22話 メイリィズ伯爵家
「シャーロット」
馬車を先に降りたリック様が私に手を差し伸べる。
「ふふ。ありがとうございます」
私は彼の手を取り、馬車を降りて。
「どうしました?」
「乗合馬車でやり取りした事を、本当にすることになるとは思っていませんでした」
「ああ! あの時の」
「はい。王子様ではありませんでしたが……ふふ。似たようなものですもの」
『平民の女』が貴族の美しい男性に見初められ、お姫様のように扱われる。
まるで『物語』のよう。
でも、そのことに嫌悪はなくて。
ただ、優しい時間が流れていくよう。
「貴方は、本当のレディになられた。こうしてまたエスコートできる事、嬉しく思います」
「ふふ。私も嬉しいです。リック様」
手を取り合って、互いに見つめ合う。
お互いに気持ちが向き合っている事を自覚して……。
「コホン! パトリック様? シャーロット様も。伯爵家の前ですよ」
「そ、そうだな……!」
「まぁ」
リック様が慌ててとりなす姿が可愛らしいと思う。ふふ。
私たちはメイリィズ伯爵家の玄関へ向かう。
迎えとして数名の使用人を引き連れて、中央には老齢の執事といった様子の男性が立っていた。
「……、……シェリィお嬢様」
「え?」
その方は、礼儀正しく私達を歓迎しようとしていたのに、間近で私を見ると、そう呟いて固まってしまったわ。
「あの? どうされましたか?」
「……あ、貴方は……、一体?」
「え、と?」
困惑する私の隣に立ったリック様は、一歩前に出る。
「もしかして、貴方には彼女の容姿に見覚えがあるのですか?」
「え、あ……」
「申し遅れました。レイドリック・ディミルトン辺境伯の息子、パトリックです。伯爵夫妻に会う約束をしていたのですが」
「あ、ああ! はい! 申し訳ありません。メイリィズ家の執事長を務めております、クストと申します。パトリック様を歓迎するよう、仰せつかっております」
「良かった。……それで。やはり、彼女に見覚えが?」
「その」
「気になさらないで。思った事を教えて欲しいのです。今日はそのために来ましたから」
私は、リック様の言葉の後を継いで、そう安心させる。
辺境伯令息のパートナーに無礼かも、と思われるかもしれないからだ。
「私の名は、シャーロット・エバンス。『母』の名はシェリル。今はエバンス子爵家の養子として迎えられ、エバンスの家名を名乗らせていただいているわ」
「……シャーロット、様。母の名が、シェリル……。シェリィ、お嬢様、の……」
呟くような執事クストの言葉から、私とリック様は顔を見合せ、頷き合う。
私の『容姿』だけを見て、老齢の執事には『そう』だと確信に至るほど。
ならば、やはりメイリィズ家はお母様の。
「どうか伯爵夫妻に会わせてくれないか? その場には貴方も出来れば一緒に居て欲しい。シャーロットに、そのシェリルという方のことを教えてあげて欲しいんだ」
「……は、はい。かしこまりました」
まだ困惑したままの老執事はそれでも仕事をこなすべきだと私達を招いてくれた。
メイリィズ伯爵家の屋敷の中に入って、そこで私たちが目にしたのは……。
「あ」
「これは……」
玄関ホール。そこには一枚の肖像画が飾られていたの。
そこに描かれていたのは、一人の女性。
私によく似た、その女性は。
「お母様……」
在りし日の、お母様だった。
私が知るお母様の姿よりも、少し若い。
「シャーロットの記憶にある母上と同じ人かい……?」
「はい。この絵は、お母様の絵です……」
繋がった。
メイリィズ家にかつていた伯爵令嬢、シェリル・メイリィズは間違いなく私の母だった。
「……その絵は、シェリィお嬢様の絵でございます」
「ああ……」
私は、リック様に支えられながら、引き寄せられたようにその絵を見つめる。
こうして、またお母様の姿を見る事ができるだなんて。
涙が溢れそうになる。
「お母様……」
「シャーロット様。どうか旦那様と奥様にお会いください。きっと喜ばれると思います」
「……はい」
私はクストさんに頷き、再度リック様と目を見合せ、頷き合う。
案内された応接室には、既にメイリィズ伯爵夫妻が待っていたわ。
「……、シェ、リィ」
「…………」
お二人は私の姿を見て驚愕に目を見開く。
そんなお二人にクストさんは私のことを説明してくださったの。
「旦那様、奥様。この方の名はシャーロット・エバンス様。エバンス子爵家の養女だそうです。そして……シェリィお嬢様の、ご息女だと」
「シェリィの、娘?」
「はい。先程、肖像画を見ていただきました。間違いないのでしょう。私も、そのように思います」
私とリック様は礼をし、伯爵夫妻に挨拶をする。
「パトリック・ディミルトンです。メイリィズ伯爵、夫人。そして彼女はシャーロット・エバンス。私の……、こ、恋人です」
「リック様……」
そういう場合じゃないのに恥ずかしがって。
私も恥ずかしくなってしまうわ。
「その。シャーロット・エバンスです。エバンス子爵家の養子となり、子爵令嬢となりました。パトリック様とは……はい。親しくさせていただいております」
私の方も、照れながらの紹介となったの。
は、恥ずかしいわね……。
