33話 シャーロットと物語の人々
「シャリィ。準備はいいかい?」
「はい。リック様」
国境での戦いが終わってから、二月ほど経過した。
あの日の決着は、リック様と敵将であったアレク王子の一騎打ちで決着となったわ。
元々は、隣国がレノク王国を侵略せんと企てていた事の発覚と、その事についての糾弾から始まった戦。
両国間での大規模な戦争に発展してもおかしくなかった。
少なくともベルファス王国は、その準備をしていたのだから。
ただし、その侵略計画は今のような状況を想定していない。
……元々の計画では、レノク王家の不信をもっと煽り、内部から疲弊させて。
それからディミルトン家には工作を働き、支援を滞らせる。
そしてリック様や辺境伯夫妻といった重要人物は、グレゴリー家を通して……もしかしたらカルミラさんを使って暗殺。
侵略といってもほとんどレノクからの抵抗はない状態で、むしろ疲弊した民には受け入れられる形での進軍。
王家や主要貴族たちだけを始末して……と。
民の救済、最悪の王家の打倒という『大義』がある侵略とするはずだった。
けど現実はそうはならなかった。
レノクの中央政治は安定しており、ディミルトン家への支援もある。
グレゴリー家の工作は見破られ、その件を発端にして、ベルファスの非を糾弾する形。
『大義』はレノク側に生まれ、また警戒心を強めて、しっかりと準備されたレノク王国に対し、真っ向からの戦争で押し勝つほどの武力差をベルファス王国は持っていない。
ベルファス王国に不利な形での戦争が始まるのが目に見えていて。
だからこその『アレク王子の独断』という形で、負け戦に向かわせた。
リック様が王子を打ち倒し、名目が保たれた上で殺さずに捕縛。
その場に来ていた敵将に投降を促し、王子と合わせて捕虜を得たわ。
投降した後で逃した兵たちがベルファス中央に決着を伝える事になっただろう。
泥沼の戦争の果てでなかったことから、ベルファスの捕虜に対する扱いは特に酷くはないと聞いている。
……もっと恨みつらみが募った戦争の後だったなら、捕虜の人権が守られていたかは怪しいわ。
(今回の戦では、死傷者は出ていないものね……)
終わってしまえば一番、血が流れない形で決着したのではないだろうか?
この点で言えば、両国ともきっと胸を撫でおろしてホッとしたと思うの。
そしてリック様の取り計らいでアレク王子も生きているわ。
ベルファスの王にどれだけ息子への愛情があるかは分からない。
国としての利を取ったからこその、王子の負け戦への投入だったはずではあるけれど。
でも王子が生きていると分かっているのに取り戻す動きをしないのは民に対する心証が悪過ぎるものね。
王子を含めた捕虜の返還に当たってベルファス王家から賠償金が支払われることになる。
この件に関する取り決めが、レノクの王宮でも日々、検討されているらしいわ。
当然、アレク王子の身柄は、今回の話で最も重要なこと。
早々にレノクの王宮に移送してしまうのが一番なのだけど……。
(アレク王子は、自分を打ち倒したリック様の言うことだから素直に従う)
それに王都での工作の疑いがあるのよ。
でなければ、グレゴリー家をどうしようが侵略戦争なんて夢のまた夢だから。
むしろ王都にアレク王子を移した方が奪還の恐れあり、と。
そういうことでレノク王家とは話が進んでいるわ。
まず王都内、特に王宮での工作の排除を徹底してからの移送となる。
そうして時間を置いてから近々、アレク王子が辺境領からレノク王都へ移送されるのが決まった。
……だから私が、アレク王子に会える機会はこのタイミングしかなくなるのよ。
この2ヶ月。近くには居たけれど、当然、彼と私は会っていなかったわ。
だって私の側はアレク王子に会う理由なんてないし。
会いたいと言われたって、その理由は政治的な理由じゃなくて個人的な理由。
それも『男性としての好意』だって言われて、じゃあ会いたいですか? と聞かれると、会いたくなるわけもない。
私は望んでリック様の妻になった女だもの。
