側近
「クロード・シェルベルク。参りました」
俺は、定期の報告を上げる為に宰相の部屋へ来た。
シェルベルク家は侯爵家の一つだ。
そして俺、クロードはハロルド第一王子の将来の側近となるよう、普段は殿下の近くで過ごしている。
殿下の友人の一人でも居るつもりだが、護衛を担う騎士のゼンクとは求められている立場が違った。
「本日の殿下ですが、件のレント男爵令嬢と街に出掛けておられました」
「……そうか」
監視というのもまた違うと思うが。
表向き、殿下の傍に控え、その行動などを報告する役目を持っているのが今の俺だ。
王家には『影』とも呼ばれる、隠れて王族を護衛する者達も居る。
そういう者達も殿下に付いてはいるが、いつも影からでは手が届かなくなる場合もあるだろう。
特にハロルド殿下は、街を歩く時、大っぴらに護衛を引き連れて行くのを嫌う。
となれば隠れて護衛する事になるのだが、堂々と傍に控える者が居るのと居ないのでは精度が異なってくる。
宰相に報告しているのだが、王宮に出入りを許可されている俺の立場は、どちらかと言えば国王陛下の指揮の下にある。
ハロルド殿下の傍に控える、国王陛下と宰相の部下、という立場。
だからこうして殿下の日頃の振る舞いについて定期的に報告を上げている。
……影の報告もあるから、殿下に対して忖度するのは意味がない。
ありのままの報告を入れなければ、むしろ俺の立場が危うくなってしまう。
そういう意味でも、やはり俺の『上司』となるのは陛下や宰相なのだろう。
「ハロルド殿下にも困ったものだ。シャーロット様が居るからこそ、殿下の評価が確立しているというのに」
「そうですね……」
ハロルド殿下は、特別に優秀、とは言えない方だ。
いや、学園の成績などから判断するに、優秀ではあるか。
少なくとも上位に入るだけの頭脳は持っている。
……そんな殿下が、どうしてもそう評価されてしまうのは、婚約者であるシャーロット様が優秀過ぎるのが原因だ。
王立学園でも常に首席になっている事から、分かり易く彼女の能力は秀でていた。
ハロルド殿下が苦手とされた分野も、シャーロット様がカバーする。
彼女さえ居れば殿下の足りない面はきっと問題ないだろう。
そういう判断を、国王陛下を始めとした国の上層部は下していた。
だからこそハロルド殿下の最近の態度は問題視されている。
実は前々から問題にはなっていたのだ。
ハロルド殿下のシャーロット様への態度について。
俺も諫める立場に立つ事が多くなっていた。
とはいえ、シャーロット様は殿下の態度に大きく事を荒立てる様子はなく。
今までは二人の様子を見守っていた。
しかし、あからさまにシャーロット様以外の令嬢を侍らせ、特別視するというのは問題だ。
「陛下達は何か動かれますか……?」
「いや。まだ様子見だ。ハロルド殿下には、お諫めする言葉を掛けるが……。あの方には逆効果になるかもしれない」
「それは」
たしかにそういう所があるな、ハロルド殿下は。
特にシャーロット様に対してはコンプレックスになってしまっている。
それは周りの評価のせいなのだが……。
しかし、その点については乗り越えて頂くしかない。
ここで殿下に耳あたりのいいだけの言葉を聞かせて慰めるのは……、うむ。
「レント男爵令嬢が、こういう時の殿下の慰めとなるのなら、やはり『側妃』か『愛妾』に?」
「今は分からないな。そういう目で見てもいる。性格の面でシャーロット様と殿下が合わないのは分かっているが。ハロルド殿下がシャーロット様を心からまったく嫌っている、とは言えないだろう? 状況が変われば二人の仲も深まるかもしれない」
「……なるほど」
ハロルド殿下はシャーロット様を心底嫌いなのか?