「あ、ああ……。とにかく、座ってください。よく来てくれました」
「ありがとうございます」
応接室らしき場所でソファーに向かい合って座る私たち4人。
執事長のクストさんも伯爵夫妻の後ろに控えているわ。
「改めて、はじめまして。私は、フェルド・メイリィズ。まだ伯爵ですが……近々、息子に爵位は譲る予定です」
「ご子息がいらっしゃる?」
「ええ、まぁ。私たちには2人、子供がいました。一人は長女のシェリル。二人目は弟のマックスです」
「まぁ」
そ、そこは聞いていなかったわね。
そうよね。伯爵家だもの。
お母様が爵位を継いだ様子でないなら、兄弟が居てもおかしくはない。
「私は、フェルドの妻、シャルロット・メイリィズです」
「シャルロット?」
「……ええ、そうよ。シャーロットさん。似ているわね、私たちの名前」
「は、はい。そう、ですね」
ますますに繋がりを感じた。
お母様が、もしも私の名前を付けていたとするなら、その由来は、きっと。
「突然の来訪に、突然の出来事で混乱されているかと思います。ですので一番、客観的な立場に立てる私から。今日、メイリィズ家を訪問させていただいた理由を話したいと思うのですが」
「……お願いしましょう、パトリック殿」
「はい」
リック様は話し始める前に私に視線を移す。
私は彼に任せる、という意味で目を見ながらコクリと頷いたの。
「……シャーロットは、どうやら『魔法』を使える女性のようです」
「魔法?」
「はい。それも彼女の魔法は、記憶に関係する魔法……のようで」
「記憶の」
「はい。そして彼女は、およそ1年半ほど前より以前の記憶を失くした状態で、辺境の地で見つかりました」
「記憶喪失、ですか?」
「ええ。今までは何かしらの『事故』か『事件』の類だと思っていたのですが……。先日、シャーロットが魔法を使う事態に陥りました。彼女自身も把握していなかったことで……。そして魔法の使用後。シャーロット自身の特定の記憶に、ある男の記憶が消えていたのです。
一連の経緯はすべて私が確認しました。
この一件をもって……シャーロットの記憶喪失が、そもそも彼女自身の魔法によるものではないか? と」
「…………」
「そして、なんですが。この1年。いえ、特にこの数か月。ディミルトン家としても念入りにシャーロットの家族を捜していましたが……どの家門も、彼女を捜そうと動いた形跡はありませんでした。
もちろん、ありえない事はないのです。
ですが『魔法』の関わった話で、別の推測ができました。
もしかしたら、元の家族から……シャーロットの『記憶』は失われているのではないか、と」
「……、……」
「……あなた」
「ああ……」
夫妻もまた頷き合って、何かを確認し合っていたわ。
「お二人とも、少し付き合っていただけますかな」
「え? はい」
応接室から移動し、3人に付いて行く私達。
そうして案内された場所は、また肖像画の前だったの。
やっぱりお母様の描かれた肖像画。
「シェリルお母様の肖像画……だけど」
でも今度の肖像画で目を引いたのは違う場所だったわ。
「白く、塗り潰されている?」
それは『未完成』の絵画だった。
描かれたお母様は、胸元に『空白』を抱えているの。
「……そうではないよ。塗り潰されているんじゃない。描かれていないんだ」
「描かれていない? でも、こんな」
おかしな絵だ。
『母』が『空白』を愛おしそうに抱いている、絵。
「……きっと、かつてはここに描かれていたんだと思う」
「え?」
「この絵を見る時、いつも悲しい気持ちになった。
それはシェリィが亡くなったことについてもある。
だけれど……何か。
シェリィがこんなにも愛おしそうに抱きかかえる『何か』を失ってしまったような。
そんな悲しい気持ちになったのだ。
……最初からこんな風に描かれていた『記憶』はないんだよ。
私たちの誰もが、この絵は『完成』されたと思っていた。
だから最初から『こう』ではなかったと、そう思っている」
「…………」
「我が家には確かに『記憶魔法』が伝わっています。シェリィや我々がその魔法を使えた事はありませんが……。一族の誰かは、いつか使う事もある魔法なのでしょう。
……この絵に気付いたのは、レノク王国を光が包んだ日、以降です。
あの日から、この絵をより悲しいと思うようになった……」
「シャーロットが辺境領で見つかった日も、あの光が覆った日だったと聞きます。何か関係が?」
「……おそらく、あるのでしょう。
我々に伝わる『記憶魔法』は、使う本人の記憶を代償にする魔法です」
「記憶を代償に?」
「はい。記憶を失う魔法ではなく、奪う魔法でもなく。……『何か』を起こす魔法だそうです。起きる何かは決まってはいない」
「じゃあ」
この絵に『空白』を生んだのも。
そして、私に関わる記憶を……誰かが忘れてしまったのも。
「…………私が。私が、自分自身の記憶を捧げて。この国から私自身の痕跡を……消した」
肖像画の母が抱える『空白』には……かつての私が描かれていたのだろうか。
湧き上がる想いは。
「どうして、私は……」
そんな事をしたのだろう。
そうしなければならなかった?
