庶子
「貴方が、マリーア・レントさん?」
「え?」
私に話し掛けてきたのは、とても綺麗な人でした。
「貴方とお話がしたいの。よろしいかしら?」
「は、はい……。え、私と、ですか?」
「ええ。貴方と。はじめまして。マリーアさん。私は、シャーロット。シャーロット・グウィンズよ。よろしくね」
黒い髪と薄紫の瞳の令嬢。
振る舞いから、あまり知識のない私でも高位の令嬢だと分かります。
それが私と、シャーロット様の出逢いでした。
私はマリーア。今までは『ただのマリーア』……平民でした。
今の私は、マリーア・レント。男爵令嬢、です。
あまり貴族令嬢になったという実感はありません。
母がレント男爵の屋敷で働いていた時に男爵と通じ、生まれたのが私。
令嬢とは名ばかりの男爵家の庶子で。
それも一年程前に突然、屋敷に引き取られたのが実態でした。
初めて出逢った父親は、私や母を愛しているから求めたワケではありません。
男爵夫人が病に倒れ、亡くなった際、自分の子を産んだ母を思い出して私ごと引き取ったのです。
平民の中でも、貧しい生活をしていた私達親子は、レント男爵……お父様に引き取られるのを断る選択はありませんでした。
男爵夫人が亡くなる前に生んでいた異母兄も居て、レント男爵位はその子が継ぐ予定。
跡継ぎが既に居るのに何故、私まで引き取ったのか。
そこに特に深い意味があるワケではなく。
『うるさい妻も居なくなったので』『せっかく出来ていた娘なのだから』『政治の為に利用してやろう』……と。
そういう事、なのだと思います。
分かりません。私が貴族の考えを理解出来る日なんて来るのか。
とにかく1年程、最低限の教育を詰め込まれた私は、王立学園へと放り込まれる事になりました。
衣食住は比較的、平民の時よりも裕福に。
望む・望まないにせよ、学ぶ機会を得た私。
……きっと恵まれている方なのだと思います。
ですが、それでも急に詰め込まれた学びの日々は辛く感じていました。
学園に通えば、それから解放されるのかと。そう思ってもいて。
でも。
……王立学園。ここで私が『共に学ぶ誰か』を作るのは、とても難しかったんです。
ただでさえ私は中途半端な時期に入学した人間。
そして周囲とは違い、正式な貴族子女とは違う、庶子。
周囲の目はとても冷ややかで。隔たり、疎外感を感じていました。
また、私が入ったクラスは……おそらく成績の振るわない子女の集まった場所で。
成績に合わせた授業が行われます。
そうでないクラスになんて、余計に混ざれる筈もないのですが……。
同じクラスの皆さんは、あまり余裕がなく、喋る機会もありませんでした。
話し掛けて……分からない部分を聞いたり、だとか。
日々の愚痴を零すような関係も築けません。
横の繋がりが作れない、私。
「……はぁ……」
必死に。ただ詰め込むだけの学びの日々。
それに加えて、場違いだと突きつけられるような学園生活。
今までは『比べる相手』が居なかったから。
自分が男爵令嬢になったと聞いて、実感はなくても、どこか特別な……高貴な存在にでもなったような期待が、心のどこかにあったんです。でも。
今の自分と『比べる相手』である沢山の他家の令嬢の姿を見て。
その振る舞いや、私がけして及ばない学力を示す人達を見て。
それでいて綺麗で、美しく感じる彼女達と……。私を比べる。
「…………」
なんだか惨めな気分になりました。
どうして私はここに居るんだろう、って。
でも逃げる事なんて出来なくて。
これから私、どうなるんだろう。
頑張って、頑張って、そうしてどうなるの……?
お父様は、私をどうするのだろう。
政略結婚の為に引き取られた?
