後編
光に包まれた夜会の会場。
「うっ……」
一体、何が起きたのか。少しの時間を置いて、場が混乱したざわめき声で埋められる。
「ハロルド殿下。大丈夫ですか?」
「あ、ああ……今のは一体?」
俺は、ともかく殿下の安全を確認した。
近衛騎士としての務めがあるからな。
とりあえず殿下と、彼の傍に居たマリーアは無事な様子でホッとした。
「分かりません。一体、何が起きたのか」
夜会の会場が光に包まれたんだ。ただ、それ以上の何が起きたのかは分からない。
(あれ……?)
尚も混乱している周囲の人々を見回した。
キョロキョロと……顔を動かし、会場に居る貴族子女達の顔を確認する。
「どうした? ゼンク」
「いや」
(なんだ? 何か違和感があるような)
俺は何かを探していた。だが何を探しているのか分からない。
(ようやくなんだ。ようやく、もう少しで夢が叶う。手に入る)
と。そう思った。筈……なのだが。
(夢ってなんだ? 何が手に入ると言うんだ)
何かの達成感を感じていた。周りはそういう空気ではなかったから合わせていたが、俺だけは内心で一つの達成感や、希望を抱いていたんだ。
しかし、それは一体、何であったのか。
「殿下。何が起きたか分かりませんが……。どうしますか? 夜会を続けますか?」
「夜会? あ、ああ。そうだな。皆、楽しみにしていたのだから……それに門出でもあるし」
「門出?」
そう、門出。祝うべき日の筈だ。
少なくとも殿下にとってはそうだったし、俺にとっても。
だが、その理由は?
「……?」
尚も何かを探すように会場を見渡すのだが、結局、その何かは見つける事が出来なかった。
「皆、すまない。何か……うむ。妙な事が起きたみたいだが。体調を崩した者はいないか? 遠慮せずに申し出てくれ。マナー違反などは問わない」
殿下が混乱する事態を収拾するように声を掛ける。
特に気分が悪いというワケじゃない。
ないのだが。
「それでは。今日は夜会を楽しんでくれ」
夜会の開始の挨拶を殿下が済ませた。そう。その為に殿下は皆の前に出て話していたんだ。
「……?」
何もない。すべて滞りなく。夜会が始まった。
思い思いの相手とダンスを踊り始める学園に通う貴族子女達。
「マリーア。私と踊ってくれるかい?」
「ハロルド殿下! はい! 喜んで!」
ハロルド殿下は、かねてより親交を深めていたマリーアをファーストダンスに誘った。
(ああ、やはりマリーアがハロルド殿下の婚約者になるのか?)
殿下はこの歳になっても婚約者が『いない』。
まぁ、俺も相手が居ないけどな。
でも、それでいいんだ。
殿下が『彼女』を傍に置き、そして俺はそんな『彼女』を守る騎士になる。
そんな風に考えて今日まで生きてきたんだから。
(ん……?)
何か引っ掛かるものを感じた。
それではまるで俺がマリーアを好きだったみたいじゃないか、と。
いや、好きだった、か?
たしかに彼女に告白まがいの事をした覚えがある。
いや、でもそれは彼女の気持ちを確かめる為であって。
「……何なんだ」
納得いかない想いを抱えながら俺は、職務に戻っていった。
殿下の護衛を務めつつ、例の光事件についての調査をする。
動いているのは殿下直属の者ばかりではない。
どうやらあの光は、あの日、国中を覆ったらしい。
確認の時間は掛かったが、果ては辺境まで光が届いていたとか何とか。
また光が発生したのは、おそらく王都側である事が分かった。
ただし、原因は一切不明。
また特に何かが壊れたとか。人的な被害は発生していないようだ。
(自然現象? にしては建物の中にも光は届いていたしな)
ただ光が国中を覆った。それだけの事件。
特に実害はなかったと言えるが……。原因が分からないというのが怖いな。
これと言って、大きな事件もない日々。
変化があるとすれば。
「うん? どうした?」
「はい?」
顔をあまり知らない文官がハロルド殿下の執務室の方へ歩いていくのが見え、俺は声を掛けた。
ただ警戒するような相手ではなく、しっかりと王宮に勤める文官に違いないようだ。
「書類をハロルド殿下に運ぶ所です」
「うん……? いつもの者は休みか?」
「はい? いつもの者? この仕事は、いつも私がやっておりますが」
「うん?」
そうだったか? そうだったかもな。いや、でも。
「そう、か?」
「はい。では失礼致します」
「あ、ああ」
文官の態度に怪しい素振りはない。
ただ、一応、それ程、知っている相手ではないからその挙動を見守って。
「それではハロルド殿下。こちらをよろしくお願い致します」
「うむ」
……特に何の問題もなく、書類を置いただけで彼は去っていった。
(なんだ?)