「私があの日に着ていたドレス。色のない、真っ白のドレスを着ていたんです。エバンス家のお義母様は色を抜いたようだと」
「……貴方の魔法の影響なのでしょうね。この絵と同じように。『色』を失った」
色を。
「……取り戻せるのですか? 失った記憶は」
「…………」
私は、空白を抱く母の肖像に。
やはり悲しさを覚えた。
私がもしも、意図的に記憶を失ったのだとしたら。
……大事なことは覚えていたと思っていたけれど。
こんな風に取りこぼしてしまったものがあるのなら。
「取り戻したいですか?」
メイリィズ伯爵は、静かに私を見つめていた。
「……いけない、ことでしょうか」
「…………シェリィは、嫁いだ身です」
「はい?」
「私達の娘、シェリル・メイリィズは、グウィンズ侯爵に嫁ぎました」
「グウィンズ侯爵」
「シェリルは『子を産まずに』病で亡くなったという記録が残っていて、そう記憶しています。
グウィンズ侯爵は、ある日、養子を迎えました。
シェリルが死んでからしばらく経った後の話。
……おかしな話だったと思うのです。
後妻を迎えなかった理由は、彼なりにあるのでしょう。
縁戚から養子を迎えることも、貴族にはありますが……。
もしも、我々が忘れているだけならば。
シャーロットさん。貴方が生まれ、生きていた場所は、グウィンズ侯爵家のはず。
貴方は、かつて侯爵令嬢だった」
「侯爵……令嬢」
私は、リック様に目を向けた。
きっと彼の中では『納得』できることだったのかしら。
驚きつつも、そうだったのかという表情。
「……グウィンズ家に侯爵令嬢が居たなら。それに貴方のような年頃の女性だったのなら」
「は、はい」
「……その女性は、きっと第一王子の、婚約者……少なくとも婚約者候補に……なったのではないでしょうか」
「えっ」
「……!」
「シェリルが亡くなった後も、グウィンズ家との繋がりは切ってはいませんでした。あの家の方が家門の力は強いですが……私たちは『支援』をする側であることに、何の不満も抱いていませんでした」
「……きっと『貴方』が居たからだと思うわ、シャーロットさん」
「私が」
「……第一王子の婚約が遅れ、侯爵令嬢たちが軒並み、既に婚約を定めていました。
『おかしな話』だと話されています。
今、その理由が分かりました。
第一王子には、筆頭侯爵であるグウィンズ侯爵家の令嬢の婚約者がいた……。
だから、ある日まではきっとその事は揺らぎなく」
「…………」
「……ですが。シャーロットさん」
「はい」
「私達は、あの日まで。第一王子を嫌っていたのです」
「え? 王子殿下を? 何故……」
「……第一王子には学園の最終年、『恋人』とされる女性が居ました」
「あっ」
それは聞いた事がある。
王子殿下には『私と同じ』平民上がりの恋人がいらっしゃった、と。
「……貴方が記憶を消した理由は。過去を『捨てた』理由は。王子殿下にあるのではないでしょうか」
「それは」
私は、不安になってリック様に視線を移す。
彼は、私の手を取り、支えてくれた。
「……失ってしまった事は悲しい。空しく思う。けれど」
メイリィズ伯爵は、悲し気な顔をして私と、そしてリック様を見たの。
「『記憶魔法』を使う意志は、使い手の貴方にある。
なら貴方にとって過去の記憶は『要らない』ものだった」
「……」
「シェリィが生きていたら。その娘が居たのなら。
娘は、誰よりも、その子の幸せを考えたはず。
なら、そんな記憶は……取り戻さなくても、いい。
そして貴方はさっき『シェリルお母様』と言った。
……覚えているんだね? 私たちの娘のことは」
「……はい。記憶喪失になった私が、唯一、覚えていることが……お母様のことでした」
「そうか。……ならば。きっと、それでいいのだと私は思う。
……シャーロットさん。
貴方は、愛しい人に出逢えたのだろう?
君が記憶を取り戻せば……、きっと望まない縁にまた苛まれてしまう。
一度はすべてを捨ててもいいと思えるほどの、望まない縁だ。
私は……」
メイリィズ伯爵は、夫人と視線を絡ませ、そして夫人を抱き寄せた。
「私たちは、君の記憶が戻らなくても……幸せに生きていけるなら。
それが一番いいことだと、思う」
「メイリィズ伯爵……」
私は、私が、かつて何者だったのか。
その事をようやく掴んだの。




