24話 結婚式
「──シャリィ」
リック様が私の元へやって来ました。
そして私に呼び掛ける名は愛称。
お母様が祖父母に呼ばれていた愛称に寄せたものです。
「リック様」
「行こうか?」
「はい」
エバンス家で最後の夜を過ごしました。
たった2年だけのお屋敷での生活。
記憶喪失の私を拾って貰って、メイドとして働いて、友人が出来て。
家族として迎えられて。
リック様と……婚約して。
いよいよ、明後日は結婚式だ。
私はエバンス家の子爵令嬢から、ディミルトン辺境伯家の女になる。
『前の私』は、侯爵令嬢で、王子の婚約者だった……『可能性』がある。
(波乱万丈の人生って言うのかしらね)
これが王家に対する叛意となりうるのか。
今は誰も真相に気付いていない。
或いは気付いていても、居場所を明らかにした私に何かを主張してくる事もない。
「お義父様、お義母様。行ってまいります」
「ええ。シャーロット。また明後日ね」
「はい」
『家』から送り出される、私。
リック様のエスコートで短い距離だけれど、辺境伯家のお屋敷へ向かう。
「ハロルド第一王子殿下と、婚約者であるソフィア様が結婚式には参加してくださるそうだ」
「……何か王家から動きはありましたか?」
「いいや」
リック様が首を振る。
とりあえず私の正体について知られてはいない、という事ね。
ほっと胸を撫でおろした。
「もしかしたら、本当に関係ないのかもしれませんけれどね。だとしたら……ふふ。少しおかしいわ」
私が侯爵令嬢で、王子の婚約者だったなんて。
思い上がりよ、っていうお話で終わるの。
そうだったら、本当に愉快だと思うわ。
「エバンス夫妻も、俺の両親も、満場一致で『なるほど』と納得した推測だったからねぇ」
「そ、そうですね。なんだか私としては、何とも言えないことなのですけど」
両家の両親が揃って『なるほど。それで……』と納得の表情を浮かべて、当然とばかりに『推測』を信じてしまった。
『今の私』としては恥ずかしいやら何やら。
だって侯爵令嬢で王子の婚約者、つまり王子妃、はては王妃……って。
ねぇ?
困ってしまうもの。
「だけど。もうキミは辺境伯家の女性になる。手放さないよ、シャリィ」
「……はい。私も、そうと決めましたから。私はこの地で……国を守ります」
「うん」
王妃にはなれないけれど。
辺境伯家は、国を守ることにおいて重要な家門なのは間違いない。
それにリック様のご婚約には色々と……、そう、色々と。
何か怪しい動きがあったから。
『何者か』の思惑に乗らないためには、おそらく『想定外』に違いないであろう私が彼に嫁ぐのは、良い案だと思うの。
(それ以前に私が彼を望んでいるから。そしてリック様も私を望んだから、だけど)
それから穏やかな時間を過ごしつつ、結婚式に向けての最終準備を始めたの。
私たちの婚約は、結婚式の3ヶ月前に発表された。
電撃結婚、という形になるかしら?
それ以前に恋仲であることは隠していなかったけれどね。
私が『恋人』である期間と、『婚約者』になってからの期間は、同時に『囮』の期間でもあったわ。
私の特殊事情を加味して、王家の反応を窺うこと。
そして……リック様の婚約について怪しい動きをする者を炙り出すためでもあったの。
最も怪しかったのはグレゴリー子爵だった。
カルミラさんの言動から彼女は除外してもいいと思っていたけれど。
結論を言うと、怪しい動きは『あった』わ。
捕らえた男たちを尋問し、あんな事をしでかした背景を確認した。
ただ口の堅い男が居て、それはやはりあのアジトに居た茶髪の男だ。
情緒不安定そうに見えた彼だが、尋問に対して口を割らなかったらしい。
私が聞いた話はもちろん伝えた。
このままでは何も分からないまま、茶髪の男は衰弱して死ぬかどうかというところまで。
ただし。
犯罪者であるということが確定している相手に対しては……いよいよとなった時の切り札がある。
それはリック様の……癒しの魔法だ。
聖女の末裔の力だけれど、傷を癒せるという事は……傷つけられるという事。
あまり好まれた使い方ではないけれど。
痛めつけて、治して、を繰り返せるということよ。
でも、それは最終手段とか、切羽詰まった事情の時にするらしいわ。
リック様自身も嫌なのはあるけれど、それ以上に。
その力が『聖女の力』だということが問題。
つまり、そういう悪辣な使い方をした場合、もしかしたらリック様の癒しの魔法は失われるのでは?
