意地悪ばあさんのレベルがあがりました。1
「なんだか最近、ずいぶんとネズミが増えてきたねぇ。」
独り言を呟きながら白髪交じりの痩せた女性がネズミ取りに引っ掛かっていた10匹ほどのネズミを川に沈めた。
山沢チエは65歳になったばかりのババアである。
自分でも近所の人たちに嫌われている自覚があるため、出来るだけ家からでないようにとは思っていた。そうは言っても、自宅でネズミの処分はさすがに難しい。今週に入ってもう3回はネズミ処分をするために川原まで出ている。目立たないように帽子を目深にかぶり、マスクと伊達メガネをかけるが逆に目立っていたようだ。
「やべえ、ババアがネズミ殺してる! 」
「魔女だ! 怖ぇー! 」
「呪われるー! 」
「……見るんじゃないよ、糞ガキども。」
田舎で、ちょっと離れたところに住んでいるとは言え、川原は遊びに来た小学生などに出くわすこともよくある。
チエがひと睨みすると逃げていくが、後からその親たちが文句でも言ってきたら面倒くさい。
チエの使ってるネズミ取りは捕獲器とよばれる昔ながらのもので、捕まえるだけのものだ。どうしても処分する必要がある。ここ最近では週に40~50匹も捕まるようになり、処分のために近所に姿をさらす羽目になっており、そろそろ殺鼠剤に切り替えるべきかと考えていた。
「でも屋根裏とかで死なれても、死骸の片付けが面倒くさいんだよねぇ。」
ブツブツ言いながら帰宅し、自宅の焼却炉にネズミの死骸を入れて火をつける。畑から出たゴミと共に焼却し始めた。
田舎ゆえ、町内会に参加しないとゴミ捨てすらハブられる。なので基本的に家庭ゴミは焼却場まで持っていかなきゃならないのがメンドクサイんで、出来るだけゴミを少なくする努力をしている。そのため畑から出た野菜の茎枝や庭の木の枝など自宅の焼却炉を使っても差し支えの無いものは、法律の範囲内で自宅にて処分する。ダイオキシンクリアの高い焼却炉はネズミを跡形もなく焼き尽くす。
昔は町内会にも入っていたし、近所付き合いもしていた。ママ友なんかもいた。
変わったのは、末っ子がいじめで自殺してからだ。なぜ死ななくてはなからなかったのかどうしても知りたかっただけなのに、学校や同級生、周りの人々とのやり取りで得られたのは他人を信じてはならないと言うことだけだった。
そんなさなかで夫が轢き逃げで死ぬと言う事件まで起き、チエは誰も信じられなくなった。幸い犯人はすぐに捕まったのだが、ソイツが社会的地位のある人間だったのだ。そのせいでチエが受け取ったのは想定以上の保険金で、周りから羨むような目で見られた。お金なんかより夫を返して欲しかったし、その事を愚痴っても「お金は貰ったのよね」という反応に絶望的な気分になった。
元より人付き合いが苦手だったのが、更に悪化。パート先でも口から嫌みしか出なくなり、嫌われて辞めた。保険金のお陰で働かなくていいし、いい機会だったのだ。
長男次男は一人立ちしていたのは幸いした。事件後しばらくして二人とも結婚もして、良い嫁たちを貰ったとは思う。だけど人間不信のせいかつい嫌がられることばかり言ってしまうから、彼らの足はだんだん遠くなる。孫も中学生くらいになったのだろうか。ここ数年は来ていない。親より嫁子供を優先できる息子達は立派に育っているのだ。年賀状程度がちょうどよい付き合いなのだと思う。
そんなチエのささやかな楽しみは―――
「ステータスオープン。」
チエの声に反応して、半透明のウィンドウが目の前にでる。
【山沢チエ】
種族:ヒューマン 年齢:65歳
レベル:15 (経験値:1525)
「ん? 経験値が思ったより増えてる……か? 」
リビングに戻ってカレンダーをみる。昨日の日付の下には「1505(ネズミ5匹)」という文字。その前日には1500(ネズミ8匹)と書いてある。
チエは少し考えてから、今日の日付の下に「1525(ネズミ10匹)」と書き加えた。
「昨日まではネズミ1匹で経験値が1だったのが、2になってるってことか。大きくなったのが関係しているのかね? 」
確かに今日捕まえたネズミは大きくて黒々していた。いつもより処分にも時間がかかったように思う。
数もおかしい。先週までに捕まえたのは精々一回に2~3匹だったのに今日は10匹である。それどころか、ネズミが出るようになったのもほんの1~2か月の話だ。だから農家だった夫の親が使っていたネズミの捕獲器を倉庫から引っ張り出したのだ。
一回捕まえれば居なくなるだろうと捕獲器を設置したのに、捕獲した晩も屋根裏でネズミ運動会が開催されていた。ドタドタガサガサ。つまり、眠れない。老人の睡眠を侮ってはいけない。若い頃のように一度目が覚めたら眠れないんだから。病院に行って安定剤とか出して貰うべきレベルで眠れなくなるが、こちとら病院嫌いのばばあである。他人とエンカウントするくらいなら原因排除に動くわい。
