19話 天秤
「彼女は辺境伯家に縁ある女性。その彼女を襲い、傷つけたお前達に……逃げる場所があると思うな」
リック様……、いえ。
パトリック様が私を背に庇い、剣を構えながらも男たちに通告する。
『敵に回してはいけない相手を敵に回した』のだと。
彼の正体を聞いて、男たちも青ざめた顔を浮かべた。
「……っ」
彼らは視線を交わしあい、また周囲の状況を探ろうとした。
パトリック様が援軍を連れてきているかどうかを確認したかったのだろう。
だけど。
剣を構えた彼から視線を外すのは愚かだった。
「シッ!」
「!?」
パトリック様への対処が定まらず、視線まで外し、後手に回る男たちに。
彼は一瞬で詰め寄って、構えた剣を振り下ろす。
傾斜のある、ガタガタの足場だろうに一切ブレることのない動き。
ザシュッ!
「ぎゃっ!!」
鮮血が飛び散る。咄嗟に動かしてしまったのであろう男の腕が……切り落とされる。
そして、その剣は深くそのまま男の胴体を撫で切っていた。
「ぎっ、ぎゃぁあああああ……!!」
叫び声をあげ、己の腕が失われた事実に混乱と絶望がまざった悲痛な声をあげる男。
私が叩いたことで執拗に、我先にと私を捕まえようとした男だ。
パトリック様は、男の振る舞いになど目もくれず、先に投げて彼の肩に刺さっていた短剣を抜き取った。
「ぎっ!」
そこから身体を勢いのまま反転させ、近くの木の幹に跳ねる。
ダッ!
軽やかに。その場にある地形に足を取られないどころか、利用までして。
「ひ、やめっ、」
右手に長剣。左手に短剣を構えて木々の間を跳ねる彼の動きを、男達は目で追うことすら出来ない。
「ぎゃあっ!」
男の抵抗の動きが届くまでに、パトリック様の剣は3度、振り抜かれ、手傷を負わせる。
「ぎあっ……!」
「ひっ、ひぃいいいい!!」
私の近くまで迫っていた3人の男たちの内、2人があっという間に倒された。
悲鳴を上げながら、その場に倒れ、のたうち回る彼ら。
3人目の男は、標的になるのが遅れたお陰か『勝てない』事を悟り、逃走し始める。
「……ッ!」
パトリック様は、一人目の男から抜いた短剣を逃げる男に投げつけた。
短剣のような細長い物を投げたというのに、くるくると回転するのではなく、ほぼまっすぐの軌道で男に飛んでいく。
「ぎゃぁあっ!!」
短剣は逃げた男の太ももに突き刺さり、男はその場で倒れ込んだ。
「その場を動くな! 俺は聖女の末裔として『癒しの魔法』が使える! 抵抗しないのであれば、その傷を治してやろう! だが尚も反抗するのであれば……そのまま血を流して死ねッ! 剣には遅効性の『毒』も塗っている! お前達が生き残る道は、その場で動かず、俺の助けを祈る事だけだ!!」
「ッ……!」
その宣言に男達の顔が苦悶の上に、さらに絶望に染まる。
(毒……? 本当に……?)
