14話 『王』の妃
「さぁ。私、第一王子殿下のことも、そちらの女性についても存じ上げませんもの。特別に申し上げる事はございませんわ。ただ王家の下したご判断や、ましてや王子殿下が慕われた女性に対して、そのように話されるのは……はしたないのではないかしら」
「……いやねぇ。もちろん、不敬な言葉を紡ぐ気などないのよ? エバンス子爵令嬢は、社交がお得意ではないのかしら。もう少し心を開いてくださるとよいのだけれど。このお茶会は、もっと気楽なお喋りの場にしたいのよ。ねぇ、皆さん」
社交ね。
ここで口うるさく『王家への不敬』を窘めれば『空気が読めない』と扱われるのかしら。
若い女性の集まりだから『共感』の方が大事な時もある。
同じ相手を一緒になって悪口を言って仲良くなる……というやり方ね。
それで連帯感は増すでしょう?
このグループで共感し、協調路線を築きたいなら、それも悪くない。
そのやり方でも叩く相手は選びたいのが皆さんの本音でしょうけれど。
誰しもの不満が溜まっているような状況でもないなら、王家や高位貴族を『共通の敵』にはしない方が無難だと思うわ。
そこはきっと他の皆さんも一緒。
危ない話題ではあるわね。
このお茶会のメンバーにそういう形での同調や共感が必要なのかが私の考えるべきところ。
今だけじゃなくて今後のことも見据えてよ。
彼女らと敵対する理由は私にない。
派閥に関しても、どちらかと言えば『辺境の貴族』という括りで、やんわり皆さんが同じ派閥と言えなくもない人達。
だから誰かに対して攻撃的になる必要はないと思う。
でもカルミラさんは私を敵視しているわ。
ここで彼女にやられるばかりになる状況は避けなければならない。
『あの子はどれだけなじっても言い返さないわ』
『家からの反撃もなさそう』
……と、思われてはエバンス家に迷惑が掛かるはず。
私自身もきっとそれは『しんどい』ことになるでしょう。
ここは隙を見せずに、ひらひらと受け流すのがベターだって思うの。
痛烈に皮肉を返すのも良いけれど、最も重要なことは『失言しないこと』よ。
辺境の下位令嬢が集まってお喋りする程度のお茶会。
そこでのお喋りを王家に密告して……なんて、たしかにちょっとないわよね。
だから、そういう方面ではカルミラさんを詰められないわ。
よっぽど王家批判の主張が強いなら別だけれど。
「王子殿下のお話からは変わるのだけれど。私、エバンス子爵令嬢については興味があるのよ」
と、おっしゃったのはノーラ・テネット子爵令嬢。
このお茶会で一番、堂々としていらっしゃるわね。
『夫人』になられた方たちとも雰囲気の違う方。
事前の調べでは彼女には、ちゃんと婚約者がいらっしゃるそうよ。
結婚も間近に迫っているのだとか。
お相手は伯爵家の方。
つまりノーラさんは、いずれは『伯爵夫人』になる方なの。
エリーお義姉様が嫁いだ相手は同じ子爵家で、今は子爵夫人になられている。
エバンス家としてはカルミラさんと違い、完全に対等とは言い切れない相手。
このお茶会のメンバーでは一番に注意と敬意を払わなければいけない方ね。
そんな彼女は王家の絡むお話を終わらせてから、私に話の対象を向ける。
……おそらくカルミラさんの考えは察しているのでしょう。
だから危ない王家の話を終わらせて『本題』に誘導してくださるのね。
少しホッとした顔を浮かべた方も何人か。
カルミラさんの勢いのままだと、王家の、王子殿下に対する批判が飛び出しかねなかったものね。
……このご様子だとカルミラさんは、あまり周りが見れない方?
