23話 憧れの人。そして
それからメイリィズ伯爵夫妻と執事長のクストさんに……お母様の話をたくさん聞いた。
私が生まれた記憶を失くしていたとしても、私が孫娘なのだと受け入れてくれた人達。
「……ごめんなさい」
「シャーロットさん?」
「……以前の私は、貴方たちとの繋がりまで断ち切ってしまったのですね」
空白を抱いた母の絵は象徴的だった。
アレが私のした事で、私の負うべき罪だったのよ……。
穏やかな祖父母から、孫娘の記憶を奪い取ってしまった。
「シャーロットさん。もう、貴方が生まれた時のことを私たちは思い出せないけれど。それでもね。シェリルは貴方を愛していたはずよ。
だって、あの絵に描かれたシェリルは、あんなに愛おしそうに誰かを見つめていた。
貴方は、あの子に愛されて生まれてきたのだと。
そのことだけは分かってあげて欲しいわ。
だからこそ。貴方がすべてを切り捨てるほど辛かったのなら。
私たちが助けになれなかったことを心苦しくは思うけれど……。
貴方が気に病むことなんてないの。
そして今。貴方が幸せを掴める場所に居るのなら、けして手放してはだめよ。
後悔なんて、しなくていいの」
「シャルロット様……」
「お祖母様でいいのよ。今の貴方に家族が出来たのだとしても。貴方が私たちの孫娘であることは間違いないのだから」
「……はい。シャルロット、お祖母様」
私の目に涙が一筋零れた。
後悔は、ある。
でも、取り戻す事はできない。
それは『記憶魔法』を使った私自身さえも、だ。
前に進んでしまった。
忘れるという形であったとしても、それは『前進』だった。
すべての記憶を捧げるほど、その時、その場から逃げ出したかった、前の私。
それとも『他の理由』があったの?
……分からない。
だけど、取り戻せないのだから。
「これから」
「……はい」
「これから思い出を作っていけばいい。表向きの縁が途切れてしまったとしても。これからは、もう私たちのことを忘れないでいてくれるだろう?」
「はい。メイリィズ伯爵。……フェルドお祖父さま」
「うん。なら、それでいいのさ」
「……はい」
私は、改めて2人に頭を下げたの。
申し訳なさと、そして感謝。
お二人からは母を愛していたという気持ちが伝わってきた。
母を愛していたからこそ、私もまた彼らに愛されているのだと、受け入れられる。
(今の私は……、もう彼らのことを忘れたりしないわ。絶対に)
「……ふぅ。では、パトリック殿」
「はい」
「まず、整理しようか」
「はい?」
「我々からのシャーロットと、シェリィへの愛は揺らがない。だが、私達は……貴族の一員として。この問題に対処すべきだと考える。家門の体裁を整えつつ、王家と王国のことを考えた……『言い訳』は用意しておくべき、と。そう思うのだ」
「あなた」
「ここで話し合っておくべきだろう? 意図的に記憶を取り戻す必要はないが……絶対に戻らないとは言い切れない。その時に向けての話し合いだ」
「……そうですね。私も伯爵と同じように考えます。いいかい? シャーロット」
「は、はい」
私は目元を拭って、頷いたの。
そうよ。私のせいで、メイリィズ家やエバンス家、ディミルトン家に迷惑を掛けてはいけないもの。
「まず。シャーロットは、およそ間違いなく。グウィンズ侯爵令嬢だった、はず」
「は、はい」
確信に近いけれど、確信はない、のよね。
真相は違うのかも……。
そもそも記憶が消えたとしても『記録』は残ってないの?