相手を殺傷する目的なら、きっと有効だろうけれど。
そんなに準備が良い物かしら。
見るからに……彼は、軽装だ。準備をして来た様子には見えなかった。
「シャーロット!」
近くに居た男たちを一瞬で制圧し、鬼神の如き強さを見せた彼が、その表情を変え、私に走り寄ってくる。
「リック様……」
彼は、いつの間にかその場にへたりこんでいた私の前に膝をつき、私に触れようとする手を自ら押し留めた。
自らの気持ちよりも、私の容態を心配し、配慮してくれたのだろう。
ほんの少しの間のその動作に、彼の優しさと想いを感じる。
「シャーロット。どこが痛む? すぐに治そう」
「あ……」
彼は聖女の末裔。癒しの魔法の使い手だ。
外傷を治す程度の力だと聞いているけれど、痛みは引くかもしれない。
「左足の、足首をひねってしまって……。それと右手は……おそらく、骨が折れてしまっています」
大きな怪我は、どちらも自分が盛大に転んでしまったのが原因なのが少し恥ずかしい。
先程の男に殴られたり、蹴られたりはしたものの、それらは手足で守ったから。
「骨が……、まず足から見せて貰うよ」
「は、はい」
痛みは今もあるけれど、興奮しているからか、そこまで気にならない。
「失礼」
「っ……」
彼は、私の足に触れて。
おそらくは……医学的な知識も彼にはあるのだろう。
『癒しの魔法』がどのようなものか、私は知らないけれど。
(『おかしな風に治す』と良くない場合もある、はず……)
特に骨とか、そういう場所を癒す時。
安易な考えでその力は振るえないと予想できた。
だから骨折した腕よりも足を優先して治療してくださる。
「…………」
真剣に私の足を診てくれる彼の姿を見つめた。
添えられた彼の手から、やがて温かい光が木漏れ日のように溢れてくる。
(綺麗……)
聖女の癒し。
溢れる光と共に見る、彼の真剣な表情が、とても幻想的な姿に見えた。
魔力が注がれる。
足首の痛みが引いていくのが分かった。
「あ……」
「魔法での癒しだけれど。安静にするに越したことはない。いいね?」
「は、はい。ありがとう……ございます、つっ……」
足の痛みが引いた事で、余計に腕の痛みに意識が向いた。
「次は腕だ。動かさずに、力を抜いて」
「は、はい」
そっと。優しく彼は私の腕を支える。
壊れものを扱うような手付き。
(怪我をしている、骨が折れているのだから当然なのだけれど)
先程見せた鬼神の如き戦いぶりの荒々しさと、今の聖女のような優しい姿。
その大きな『差』に状況を忘れて、見惚れてしまう。
それは、きっと今まで感じたことのない感情だったろう。
『前の私』にすら、きっとなかった、ときめき。
だって私は『感動』している。
平民の生活を知り、慣れていく時と同じように。
メイドとして働き始めた時と同じように。
同じ世代の、同性の友人と語り合う時と同じように。
新しい経験をした時と同じ感動を覚えていたから。
(……『初恋』なのかしら……)
分からないけれど。きっと、そういう事なのだ、と。
私の中では結論が出る。
「…………」
骨折を癒すには神経を使うようで、その姿勢のままで時間が過ぎていく。
まるで世界に私達が2人きりしかいないような、特別な時間。
「……あ」
腕に熱さを感じて。それが、ゆっくりと。じんわりと広がっていく感覚。
痛みは引いていく。
それでも彼の言葉があるまで私は身動きをせず、ただ真剣な彼の顔を見つめ続けるだけ。
「…………、……ふぅ」
「……どう、ですか?」
やがて光が収まり、彼が息を吐き出したところを見て、私は声をかけた。
「大丈夫。でも安静にしなくちゃいけないよ」
「はい……。ありがとうございます。『パトリック』様」
「あっ。あはは、バレちゃった、ね?」
「はい。実は、前からそうだという事は察してたんですけど……」
「そ、そう?」
「はい」
見つめ合う私達。
ここには二人きりで……。
ドキドキと胸が高鳴る。
その時。
「ぐっ……た、助けろ……よぉ……!」
「あ」
「……」
まったく二人きりじゃない事を思い出した。
『そういう事』をしている場合では、まったくない。
「よくも邪魔できたものだな……」
「腕、切られてますからね……」
先頭の男は特にだ。
ショックで死んでもおかしくないし、血だって大量に流れている。
それが私達の、その。男女の時間……などで死んでしまうかもとなれば、なんとも悲しい話だろう。
当然、同情はできない相手なのだけれど。
「パトリック様。まだ男が4人。私を襲った3人と、黒幕らしき相手がいます」
