15話 危機
そのままお茶会の時間は穏やかに過ぎていったの。
開始時刻をズラす予定を崩したことと、ノーラさんが私を認めてくれた事で場の雰囲気は私に好意的なものになっていたから。
(きっとカルミラさんの初手を潰していなかったら、こうはならなかったんでしょうね)
それが貴族のやり取り、なのかしら。
私には記憶や経験という武器がないから、その都度、その状況での最善を考え、頭を回す必要がある。
もちろん周囲の人に頼ってアドバイスも頂いて、協力もしていただいて、よ。
逆にノーラさんまで私に好意的な態度をし始め、周囲もその空気に引っ張られたせいか、カルミラさんはほとんど喋っていなかったわ。
主催は彼女のお茶会だというのに。
取り繕えないのか、時々その表情をかすかに歪めていたけれど。
それを認識していても誰もそのことには触れなかったの。
たぶん、もっと私達が徹底的に仲違いしていたのなら、ここぞとばかりに彼女を詰めたり……したんじゃないかしら?
でも曲がりなりにもカルミラさんは、グレゴリー家の名で手紙を出し、私に謝罪文を送っているわ。
そして表面上、私に対する攻撃はすべて空振り。
どころか私としてはノーラさんや、同格の令嬢・夫人と交流ができてありがたいぐらい。
……うん。
私からは、カルミラさんにこれ以上、皮肉な言葉を掛けることはしない方がいいわね。
ほら、何にだって『やり過ぎ』ってよくないでしょう?
最初は被害者の側のつもりでも、一線を越えると、それはもう加害者みたいに。
(……でも、ほとんど何もしてないのよねぇ)
このお茶会でカルミラさんに対して私が仕掛けた? ことは時刻ズレの招待状を見抜いて、早めに訪れたぐらい。
あとは精々、軽い皮肉の応酬だけで。
あとはノーラさんとのやり取りで流れが変わってしまった、というか。
カルミラさんと戦う前に、『雰囲気』勝ち? うーん。
間違いなく彼女の中ではこういう予定じゃなかったのだろう。
手始めに『茶会に遅れてきた無礼な平民上がりのシャーロット』を、事前に味方につけていた令嬢たちと共に嫌味を言う。
萎縮した私から主導権を握って、それで王子殿下の『恋人』さんの話を振る。
それで……平民としての身分相応? みたいなことを言いつけて、私からリック様の婚約話を辞退するように仕向けたかった。
……こんなところよね。
次の手が打てなくなって黙り込みながら、それでも私を睨みつける彼女を見れば、この予測は当たっていると感じるわ。
ここまでいくと、下手に彼女をどうこう言うのは、逆にこちらが『悪役』になってしまう。
やり過ぎで、はしたない、という印象ね。
それは、せっかくのノーラさんの好印象に影を落とすからしたくないわ。
だから私は、穏やかな会話を続け、話の中心になるよりは彼女たちのお話の聞き役に回る事にしたの。
どうしても記憶や情報不足の面は拭えないから、聞き役の方がいい、っていう事情もあるわね。
幸い、皆さんもお話したい事は沢山あるみたいで……うん。
最後まで穏やかに過ごせそうで良かったわ。
そして、とうとうカルミラさんに動きがないまま私の初めてのお茶会は終わりを迎えたの。
「今日は楽しかったわ。グレゴリー子爵令嬢。貴方が声を掛けてくれたから、とても有意義な時間を過ごせました。今日は本当にありがとう」
「い、いえ……。私は、そんな」
「そうよ。この機会をいただいてありがとう。カルミラさん」
皆で彼女に感謝の言葉を向ける。
主催者の顔を立てるのね。
うん。思惑はどうであれ、彼女は別に恥はかいてないの。
勇み足……程度かしら。
「グレゴリー子爵令嬢。私からも感謝いたします。こういったお茶会に私を初めて誘ってくださったのは貴方ですもの。とても良い機会を与えていただいたわ」
微笑みながら、私は本心も交えて感謝の言葉を告げた。