(怖い……)
政略結婚なんてものが、私には理解できない。
お母さんは、別にお父様と愛し合ったワケじゃない。
そういう姿をお母さんに見た事はなかったけれど。
市井では、それはありふれて居ました。
だから相手を知らずに、恋する事もなく、誰かの妻になる。
『愛なんてない政略結婚』を私は何よりも恐ろしく感じていたんです。
◇◆◇
「しゃ、シャーロット様……? あの、私。えっと」
「落ち着いてちょうだい。貴方を害したりはしないわ。お話をしたかっただけなの」
その人は、学園で出会った誰よりも綺麗な人でした。
(こういう人が、貴族……なんだ)
ふわふわとしていた私の中の『貴族令嬢』、『淑女』というイメージがシャーロット様で固まりました。
(私、こういう人になりたい……)
そんな風に。
「ごめんなさいね。急に話し掛けたりして」
「い、いえ。ですがどうして、私、と?」
「あのね。貴方の噂が耳に入ったの。この時期に学園に入学するなんて、あまり周りと馴染めていないんじゃないかって」
「え?」
「この王立学園はね。貴族子女の学力の底上げをする事が本来の目的の場所なの。辛いかもしれないけれど、一番引き上げられなければいけないのは、マリーアさんみたいに困っている人、なのよ」
(あ、それは……聞いた事がある)
でも、私は今の状態でも手一杯で。
どころか日々積み重なっていく学業や慣れない環境は、私をより追い詰めていくばかりで。
「マリーアさん。しばらく私と過ごさない?」
「え、ええ? 私と、シャーロット様、が?」
「ええ。貴方の助けになると思って」
「助けに。でも、どうして……ですか?」
それは有難い申し出でした。
でも、どうして彼女が助けてくれるのか分かりません。
「……マリーアさんが、学園に通うようになって、そろそろ2週間だったかしら?」
「は、はい」
「その間で、学園に馴染む事は出来た?」
「それは」
出来ていません。そのキッカケさえも掴めなくて。
でも、授業が進むに連れて私は追い詰められるばかり。
このままだと遠くない内に私は……。
不安で圧し潰されそうな日々でした。
「……誰だって一人だけでは頑張れないわ。だから、ね。貴方の事を聞いて気になっていて。そうして時間が経っても……と聞いて。どうしても声を掛けずにいられなかったの。お節介で迷惑だったとしても、よ。私がそうしたかったの」
「シャーロット様……」
じわりと目の端に涙が溜まりました。
学園に来てから、ここまで優しく声を掛け、私の助けになってくれると言ってくれた方なんて居なかったんです。
「お節介でも、いい? 貴方と仲良くなっても」
「はい……はい……!」
そうして。その日からシャーロット様は私に目を掛けてくれるようになりました。
初めの内は、彼女と二人きり……いえ。
彼女には常に傍に控えている侍女? のような人が居ましたけど。
会話するのは主に私と彼女の二人で。
まず今、私が困っている事を……何に困っているのかさえ分からない事を聞いて貰い、そして教えて貰えました。
この学園では、こちらはこうで。あちらは……といった、友人が居ればもっと早くに知っていただろう初歩的な文化、ルール。
そして現在の私の学力に合わせた勉強の見直し。
一年で詰め込んできた勉強が、どれだけ身に付いていなかったかを理解させられた復習。
シャーロット様のお陰で私はどうにか学園生活の『スタートライン』に辿り着いた気がしました。
基礎の基礎、基本の基本を教わったんです。
「マリーアさん。あとは難しいけれど、貴族には派閥といった問題があるの」
「は、はい」
「爵位だけの問題じゃない、というのが難しい所ね。敬語やマナーを重んじるのは誰が相手でも隙を見せない為。」
学業の次は、貴族間の関係性。
ただ詰め込まれるよりも、とても実践的な……。
「あ、あの。シャーロット様」
「なぁに? マリーアさん」
「どうして、ここまでして下さるんでしょう……? 私、たくさん貴方に与えられているのに。貴方に返せるモノが何もありません……」
私は、またそんな事を聞いていた。
ありがたいと思う。助けられていると感じている。
でも、やっぱり……私を助ける事にシャーロット様が得する事なんてない、って思いました。
「……ごめんなさい。マリーアさん」
「え?」
何を謝っていらっしゃるのでしょう?