とはいえ、私の存在がある意味でアレク王子への切り札でもある事実は理解している。
頑なに面会を拒絶して、リック様たちを困らせようとは思わない。
ただ、相手に思われたからって私が心を動かされるなどと思われたくもない。
特に私を望んでいると公言するような相手なら余計に。
面会にはリック様が私の隣に立つのは当然とし、護衛もきちんと連れていく事になるわ。
捕虜のなかでもアレク王子の扱いは違う。
後々の関係もあるからね。
彼は今、監視がきちんと警戒した屋敷の中の一室に軟禁されている。
見た記憶はないけれど、王都にあるという『貴人牢』と似たようなものよ。
そして先に騎士が入り、室内で彼に簡単な拘束をしてから、リック様と共に部屋に入る。
「…………ああ」
片目を失い、少し痩せ始めた男性が私を見て、残った片方の目を見開いた。
「シャーロット……」
私は、リック様の隣で彼の姿を見つめる。
その姿に感じるものは…………ない。何も。
「はじめまして。ベルファス国の王子殿下」
私は、一人の貴族夫人として最低限の礼儀を取る。
これが私と、彼の出逢い。
味気もなく、色気もなく。思い入れもないものだったの。
◇◆◇
「……俺のことを覚えているか?」
「いいえ。調書で貴方からの主張は窺っていますが、私に貴方の記憶はございません」
「……そう、か」
「ただ」
私は隣の席に座ったリック様に視線を向ける。
機密情報でもある。
ここには辺境伯家の騎士もいるけれど……。
リック様はコクリと頷いてくれた。
「私には【記憶魔法】という力があります」
「……記憶?」
「ええ。己の記憶を代償、『燃料』にして、何らかの不可思議な事象を引き起こす魔法ですの」
「記憶を代償に……。ああ、それで」
「ええ。お察しの通り。隣国から見れば、レノク王国では『異常』なことが起きていたのですわね? 誰にも認知されることもなく……」
「……ああ。驚いたよ。
ハロルド王子の婚約者、シャーロット・グウィンズ侯爵令嬢。
部下からの連絡が途絶え、レノクの情報が入らなくなってから数か月。
君の存在なんてなかったかのように、王子の新たな婚約者の発表があった。
その件について問い合わせても『シャーロットなんていう者はいない』だ。
その記録もない」
「……そうですか」
記憶を持った隣国の者の証言。
これで私の正体は、本当に確定した。
「今の私には、以前の記憶が母を除いてありませんでした。失った記憶の中に、貴方も居たのかもしれませんね。王子殿下」
「……そうだといいな。ただ本当に忘れていただけの可能性もある。君が魔法を使わなかったとしても、だ」
「そうなのですか?」
それは驚きの事実だ。
『記憶を失った』という事そのものが大きく、すべてはそこに封じ込められてしまったから。
「……俺と君が出逢ったのは、ほんの幼い頃の話だ。王妃教育と合わせて多忙だったシャーロット・グウィンズは歯牙にもかけていなかった可能性は高い。
もちろん、外交で必要として、王子としての俺を記憶していた可能性はある」
「幼い頃……。何か特別な思い出でも?」
「……いいや。俺の一方的な片思いだった。ただ出逢っただけ。少し話をしただけ。むしろ……君には少し警戒されていたぐらい」
「警戒?」
コテンと首を傾げた。
幼い王子と会って、何を警戒したのかしら。私は。
「一目惚れだった。俺は当然に、君を俺のものに出来ると思った。……そういう態度だったんだ」
「……ああ」
それはあんまり好ましくないわね。
幼いと言っても、どのぐらい幼かったか分からないけれど。
「それに、俺と君の出逢いが『運命』だと肯定するやつも居たんだ」
「運命ですか?」
「……王子の片思いなのだから、君の近くに居る人間が肯定するのは当然では?」
リック様が指摘なさる。
私も同じように考え、うんうんと頷いて同調したわ。
「違う。そういう手合いじゃあない。言ってしまえば……『予言者』だ」
「予言者?」
「ああ。魔法使いがいるんだ。予言の魔法を使えるやつが居たとしても不思議じゃないだろう?」
「……それは」
そうなのかしら?
