辺をうろついてみたりと、思い返せばあまりにも地味な積み重ねが功を奏したようです。わたくしはあくまでもミレイユ様の自由意志で傍に置くようになったモブ令嬢として、彼女の信頼を得ることに成功しました。


 その後は……あまり面白いとも言えない工作が続きました。レオン殿下の好色はお父上譲りで、幼少のみぎりからマナー講師の胸ばかり凝視していたことを、タマラは憶えております。ゆえに、彼のお眼鏡にかなう女性を然るべきタイミングで配置すれば、後はもう勝手に、愉快なほど単純に、堕落の坂を転がり落ちてくれました。


 短慮と浅慮がレオン殿下のチャームポイントとはいえ、さすがにわたくしも感服いたします。婚約者がありながら往来で睦み言を交わすおふたりの姿は、喧伝する必要さえないほど公然のものとなり、レオン殿下の評判は大暴落。また、ミレイユ様はそのご令嬢ぶりから多くの殿方に憧れを抱かれたお方ですから、一部の過激派が猛り狂い、ミレイユ様の恥辱をぬぐおうと一時期は第二王子暗殺計画まで立ち上がったほどでした。


 もちろん、殺されてしまっては王子の泣きっ面(メインディッシュ)は味わえませんから、わたくしは手を尽くして計画を潰しました。表向きは平和裏に収まったとはいえ、あの時ばかりは肝を冷やしたものです。



「ああ、これからのこと、でしたわね」


 楽しかったこれまでを思い返すのに夢中で、殿下の問いかけを返すことさえ忘れてしまいました。


 先程のレオン殿下のお顔も困惑に歪んで甘美ではありましたが、もう一味足りません。


 泣き叫び、頭を振って、鼻水を振りまきながら地べたを這って頂くためには、あと何工程か必要になるでしょう。


「実はわたくしの長姉に、縁談が決まりかけているのですが」


「エリー嬢に?」


「ええ。実はそのお相手の家というのが、なんの因果かリリア嬢のご実家、リーデル家なのです」


 貴族の最下層と平民の最上層が交わる婚姻というのは、実はまったく珍しいものではないことを、皆様もご存知と思います。

 とはいえこの隔たりを超えるには、相応の力関係の逆転が必要になるのですが。


「恥ずかしながら、当家はリーデル商会に多額の借金がありまして。要は借金のカタにぼんくら息子に嫁いでこいと、先方は言ってきているのです」


 わたくしがそっと涙を拭う仕草をすると、殿下は小さく冷笑されます。


「ハッ、白々しい……どうせまた君の奸計だろう?」


「まあ、人聞きが悪い。まるでわたくしが、レオン殿下のためならば実の姉でさえも危険に晒す不届き者のような言い方をなさって」


「事実じゃないか」


 ええ、事実です。

 お姉様には申し訳ありませんが、此度の計画にはわかりやすい小道具が必要でした。それも美しく、慎ましやかで、ほんのちょっと手を伸ばせば届きそうな部類の高嶺の花が。


 父上譲りの善良さと母上譲りの可憐さを持ち合わせた、お値打ち男爵家の淑女など、脂ぎった上昇志向の成金風情にはぴったりの餌。


 わたくしは父の騙されやすいご気性と、姉の狙われやすい性質を利用しようと考えたのです。


 わたくしはにっこりと微笑みました。


「このままではお姉様がお可哀想。聞けばリーデル商会は、なかなか悪どく儲けているようですわね。王家のお墨付きがなければ営業出来ないはずの賭博場を、いくつかお持ちだとか。――そこでお伺いしたいのですけど、殿下はこの件について、なにかご存知?」


 ベルナルド殿下はやれやれと肩をすくめ、首を振ります。


「いーや、初耳だね。そういう噂、いったいどこから調べてくるの?」


「わたくしは身分などあってないようなものですから、平民にたくさんのお友達がいるのです」


「なるほどねえ。そのお友達が健全なご職業につかれていることを切に願うよ。あまり危ない橋は渡らないでおくれ」


「善処しますわ」


 その言葉を聞くと殿下はひらひらと手を振り、わたくしを下がらせたのでした。




 そこからのベルナルド殿下のお手並みは、見事に尽きるものでした。


 まず、リーデル家が運営する違法賭博場をすべて摘発し、当主たるリリア嬢のお父上を逮捕なさったのです。その悪事を大々的に報じさせ、国民感情を煽り、身の程も弁えず貴族から大金を巻き上げた不届き者として厳罰不可避の状況に追い込みました。