と問われると、それは違うだろう。
あれで……そう、アレで殿下はシャーロット様を好きなのだと俺は考えている。
長い時間、共に育ったからこそ分かっていた。
だからこそ、今回の件は彼女の気を惹きたいと考えている可能性はあるな。
シャーロット様が殿下の正妃になるのは、確定。
これは国王陛下、王妃殿下のご意向だし、大臣達の総意でもある。
ならシャーロット様と関係を続ける上でレント男爵令嬢の存在が必要だと言うのなら……うむ。
愛妾としての存在価値はあるだろう。
「やはり様子見、ですか」
「ああ。そうなる」
まだ動くには早い。殿下もすぐにレント男爵令嬢に飽きるかもしれない。
それに、だ。
(シャーロット様の気持ちにも変化があるかも、だ)
彼女は優秀だ。だがその内心を表に出す事は滅多にない。
少なくとも俺は見た事がなかった。
それは未来の王妃としては素晴らしくもある。
ただ人形のような存在というワケでもない。
たとえば学園での彼女の評価は高い。人気もあるだろう。
殿下の婚約者でなければ心惹かれ、寄って来た令息達も多かっただろう。
ただ多くの者に人気があるその理由は、その卒のなさや優秀さから。
レント男爵令嬢が『愛嬌がある事で皆から可愛がられる』タイプだとすれば、シャーロット様は『多くの者に目をかけ、何事もこなしてみせるから』となる。
王妃の器としての魅力。
しかし、ハロルド殿下が見せて欲しいのは、もっと個人的なシャーロット様の感情だろう。
もしかしたら、すべて上手くいくかもしれない。
或いは大きな問題に発展するかもしれない。
後者になった場合、どう対応すべきか。
俺や、宰相閣下はそこを考えていくべきだろうな。
様々な思惑から、ハロルド殿下、シャーロット様、レント男爵令嬢の様子は注目を集めていた。
良くない噂も聞いている。
王族についての噂など不敬もいいところだが、原因はハロルド殿下その人だからな。
令嬢・令息の口に彼の振る舞いについて上がる事は不思議ではない。
王族の醜聞となる出来事だ。
間違えばハロルド殿下にとって傷となるだろう。
それでも尚、静観、そして『監視』という選択を王宮は選んだ。
殿下の瑕疵として、然るべきタイミングを見計らい、罰則を与えられる、というのも『手』の一つ。
重要なのはシャーロット様だからだ。
殿下が実のないプライドを捨てるか。
或いは慰みとしてレント男爵令嬢を囲い込む形が、殿下にとってベストなのか。
彼等が学生時代の内に見極める。
今ならまだ若気の至り、という事で厳しい罰則を与えれば示しがつくだろう。
完全無欠の最優の王、などというものにハロルド殿下はなれない。
若い内にやらかし、王妃シャーロット様に頭の上がらない、王。
そういうものになるのが結局、ハロルド殿下にとってもベストだろう。
王の責任というものを背負いさえすれば、シャーロット様に支えられてこその王、という立場を受け入れた方が良い。
尚もこの様子見という判断が下された理由は、シャーロット様がこのような事態になっても態度を変えなかったからだった。
殿下と諍い合い、喧嘩になる事もなく。
苦言こそ呈すれど、彼女もまた様子を窺っていた。
(王宮の、陛下達の判断がどうなるかを見極めようとしているか)
大きく動くべき時ではない、という判断。
ハロルド殿下の性格まで考慮すれば、それは正しいだろう。
そもそもシャーロット様にとっては、レント男爵令嬢がハロルド殿下に侍るのは悪い事でもないのかもしれない。
何故なら、彼女はきっと殿下を愛しているというワケではないだろうから。
昔はどうだったか分からない。
出逢った当初、婚約が決まった当初であればシャーロット様とて、そういう気持ちを抱いていたかもしれない。
だが今となっては彼女にとってハロルド殿下の婚約者である事や、未来の王妃となる事は『義務』でしかない。
だからハロルド殿下が、レント男爵令嬢を『側妃』なり『愛妾』なりにするつもりなら。
そして、それを国王陛下が受け入れるのなら。
シャーロット様は、粛々とそれを受け入れただろう。
……そんなところこそが、内心ではシャーロット様に惹かれているハロルド殿下の気に入らない部分なのだろうが。
殿下がよく漏らしている言葉がある。
『可愛げのない女だ』と。
つまりは、そういう事。
結局、ハロルド殿下はシャーロット様にその『可愛げ』とやらを見せて欲しいだけ。
だからレント男爵令嬢を侍らせ、シャーロット様の様子を窺うのだ。
そしてシャーロット様が反応を示さない事に、プライドが傷ついて余計に。
「はぁ……」
学生の内だから。その許容範囲を超えた醜聞にならない内に、止めて欲しくもある。
俺は、シャーロット様に内々で声を掛ける事にした。