あんまり注意して相手をするほどの方ではないのかも。
それよりも、こちらのノーラさんの方が……。
「私に? 嬉しいですわ。テネット令嬢。どんな風に思ってくださっているのでしょう」
隠されているけど『嫌い』『好意的でない』本心を彼女が抱えている可能性もある。
いきなりキツい一言があってもおかしくないことは覚悟しておかなきゃ。
「今、私には婚約者がいるわ。それはご存知?」
「ええ。聞いておりますわ」
「そう。勤勉ね。もちろん今の相手に不満はないの。満足しているのよ。よくしてくれているもの」
「ふふ。まぁ、とても素敵ですわ」
婚約者への満足の言葉に、私以外も羨ましいという旨の言葉で同調する。
ふふふ。なんだか様式美ね。
これこそ社交辞令。
でも褒められて悪くはなさそうなご様子に、本当にノーラさんと婚約者が良好な関係なのを窺える。
であれば彼女が『伯爵夫人』になるのは間違いないことね。
「でも以前は、今の婚約者とは違う、別の方とのお話がありましたの」
「別の?」
「ええ。特に親しかったお相手でもないし、憧れていた方というワケでもないのだけれど。そのお相手はね。かの辺境伯閣下のご令息、パトリック様だったのよ。私、パトリック様の婚約者候補だったの」
「……、まぁ」
……それは聞いていなかったわね。
でも絶妙に反応に困るところ。
というのも、概ね『そう』だとは思っているのだけれど。
私のお慕いしている方も、婚約の話が上がっているのも『リック様』でしかないのよ。
『何かの爵位を継ぐらしい、家名を知らないリック様』ね。
誰も、リック様イコール辺境伯令息、とは私の前で明言していないの。
だから辺境伯令息とどうこうの話があったのよと言われても、ね。
『はぁ、そうなんですか』と反応するしかないというか。
もちろん、そわそわ、ドキドキはしているのだけれど。
ただ、そのことを表に出す必要はない『場所』だと思うわ。
だから私の表情も貴族の微笑みから変えることはない。
「レノク王国には今、公爵位を持つ家はない。侯爵家はいずれも中央寄りの領地を持つ家よね」
「はい。そうですわね」
そういった王国基本の知識辺りはちゃんと教えていただいているのよ。
「南方は海に面し、東は大きな山脈があって隣国と交易できる道は繋がっていない。だから大きく北と西に辺境伯家があるわ」
私は、前に見せていただいた王国の地図を頭に思い浮かべた。
ディミルトン辺境領があるのは『西』ね。
この地はベルファス王国との国境側に面しているの。
「つまりディミルトン辺境伯家は、王国西側の『一番』の家門だと言えるわ。その力と重要性は侯爵家にも劣らない。何かしら運営を失敗してしまった侯爵家よりも『上』かもしれない家だわ」
侯爵家相当の家。それがディミルトン辺境伯家、ね。
ノーラ・テネット子爵令嬢は、優雅に視線を巡らせるけど、概ね私に向かって話し掛けてこられたわ。
そして、その内容は基本のおさらい、みたいな?
カルミラさんのような『皮肉』の内容ではないわね。
『そんな相手と婚約しかかったのよ』という自慢に取れなくもないけれど……。
それは、なんだかちょっと微妙な印象になると思うわ。
彼女の雰囲気からして、そういう事が言いたいんじゃあないと思う。
「私は違う相手と結ばれるけれど。もしもね。そんな方と『運命』が結ばれていたとしたら。そんな風に思わない事もないの。今に不満があるワケではないけれど、それでもよ。ねぇ、エバンス子爵令嬢。いいえ、シャーロットさん。貴方はどうかしら?
貴方にも……『どなた』かとのご婚約の話が上がっていると聞いたのだけれど」
「ええ、そうですわね。まだ結ばれておりませんけれど。そういうお話を家ではしております」
「そう。では、もしも。……貴方の結ばれる相手がね。『一番の貴族』であったなら。想像できるかしら?」
「…………」
「ふふ。こう考えて? シャーロットさん。それこそ貴方の結ばれる『運命』は……『王子様』だった。貴方は国一番の方と結婚するの。その地のすべての貴族を従える、王様に近しい人よ。そんな相手と結ばれる可能性があったなら……貴方はどう思う?」
「王子殿下と、結ばれる運命……ですか」
「ええ、そう。似たようなものね。貴方は国一番の女になる。
私達よりも上に立つ。
だけど、それには……同時に背負うべきものが生じるわ。
ただ華やかなだけでなく。ただきらびやかなだけでなく。
国を、民草を、背負う覚悟が、矜持が試される。
美しい殿方の、優しい手引きに心踊らされるだけの少女には、きっと務まらない『責任』が発生するの。
貴方がミスをすれば、多くの民が路頭に迷う。
貴方の決断が間違いであれば、他国との諍いが発生し、戦にすらなるかもしれない。
……戦争が起きれば、多くの人々が命を失い、生活を奪われるわ。
でも、単純に戦を厭うだけでは国を守る事はできない」
「…………」
「時に、残酷な決断を迫られる時も来るでしょう。
誰かを切り捨て、諦め、多くの者を救う決断をしなければならない日が来る」
ノーラさんは微笑みを浮かべたまま自然と話されているわ。
私もきちんと微笑み返すの。
そして表情はそのままを維持する。
「ふふ。そんなのは『王の妃』のする事じゃない、って思っている?