でも、私もリック様も、そしてアレク王子も魔法が使える。
普通の人間にはない力であるのは明白だ。
ならば、その予言者も。
「ただし、その予言者は別に予言の魔法を使えるわけではなかった」
「……どういうことですか?」
「…………おかしなことを言うと思うかもしれないが。ヤツは、この世界の人間じゃあなかった。と言っても悪魔だとか、そういう存在じゃない。
こことは『異なる世界』から来たもの。
前世。その魂が生まれる前の生命があり、その記憶を持っていた女」
「女……」
「その女には、この世界の知識が生まれながらにしてあった。
『前世のある女』だ。その前世の中では……物語が伝わっていて。
俺たちの歴史を、そして『未来』を知っていた」
「……なんですか、それ?」
「君はそんな話を信じたのかい? アレク王子」
「信じざるを得ないな……。それだけの情報を、ヤツは持っていた。
もちろん疑いはしたさ。
俺や王家に取り入ろうとする人間なんて沢山いる。
だが、敵国や貴族からの間者にしては、あまりに間抜けだったんだ」
「ま、間抜け?」
「人間として優れた部分は何もない。あるのはその知識と……魔法だけ。
ヤツの魔法は【鏡魔法】といって、鏡を媒介にして様々なことが出来る力があった。
その魔法だけはたしかに優秀だったが……。
使うヤツの頭が優れていない。
『お花畑』と言って通じるか? そういうヤツだった」
「ええと」
どういう人かしら、それって。
「……ヤツの話を信じるなら、ヤツは何者でもない、『ただの平民』だったんだ。
多少は学があると言うが、地頭がよくなく。
さらに環境が良かったと言っても、自ら率先して学んできた者でもない。
『学園に通えと言われて入ったが、別にそこで勉強する気が全くなかった平民』……だった」
「……それは」
「勿体ない人だな。平民で学ぶ機会を得られるなんて、ベルファスでもそうないはずだけど」
「だから『異世界人』なんだろう。俺たちとは違う国で育った平民だ。
両国よりも発展した文化を持つ国の記憶があるようだったが……。
何を成したわけでもない。
また深く学んだわけでもない。
発展した文明に至る歴史も知らないし、あらゆる技術が成立した知識があるわけでもない。
……まさに平民と言えたな。
実態の伴わない知識は、まるで絵空事だ。理想だけが高い、机上の空論を説かれている気分になる。
もしも、あの女に絆されるような王族が居たとしたら、国が目も当てられない事態になっていただろう」
「まぁ」
ベルファス王国が、そんな風に混乱したとは聞かないわね。
なら、彼はそんな風に傾倒したわけではない?
「……レノクが本来は、その『バカな国』になる予定だった。
それは俺が画策したという意味ではない。
シャーロット。君から婚約者を奪った女が居たわけだが……」
「え」
「……今、隣にいる男ではない。ハロルド王子のことだ。奴には『恋人』が居たんだろう?」
「あ、そちら」
それからアレク王子が語ったのは『物語』だったの。
鏡の魔女となった女性から聞いた物語。
それは他ならない『私』を主人公とした物語だったらしいわ。
アレク王子は、最終的にはその彼女を牢獄に入れ、尋問してまですべての情報を吐かせたらしいんだけど……。
そこで彼女が語ったのは、本当にただの物語。
この世界について、この世界の未来についてのお話だったのだけれど。
大きく異なっていたのは、まず殿下の恋人らしいわね。
殿下の恋人。名をマリーア。マリーア・レント男爵令嬢。
魔女が語るには、彼女こそが本来、その『転生者』だったらしい。
でも実際のマリーアさんはそうではなかったらしいわね。
代わりに、その鏡の魔女さんは……私の『親友』になる予定だったとか。
殿下に婚約破棄され、国外追放され、隣国に流れ着いた私は平民として暮らし始めた。
そこで出会うことになるのが、その鏡の魔女で……。
(平民になったタイミングとしては、そうズレていないんじゃないかしら?)