……でも、国中を覆ったという光まで私の影響だとしたら、その出力は。
それに肖像画に描かれた私を消し去るとか、ドレスを漂白してしまうなんて物理現象を伴っている。
そもそも記憶を失う魔法ではなく、記憶はあくまで『燃料』に過ぎないという。
魔法と一口に言ってもリック様の癒しの魔法とはまったく違うのね。
「筆頭侯爵家の令嬢だ。王家もグウィンズ家も納得でハロルド第一王子殿下の婚約者に据えようと動いた……はず」
「そ、そうなのですね」
「うん。……私たちは、王子の評判については『何故か』詳しかったんだ。その理由も今はよく分かるし、気持ちが『納得』している」
「そうね。王家との縁なんて、そうないはずの私たちなのに。よく気にしていたわ」
「……シャーロットが殿下の婚約者だったから、ですか」
夫妻はコクリとリック様に頷いて見せる。
「ハロルド殿下は以前まで、とても高く評価されていてね。それは学園の最終学年までは続いていた。だが、最終学年になった折、殿下に『恋人』が出来たという噂が広まって……。
一時期、致命的なほど貴族の間で殿下の評価が下がった事がある。
それは例の『光』の前後の話だ」
王子殿下の評判……。
「これまでが高評価だったからこそ地に落ちるほどの落差だったそうだ。王子に課される政務も滞り……その原因となったのは、殿下の『恋人』ではないか、という話も出た。
今すぐにでも遠ざけるべきだ、という話も出ていたそうだよ。
……まぁ、そうなる前にハロルド殿下は王宮に篭り、だんだんとその『恋人』とも疎遠になったそうだが。
殿下が自覚したからこそ、そういった動きになったと思っていたんだが……今思うと」
お祖父様は、そこで私をじっと見つめた。
「な、何でしょう?」
「……いや。殿下の評判も今は落ち着いている。以前のような優れた王子という評判ではなくなったけれど」
「もしかして以前のハロルド殿下の『評判』はシャーロットも交えての話だった? というよりもシャーロットへの評価だった?」
「え」
「……おそらく。そうなのではないかな。
殿下の政務が滞り始めた、というのが光事件の後のことなんだよ。
当然、それは『恋人』の影響だと思われたんだが……」
「王子の婚約者として政務に携わっていた。そして優秀だった。……今のシャーロットの周りに居る者なら納得できる話ですね」
「え、ええと」
「……とにかく。ハロルド殿下は、改めて婚約者を据えられた。
レドモンド家の伯爵令嬢だ。
殿下の『恋人』とは疎遠になり、今もまだ囲われてはいるそうだが……。
今はもう婚約者に取って代われるほどの関係ではないそうだ」
「…………そうなんですね」
自分が、その関係性の渦中にいたかもしれない。
いえ、いたのだと、ほぼ間違いない推測が立てられるのに。
私の心には何の想いも浮かび上がってこなかった。
(私は、その『恋人』と王子殿下のことを忘れたかったのかしら? ううん……)
「既に王子殿下には正式な婚約者が据えられている、というのが重要なことだ。
我々が仮に真相に気付いたとしても、今や王家は、別の形の政治を考えている。
だからシャーロットを表に出して混乱させないようにする。
……十分に王家への『配慮』と言えるだろう。
それに、わざわざ真相に気付いたとする必要もない。
……今はエバンス子爵家の養女となっているそうだね?」
「は、はい」
「では、そのままで。私たちは、ただ『シェリルに似ている子』を気に入り、家同士で繋がりを持つ……ということにしよう」
まぁ。
とても、なんだか政治的? だわ?
嘘もなんとやらね。
「……それから。王家にもグウィンズ家にも、見つからないようにしなさい」
「え、っと?」
「グウィンズ家のことは知っているかい?」
「い、いえ。残念ですがまだ」
「うん。グウィンズ家は筆頭侯爵家だ。資産的にもね。……安心して欲しい。領地経営に関して悪い噂は聞かないから。領民は苦しんでいないはずだよ」
「そ、そうですか」
なんだかホッとした。
私のせいで苦しんだ民が居たら、あまりにも申し訳なかったから。
『前の私』は、領地の運営には関わらなかったのかしら。
今の私は、もっと頑張らないといけないわね。
「グウィンズ家は養子を取っていて、爵位もいずれはその子が継ぐと言われている。婚約者もいるそうで……ああ」
「何か?」
「光事件の前後から……、婚約者の扱いを変えたという噂もあったね。関係あるのかは分からないが……」
「変えた、というのは?」
「良い方向に、だね。以前は婚約者を蔑ろにしている話があった」
「ええ……?」
「ただ、気を付けて欲しい。グウィンズ侯爵に娘が居たと分かったなら、やはり君を利用しようと考えると思う」
「……父は、そのような人、なのですか?」
「……うん。シェリルから当時、我が家に届いていた手紙もある。読むかい?」
「! ぜひ!」
私たちは、それからも話し合いを続けて。
ディミルトン辺境伯とお義父様たちに打ち明けてから、改めて連絡をするという事になったの。