そういう難しく残酷な決断を下すのは『王』の仕事であって。
『王の妃』は、ただ美しい殿方に愛され、甘やかされていればいいだけだと。
……『平民上がり』のシャーロットさんは、そう思っているのかしら?
きらびやかな、ただのお姫様になれる、と」
ノーラさんのその言葉に、カルミラさんが我が意を得たり、と笑みを浮かべたわ。
ある意味で、この問いは彼女の願った通りの展開ではあるのでしょう。
でも。
ノーラ・テネット子爵令嬢が私に問いかけているのは、カルミラさんとは別の意図だと思うの。
彼女は、或いは私よりも私の婚約周りの事情を察しているのかもしれない。
リック様かパトリック様の婚約に関するあれこれを。
だから今、彼女に私が問われているのは。
「いいえ。そのように私は思いませんわ。テネット令嬢」
「……へぇ?」
微笑みが鋭くなった。
中立でありながら、ある種の敵意。
いえ、敵意というよりは、厳しく鋭く、貴族としての……。
「貴方は王の妃をどのように考えていらっしゃるかしら?
ああ、もちろん。これは『例え話』よ?
だって王子殿下のご婚約者は、もう決まっていらっしゃるのだから」
「そうですわね。ええ。その点は弁えていますわ」
王の妃。
つまるところ、それはレノク王国の西側一帯をまとめる『辺境の王』とも言える方について。
……その方の『伴侶』となる、覚悟について。
私は問われている。
平民にとっては王様と王妃様、王子様とそのお妃様に例えるのが、きっと一番伝わりやすいと考えてのこと。
「ではシャーロットさん。多くの貴族のさらに上に立つ高位の貴族について。『王の妃』について、どのように考えていて?」
「…………」
私は少しだけ間を置いて。
呼吸を整える。
でもノーラさんから視線を外さず、微笑みを浮かべたまま。
「──王の妃となるならば、その人生は民の為に。国の為に捧げるべきと存じます。
そして、傲慢にはならず。全霊を以て、政に携わるべきでしょう。
国を広く見渡し。民の命と生活こそを守らんとする。
いかに恐ろしい事態に陥ろうとも胸を張り。
恐ろしい他国の相手であろうとも毅然とし、まっすぐに立つ。
それらの為に常に学び、知る事から逃げず。
……時に残酷な決断を下さねばならぬ時もありましょう。
己の決断によって命を失う民も居るかもしれない。
だからこそ……最善を尽くし、それに飽き足らず、尚も最善を探る者であらねばならない。
王の重責を理解し、共に背負い、時には……王の『敵』となろうとも、かの方に意見する。
王が間違いを犯さんとする時、諫めるは王妃の役目。
そうでいながら、王が間違いを犯した時。
共に責任を取るのもまた王妃の役割。
かの方を支えるだけの者ではない。
かの方に甘えるだけの者でもない。
王と、共に立つ者。
それこそが『王の妃』と……そう私は考えますわ」
私は毅然とした態度で、背筋を伸ばし、胸を張り、微笑みを携えたまま。
それでもまっすぐに彼女を見据え。
堂々と、そう言ってのけたの。
つらつらと出た言葉は『私』から自然と零れ落ちるように。
ああ、だけれど。
だけれども。
『今の私』は、それに付け足したい言葉があった。
「……ああ、でも。ふふ。『伴侶』と優しい愛を紡ぐこともまた。重要だとも思いますの。互いを信頼し合い、想い合うこと。人として、男と女として……絆を深める事もまた。ええ、大事だと思いますわ」
ここで、私は……そう、今までしなかった?