アレク王子からして、それは確かに予言だと言えたらしいわ。
でも私からしたら何もかも違う。
平民の私に出来た友人、親友と言えるのはメアリーやアンナといった優しくも普通の人たちだった。
転生者ではなかったマリーアさんは、王子を篭絡し切れず、レノク国内を荒らせなかった。
それでも『婚約破棄』の行われる夜会までは、その予言は確かに間違いなく実現していて……。
「……婚約破棄されてましたのね、私」
色々な話は聞いたけど、そこが一番重要なことだわ。
「じゃあ、リック様と婚姻を結んだことについて、王家に何かを言われる筋合いもないのね」
記憶を奪ったことはさておき!
でも、話を聞く限り、むしろレノク王国にとっては良いことをしたんじゃないかしら?
まぁ、アレク王子の話を真に受けるのも、その鏡の魔女の話を真に受けるのも違うと思うけど……。
「……そこが一番気になるところか?」
「ええ。まだ契約が続いていると言われたら、争う必要があったもの。
でも、あちらから婚約破棄を突きつけられていたと言うなら……ふふ。
元から憂いはなかったとしても、さらに憂いがなくなりました」
その点だけで言ってもアレク王子の話を聞いて良かったわね。
リック様との仲を邪魔される筋合いは誰にもないということ。
「すべてを信じるには足らないが、無視はできない『物語』か。先程から聞くに、私の名は出なかったようだが」
「……そうだ。『登場人物』ですらない。だが現実はこうだ。
現実こそがすべてだった……」
「それは私もそう思います。アレク王子。貴方にとって私は『物語の人物』だった」
現実に手を取り合うことのない。
婚約破棄された私を救ってくれる隣国の王子様という夢、幻。
その夜会の場で私が絶望していたなら、或いは奇跡のような救いだったのかもしれない。
「お話を聞く限り、物語の中の『私』は【記憶魔法】を持っていないようだけれど」
「……そうだな。そんな話はヤツの口から出たことはない」
そう。物語の私は、お母様から継いだ魔法がなかった。
だから、きっと。
「それは『私』ではないわ。アレク王子。
現実の私は、貴方の助けも、物語の中の『親友』も必要じゃなかった。
……それがなくても良い縁に恵まれたわ。
今の私は、貴方たちを必要とはしません」
「…………そうだな。分かっている。だが……」
彼は、気落ちした様子であっても、なお私をまっすぐに見つめて。
「シャーロット・グウィンズ。
君を好きになったことを、俺が後悔することはない」
「…………そう」
本当に。私のことが好きだったのね。彼は。
それが一方的だったのだとしても。
私にとっては迷惑なことだったとしても。
「……記憶を消せる魔法、か。俺にもその魔法を使うつもりだったんだろう?」
「ええ。リック様と話し合ってね」
「……鏡の魔女について、洗いざらい話したのは、俺からの『命乞い』だ」
「…………はい?」
命乞い?
