救えなかった異世界ですが、せめてひと暴れはさせてもらいます。
――神なんざ、斬るために存在してる。
文明が崩壊し、神に喰われた世界。
火の中で剣を振るうのは、かつて“人類の救世主”たり得た男。
これは、すべてが滅んだあとに現れた、最後の《戦士》の物語。
神殺しの男、短編連作予定です。
シリーズ第1弾、はじまります。
燃えていた。
それは村の家々でも、倒れ伏した兵の遺体でもない。
この世界そのものが──燃えているように、彼女には見えた。
焦げた空気が、喉を焼く。
灰色に染まった空から、微かに光が差す。それはもう“太陽”とは呼べないほど、鈍く滲んだ光だった。
「セリス様……っ、早く避難路に──!」
少女が叫んだ。
血塗れの顔。必死に立っているだけの年端のいかない少女。足元には、もう動かない仲間。
セリス・ヴェルディナは剣を抜いた。
柄に巻かれた王家の布は、すでにすすけ、焼け焦げていた。
「行きなさい。……私が、時間を稼ぐ」
震える指先を、力で封じ込める。
王家の姫など、もう意味を持たない。ただの人間。ただの剣士。それでも──
「……ごめんなさい。」
少女は最後に一度だけ振り返った。
セリスは、無言で頷いた。
そして、振り向いた。
──そこには、“神”がいた。
いや、本当は違う。
あれは、かつて人だった。
この村で、何度も話したことのある男だった。
娘と妻を大事にしていた、小さな羊飼いだった。
けれど今、彼は、神に喰われていた。
眼はぐにゃりと滲み、左右の瞼が上下に入り乱れて瞬く。
裂けた口元からは黒い煙が漏れ、頬の皮膚はただれて流れていた。
首からは、まるで誰かが囁いているかのような声がいくつも漏れている。
肉体の輪郭は膨れ、肩は骨の関節ごと逆向きにねじ曲がっている。
なのに、その顔には──微笑が、残っていた。
「セリスさまァ……あなたは、選ばれているのです。救済の光を、受け容れてください。ああ、どうして抗うのです……?」
声が、頭に響いた。
肉声ではない。思考に、直接、囁きが食い込んでくる。
神性。それは人を狂わせるだけではない。
“理解”そのものを、ねじ曲げてくる。
「──っ!」
セリスは、叫びとともに飛び込んだ。
剣が唸る。
刃が喉元に届く前に、“神の舌”が飛び出してきた。
反射で身を翻す。空気が裂けた。頬に熱い血が走る。
一瞬遅れれば、胴体ごと裂かれていた。
「抗うのですね……哀れな……だから人は、救えない」
「黙れ……! お前たちに、人の何がわかる……!」
叫び、突く。斬る。退く。
それは“戦い”ではなかった。“生き延び”だった。
神の体が膨張するたび、空間が軋む。右腕が刃に変わり、瞬時に迫る。
セリスは紙一重で跳び退き、足元の石畳を蹴り上げた。
瓦礫が神の顔面に当たり、微かに体勢が崩れた隙に──喉元へ一閃。
だが、刃は寸前で止まる。空間が捩じれ、異様な重力がセリスの剣を軌道ごと狂わせた。
……終わる。
分かっていた。力も、時間も、限界だった。
子供たちが逃げ切るには、あと数十秒。
だが、もう身体が動かない。
足元が、崩れた。
──そのときだった。
ズンッ──! という重い音が、地面を叩いた。
風が吹いた。
焦げた空気が、裂けた。
神憑きの顔が、突然、別の方向を見た。
その瞬間、セリスも気づいた。
──何かが、近づいている。
否。
何者かが、歩いてくる。
黒い。
焦げた布をまとい、背丈のある剣を、引きずっている。
それは、男だった。
だが、人とも言い切れない。
歩くその足元に、地獄がまとわりついているようだった。
男は、神憑きの目の前で、足を止めた。
「……まだ、燃えてるのか」
ぼそりと、呟いた。
その声に、空気がざわついた。
神憑きが、ひとつ笑った。
「おまえ……名は?」
「女を襲う化け物に、名乗る名なんてねぇよ」
男はそう言い捨て、肩に担いでいた剣を、ゆっくりと構えた。
刹那。
剣が、神を断った。
鋭い風鳴りが、閃光のように走った。