「すべて貴方の為、とは違うと思う。貴方に声を掛けたのは、ただの私の我儘だし」
「シャーロット様?」
微笑むような穏やかな表情を、いつも決して崩さないシャーロット様。
でも、その時は、その顔にどこか陰りが見えた気がしたんです。
「……ううん。何でもないの。ただ貴方とお喋りするのは、とても楽しかったわ。私の知らない事、知らない世界を聞けた。マリーアさんの世界を知る事で……そう。私もどこか救われているの。貴方は私の助けになっているわ。だからお互い様だと思ってちょうだい?」
「そう、なのですか?」
私がシャーロット様の助けに?
そんな事があるなんて信じられませんでした。
思い当たる事もなくて。
ただ。ただ……です。
爵位、身分の差があったのだとしても。
シャーロット様が私の事を『友人』と思って接して下さっている。
そう思えて。なんだか私は誇らしい気持ちになれたんです。
そうして。
「シャーロット様。あら。そちらの方は? 初めて見るけれど」
「あ……、と」
薄い金髪の女生徒。貴族令嬢が私達に、いえ、シャーロット様に話し掛けてきました。
親しみやすい態度を取ってくださるシャーロット様とは話せるようになりましたが、まだ他の方は苦手なままで……。
「シーメル様。こちら、マリーアさん。レント男爵家のご令嬢よ」
「まぁ。……あの?」
『あの』と、その方はおっしゃいました。
私の事は裏で噂になっている、のでしょう。
それが良い噂とは思えませんでした。
もしもシャーロット様に声を掛けていただけなければ、今も私は一人で過ごしていて。
一人ぼっちで、そんな風に誰かが私の事を噂するのを聞くばかりだったと思うと、恐ろしくなります。
「マリーアさん。こちらシーメル様。クトゥン伯爵家のご息女、シーメル・クトゥン様よ」
「は、はい。シ……えと。クトゥン伯爵令嬢様。私は、レント男爵家のマリーアです」
ぎこちない作法で礼をしながら、挨拶をする。
家で学んできたマナー、そして学園に来てからは何度かシャーロット様に指導していただいた。
それでも、中々上手く出来ない。
『慣れるまでは誰だって、しんどくて仕方ないものよ』とシャーロット様は慰めてくださったけど。
彼女以外の貴族令嬢は、やはり私を冷めた目で見る事が多かった。
クトゥン伯爵令嬢も、その一人らしくて。
私は、いけない事なのに、内心で苦手意識を抱きました。
「ふぅん。最近、シャーロット様が戯れに男爵令嬢を愛でていらっしゃると聞いたけれど。貴方がそうなのね」
「あ、その……は、はい」
戯れに。その言葉が強調された気がしました。
いえ、言葉の強弱などなかったのです。
でも私も……気にしている事だったから。
そんな風に感じました。
「シーメル様。今日はどうされたの?」
シャーロット様は表情を崩さないまま。
私に向けるものと全く変わらない微笑みでクトゥン伯爵令嬢に尋ねました。
そうした態度ひとつ取っても、シャーロット様の真意を分からなくします。
友人のように感じているのは、もしかしたら私の方だけで。
シャーロット様にとっては、浮かべるこの表情や態度のように、誰であっても等しく『同じ』なのかもしれません。
同じだからこそ、一番下に居た私が気になった。
もしも、そんな一番下から引き上げる行為が終わったら。
……私は、シャーロット様にも見捨てられてしまうのでしょうか。
「シャーロット様。交流会の準備が出来ましたの。最近、時間が取れなかったもの。皆さん、貴方をお待ちしてますわ。うふふ」
学園の生徒、女性の方は交流会と言って、学業の他に集まる場を自主的に設けているらしいと聞きました。
そういった集まりに私が呼ばれる事はありません。
(……置いていかれたら、また一人になってしまうわ)
シャーロット様に甘えてしまっているのは、自分でも分かっている。
けれど私には他に頼れる人が見つからなくて。
捨てられるのを怯えるような表情をシャーロット様に向けてしまいました。
