幕間 ~グレゴリー家~
「何をやっている!」
「も、申し訳ございません、お父様」
グレゴリー子爵家では予期せぬ事態が続いていた。
それは1年ほど前にレノク王国を光が覆った事件からだ。
光はレノクの国中を覆ったらしく、その光景は、かつての聖女の光そのものだとも噂されている。
聖女という言葉がただの噂で済まないことを辺境の地の者は知っている。
とりわけグレゴリー子爵家はそうだった。
聖女の末裔、ディミルトン辺境伯家。
今代の嫡子が聖女の魔法を受け継いだという。
かつて国を守っていたという守護結界の力まで継いだとは言われていない。
だが、聖女の末裔が魔法を継いだ時代にあの光は国を覆った。
それらが無関係であるとは……とくに辺境伯家を意識しているグレゴリー家は思えなかった。
他にも理由がある。
国を覆った光は、多くの人々にとって『無害』だった。
しかし、そうでなかった人間も居る。
それがグレゴリー子爵家の者達だ。
あの光によって、ほんの少しの距離。
それだけだが……彼らは『吹っ飛ばされた』。
屋敷の中に居たにもかかわらず。
まるで嵐が叩き付けられたように。
周囲の人々にそのような事は起きていない。
グレゴリー家の者だけが、ほんの少し吹っ飛ばされた。
これが、もしも『聖女の結界』であるならば。
護国の結界に『弾かれる』という、あまりにも不名誉なこと。
本当に聖女が現れたというのなら抗議をしなければならないほどの。
だが、もしも聖女が今世に現れたとしても、彼らは口を噤んでいただろう。
何故ならグレゴリー家は結界に弾かれた事に『思い当たる理由』があったから。
「はぁ……」
グレゴリー家を支えていた、否、『潤して』いたのは領民ではない。
またレノク王国の高位貴族でもないし、辺境伯でもなかった。
グレゴリー家に大きく援助していたのは隣国、ベルファス王国だ。
辺境の貴族といっても、国境を任された家ではない。
しかし、重要な位置にもあるのがグレゴリー家だった。
大隊を移動させる事は不可能でも、鍛え上げられた者だけであるならば山林を越えて、レノク王国に入る事ができる。
隣国ベルファスが密入国をするに当たって良い場所にあるのがグレゴリー家だ。
以前から彼等の屋敷は、ベルファス側の人員の中継地点として使われていた。
だが、最近になって。
それも、あの『光』事件があって以降、隣国からの使者は現れなかった。
ただの一人も。
グレゴリー家の者をほんの少しの距離、飛ばしてしまった国を包む光。
それらを踏まえて、アレが『護国の光』であり、隣国の企みを抱いた者達を排したのではないか。
更に今もなお、人知れずその結界は機能していて。
二度と、グレゴリー家に隣国からの『援助』が入る事はないのではないか。
グレゴリー子爵は、半信半疑であれど、そんな風に考えるしかなかった。
そして、もし、そんな事を出来る者が居るとするなら。
それは聖女の末裔、パトリック・ディミルトンに他ならない。
グレゴリー家にとってディミルトン家を恨む理由などはなかった。
とりわけ優遇される事があったワケでもない。
だからこそ、利益をもたらしてくれる隣国の方が、彼らにとって良い交渉相手だった。
それだけに過ぎない。
ただ、ここに至って。
「ただの邪魔者に……なるか。それとも」
隣国がレノク王国を狙っているらしいのは前々からの話だ。
王太子が成長するにあたって、その傾向は強まっているらしい。
レノクよりもベルファスの情報の方が多く入ってくるのは皮肉な話。
もしも戦争になり、ベルファス王国が勝つようならあちらに付く。
そして、そんな事が無理なようであれば、もちろん。
二つの可能性を残す為に必要なことと、また隣国の思惑は一致していた。
それが辺境伯令息と、グレゴリー家の娘の婚約だ。
ただ釣書を送っただけでは相手にもされない。
だから怪しまれない段階で、隣国の力を借りた『工作』が始まり……。
すべてが順調なはずだった。あと一手。
辺境伯令息が年を重ね、これ以上はというところで娘を売り込む。
そうなれば高位貴族でなくとも、辺境伯の目に留まり、そして。
ただの子爵家ではそのような策は取れなかった。
それがベルファスの協力で叶い、いよいよ現実味を帯びてきた……ところだったのに。
「……忌々しい」
邪魔者が現れたのだ。
まったくのノーマーク。
いや、既に『処理済み』だった筈の家。
本当に最初の頃にその可能性を潰したはずのエバンス家が新たに養子を迎えたという。
当然、その目的は……グレゴリー家と同じ。
ディミルトン家と縁を繋ぐ為のものだった。
きっと今もベルファスの使者がグレゴリー家に出入りしているならば、この時点で『彼女』を狙って動いただろう。
他家の令嬢ならばともかく、元が平民とあらば……力尽くで。
しかし、今のグレゴリー家に外部からの、暗部からの支援はない。
だからこそ、すべての決断がグレゴリー子爵に委ねられていた。
このままでは当初の計画は上手くいかなくなるだろう。
では、このまますべてをなかった事にするか?
それとも……自分の判断で動き、本来の計画に近付けるか。
ベルファスから連絡が途絶えて既に1年以上。
あちらの国が意図的に切り捨てたのか。
それとも『聖女の結界』により、こちらに入ってこれないのか。
何も分からないまま放置されてしまったグレゴリー家。
そんな状況での娘と『彼女』の接触だ。
名が届けられてしまっただろう。
悪い意味で。
……つまり、当初の計画とは致命的に……。
「………………やる、か」
他に候補がいないからこそ選ばれる。
消極的に。
カルミラ・グレゴリーならば『マシだ』と思われるように。
辺境伯令息の、真面目だの誠実だのという噂の性格を利用して。
だが悪評のない令嬢ならばともかく、既に問題を起こした令嬢と認識されてしまったなら。
……やはり邪魔者を消すしか、当初の計画を完遂する術はない。
本当に他の相手がいない状態にする。
もう既に平民出の女などを無理矢理に養子にするほどに辺境伯家は追い詰められているのだ。
だから、その邪魔な女さえ消してしまえば……いい。
グレゴリー子爵はそう考え、決断するのだった。