「……ええ。どういたしまして」
それから立ち上がるタイミングや邸を並んで出て、馬車停めへ向かう時の位置にも気を配る。
最後尾を歩くと、後ろから手を掴まれそう……って思ったから、真ん中ぐらいの位置ね。
無事にお屋敷に帰る事で今回は、目標達成? かしら。
内心でドキドキしつつ、警戒しつつも、それを表には出さず、慌てず、優雅に、皆さんと歩調を合わせて外へ向かうのよ。
周囲の令嬢の目があるから、この前みたいな事にはならないと思うけれど。
二人きりになるのだけは避けたいわね。
いえ、令嬢たちの身内の侍女や護衛は最低限、近くに控えていたのだけれど。
エバンス家の侍女は分かっているのか、お茶会が解散となった後でササっと私に近寄ってきてくれたし。護衛もそう。
令嬢たちが馬車に乗って。
「シャーロットさん」
「はい。ノーラさん」
「またお会いしましょう? 次は、お互いにどういう『立場』になっているか分からないけれど、ね?」
「……! はい! ぜひ!」
嬉しいと素直に思えたわ。
あんまり、グレゴリー家のお屋敷に来ても『感動』は感じなかったのだけれど。
ノーラさんの私を認めてくださる態度には、感動を覚えたの。
こういう関係、こういうやり取りに『敬意』を感じられる。
そこに打算がないワケではないけれど……でも、それだけじゃないような。
今の私もまた、ただの子爵令嬢に過ぎないから彼女に『媚び』られることもない。
(変なの)
どうしてそう感じ、こんなに感動を覚えているのかしらね。
でも自然と笑みを返せたのよ。
そう、心から。ふふ。
そうして馬車に乗る間際。
「エバンス嬢!」
(やっぱり呼び止められた!)
まだ周りに令嬢たちは残っているものの、半数は馬車に乗り込み、既に帰宅を始めている。
私に声を掛けるにはギリギリのタイミングね。
どうにか機会を逃さずに声を掛けたらしい。
「……グレゴリー嬢? どうされましたの?」
私は貴族の微笑みを崩さず、優雅に振り返ったの。
侍女と護衛騎士はそばに控えてくださっている。
あとは馬車には御者さんがいらっしゃるわ。
私たちは4人でエバンス家からここまでやって来たのよ。
もっと高位の令嬢になると、さらに大仰な形での移動になる……のかしら?
ノーラさんのところでは少なくとも護衛が3人いらっしゃるみたいね。
「……私は」
「はい」
どう出るかしら。穏やかな皆さんの空気に流されて彼女も何かしらそういう態度になってくれるのが一番いい。
でも彼女にだってプライドがあるから分からない。
「……まだ、貴方の婚約は決まっていらっしゃらないのでしょう?」
「え? はい、まぁ」
「私は、父に動いて貰うつもり」
「……そうですか」
「今までお父様は、何かの機会を窺っていらっしゃったみたいだけれど。私は、昔からパトリック様のことが好きだったのよ」
「…………」
カルミラさんの目を見る。
真剣な目。
そこにある感情は本物だと感じたわ。
彼女、本当にパトリック様が好きみたい。
それは相手が『辺境伯令息』という肩書きを持つからではなく。
パトリック様という『個人』が好きなのだと。
今の私にはその気持ちが理解できたの。
貴族の結婚で、恋愛も絡めて上手くいくのは稀な話だとも聞く。
子爵家からの働きかけで、高位の貴族がすぐに返事がくれるのは……難しい事なのでしょうね。
「ようやく機会が巡ってきたの。だから。……私は、貴方をノーラさんのように簡単には認められないわ」
「……はい」
万人に認められるとは思っていない。
むしろ今までが順調過ぎたと言える私。
でも、その実、今の私は彼の婚約者でも何でもないのよ。
その資格を得た、という程度。
「……すぐに動くから」
「……ええ」
彼女もそう。その表情には不安の色が浮かぶ。
(グレゴリー子爵は、カルミラさんの婚約相手に別の人を考えているのかしら?)