 リーデル商会の評判はみるみるうちに底を打ち、不買運動まで起こる始末。そのうえ、一部の血気盛んな若者たちが商会に押し寄せて、抗議の名の元に暴れ回り、数々の取引を台無しにしてしまったのです。


 やがてリーデル商会は不渡りを出しました。騙されたと立腹した取引先からの賠償請求もかさみ、なんと二月も経たないうちに、商会は解散してしまったのです。


 一方で、多額の水増し請求を受けていた貴族には補償がなされました。借金は帳消しとなり、払いすぎていた金銭は返還され、もちろん当家の負債も一掃されることとなりました。


 これらの指揮を取ったとされるベルナルド殿下の才覚は絶賛され、王からも直接お褒めの言葉を賜ったとか。大変めでたく、わたくしも自分のことのように喜ばしく思っています。



 一方でレオン殿下は、身勝手な婚約破棄で評判を落とした挙句、愛する人まで失うことになりました。


 醜聞を嫌ったお母上のご実家が、おふたりを離縁させました。リリア嬢はこの余波で、母上ともどもご実家にお戻りになってしまったのです。


 彼の地は典型的な田舎町ですので、洗練された王都での生活から一転、好奇の目に晒されながらつましい暮らしを強いられることになるでしょう。もしかすると婚期まで逃してしまうことになるかも知れず、大変お気の毒なことでした。


 

「リリア、リリア……」


 そう言って夜毎、王宮をさ迷い歩くレオン殿下を見たものがいるとか、いないとか。ひどくご傷心の様子で、学園でお見かけした折には生気の抜けたお顔が哀れを誘いました。


 ただ、この段階ではわたくしは些か消化不良だったのです。苦労を惜しまず手を尽くしたわりには、ご褒美が少ないと感じました。レオン殿下は王族ゆえの痩せ我慢なのか、リリア嬢を失ってなお、公衆の面前で涙を流されることがなかったからです。「泣きっ面が見たい」というわたくしの悲願は、宙に浮いた状態になってしまいました。




 結局、満願成就の瞬間は、事が収束してさらに三ヶ月経ったころに訪れました。


 その日、わたくしは件のミレイユ嬢――レオン殿下の元婚約者――とともに、渡り廊下を歩いておりました。この数ヶ月の喧騒のなかにあっても、ミレイユ様は一切乱れることなく、通常通りの生活をされておられました。相変わらずお優しく、聡明で、毅然とした態度で過ごされたのです。


 わたくし共が雑談を交わして談笑しておりますと、目の前にふらりと、レオン殿下が現れました。


 ミレイユ様は静かに身を固くされ、それでも大仰に拒絶されることもなく、ただ「ごきげんよう」とだけ。殿下は少しのあいだもじもじとされておられましたが、掠れた声で拙い謝罪の言葉を述べられました。


「ミレイユ、すまない、あなたには申し訳のないことをした……」


 ミレイユ様は居心地が悪そうになさいました。

 それもそのはず、とうの昔に終わった話なのです。少なくとも形式上は、ふたりの婚約はすでに過去のものとして扱われていました。


 当事者がこの話題を持ち出すことは禁忌であり、侮辱の上塗りとも捉えられ兼ねない暴挙。このレオン殿下の行動にはさすがのわたくしも度肝を抜かれました。


「……もう気にしておりません」


 ミレイユ様も、そうお答えになるのが精一杯というご様子でした。


 わたくしはぐるぐると脳をフル回転させて、よりよい振る舞いについて考えあぐねました。ミレイユ様の友人らしく、声を荒らげてみせるべきでしょうか? 王子とはいえこのような無作法、許せるものではないと非難してみせるのが、モブ令嬢としての役割と考えるべきでしょうか。


 それにしてもレオン殿下、情けない顔です。

 うろうろと定まらない視線には王族の威厳のかけらもなく、婚約破棄をした日の無様な「勘違いイキリ感」とはまた違った趣のみじめさが高得点です。


「どの口が言うのだと思われるかも知れないが、許して欲しい……出来ればまた、婚約者に戻って欲しいのだ」


 はあ?