という懸念があるのね。
まさかそんな、とも思うのだけれど。
現に聖女様は、かつて大規模な結界を張ったり、浄化? の力があったりしたという。
その力は遺伝によってかどうか、今は失われてしまっているのだ。
だからリック様の癒しの魔法が失われるかもしれない使い方は極力控える、という事になっている。
それでも。
『推測』できる事はあったの。
それは茶髪の男が、あまりにも口が堅すぎた事。
彼は、間違いなく訓練された人間だった。
その上、尋問に口を割らない程の……背景を持つ。
伯爵家以上の高位貴族か、王族の配下でもなければそんな人物を子飼いに使わないだろう。
それに、私の『記憶魔法』の影響を受けているらしいこと。
あの男は『かつての私』の近くを嗅ぎまわっていたはずだった。
だから、つまり。
「シャリィ」
「ん」
「難しい顔をしているよ」
「えっと。その。少し考えごとを」
「もしかして、王子殿下のこと?」
「え? 違いますけど……」
私は首を傾げました。
「違うのかい?」
「はい。……まぁ、その。過去に関わりがあった可能性が高いことは理解しているのですけど、今の私にとって王子殿下は会ったことのない他人なので。あまり、こういう時に思い出す方では、ちょっとないです」
「ふ……そうだった。すまない。少し、そうだったらと嫉妬した」
し、嫉妬。
「リック様。もう……。私は、リック様のことと、そのカルミラさんの事を考えていたのです」
「グレゴリー子爵令嬢?」
「はい。彼女も、あなたのことを好きだったのは本当だったから」
「……そうか」
機会は作った。
私からアプローチするのは、見せつけるようで良くなかったから間接的に。
リック様に彼女がアプローチする機会は、作ったの。
それは傲慢だったかもしれないし、自惚れでもあったかもしれない。
その席で……、リック様から気持ちを伝えてもらった。
そして彼女の気持ちも、リック様には聞いて貰った。
(恋に、破れる経験。かつての私もしたのかもしれない……)
口出しをする事は傲慢かもしれなくても。
でも、彼女が好いた相手はリック様なのだ。
私は無関係ではいられない。
それに……きちんと、決着をつけて欲しかった。
『前の私』の婚約者……の可能性のあった人には『恋人』が居たという。
もしかしたら私は、そのことで傷ついて記憶を自ら捨てたのかもしれない。
だとしたら。
『今度』は、逃げたくなかった。
きちんと向き合いたかった。
そして……今の私は、リック様を信じていた。
一人の男性を奪い合う相手ではなくて。
もう信頼し合うパートナーとして。
彼が私を裏切らないと信じていたからこそ、カルミラさんには正面から想いをぶつける機会を作った。
きちんとフラれる事で前を向ける可能性もあると信じたから。
(それだけじゃ、なかったけれど)
彼女の言動はすべて観察されている。
グレゴリー子爵家の疑わしさと、彼女は別だとリック様は判断された。
「…………」
(カルミラさん。どうか誤った道に進まないように……)
たとえ、親が道を踏み外してしまっていたのだとしても。
「シャリィ」
「はい。リック様」
「俺たちは、明日のことを考えよう。本当にすべてが始まるのは明日からだから」
「……はい」
リック様の抱擁を私は受け入れる。
(温かい……)
お屋敷の中で、扉は開け放たれ、侍女も控えているけれど。
私たちは、それを気にすることもなく、見つめ合って。
愛おしそうな表情と視線。
ゆっくりと近付く彼の顔に、目を細めて。
「ん……」
唇を重ねた。
──明日は、私たちの結婚式。
◇◆◇
そして、当日。
「シャーロット様。とてもお綺麗ですよ」
「ありがとう。ニーナ」
辺境伯家の屋敷で、白いドレスを身に纏い、私は綺麗に整えられていく。
「……王子殿下と、そのご婚約者様がいらっしゃっているそうね」
「ええ。そう聞いています。シャーロット様は顔を見せなくていい、見せないようにと」
「……分かっているわ」
ハロルド第一王子と、その婚約者ソフィア・レドモンド伯爵令嬢は、昨日の内に辺境に入り、丁重にもてなされているそうよ。
私は、あえて別邸で待機し、彼らと鉢合わせにならないようにしていただいた。
(顔を見たら……思い出したりするのかしら?)