当人の希望は叶わず、親は別の相手を見繕っている。
私の元にやって来たりしたのも、彼女が追い詰められていたから、なのかも。
「それだけが言いたかったの」
「……はい」
「それじゃあ」
「ええ。それでは」
それを最後の言葉にして。カルミラさんは振り返り、屋敷に入っていったわ。
私は馬車に乗り、ガタゴトと揺らされながら、ゆるやかに流れていく景色を見る。
(誰かと同じ人を好きになる。そして、その誰かに譲れないという気持ちを抱く……)
恋愛感情。
その心に、私は振り回された事はあったかしら?
『前の私』は……どうだった?
もしも、その心を知らなかったのなら……きっと前までの私は。
「……理解できない、と思ったのかしら」
今の私になら理解できる気持ち。
「……ふぅ」
なんだかちょっと疲れたわ。
初めての社交。他家の令嬢の前で話したことによる緊張感は……感じていた。
(でも)
『慣れて』もいたような気がした。
なら、私はやっぱり。
もしも。
もしも私が、元々は貴族令嬢だったのなら。
元の身分があれば。
すぐにでもリック様との婚約が決まったのかしら?
カルミラさんに、あんな思いをさせなかったのかしら。
ううん。カルミラさんにだって機会はある。
まだ何も決まっていないのだから。
(私と彼女は対等。同じスタートラインに着いただけ)
むしろ私の方が不利ですらあるでしょう。
彼との婚約がまだ成立していないのは、今の私を見られているから。
試されているから。
結局、身元の分からない女。魔力という母から譲り受けたものだけで、彼の伴侶になる希望を抱いている。
(優しい人達に助けられて、支えられて)
どこまで進んでいい?
どこまで私に許される?
矜持など、実力や実績、血筋の前では無意味でしょう。
誰からも祝福されるなんて夢のような婚姻。
そんなの、私が叶えていい夢?
(記憶がないのに)
失った記憶に未練はない。
それでも。
失った物があれば、きっと私はもっと……。
だから、失ってしまった何かには、やっぱり『価値』はあったのだ。
(それを私は否定しない……)
覚えてなんていなくても。
そうして初めて、私は。
(……思い出せば。取り戻せば。恋する気持ちだけじゃなく、貴族令嬢として堂々と)
リック様の隣に立っていいと思えるだろうか。
もしも彼が辺境伯を継ぐパトリック様だったとしても。
そう、私が考えていた時。
──ガタタン!
「きゃっ!?」
馬車が大きく揺れ、そして急に停まってしまったの。
「な……、なに?」
「シャーロットお嬢様、この、揺れは……」
馬車の中には侍女と2人。
御者と護衛騎士は御者席に。
周囲は森……、林の途中の街道。
片側には山が見えるような……。
「くっ……!? お嬢様、馬車から出ないように!」
緊迫した声が騎士様から上げられた。
御者席に座っていた騎士様と御者が動き始める。
「まさか」
耳を澄ませば。人が数人……、気配、も。
(襲……撃?)
まさか。誰を襲う? 私、を? 何故。誰が?
カルミラさんの顔が思い浮かんで、私はすぐに否定した。
(彼女は私に宣戦布告をしてきた。それは、あの目は、あの言葉は。『こんな形』を望んでいたものじゃない)
ならば……誰が?
分からない。
しかし私の思考が追いつかずとも『襲撃犯』は待ってはくれなかった。
馬車の外で争いの音が響き始める。
「っ……!」
私は震える侍女の肩を抱き寄せて馬車の中で息を潜める。
襲われている。
この馬車が。私が。
狙われている。
狙いは金銭か。命か。或いは……貞操か。
死の気配に身体が震えた。
「……っ!」
歯を食いしばりながら、私はどうする事も出来ず、侍女を庇うように抱き寄せるだけ。
(リック様……!)
心の中で祈りながら、私は今出来る事は何かと必死に考えるしか出来なかった。