 と、わたくしはもう少しで声に出してしまうところでした。さすがにそれはないでしょう、と力強く突っ込んでしまいそうになりました。図々しいことも彼の君のチャームポイントのひとつですが、この申し出は愚かにもほどがありました。横っ面を張られても文句は言えない、まさに軽挙妄動です。


「どなたかに入れ知恵でもされたのですか? 妃教育には多額の費用がかかりましたものね。また一から育て直すには、手間も暇もかかりますから」


 ミレイユ様のお声は、それはそれは冷たく響きます。


「それとも、リリア嬢を手に入れられずご乱心なされた? いまさらご自身の得になるのは復縁だと考えてここに来られたのですか? 殊勝なふりで謝ってみせれば、二つ返事で戻ると侮られているのでしょうか」


 怒るのは当然です。

 この瞬間ばかりは、わたくしも本心から胸が痛みました。

 目的あって近づいたミレイユ様でしたが、長く一緒に過ごすうち、情が湧いていたのも事実。自らの邪心のために彼女の心を弄んだことに、今更ながら気づいたのでした。


「ち、違う! 私は……私は、リリアを愛していたが……それは絶対に嘘ではないが……」


 ああ、要らぬことを言うので、ミレイユ様の目が痛々しいほどに吊り上がっています。わたくしはわたくしらしくもなく、はらはらしてしまいました。


「貴方を嫌いだったわけではなく……いや、正直、煙たく思うことは多々あったのだが……でもそれは私や国のことを考えてのことだと言うのはわかっていて……だから……貴方のような人が、王妃になるべきだと、私は」


「なるほど。リリア嬢とは恋愛を、わたくしとは国益をお考えになられると?」


「い、あ、違、違わないけれども、しかしそれだけど言うのではなく、あの、」


 ベルナルド殿下ならばこのような時、ペラペラと相手の望む言葉が出るのでしょう。あの方は人の心をつかむのがお上手です。てのひらの上でコロコロと転がせて、思うままに操ることが出来ます。でも、なぜでしょう。あの方にわたくしの心は動きません。同じ穴の貉だからかも知れません。


 わたくしは、不器用なレオン殿下の言葉に耳を傾けてしまいます。懸命に言葉を紡ぐうち、混乱してきて、目を真っ赤にしてゆくそのお顔がとても美しいと感じるのです。


 ついに、堪えていた涙が一筋、ぽろりと零れました。


「私はとにかく、貴方に妃になって欲しいのだ……」


 どうにか絞り出したその一言を最後に、レオン殿下の顔は一気に崩れます。


 片側だけ持ち上げる癖のある眉は強くひそめられ、不敵な笑いを浮かべているはずの口元はだらしなく歪み、筋の通った鼻梁からは鼻水が垂れて、とても高貴なお方とは思えないほどです。


 後はただだらだらと、しゃくりあげて泣くばかりの殿下でした。


 しばらく、ミレイユ様はその様子をご覧になっていました。わたくしはその間、爵位の低い家の者らしく、気配そのものを消し去って立っていました。


「わたくし、申し上げたはずでしてよ」


 口を開いたミレイユ様は、いつもと変わらぬ、凛とした佇まいを取り戻しておられました。

 その声を聞き、レオン殿下は反射的に顔をあげます。


「当家に使いの者をお寄越しくださいませ。しかるべき手順を踏み、正式に応じさせて頂きますわ」


 ミレイユ様は少しだけお笑いになりました。

 そしてわたくしに目配せし、颯爽とその場を立ち去られます。慌てて、わたくしも後に続きました。




 その時の殿下のお顔を、拝見できなくて残念です。

 涙にぐしゃぐしゃに濡れた顔、悲しみや憂いではなく希望によって晴れた顔、いじらしく愚かで可愛らしく、懲りることも疑うことも知らぬ単純(アホ)の顔。


 それこそまさしく、わたくしが長年求め続けた、泣きっ面(メインディッシュ)だったのですから。

はじめて最もらしい令嬢ものを書きました(最もらしいか…?)


タマラがリリア嬢を的にかけたのは借金云々とは別に、二番目の姉がかつてリリアに不名誉な噂を面白半分で流されたからです。というのを入れこみたかったのですがうまくいきませんでした


個人的にタマラのキャラが気に入っているのでまた書きたいです

第1王子ももう少し掘り下げたかったです…

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