そこで当面の私の方針についてようやく定められる。
「……元気でね。また会いましょう、シャーロット」
「はい。シャルロットお祖母様」
「君の幸せを願っている。今度は、きちんと……自分の人生を生きるんだよ、シャーロット」
「はい。フェルドお祖父様。また必ず。母の手紙を持って、この家に参ります」
「ああ。元気で……」
私とリック様は、メイリィズ家を後にする。
騎士団に守られながら、辺境領に……『帰る』の。
(祖父母との思い出は戻らない。でも、私はたしかに血を繋いで、縁を繋いで、生まれ、生きてきた……)
記憶がなくても。
ある日、突然にこの世界に生まれたわけじゃなくて。
それまでを生きてきた。
誰かに迷惑をかけて、心配をかけて。
それでも辛い事があって。
(前の、私は……)
逃げたのだろうか。
どうしようもなくなって。
もし、そうであれば……少し悲しい。
「シャーロット」
「はい。リック様」
「……俺の話を聞いてくれるかい?」
「リック様の?」
「うん」
馬車の向かいに座った彼。
ゴトゴトと緩やかな音を立てて、私たちを乗せた馬車は辺境へ向かっている。
「はい。お聞きします」
「うん。ありがとう。……前にね。話したことがあるだろう? 俺には『憧れの人』がいたって」
「は、はい……」
ドキリ、と胸がざわめいた。
(リック様の憧れの人。リック様の……好きだった人)
今の私は、まだ彼の婚約者ではない。
立場としてはカルミラ様と変わりないと言える。
その上でこんな面倒くさい身の上の女だったと知られてしまって。
……もしかしたら、やっぱりこの関係を見直す事に。
(それは……いやだと、思う。すごく悲しい。だけど)
リック様を想うなら身を引くことも……。
「俺の憧れていた人は、シャーロット。君だったと思う」
「え」
リック様は、まっすぐに私を見つめていてくださったの。
「わた、し?」
「うん。……遠く感じた、憧れの人。そして気高い人。憧れたほど、敬意を払っていた誰か。そんな『女性』。そして……どうしてか『忘れてしまった人』」
「あ……」
そうだ。
私は『記憶魔法』が使えて。
おそらく、この国から? 広い範囲で私自身に関わる記憶や……記録を消し去った。
ならリック様の朧げな記憶にあった『憧れの人』も……。
「で、では」
「手の届かなかった、憧れていた女性は、貴方だった。記憶は戻っていない。
だけど……メイリィズ伯爵たちの話を聞いて。
俺の気持ちが『納得』したんだ。
シャーロット。俺は……こうして『今の貴方』と出逢う以前から、ずっと貴方に憧れていた。
だから、こうして手が届いた貴方を……手放したくないと思う」
「リック様……」
馬車の中。向かいの座席に座った彼は、私の手を取る。
もちろん、その手を拒む理由なんかない。
「『前の貴方』は、きっと気高い人だった。そのことは『今の貴方』を見ても分かる。
俺の憧れた人は『前の貴方』だったけれど。
……心から好きだと、もう一度思えた相手は『今の貴方』だ。
シャーロット。改めて、言わせて欲しい」
「……はい」
真剣で、情熱的な彼の瞳を、私はまっすぐに見つめ返した。
ドキドキと高鳴る胸の鼓動を聞きながら。
「──貴方を、愛しています。シャーロット。シャーロット・エバンス。
どうか俺と、結婚してください。
『今の貴方』を選び、進む事を……後悔なんてさせないから」
────。
じわりと、彼の言葉が染み渡っていく。
真剣な瞳。真摯な言葉。
そして互いにもう口にするまでもないほど、惹かれ合っていた事を自覚して。
もう『恋人』になっていたと恥ずかしい気持ちで認め合っていた、私たちだから。
「……はい。その言葉、お受けします。パトリック様。一緒に……なりましょう」
私は、彼の言葉を受け入れたの。
かつての私は、王子殿下の婚約者だった、かもしれない。
王妃にさえなろうと頑張ったのかもしれない。
……その想いが、もう叶わなくなったのだとしても。
私は、辺境の地で……パトリック様と共に、レノク王国を守ろうと思う。
『前の私』が守ろうとした国を、民を、辺境伯家の妻として、支え、守る。
そこには『壁』なんかなかった。
この国を、この国の民を不幸にはしない。
リック様とならそれが出来ると、そう思えたの。
……ねぇ?
顔も知らない、王子殿下。
前の私と貴方は、国を支える夢を一緒に見たのかしら。
もう私が貴方の隣に立つ事はないけれど。
今の貴方は、前向きに国に尽くすよう努力なさっていると聞きました。
その隣には既に正しく婚約者がいらっしゃることも。
……それでいいのだと私は思います。
交わらなかった運命だと。
貴方は王宮で。
私は辺境で。
違う場所で、この国を守り、支えていきましょう。
きっと私たちが隣になんて並ばなくても。
この国を守っていけるはずだから。
そうして。
記憶を失ってから2年。
まだまだ終わっていない問題もあるけれど。
私とパトリック様は……無事に婚約を済ませ、それから日を置くこともなく。
結婚式の日を、迎えることになったの──