踏み込みの一撃だった。
男の動きには、いかなる余計もなかった。
土を蹴り、腰を捻り、剣の重量と慣性を一点に集める。
──斬撃。
空気が断たれ、大地が裂ける音が響いた。
神憑きの腕が、爆ぜるように吹き飛んだ。
あまりの速さに、セリスの目は追いつかなかった。
脳が現実を処理しきれず、一瞬、時間が止まったように思えた。
神が呻く前に、男はさらに一歩踏み込んだ。
両手で剣を構え、胸のあたりに深々と突き立てる。
黒い血が噴き出し、男の顔を染めた。
だが、怯まない。
剣を引き抜き、半回転──背面から、肩口を断ち割る。
それは既に、人間の動きではなかった。
殺意の塊。
神性を斬るためだけに作られた、剣の動きだった。
「ぁ、が……あ……」
神の声が乱れる。
その存在は、絶対であるがゆえに、“傷”を理解していなかった。
戸惑い、よろめき、意味を見つけようとした瞬間──
男は、もう一度、振った。
刃が閃き、胸元から腰へと深々と斬り裂く。
骨ごと断たれた肉がずれ落ち、黒い瘴気が噴き出す。
それは“技”ではなかった。
ただ斬る。それだけ。
だからこそ、圧倒的だった。
──その日、神は斬られた。
倒れた神憑きの体から、黒い瘴気が溢れる。
蠢く影が、逃げ出すように空へ舞う。
それは形を持たず、ただ世界のどこかへと溶けていった。
男は、息ひとつ乱さず、その光景を見ていた。
剣を肩に戻すと、何事もなかったかのように背を向ける。
「……待って」
セリスは思わず声を上げていた。
それは、無意識だった。
それでも、叫ばずにはいられなかった。
「あなたは……いったい、何者なんですか」
男の足が止まる。
半身だけ振り向く。その顔には、微笑にも皮肉にも似た線が浮かんでいた。
「何者か、ねぇ」
空を見上げる。その目は、深い。
「この世界にはさ……何度も転がり込んでるんだよ。
神を殺すために。……そう造られたんだ、俺は」
セリスは息を呑んだ。
“造られた”──その言葉は、あまりにも軽く発されたのに、背筋が冷たくなった。
「俺にとっちゃ、神も人も、大して変わんねぇよ。
どっちも、いつか俺を殺しにくる。それなら……」
男は一歩、歩き出した。
「……殺せる方を、先に殺すだけだ」
それは、ひどく冷たい言葉だった。
だがセリスには、そこに一滴の“熱”を感じた。
戦いが好きなだけ。
それでも、目の前の命は、確かに救われた。
「……あなたの名前を、聞いても?」
最後にそう尋ねたとき、男はようやく止まり、肩越しに一言だけ返した。
「ラグナ。ラグナ・クロウ」
そして、こう続けた。
「名なんて、いくつもあったが……今は、それで落ち着いてる」
風が吹いた。
焼けた空気の中に、微かに、冷たさが戻りつつあった。
セリスはその背を、ただ見送った。
血の匂い。灰の匂い。死と火と、それでも“生きている”者の背中。
世界は滅んだ。
だが、そこに歩く男は、まだ生きていた。
そしてきっと──彼が生きている限り、
この世界に“人間”の名は、残り続けるのだろう。
──彼はきっと、本来なら人類の救世主にでもなれる存在だった。
既にその人類は、滅びかけている。
それでも私は、その背中に“希望”を見た。
「……まだ、終わっていないかもしれない」と
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
本作は、文明崩壊後の終末世界で、“神殺し”の男が暴れまわる
剣と血と灰の《異世界バトル・ファンタジー》です。
彼の名は、ラグナ・クロウ。
かつて人類を救うはずだった男。
もう救うべき人類は、ほとんど残っていない。
それでも彼は歩き続ける――「神を殺す」ために。
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※次回作も構想中です。「敵が人型」や「神そのものとの対話」など、より深いテーマも予定しています。