そう、たぶん、しなかったことをする。
ニコリと貴族の微笑みを崩し、『平民』のように笑って見せるの。
義務だけでなく。矜持だけでなく。
信頼と愛もまた大事にするのだと。
思い浮かべるのはリック様のお姿。短く、少ないやり取りの……甘い恋心。
ええ、そう。
無責任にも近い、純粋な恋愛感情から成る『愛』もまた大事だと。
『今の私』は認めているの。そう思っているのよ。
矜持も愛も、すべてが大事なんだって。
私ったら欲張りなのかしら? ふふ。
「────」
ノーラさんは軽く目を見開き、驚いた表情を浮かべる。
その他の方達は、吞み込まれたように沈黙を。
「……貴方、本当に……平民上がり?」
「え?」
止まった時間のような空間に、注目を浴びた私。
それに一番に口を開いたのはノーラ・テネット子爵令嬢。次期伯爵夫人。
「……呑まれてしまったわ。貴方、以前の記憶がないそうだけれど……」
「ああ、その事もご存知でしたか」
さすがは次期伯爵夫人、という事なのね。
「以前の貴方は、どんな人か。思い出せたの?」
「……いいえ。それは、まだ」
「元々は貴族令嬢、という話は本当?」
「……っ!?」
「すみません。生家についても分かっておりませんの」
「……そう」
今の話に微妙にカルミラさんが驚いていらっしゃった様子だけれど。
何かしら?
「……覚えていらっしゃらないみたいだけれど。
『前の貴方』に未練はないの? 貴方にも恋人が居たかもしれない。
愛した人が居たかもしれないわ。
それでも……エバンス子爵令嬢として。新しい愛を選べる?
シャーロットさん」
「ふふ。ええ。ノーラさん。
過ぎてしまった時間を、懐かしむだけなんてしたくないの。
だって新しい事は素敵なことばかりだわ。
新しい世界はとても素晴らしくて、楽しい。
私、今の私がとても好きなの。
出逢った人々が本当に大切。
かつての私に、見ていた夢があったのだとしても。
かつての私に、愛している人が居たとしても。
今の私は、違う未来を見ているの。
今の私は、違う人を愛しているわ。
……だから。私は、今の人生を歩んでいける」
私は偽りない言葉を彼女達に聞かせたの。
うん。嘘なんて吐く必要は今、ないものね。
「……そう。シャーロットさんなら、きっとパトリック様の妻になっても大丈夫ね」
「なっ……」
「……ノーラさん」
「一度は彼との未来を考えた私が言うのだもの。
私ならば、と真剣に考えた事もある。
高位貴族に嫁ぐ不安と言っても、伯爵家と辺境伯家では大違いだから。
……私は伯爵家を選んだわ。
それだって子爵家出身の私からすれば大きな話だけれど。
辺境伯家は、西側の王様。まぁ、厳密には違うけれどね。
有事の際は、かの家に従って動くことになるでしょう」
ノーラさんの微笑みが厳しいものから柔らかいものへと変化していたの。
まるで私を『認める』とそうおっしゃってくれているみたいに。
態度で示されていたわ。
そして、このお茶会でおそらく一番影響力があるのは彼女で。
「長らく不安なところではあったの。パトリック様のね。婚約者が決まらず。
一度は候補に上がり、まだ婚姻がなっていない令嬢は、やっぱり思うところはあったのよ。
『今からでも遅くないのではないか』
或いは、今の相手に理不尽を強いたのだとしても、まず辺境伯家の安定を優先するべきではないかと。
つまり婚約解消して、改めて辺境伯家に嫁ぐべきじゃないかって」
「……そうなんですね」
「ええ。でも、平気そう。シャーロットさんなら……上手に生きていけるわ」
「そ、その。ありがとう、ございます?」
「ふふ」
困ったわ。
だから私にとってリック様は、リック様でしかないのよ。
これで……パトリック様とリック様が別人だったら、どうしようかしら?
物凄く恥ずかしいやら申し訳ないやらな事になったりしない?
「っ……!」
ノーラさんに認めていただいた? 私に、他の方の対応も敬意を持ったものに変わったわ。
『中立』から『やや味方寄り』な感じにね。
もちろんというか。
カルミラさんだけは、そうして態度を変えた方達とは、違う思いでいらしたようだけれど。