何もなかったな、と。拍子抜けしたように思った。
ただ、この違和感を感じる出来事はその後も度々起こる。
何人か見知らぬ、とまで行かなくともあまり知らない文官が頻繁に殿下の執務室を訪れるのだ。
(ああ、分かった)
その内に気付いた事がある。
彼等の内の数名は、いつかハロルド殿下が疎ましそうに遠ざけた者達だ。
久しぶりに彼等が殿下に会うという事が違和感の原因だったのかもしれない。
とはいえ、そこは仕事だ。
文官達も特にハロルド殿下に疎まれた恨みなど見せず、淡々と仕事を持って来た。
「あれ?」
「ん?」
「どうした?」
執務室に訪れる新顔の文官の一人が首を傾げる。新顔と言っても、あまり殿下の傍に顔を出さなかっただけで前から王宮で働いている者だが。
「……ご説明は不要ですか?」
「は?」
「いえ。いつもこの案件については、細部の確認をなさっていたかと」
「うん? どの案件だ」
「ええと、今お運びした……」
「これか? 細部の確認? そんな事をした覚えはないが」
「あれ? そんな筈は……」
「何か別の仕事と間違っているんじゃないか? 私は、そんな説明など求めた事はないぞ」
「そう……ですね。確かに殿下がそうおっしゃったことは……なかった、です」
「だろう? もう下がっていいぞ」
「は、はい。失礼致しました」
釈然としないという面持ちで文官は去っていった。
「……今日は数が多いな」
と。ハロルド殿下がぼやく。
「この仕事は、……、に、ん?」
「どうされましたか?」
「い、いや。なんでもない、私の仕事だな、と思っただけだ」
「はぁ……? それは、勿論そうだと思いますが」
何を言っているんだ? と首を傾げた。
殿下がやらなくて誰がやるのかと。そう呆れてから。
いや、どうなんだ? 何かが違うような。
だが何が違うのかが今いちピンと来ない。むぅ? 一体何なんだ。
あの光事件から、ずっとモヤモヤとした気持ちが残っている。
それに、何か仕事に張り合いがないと言うか。
……あの日まで高まっていた気持ち、情熱。
俺の中での大切な理由が、すべて失ったような感覚だ。
(俺は何故、殿下付きの騎士になったんだったか)
漠然とそんな事を考えた。疲れているのかもしれないな。
王宮で用意された騎士用の部屋に帰り、一息つく。
「…………」
余計な物を取り払って、着替えもせずにベッドに横になった。
「……、マリーア」
俺は、これまで彼女の為に騎士をやって来た。
「いや……」
違う。違う違う。そんな筈はない。
だってマリーアと会ったのは学園での生活も半ばを過ぎた頃だ。
だが、彼女以外に剣を捧げたいと願った相手が居たか?
(俺は、何の為にハロルド殿下の近衛を志願したんだ……)
ポッカリと理由となる部分を失ってしまった気がする。
こんな事なら、さっさと父上に頼んでどこかの令嬢との縁談を進めて貰えば良かった。
次代の王の側近に伴侶が居ない、というのも外聞が悪いし、いずれ世話はして貰えると思うのだが……。
それを言えば、侯爵家の次男なのだから父親に頼めば……いや、頼まなくても縁談ぐらいは持ってきてくれた筈だった。
父の申し出を断ってきたのは自分だ。
(何故)
今まではそれでいいと思っていたのだ。
マリーアの傍に居られれば、それで。
(違う)
あんな女、別に好きでも何でもない。
なんで告白なんて馬鹿な真似をしたのか分からない。
確かに、誰かに比べれば可愛らしい事もあると思った事はある。
殿下が惹かれる理由も理解できていた筈だ。
だが、断じて俺が好きだったのはマリーアではないと。
(しかし)
彼女が俺の理由だったのは確かだった。
だって、それ以外にない。
ハロルドの傍に仕え、そうして彼の傍に侍る彼女を守る騎士になりたいと願ったんだ。
それには違いないのに。
(どうして。どうして)
手に入る筈だった。手が届く筈だった。
何か大切な理由に……あと少しで手が届く筈だと思っていたのに。
スルリとすり抜けていった。
(俺は何かを間違ったのか? だが、一体、何を間違ったんだ)
喪失感が拭えない。
俺の日常からは何も欠け落ちてはいないのに。
欲しかった何かに手を伸ばそうとして、そんな物は最初からなかったのだと突きつけられた。
「あ……」
ベッドの上で騎士服を着たまま横になりながら。
俺の頬を涙が勝手に零れ落ちた。
……後悔しても『もう遅い』のではなく。
俺は、後悔さえも出来ないのだと……泣きながら悟った。
その理由すらも、どこかに見失ったまま。
「なぁ、ゼンク」
「はい。ハロルド殿下」
それから月日も流れ、俺達は学園を卒業した。
