29話 罠
「…………」
ガタガタと馬車が揺れる音がする。
私は、ある場所へ移動していた。
手に持った手紙に視線を落とす。
その手紙にはカルミラさんが、私に会いたいという旨が書かれていた。
「打ち明けたいことがある、か」
カルミラさんの手紙にはそう書かれている。
今、私は彼女が呼び出した場所へ向かっているのよ。
交流会で西側貴族に次の夜会の開催を発表して。
日々はあっという間に過ぎていく。
夜会までもうあと少しという時期になって、沈黙していたグレゴリー家が動いた。
……グレゴリー子爵夫人は、交流会のあった日から家に帰っていないわ。
きっと、その事でより追い詰められているのでしょう。
「…………」
一つの家を潰すことになる。
一人の令嬢の未来を奪うことになる。
目をつぶれば、彼女もまだ幸福を掴める可能性が残る。
それでも。
(私とカルミラさんは、一つ違えば逆の立場に立っていたかもしれなかった)
私が現れなければ、彼女はリック様の隣に立てていただろうか。
だけど、その場合、彼女に幸せに過ごせる時間はどれだけあったのか。
運命の違った、もう一人の私。
「……そう言える人は、もう一人いるわね」
平民上がりの、貴族令嬢。
王子殿下の『恋人』がそうだった。
元平民の、次期辺境伯夫人として王都に赴いた時。
あちらから声を掛けてくるだろうか。
それは同じ平民上がりとしての『共感』か。
或いは『嫉妬』になるか。
その時が来るまで分からない。
ガタガタガタ。
馬車が向かっているのは、グレゴリー家の土地だ。
ただし屋敷ではない。
内々で話したい事、相談したい事があるというのがカルミラさんの望みだった。
「まぁ、……けどね」
この手紙を受け取るまでに、実はもう一つ事件が起きている。
それは『茶髪の男』とやらが逃げ出したことだ。
それからカルミラさんからの手紙だけど、これは本人が書いたものだ。
筆跡を調べ、間違いないと判断した手紙。
(どこまでも。それとも彼女は)
どうか正しい判断をして欲しいと願う。
瀬戸際なのだ。
それを分かっているからこそ、私は彼女の手紙通りの場所へ向かっている。
やがて、目的地の近くにまで辿り着く。
そこは以前のように人気のない場所ではなく、きちんと街の中だったわ。
ある宿屋に入る。
狭い場所で護衛を大勢連れていけないわね。
最低限、2人の護衛。
密談が目的のため、あまり目立たないように行動することになる。
私は豪華な服ではなく、それなりの衣服を着て彼女の待つ場所へやって来た。
宿屋の2階。
はたして待っていたのは……。
「……来てくれたのね。来ないと思ってたわ」
「ごきげんよう。カルミラさん」
宿の部屋に居たのはカルミラさんご本人だったわ。
部屋の中には他の人は居ない。ここまで一人で来たのかしら?
それはむしろ想定外ね。
大きくない宿屋の部屋。1階は食堂という、あまり貴族令嬢が使う場所とは言い難いところ。
(私はそれも苦ではないけれど)
カルミラさんが指定する場所としては意外でしょう。
「世間話をするような関係ではありませんもの。さっそく本題を聞かせていただけるかしら?」
部屋の中にあるテーブルを挟んだ椅子で、彼女と向き合う形で座る。
かなりやつれている様子ね。
前に私に絡んできた時の元気もなければ、リック様にフラれて傷心しているなんて段階でもなくなっている。
憔悴した様子の、彼女。
「……その、私」
「ええ」
「……私を、助けていただけません、か?」
「助ける?」
私は首を傾げる。
「私、私の家は」
「ええ」
そこでゴクリと唾を呑み込んで、おそるおそる言葉を紡ぎ出す。
「裏切り者なの……」
「ん」
裏切り者。
その言葉に私は確信を持つ。
辺境伯家という信頼できる、動いて貰える人手が出来た。
以前よりも私の元まで入って来る情報は多くなった。
それに『相手』の動きが荒くなる事情があったのだろうとリック様は予測していたの。
その原因は……私。
2年前、私の行使した魔法は、きっと思ったよりも多くに影響があった。
「何を裏切ったの?」
「……、……、この国を。裏切っているわ」
「……そう。具体的な証拠はある?」
「っ!」
抽象的な言葉に一切動じない私に対して、目を見開くカルミラさん。
「もしかして知っているの?」
「何をかしら? 打ち明けたい事があると言ってきたのは貴方よ。カルミラさん」
情も戸惑いも見せず、淡々と彼女に告白を促す。
もう甘える時間は過ぎているし、それなら相手を間違えている。
何故、その告白をするために私を呼び出したのか。
辺境伯家に睨まれているということで、頼れる者が居なくなっていたかもしれない。
「……私の父は、国の裏切り者、よ。隣国の連中と関わっていて……」
「ベルファス王国との交易は禁止されていないわよ? もちろんルールはあるけれどね。何故それが裏切りと思うの?」
「屋敷で、話を……聞いたの。家の敷地は……、国境からは離れてるし、険しい山を超えないと隣国になんて行けない、けど」
「……鍛えている者達なら辿り着けないことはない、のね」
「…………そうよ」
おおよそを描いた地図を見せて貰った事がある。
地図上だけで言えば、どうにかなりそうなルートかもしれない。
だけど実際のところを見ると……山越え・森越えをしなければならない茨の道。
辺境伯家に目を付けられずにレノク国内に入り込む為の険しい陸路。
女子供を連れて遊び気分などでは到底、成し遂げられないだろう踏破。
だけど鍛えられた者ならば?