先程は、彼が深追いせず、私の治療を優先した為に取り逃した者もいる。
もう逃げてしまったかもしれない、けれど。
「……そうか」
「ここには貴方1人で?」
「いや。2人、いや、3人。道中で拾ったエバンス家の騎士と、私の家の騎士が居る。相手が手強くなければ制圧は難しくない」
「エバンス家の騎士も……、合流できたのですね」
私の言葉にコクリと頷く。
顔を見ないと正確ではないけれど、先に逃げ、助けを呼んでもらった彼だろう。
無事に合流できて、すぐに私の救助に動いてくれたのか。
「……細かい話は後で聞きます。パトリック様。今するべき事を」
「ああ。わかった」
ようやく今の状況に頭を切り替えた私達は、まず手近な男たちの対処に移る。
と言っても、私は立ち上がり、パトリック様に癒された手足の動きを確認するだけ。
怪我を負った男たちの対処はパトリック様がしてくれた。
ただ……完全な治療とは程遠く、なんというか……応急処置。
先程と比較すると雑な治療……のような気がしなくもない扱い。
それでも一命だけは取り留めた。
出血によって意識を失っていた男も居る。
彼らの衣服を剥ぎ取り、縄代わりにして彼らを拘束する。
「ぐっ……腕、を治せぇ……!」
「治しただろう? 流石に俺の力じゃ、切り落とした腕は治せない。出来たとしてもする気もないが」
「くっ! て、てめぇ!」
血気盛んと言うべきか。
この期に及んでもまだ、先頭の男は敵意を隠さない。
「赦さねぇ、絶対に赦さねぇからな……!」
「……その台詞が、お前のものだと思うのか?」
パトリック様の声が一段階低くなり、怒りを孕む。
「ぐっ……! はっ!」
気圧された男だが、しかし敵意や恨みを消す事が出来ないのか。
恨みがましい視線を私の方に向けてきたわ。
「お前の女は、俺が貰った! もう傷もんだよ! ははは! もう手遅れだ! なぁ? 俺が触った事を一生、覚えてろよ!?」
「……は?」
(何を言っているの、この男)
「…………」
私は、一瞬だけ呆けてからすぐに男の狙いに気付く。
こんなのは、ただの『嫌がらせ』でしかない。
けど、私達が男女の仲だと知っているからこそ、私達の関係に気まずさや不信感を与えたい。
そういうことだろう。
(武力で叶わないからって)
そういう事には頭が回るのか。
腕を失くした直後だというのに。
「覚えておく気などないわ」
私は、パトリック様に寄り添い、そして彼の手を取った。
少しだけ驚いた顔をしたパトリック様は、すぐに優しく、愛おしいものを見る表情を浮かべてくださる。
私は微笑み返してから、縛られた男を冷たい表情の変えて見下ろした。
「これから先。お前のことなど、私は思い出さない。一欠片も残さず、記憶から消し去ってあげる。貴方は私の人生において……何の影響も与えなかった、ただの『石ころ』よ。ええ、貴方の隣に落ちている、どこにでもある、誰の興味も引かない枯れ枝が、あなた」
こういう時に、どういう表情を浮かべるべきか。
身体が覚えている。
だからこそ心まで冷えた悪女のように。
無関心。無価値。何の影響も及ぼさない、赤の他人。
そう扱う事こそが、最も傷つき、男の誇りを踏みにじると知っているから。
「──お前も私を思い出さなくてよいわ。だって、お前は私に何の影響も与えない『石ころ』なのだから」
心底から見下して、そう告げた。
男は腕を切られた苦痛も忘れて、私に対して激しい怒りを見せる。
…………その瞬間。
カッ!
「えっ」
「!?」
「は?」
光と共に、私の目の前に『黄金の天秤』が現れたの。
(なに……)
ガコンッ!
そして天秤の秤の片方に光が載せられ。
ガコンッ!
もう片方の秤にもまた光の玉が載ったかと思えば。
カッ!!
「シャーロット!」
私たちを光が包んだの。
(あ……)
眩暈と共に身体の力が抜ける私。
パトリック様の腕に支えられたと思って、安心したところで。
私は意識を失った。
その後、目覚めたあとで。
パトリック様に介抱されながら、聞く。
既に事件は収束へ向かい、男たちはパトリック様の騎士たちが捕らえた後。
私の『記憶』からは、ぽっかりと『誰か』の記憶が抜け落ちている事が分かった。
他のことはすべて覚えているのだけれど。
そこに居たらしい『誰か』に関する記憶だけが抜け落ちていたの。
そして、それはその『誰か』も同じだったみたい。
その『誰か』は『私の記憶』を失っていた。
なぜ自分が腕を失ったのかも曖昧になっているそう。
その『誰か』は、自分のした事、言った事を……後悔さえも出来なくなっていたのよ。