「『お願い』申し上げる。パトリック・ディミルトン卿。
そしてシャーロット・ディミルトン夫人。
……俺から『シャーロット・グウィンズ』の記憶を……奪わないでくれ」
「っ!?」
アレク王子は、私たちに向かって頭を下げて見せたわ。
私たちだけじゃない場所、騎士たちも揃った場所でよ。
けしてプライドのない男性ではないと聞いている。
そんな彼が、きちんと頭を下げて、懇願してきたことに驚いたの。
「……貴方たちには、もう必要のない記憶なのだろう。
もう以前の彼女と、今の貴方は違う想いを抱いているのだろう。
ならば。
どうか、俺に『シャーロット・グウィンズ』の記憶を残してくれ。
レノク王国に住む者たちは……誰もが君のことを忘れてしまった。
国外に居た者は、貴方の【記憶魔法】の影響は薄かったが……。
レノクの国外に居て、誰よりも『シャーロット・グウィンズ』を想っていたのは、記憶していたのは……俺だと自負している」
「それは……」
そうかもしれないけれど。
「二度と、君の前には現れない。
……俺は『物語』の君に囚われた愚か者かもしれない。
だとしたら……俺は、その物語に殉じる。
鏡の魔女、カトレア・ウードワットが語った物語の中で俺が愛したのは『シャーロット・エバンス』でもなく『シャーロット・ディミルトン』でもない。
俺の愛した『シャーロット・グウィンズ』が生きていた記憶を……どうか、俺に預けて……ください」
再度、頭を下げるアレク王子。
……私の【記憶魔法】は、都合よく相手の記憶を奪えるものじゃない。
私自身の記憶を消すことは出来るけど、相手から奪えるのは『私の記憶』だけなの。
天秤に乗せる記憶は常に私でなくてはならない。
リック様は『罰』として考えていた、彼から私の記憶を奪うことだけど……。
話を聞く限り、アレク王子の積み重ねてきた記憶から、私の存在を抹消し尽くすのは無理じゃないかって思っていたのよ。
黄金の天秤の秤に載せられるほど、私にはアレク王子に対する『記憶』がなかった。
……それがすべてかもしれない。
私と彼には想いの差があり、両想いにはならなかったのよ。
「リック様」
「ん。シャリィが決めて。魔法で失われるのは君の記憶だ。それにあの時の言葉は……君の夫としての独占欲もあったから」
「まぁ」
たしかに国を動かすほどに執着されていたのだもの。
その記憶を失ってもらった方が、とは思う。
だけど時間が経って落ち着いたアレク王子は憑き物が落ちたような様子で。
(物語の中とは違うけれど、ハロルド王子がもしも私の記憶を失わなかったら……そう考えると)
2人の王子と関わっていた私。
ハロルド殿下からは記憶を奪って『良かった』んじゃないかと思えた。
前の私がどれだけ苦しんだのかは分からないけれど。
結果論として、それは国を守ることに繋がったの。
「もしも」
「はい」
「もしも、彼がまた君を奪おうとしたのだとしても。俺は君を奪わせないよ、シャリィ」
「……リック様」
彼が私の手を優しく取ってそう告げる。
そうね。そう。
「ふふ。分かったわ。リック様には私を守って貰います。
だからアレク王子。貴方から記憶を奪うことは……しません」
物語の中の『シャーロット』は不満を覚えるかしら?
彼こそが自分の運命だったと思うのかしら?
だけど『前の私』の気持ちだけは残っている今の私は……やっぱりリック様と出会えてよかったとそう思うの。
「……ありがとう」
「ええ。これで、さようなら、ね。アレク・サミュエル・ベルフェゴール」
「……ああ。さようなら。シャーロット・ディミルトン」
これで、終わり。
色々なことの決着がついたのよ。
幼い頃からの『叶わなかった恋』を胸に、彼にはこれからも生きて欲しいと思う。
国王にはもうなれないかもしれないけれど。
優秀だという彼の居場所は、まだ残っているのだろう。
この戦いと決着は、きっとアレク王子にも必要なことだったのよ。
「ところで、その『鏡の魔女』はどこにいるんだい?」
と。さよならを告げた後で、リック様が話を続けてしまったわ。
ちょっとズレてしまって、なんだか恥ずかしいじゃない。
颯爽と部屋から去るつもりだったのよ。
「……ああ。ヤツなら『逃げた』よ」
「逃げた」
ええ……? そこまでして?