大人数の移動は同様の理由で難しい。
だから、このルートを通ってレノクに入り込むのは少数精鋭。
山林には野生の獣も出るだろう。大型の獣だっているはず。
真っ当な神経をしているならば使わない歩み。
辺境伯家が管理する平地の国境を、正規の手段で越えてきた方がよほど効率がいい。
今回の件をきちんと洗い出すに当たって、何を疑うべきだったか。
そして何故、子爵家が、辺境伯家の婚姻に執拗に干渉していたのか。
カント伯爵家ごと調べる大作業だった。
今日まで時間が掛かったのは、そういった調査のせい。
「それで?」
「……屋敷には、ベルファス王国から来た、怪しい連中が集まってる。活動の……拠点にしてる。前までも……居たの。今まで気にした事なんて、なくて。でも、ここ2年ぐらい……家の様子がおかしくなってきてて」
(2年……)
「お父様は、苛々される事が多くなったわ。どんどん使用人も雇えなくなっていってて……。この1年でそれがいっそう……」
「家の状況が悪化していった?」
「……そう」
「……その原因について子爵は何か話していたかしら? 或いは夫人が話していた?」
「家の資金はすべてお父様が管理していたの。でも、こんなにどんどん悪くなっていくなんて……、だって今までは」
私は、そこで溜息を吐く。
「グレゴリー家は子爵家とは思えないほど、裕福だったのよね? それがカルミラさんの誇りだった。自分なら、と。自分の家は伯爵家にも負けないと。伯爵令嬢よりも自分の方が価値のあるドレスや宝石を身に着けているから」
「…………」
彼女が人を見下していた気質は、おそらくそこから。
上の爵位である伯爵令嬢よりも上等な自分に酔いしれていて。
だからこそ西側貴族で最も身分の高い辺境伯家に嫁ぐのは自分であるべきだと。
そしてリック様が素敵な人だったから。
それがカルミラ・グレゴリーの人生だった。
「グレゴリー家の羽振りが良かった原因が分かったのね?」
「…………、お父様は、援助を受けていたの。ベルファス王国から。その支援が滞り始めたから、なのに彼らが我が物顔で屋敷を利用するから……、追い詰められてるのに、手が借りられなくて……って」
確かな証言。
交易をしているのではなく、一方的な援助を隣国から受け、そして『密入国ルート』の中継地点になっていた。
隣国との癒着と言うべきかしら。
そして、そちらからの人員と資金を使って、ディミルトン家の縁談に干渉をし続けて。
およそ推測と裏付けの通りの……。
「どうして私にその話をなさろうと思ったの? より親しく、身近な方はいらっしゃったと思うわ」
「……貴方が」
「ええ」
「貴方が……、連中に、狙われているの」
「────」
言った。
それを私に伝えるという事は彼女は。
「お父様が言い出したのか、連中に言われたのか分からない。でも……貴方を、狙っているのは間違いないの」
「…………そう」
私は、そこで微笑みを浮かべたわ。嫌味のない微笑みよ。
「私の事を心配してくださったのね。カルミラさん。
貴方は、一人の貴族令嬢としての誇りを失ってはいなかった」
「……っ、それはっ……」
心が揺らいだはずでしょう。
『私が居なければ』と。
誰よりも彼女が思っていたはず。
だけど、私が狙われていると聞いて、そのまま放置はしなかった。
「どうすればいいか分からないのっ、私……もう、だって! グレゴリー家の令嬢でなくなったら、私……! それに、それどころじゃなくなるかもって……お父様が何をしているのか、何を考えているのか分からない……! お母様も帰って来なくて……っ」
私は立ち上がって彼女のそばに歩み寄ったの。
後ろに控えていた護衛騎士が、すぐに動いて。
でも私は手で彼らを制止し、首を横に振ったわ。
「カルミラさん。落ち着いて。まず貴方のお母様は無事よ。申し訳ないけれど、こちらで『軟禁』という扱いをさせて貰ってるわ」
「えっ……」
「厳しい尋問はしていないけれど、疑いは持たれていたから」
「じゃあ、やっぱり知って……あ、あ……」
私は彼女の肩に手を添えて落ち着かせる。
ぶるぶると震えて……察したのだろう。
「そうね。グレゴリー子爵家は、赦されない事をしている。少なくとも私たちはその疑いを確信に近い形で持っているし、そう動いているわ。
今の貴方から聞いた証言と、夫人から聞いた話を合わせて、踏み込んで調べれば、もっと確定的な事が分かるでしょう。
……そうなれば、グレゴリー家は終わりになる。
爵位は奪われるでしょう。貴方は……、貴族でなくなるわ」
「あ、あ、ぁああああ……」
泣き崩れる彼女。
残酷な事だけれど、これは覆せない。そして赦してはいけない。
『国』を守るべき貴族が、その国を裏切っていたのだから。
先に国に裏切られたのだとしても、こんなやり方はいけない。
それにカント伯爵家も調べたけれど、到底、子爵家に不遇の扱いをしてきたという様子ではなかった。
ただ、グレゴリー子爵が……欲に溺れた。
それだけの話だったのよ。
ガタ。
「シャーロット様! お下がりを!」
「!」
来た、わね。宿屋の中に?
街道の途中を襲うよりも、よほど酷い。
他者への迷惑など省みないほどか。
或いは、そもそもこの場所が……か。
「カルミラさん。私と一緒にいなさい」
「え、え?」
ピリリと張り詰めた空気が場を満たす。そして。
──コンコン。と。
部屋の扉が無言でノックされた。