殿下は念願だった学年首席を一度は取ったものの、締め付けのキツくなった陛下の教育方針に時間を忙殺され、すぐに成績を落としてしまった。
だが、殿下が首席の座に居るのは何か違和感もあり、むしろそんな成績で卒業しなかった事はハロルド殿下にとって良い事だとさえ思った。
「マリーアの事なんだが」
「はい」
最近のハロルド殿下はマリーアと良好な関係を築けているとは言い難い。
学生時代は、まだ時間と心の余裕があったからか逢瀬を楽しめていた様子だが……。
王子として忙しい殿下は、彼女との関係を深める機会を見失っていた。
学生気分、というのはやはりあったのだろう。
いざ、学園を離れてみるとあの頃あった情熱のようなものが冷めてしまった、と。
まぁ、よくある話だ。
普通、我が国ではそういう関係で燃え上ったのなら学生時代の内に婚約を決め、卒業した数年後には結婚する、という流れがある。
そうでなくとも、もっと幼い時分より婚約者が決まっている事なんてざらにあるからな。
ただ、殿下は王子という立場がある故に。
またマリーアが男爵令嬢という身分の差がある故に、婚姻の機会を逃していた。
「彼女を私の『妃』に据えるのは難しいと思う」
「そうですね……」
殿下は王族として子を作る必要がある。
その為、正妃との間に子が出来ればそれで良いのだが……。
側妃を娶る事も赦されている。
この側妃という立場は、正妃より劣るが、社交界などの公の場に出る事も赦されている。
また政務に対する参画権もあり、場合によっては王妃の代わりを務める立場の者だ。
『妃』と名のつくこの二つには政治的な権力がある為、その役割を与えられる女性には相応の能力が求められるという事だ。
そしてマリーアには、この『妃』の座は与えられない、とハロルド殿下は判断した。
おそらく国王陛下達もそうなのだろう。
せめてハロルド殿下が彼女を強く推す姿勢であれば、賛同する臣下も居たかもしれないが……。
(あの扱いではな……)
寵愛があるとも言えない立場だ。
それでは腹に考えがある者でも利用すら出来まい。
そんな事も殿下が計算づくであったなら救いはあったかもしれないが。
……まぁ、ないだろうな。
「そこでだ。ゼンク。君は……以前、マリーアに愛の告白をした事があるだろう?」
「えっ。はい。そう、ですが」
アレは気の迷いだった。
よく考えれば、あんな手段を取る理由などなかったし。
自分でもどうして、あんな事をしたのかよく分からない。
「ゼンク。君、まだ婚約者が居ないだろ?」
「はい。えっ?」
まさか。
「マリーア・レント男爵令嬢を……ゼンク・ロセル。君の婚約者に据えるのはどうだろうか?」
「…………は?」
殿下は何を言っている。
主君になる立場の、その恋人として扱われた女をあてがわれる?
それはないだろう。
「安心して欲しい。私が彼女と二人きりになった事はない。つまり、彼女に女性としての……妻としての傷は与えていないという事だ」
「ちょっと待って下さい。殿下。どうしてそうなったんですか?」
おかしいだろう。それは話が飛び過ぎだ。
「たしかにマリーアに『妃』の座を与えるのは難しいでしょう。ですが『愛妾』の立場になら囲ってやれるのではありませんか?」
「私もそう彼女に言ったし、説得も試みたが。いつまでも『愛人』になるなんておかしい、とね。それが彼女の価値観なんだ。王子の愛妾になるよりも、誰かの正式な妻になりたい子なんだよ」
だからと言って。
「それで何故、自分の婚約者に、となるのですか?」
「ああ。私の愛妾がどうしても無理だと言うが、やはり妃に据えられない事は事実だ。このまま関係をズルズルと引き延ばしても、彼女にとってそれは不幸な話だろう? だからね。信頼できる者に任せられないかとな」
「……それが自分だと?」
「ゼンクは、私に堂々と言ってのけただろう? 私が目を掛けている事を知っていて尚、自分の気持ちを偽らなかった。だからゼンクの事を私は信頼している。マリーアの価値観がそうだと言うのなら……やはり彼女を愛する男の、一番の存在になる方が良いのではないかと考えてね」
「…………」
嘘だ。ハロルド殿下は、おそらくマリーアの存在をもう邪魔だと感じているのだろう。
学生時代は確かに燃え上っていたが、やはり妃に据えられるだけの力がない事は変わらない。
その上、愛妾の座も頑なに断る態度のマリーアに、もう情熱が冷めてしまったのだ。
だから厄介払いの為にマリーアを俺に押し付けようとしている。
これが長年、傍に仕えてきた俺に対する仕打ちか?