かなりアレク王子に近しい場所に居たと思うんだけど。
「ヤツに信用されなかったのは分かる。俺もヤツのことを心底は信用してなかった。
待遇に不満があっただろうことも理解できる。
違う国から来た以上は、文化的な差異で苦しんだこともあるだろう。
……だが、あれはもう少し、バカだ」
「ばか?」
アレク王子は頷いて見せる。
「学ぶ気のない平民だと言っただろう。
ヤツにとっては俺以上にこの世界は『物語の中』なんだ。
だからシャーロットが俺の妻になることを疑っていなかったし。
それにレノクを落とすことも、それで被害が出ることも視野に入っていなかった。
あったのは『主人公』であるシャーロットの『親友』となって安寧を得ることだけ。
『こうなるはずだ』という考えが捨て切れない女。
その予定と異なることを受け入れていない。
……俺たちよりも、上から見下している。
表には出さないが王族すらも、だ。本人がそこまで意識しているかは分からない。
ただ心にはあるんだろう。
『古い文明の野蛮人たちが』という見下しが。
俺たちが未開の森に住む一族を蛮族と罵るように、ヤツは俺たちを見下している。
価値観が……違うんだ」
「……恐ろしい人なんですか?」
「いや……。魔法は使えるが、本当にただの小娘だと思っていい。
ただ、この状況になって、俺から逃げた。従うフリをして。
……敗北した以上、それは責めることでもないが。
あの女は、俺が『主人公』だから手を貸していたんだ。
ヤツの中で、逃げた時を以て『そうではなくなった』。
長々と荒唐無稽なことを話した理由はこれもある。
パトリック卿。あの女のことを警戒して欲しいと願う」
「警戒ですか」
「ああ。あの女が、俺の次に狙いをつけるのは間違いなくシャーロットだから」
「……私?」
「ああ。……物語の中には『転生者』とやらが現れた。
だが、その『転生者』は、件のマリーア・レントにはとり憑かなかった。
レノク王国を滅びに導いたはずの、転生者。
シャーロットも、そのマリーアも、パトリック卿にも、そんな『転生』の兆候が見られないなら。
そして、この世界に、その物語が影響を及ぼすのなら。
王国を滅ぼす『転生者』の役割を持つのは……」
こうして。
アレク王子との最初で最後の対談は終わったの。
あとはレノクの王都へ移送し、対応を委ねるだけ。
彼から私の記憶は奪わなかった。
私の忘れてしまった『シャーロット・グウィンズ』の記憶を抱いて……私とは違う場所で生きていく。
交わらなかった運命に後悔はない。
少なくとも私にとっては。
私が愛する人はパトリック様だけだから。
様々な問題を片付けて、私たちの時間は進む。
国境の戦いの功績と、また私たちの状況を踏まえて……。
ディミルトン辺境伯夫妻は、爵位をパトリック様に譲られることを決意されたわ。
といっても引退というより、パトリック様の立場をしっかりと固めるためね。
婚約や婚姻が遅れたからこそ、西側に不安を抱かせてしまっていた。
手柄を上げた上での爵位継承は、きっと西側の民に良い報せとなっただろう。
パトリック様が辺境伯になったことで、これで私も『辺境伯夫人』という立場になったわ。
確かな身分を得た私たちが最初にすることは……ハロルド第一王子殿下の立太子式への参加。
夜には夜会もあり、その夜会の会場は、私が『婚約破棄』をされた場所らしい。
その記憶はないけれど、因縁の場所と言えるわね。
私とパトリック様は馬車に乗り、ゆっくりと王都への道を行く。
警戒していた鏡の魔女カトレアからのアプローチはない。
「あれが、王都なのね。リック様」
「ああ。シャリィ。そうだよ。……おかえり?」
「ふふ。いいえ、私の帰る場所は、ディミルトン領ですわ」
私は、レノク王国の王都へ、『初めて』訪れたのだった。
次回で最終回を予定。
ちょっと、更新に時間が掛かるかも。
今週中には完結したいと思います。