チエは老眼鏡を掛け、タブレットを開く。
中高年がモバイル使えないとかステレオタイプな話だ。近所との付き合いがなくなってからは、ネットの匿名の付き合いが心地よかったから、かなりのネット住民だ。チエはネオ麦あたりから2ちゃんも見てるし、全盛期のvipで草を生やして煽りまくっていた。鬼女板でタレントの粗捜しもした。ニコニコはベータでひろゆきが最初に動画投稿したのも見ている。ドリフのオチの音楽が流れてたやつだ。YouTubeも未だにようつべと呼んでしまう。
スマホも普通に使いこなすし、自宅のWi-Fiルーターも自分でセッティングは当たり前だ。
Xでチエの垢を開き、「ネズミ強くなった? 」と呟いた。チエのアカウント名はそのまんま『いじわるばばあ』だ。
とあるフォロワーが「わかる」と即効でリプライを寄越す。続けて「経験値も増えてる」との書き込み。
チエが最初にXに書き込んだのは、「ネズミを処分したらレベルが上がった」と言う呟きだった。
反応する人はほとんどおらず、ただの独り言にすぎない。
その後も「ネズミ一匹で経験値1」「今日もひとつレベルが上がった」「レベルが上がっても強くなった気がしない」など書き込み続けると、何のゲームしてるのか? 妄想なのか? なりきり垢? などの反応はポツポツあった。そしてある日、期待の反応が帰ってきた。
「こっちはウサギです。軽トラで誤って引いたらレベルが上がりました」
それが今やり取りをしているフォロワーの「じん」だった。
「ちょっとみてもらいたいのがあって………。リアルで会うことは出来ますか?」
そんな「じん」からのDMが届いたのは、チエが呟いてそれほど時間が経っていなかった。
「リアルで、か。」
チエは顎を撫でながら考える。リアルで―――抵抗はもちろんある。SNSで知り合った相手に言葉巧みに誘い出されて犯罪被害に遭うなんて、オレオレ詐欺くらいよくある話。
まあ、今さら取られて困るのは己の命とこの家くらいなもんだが―――地方都市の築30年は経ってるボロ屋に対した価値もないし。ババアの命なんてさらに価値もないか、と軽く「応、どこで会う?」と返事をしたのは、嫌われ者のババア・チエらしからぬものだった。
ちょっとした気の迷いだったのだろう。
目についた末っ子の遺品であるadidasのジップアップパーカーとヤンキースのキャップというババアらしからぬ格好を目印に、首都圏まで出てきた。キャップの後ろ部分にはペンキのダメージ加工もしてある。若者向けの分かりやすさと思い無理めの格好をしたが、東京の人は特にババアに気を止めることなく通りすぎていく。田舎と違ってこのくらいの関心度が心地よい。
長男嫁から貰った土産物のサコッシュから、愛用タブレットを出して何度も場所を確認する。待ち合わせなぞ夫と若かりし頃にしかしていなかったことを思い出す。軽く40年前の話だ。
ちょっとうきうきした気持ちを、年甲斐もなくと呆れる気持ちで蓋をして落ち着かせる。
「あの……、俺、"じん"ですが………。合ってます? 」
若者がおそらおそる声をかけてきた。チエが顔をあげると、おんなじヤンキースのキャップを被った男の子が心配そうな顔をしていた。女子みたいに可愛い顔を少し傾けている。
痩せていて背は低い。老人が見上げるには腰を痛めるから、ちょうどいい高さだなと思うが口にはしない。さすがのいじわるばばあも初対面の人間に毒は吐かない。
お互い持ってるからとキャップを目印にしたが、ならぶと可笑しい。親子より離れていそうな男女がお揃いとは。チエは帽子を脱いで、彼に出来るだけ優しい声をかける。
「――合ってるよ。あたしがいじわるばばあだよ。ばばあとかいいにくかったよな。悪いね、変な垢名で。本名は山沢っていうんだ。苗字で読んでもらえば、人の目も気にならないと思うんで、それで頼むよ。」
「あ、え、と。す、すいません山沢さん。俺はじん―――陣内と言います。えーと、本当に、お……年上だったんですね。書き込み内容とか、レスの早さとか若い人っぽくて……。」
「そうかね。外身も中身も正真正銘ババアだけどな。"じん"はずいぶん若いね。軽トラ運転してるっていうから18歳以上だとは思うけど……。」
「よく、若く見られますが28才です。それなりに年食ってます。……頼りなさそうだからですかね。」
「これから嫌でも老けてくるんだ。若く見えるならそれに越したことないさ。――さて、どっかで腰を落ち着けて話そうか。見せたいものがあるんだろ? 」
【山沢チエ】
種族:ヒューマン 年齢:65歳
レベル:15 (経験値:1525)