シャーロット様は、やっぱり穏やかな表情のままで私を見つめ返して。
「……、……マリーア様もご一緒にお連れしても良いかしら?」
と。そう言ってくれたんです。
悩まれたと思います。
だって、きっと私が行ってしまっても邪魔になるだけでしたから。
それでも。私は、その事がとても嬉しかったんです。
「……あら。そうですの。ふふ。流石、シャーロット様ですわ。いつも、誰にでもお優しいの。流石は『完璧な淑女』ですわね。ふふふ」
クトゥン伯爵令嬢は、そう言ってシャーロット様を褒め称えました。
いえ、褒め称えたのは彼女だけじゃありません。
その後の交流会で出会った女性達も、口々にシャーロット様を褒め称えます。
その内容には、私でさえも頷ける、『本当にそのように彼女は素晴らしい方だ』と。
いえ、私だからこそ、そう思う内容ばかりで。
きっと、それらは言葉通りの意図なのだろう、と思いました。
私は目立つような事はせず、ただ他の方に合わせるように一生懸命に頷いたりして。
至らないマナーを咎められる事もあったけれど、いつも彼女に庇って頂いたんです。
そんな風に私は、学園での生活に少しずつ色が加わるような気分で過ごしていました。
大変だけれど、それでも。
頑張れない事はない、そう思えるようになったのはシャーロット様のお陰です。
「シャーロット様。私」
「なぁに。マリーアさん」
「……私、怖いんです」
「怖い? 何がかしら」
「その。貴族の、えっと。政略結婚、というのが」
「政略結婚が?」
「はい」
私は、シャーロット様に一番不安に思っている事を打ち明けました。
学業を頑張る事が出来ても、どうしてもその事が引っ掛かっていて。
もしかしたら、この不安を打ち明ければシャーロット様なら解決する術を知っているんじゃないかと期待しました。
「だって。愛のない政略結婚なんて、私、すごく怖いです。好きでもない相手と……、その男性と。結婚して。その上、子供を生むなんて。私、嫌で嫌でたまらないんです……! そんなの、そんなの、絶対に嫌……!」
誰だってそう思う筈。
そう。私と同じ、女性ならきっと誰だって。
だから理解して下さると思いました。
彼女なら、きっと何か、素晴らしいアイデアで……私を救ってくれると。
「…………」
「シャーロット様?」
「いえ……。……そうね。そう、不安に思う気持ちは……誰だって一緒よ。ええ」
「そうですよね! 一体どうすればいいんでしょうか? 私、……私は、結婚するなら好きな人とがいい。これだけは……」
どうしても譲りたくないと思いました。
貴族にさせられて、学園に通う事になり。
厳しい教育に耐えて、何とか日々を過ごして。
派閥とか、そういう難しい事を乗り越えて。
ここまで頑張っているのだから。
せめて結婚する相手ぐらいは、愛している相手と結ばれたい。
それぐらいは赦されるだろう、ってそう思いました。
「……家によって、方針が違うものだから。レント男爵の意向によると思うわ」
「お父様は、きっと赦して下さらないです……」
だってお父様は初めから私の事を愛しているとか、愛しい娘だとか。
そういう風には見ていなかったから。
「シャーロット様……。私、どうすればいいですか」
期待の目を向けた私に。
「シャーロット様?」
「…………」
いつもとは違い、すぐに、優雅な答えを返して下さる事はなくて。
その事に、私は少なからずショックを受けたんです。
(どうして……)
彼女なら救ってくださると思ったのに。
そんなショックを受けて、お互いに話す言葉が途切れたタイミングで。
「──シャーロット。その子は誰だ?」
「……ハロルド殿下」
(え?)
そこに訪れたのは……『王子様』でした。
身分をすぐに見抜いたワケじゃありません。
ただ、キラキラと輝くような……美しい男性で。
ああ、まさに物語から出てきたような、そういう意味での『王子様』だったんです。
私は。
私は、初めてお会いした、一目見たその方に……一瞬で、恋に落ちていました。