未来の王妃の手腕、というものもあるかもしれないからな。
『駒』として動くのは別にいい。
どの道、俺の立場はハロルド殿下からすれば『スパイ』に等しいだろうし。
シャーロット様に寄り添って、彼女の対処を知れば、その事もまた宰相や陛下に報告する。
「シャーロット様。何か私がすべき事。或いはして欲しい事などありますか? ハロルド殿下の側近として、お応え出来る事もあるかと存じます」
「シェルベルク様。……いいえ。特に私から進言して欲しい事などはありません。きっと私が言わずとも弁えて下さるでしょうし」
「そうですか?」
「ええ。ご納得いただけませんか?」
「……少し。良いのですよ。ご懸念程度であれば、あくまで『確認』という形でおっしゃっていただいて。シャーロット様が殿下にそうおっしゃった、などとは申し上げません」
「……そう。でも、それこそ言うまでもない懸念ぐらいだと思うの」
「例えば?」
「……お戯れをされるのはよろしいけど、節度のある付き合いをなさって。程度の事ね。でも、そんな事は殿下も分かっているし、シェルベルク様達だって当然にお諫めするでしょう? だから私から言う事は何もないと思うの」
ふむ。
つまり、学生の内にレント男爵令嬢に手を出して。
などという懸念だな。
流石にそうなるのは不味い。ただの『二人の仲違いや喧嘩』程度で済まなくなる。
いずれ愛妾に迎えるにしても、迎えてから手を出すのと、今の時点で手を出すのでは話が違う。
(ないとは思うが)
もしも、殿下がレント男爵令嬢を宿にでも連れ込もうとされるのならお止めしよう。
「はい。一線を越える程でしたら、我々もハロルド殿下をお諫め致します」
「ええ。ありがとう。信頼していますよ、シェルベルク様」
シャーロット様を含めて、俺達の判断は様子見。
問題ない。何も問題はない。
……筈だった。
「シャーロット様が、」
「あのお堅い方もやはり嫉妬を、」
「やはり、シャーロット様も人間、」
(……これは良くない)
問題を起こしているのがハロルド殿下ならば、王家の醜聞でもあった、が。
シャーロット様という存在が居る以上、愚鈍と言われる王子でも良かったのだ。
しかし悪評を立てられるのがシャーロット様になってくると不味い。
様子見を長く続けた結果と言えるだろう。
多くの者の判断ミスの結果。
殿下の悪評は、やがて王家公認の純愛と変わっていった。
それは皆の、王家に対する忖度から始まったのかもしれない。
代わりにシャーロット様が『悪役』として立てられ始めた……。
噂の否定に、俺のような立場の者は奔走し始める。
大事なのはシャーロット様の方だ。
彼女に瑕疵がつくのは良くない。
だが……まるで今まで激流を堰き止めていた『蓋』のようなモノが外れてしまったかのように。
シャーロット様の悪評は広まっていった。
「何故、そんな根も葉もない噂を流す? シャーロット様は侯爵令嬢だぞ」
俺は悪評を立てていた者を止めつつ、その理由を聞いた。
グウィンズ侯は娘を愛するようなタイプの男ではないが、家門を見下されるのを黙っている男ではない。
その彼女を侮辱するような真似など。
恐ろしい事だと何故分からない?
「その。私が言い出した事じゃ」
「では誰から聞いたんだ」
「えと、誰だったかしら……」
これだ。
誰から、ではなく。誰からともなく。なのが厄介なのだ。
それこそ噂を流す黒幕のような者が居れば、話は早かったのだが。
どうもそうではないらしい。
ハロルド殿下についての話ではなく、シャーロット様についての話だから。
ここまで話が盛り上がり、広まってしまっている。
完璧で、完成された淑女のシャーロット・グウィンズ。
曇りなき白の華。純白のドレスが如く。
……だからこそ、一点の染みが目立ち、こぞって囃し立てる。
『彼女だって自分達と同じ人間だったのだ』と。
嫉妬なのか、何なのか分からない。
人によっては『裏切られた』とでも言いたげな態度。
綺麗な『偶像』を求めていた彼女に、人間らしい醜い部分を見たのだと燃え上がるように。
完璧さこそが仇となる形で、彼女の悪評が広まった。
そして騒ぎを収め切らない内に、とうとう最悪の結果に辿り着き……。
(まずい、まずい、まずい。王国にはシャーロット様が必要なのだ)
だからすぐに問題を最小限に抑え、宰相や国王陛下のご判断を──
「…………、……ハロルド殿下。レント男爵令嬢を婚約者に据えるのですか?」
「うん? 急に何を言っている。クロード」
「いえ。最近、彼女と特に親密に過ごされているので」
ハロルド殿下には婚約者が『居ない』。
第一王子なのだから、もっと早くに選別すればいいものを。
国王陛下達のご判断だから、俺の立場では従うだけなのだが。
(今となっては目ぼしい令嬢など居ないのでは?)