しかも男爵家の令嬢で、自分の『お下がり』を下賜するような真似。
侮辱しているにも程があるだろう。
「だってゼンクは、前からマリーアの事を愛していたんだろう?」
「~~ッ!!」
違う。違う違う、違う!
俺が愛していたのは! 愛して……いた、のは……。
(…………誰、だ)
俺が愛していた女性は、誰だった?
それはマリーア、だったのか……?
思い当たる女性がマリーアしか居ない。だけど、そんな筈がない。
そんな筈がないと思いながら……他に居ないのだから、そうに違いない、という思いが浮かぶ。
ハロルド殿下も、心底、俺を見下しているのとは違うのだろう。
俺の気持ちが今も尚、マリーアにあるとそう確信しているからこその打診だ。
「……考え、させて、下さい」
「そうか」
「……殿下は、無理矢理にでもマリーアを『愛妾』として囲う気は……ないのですか?」
「愛妾なのに無理矢理に囲ってどうするんだ。いや、もちろん、そういう王族だって居たかもしれないが。マリーアをそうまでして囲い込む、というのもな」
やはり、殿下の彼女への気持ちは冷えている。
ただ情が全くなくなったワケでもないから、今の曖昧な態度で、彼女の立場になっていったんだ。
結局、マリーアを交えて今の話をしたが……3人が3人とも、前向きな答えは出さなかった。
マリーアの方もここまでの態度を示されれば、いい加減、王子への思慕を失っても良いだろうに。
(一途、と言えば聞こえはいいが)
諦めが悪いとも言える。
その気持ちは分からなくはなかった。
彼女の様子からするに『妃』という座に執着しているのとは違うだろう。
ただハロルド殿下を本当に慕っていて。
彼を手に入れられる事を諦められない。
(それでも『愛妾』という立場にならなれるのだから救いがあるだろうに)
男と女、そして王族という身分の違いだ。
たとえ『彼女』の一番になれなくとも、傍に居られるのなら。
そうして情さえ交わし、或いは『彼女』が俺との愛の結晶を認めてくれるのなら。
それだけで幸福な気持ちになれるだろう。
女々しいと言われそうな価値観だ。
だが、俺にとって『恋』というものは諦めと共にあった。
相手の一番になれないなんて当たり前の話で。
だから懇願し、見捨てないでと駄々をこねる稚児のように。
『彼女』にすがるしかない。
男が『彼女』の『愛妾』になんてなれるのなら、どれだけの救いがあっただろう。
そんな事はありえない。
次代の王族を生まねばならない立場の女性に、他の男なんてまったく必要がなくて。
むしろ、あってはならない事だ。
それがどれだけの絶望なのか、マリーアは知らないのだ。
身の程を弁えているなら、その立場で満足すべきだというのに。
(ああ、まただ……)
一体、何の話なのだろう?
最近になって決まった殿下の婚約者、ソフィア様の話か?
バカな事を。それこそマリーア以上にそんな気持ちを彼女へ抱いた事はない。
だというのに。いつまでも胸の内を焦がすような、喪失感を消す事が出来なかった。
そして。
そして。
「──新婦、シャーロット・エバンスの入場です!」
(ああ……)
答えを知った。
ようやく辿り着いた。
俺は『また』恋をした。
そして、恋に落ちると同時に、やはり『失恋』もした。
俺は、いつもそうなんだ。
好きになる女には、いつも俺以外の誰かが傍に居て。
恋と同時に失恋を知る。
だけど。
だけど。
幸せそうな彼女を見て。
ようやく、俺には……『終わり』が訪れた。
俺の手が届くなんて夢を抱く事はない。
がむしゃらに、小賢しく立ち回る意味も、もうない。
誰かを傷つけてまで欲しかった何かは、二度と手の届かない場所へいった。
手の届きそうな場所にあるから諦め切れなかったんだ。
何が理由だったのかを覚えてさえいないけれど。
ただ、この日。
本当の意味で俺は……何かを失った。
「……おめでとう、ございます」
初めてお会いした一組の夫婦に向かって。
俺は、誰にともなく、小さな声で……そう呟くのだった。