『前の私』に聞いてみたい。
その王子のこと、どう想っていたの? って。
(たとえ、どう想っていたとしたって今の私の気持ちは揺らがないと思うけど)
私自身に不安定なところはない。
『根性』を学んだからかしら?
簡単なことでは揺らがないつもりなのよ。
(きっと私は、前よりも成長したんだと思う。或いは、きちんと『変わった』のよ)
シャーロット・グウィンズではなく。
シャーロット・エバンス。
そして今日の式が終わった後は。
「行きましょう。シャーロット様」
「……ええ」
空は晴れている。とても清々しい空よ。
私の心も晴れている。何も悩むことなんてない。
この胸に後悔なんてひとつもない。
「──新婦、シャーロット・エバンスの入場です!」
青空の下、作られたアーチを潜って式場に姿を見せた。
エスコートしていただくのは、お義父様となったレオン・エバンス子爵。
会場には私の『友人』として招かれたメアリーとその家族。そしてアンナとご両親のベルさん、クラウトさん。
一足先に伯爵夫人となられたノーラさん。
エバンス家は、お義母様のリリー・エバンスに、エリーお義姉様、サリーお義姉様が座っている。
メイリィズ伯爵家のフェルドお祖父様、シャルロットお祖母様。それに執事長のクストさん。
それから叔父様であるマックス・メイリィズ様もいらっしゃるわ。
(たった2年だけれど。私は、優しい人たちにこんなにも恵まれた)
その事が胸を満たしていく。
ゆっくりとバージン・ロードを歩いていき、先に待つリック様の元へ。
……視界の端に、仕立てのいい服を着た、金髪の男性が映った。
(王子殿下がいらっしゃっているのね)
賢しい私は、頭の隅でそんなことを考えるけれど。
でも視線は、リック様から動かしたりはしない。
まっすぐに、彼の下へ。
……愛しい人の、下へ。歩いていくの。
私が隣に立った相手は……パトリック・ディミルトン様。
「シャリィ」
愛おしそうに目を細めて私を見つめる、大切な人。
彼の手を取り、そして結婚式は滞りなく、進んでいったわ。
讃美歌が流れる。
神への祈りが捧げられ、そして誓いの言葉が紡がれた。
「新郎、パトリック・ディミルトン。あなたは新婦シャーロット・エバンスを妻とし、病める時も、健やかなる時も、悲しみの時も、喜びの時も、貧しい時も、富める時も、これを愛し、これを助け、これを慰め、これを敬い、その命のある限り、心を尽くす事を誓いますか?」
「はい。誓います」
(…………嬉しい)
胸を満たすのは幸福。
感極まるとはこのこと。
こんなにも幸せな気持ちで誰かと結ばれる日を迎えられるなんて、思いもしなかった。
「新婦、シャーロット・エバンス。あなたは……」
厳かに、誰に邪魔される事もなく式は続く。
「……誓いますか?」
その問いに、私は。
心からの想いを込めて。
「はい。私、シャーロットは、パトリック・ディミルトン様を心より愛し、そして生涯、この愛を彼だけに捧げる事を誓います」
答えたのよ。
「シャリィ……」
リック様の小さな呟きだけが私の耳に届く。
「では、指輪の交換を」
「はい」
「はい」
粛々と式は進み、そして。
「では、誓いのキスを」
「はい」
「はい」
彼の手でヴェールが上げられ、私は彼に微笑みかけた。
本当に幸せな気持ちでいっぱいなの。
愛しい人が目の前に居て、私に微笑んでいてくれる。
そうして誓いのキスを交わして。
「──私達、結婚します。この事に神に感謝を。そして……私達を祝福して下さる皆様に、感謝を」
結婚の宣言と共に、参加者の『全員』から祝福の拍手が送られた。
「シャリィ。愛しているよ」
「はい。リック様。私も貴方を愛しています」
そして、また唇を重ねる私たち。
ここから。
そう。私たちの『物語』は、ここから始まるのよ──