侯爵家の令嬢達には全員、婚約者が居る。
特に破局するような家もないし。
そうなると伯爵家から婚約者候補を見繕う事になるか。
「……最近、忙しいな」
「はい。俺も手伝います。ハロルド殿下、頑張りましょう」
「……あ、ああ」
俺達、殿下の側近や、王家の影、宰相閣下に大臣達、国王陛下に王妃殿下。
皆でハロルド殿下の『良い評判』を作り上げてきた。
たとえば、特にハロルド殿下が何かを成し遂げたワケでない場面でも、『ハロルド殿下は素晴らしい』と噂を立て、殿下の評価を底上げしてきたのだ。
そうしてきた場面は多くあって、殿下以外の者が立てたような功績でも時に殿下の評価として扱う事もしてきた。
(未来の国王だからな。それぐらいの評判の嵩増し工作は必要だろう)
今までしてきた事だ。
ただ、最近になって王宮内でも、その殿下の評価に対する工作を見直され始めているらしい。
……殿下の実態に対し、過剰な評価。
それがハロルド殿下のプレッシャーになってしまっていたからだ。
だからこそ、今はもう、そういった工作はせず、ありのままの殿下の評価を広めるように方針転換した。
宰相、そして陛下のご判断だ。
(ハロルド殿下だって時間さえあれば、学園の首席を取れるのだしな)
王宮内では平凡と評価されていた殿下だが、むしろ『優秀な方』と言ってもいいだろう。
そうなると、やはり有力な家門から『未来の王妃』を見つけられなかった事は手痛い。
……まぁ、それも含めて国の上層部が決めた判断なのだ。
下っ端の俺がどう動けるというものでもないな。
「クロード・シェルベルク。参りました」
俺は、定期の報告を上げる為に宰相の部屋へ来た。
「殿下は、学園での態度は上々。レント男爵令嬢に入れあげていましたが、最近は政務で時間が取られ、彼女への熱も冷めている様子です」
「そうか……。やはり『妃』に据えるのは無理な令嬢だしな」
「そうですね」
淡々と。俺はいつもと変わらない日常を過ごす。
王族の側近として緊張感はありつつも、大きな事件のない毎日。
俺の世界は何も変わらない。
「ああ。そうだ。グウィンズ侯爵家の内偵が終わったからな。殿下の護衛に人手を回せるぞ」
「……グウィンズ侯の内偵ですか?」
何だったか。いや、そう言えばそんな話を聞いていたな。
「喜べ。ハロルド殿下に付けられる人員が多くなったから、お前の休みも増えるぞ。クロード」
「はは。そうですか。それは……喜ぶべき事、ですかね」
「うむ。グウィンズ侯が縁戚から取った養子の調査も終わった。……いや、筆頭侯爵家とはいえ、今まで優秀な人材をグウィンズ家に使い過ぎだったと陛下に怒られたよ」
「ははぁ……」
怒られる程の人員を動かしていたのか?
宰相閣下ともあろう人が珍しい。
「人手不足だった問題も、これで賄えるようになる。なにせ王家の影まで件の侯爵令息に付けていたからな」
「そこまで? 何か問題のある男だったのでしょうか?」
「いや、そういう報告は上がっていない。グウィンズ侯の意向に素直に従う男だとさ。……ああ、最近になって婚約者を溺愛する素振りを見せるようになったとか。どこまで続くか分からんがな」
「へぇ」
筆頭侯爵家に養子として迎えられた男。
当初は、婚約者に対して冷淡な態度だったらしいが……。
ようやく身の程を知ったのだろうな。
侯爵がその気になれば縁を切られるだけの男だ。
その侯爵が決めた婚約相手に無礼な態度を取るなど、お笑い草。
(何事も、身の程を知るというのは大切な事だ)
もちろん俺自身も。
「では、宰相閣下。自分はこれで」
「ああ、また何かあれば報告に来るように」
「はっ!」
変わらない。
俺の日常は、何一つ変わらない。
何も失っていない。
今まで通りに……生きていく。ただ、それだけだ。