11話 辺境伯令息
「リック……いや、パトリック様。またシャーロット様からの手紙を読んでいるんですか?」
騎士仲間のマークが、からかうようにそう声を掛けてきた。
場所によっては上下関係があるが、普段はそれこそ『同僚』と言っていい。
「ああ。彼女は字も綺麗なんだ」
「凄いですね。最近習ったんじゃ?」
「……元々、教育を受けてきたんだろうね。やはり平民ではないのだと思う」
記憶喪失の女性。シャーロット。
今はもうシャーロット・エバンスという名になった人。
黒い髪にアメジストのような紫色の瞳。
目を惹くほどの容姿だけれど、俺が彼女に意識を向けた理由は。
……何が原因だ、とは特定できない。
容姿だって気になったし、触れてしまった時の魔力の存在感だって気になった。
だけど、それ以上に。
(どうして彼女がこんな場所に、と)
そう思ったのは何故だったのか。
違和感は強くあった。
イヤな感じではなく、自分から関わりたくなるような……。
放っておけない理由も分からず、ただ父から聞いていた記憶喪失の件にかこつけて彼女に会えるよう手配して貰った。
もちろん自分が持つ力が彼女の助けになれば、と思ったのも事実だったけど。
「返信を書かなければな」
と、彼女からの手紙を読んですぐに、返信の手紙を書き始めた。
婚約関係を結ぶ前の女性との交際。
貴族の婚約者同士の交流というよりは、平民の間での恋愛事のようなそれに大人げなく喜んでいる。
彼女も俺と同じ気持ちであってくれればいいな、と。
そんな風に思いながら。
レノク王国のディミルトン辺境伯家の嫡子、パトリック・ディミルトン。
それが俺の立場であり、名だ。
だけど普段は辺境領を守る騎士の一人として活動している。
持ち場を固定せず、領地全体を飛び回るような形で過ごす日々。
それらは領主の一族として視察の意味合いもある。
だが主目的としては、この地における防衛戦について考えることとなる。
だから領地自体を巡るよりも、国境に面する一帯に築かれた『壁』の向こうを行く事も多い。
ただ領地をよく管理・運営するだけでは赦されないのが辺境伯家というものだから。
どちらかと言えば常から緊急時であっても、優先されるのは武力な面がある領地。
最悪は知性よりも武力があると噂された方が良い、という特異な家門。
もちろん、領地自体が上手くいっていないだとか、『領主の息子は頭が悪い』なんて思われては余計なことを考える輩が現れるから、すべてにおいて手は抜けない。
特に最近は、我が家が守る国境の先にある隣国、ベルファス王国が良からぬ動きを見せている節があると聞く。
小さな争いだって起きない事はない。
それらは隣国の何らかの意図なのか。
そういった事を常に考えていなければならないのが我が家だった。
中央貴族とは考え方や、立場があまりにも違う。
苦しい時もあった。ただ、すべてが当たり前で、義務なのだと思えない時も。
それでも俺が頑張ってこれたのは。
(どうして……だったのかな)
憧れの人が、居た。居た……筈だった。
少なくとも俺は『彼女』のように矜持を持っていたいと、そう願っていた。
それは言ってしまえば、俺の『芯』のようなもので。
支えとも言うべき……。
そんな大切な何かを、ある日、いや。いつの間にか。
忘れてしまっていた。
何故なのか。いつなのか。いつからなのか。
それさえも分からない。
あまりにも遠い人だったから、その存在さえ色褪せて、見えなくなったのか。
喪失感はあった。
でも、それを同時に『仕方ない』ようにも感じたんだ。
それが『何故』だったのかは正確には思い出せないけれど。
たぶん、……俺が憧れた『彼女』は既に手の届かない人だった。
そう、俺の気持ちは『憧れ』に過ぎないもので。
貴族なのだから、きっと、そういうものだった。
だから忘れてしまったのは……悲しいけれど、同時に楽にもなれた……のかもしれない。
今、落ち着いてから自分の気持ちを探ってみれば、悲しむ事さえ出来なかったという気になる。
失恋さえ出来ず。
後悔さえ出来なかった。
『彼女』は幸せになっているのだろうか?
実在すら疑わしいほど、遠い記憶。
だけど、たしかに居た筈の誰か。
手の届かない人だったけれど、せめて『彼女』が幸せを掴んでくれればいいと。
いつか心に決めていたように遠い場所から、そう願っている。
貴人としての在り方を勝手に教わった。
矜持を如何様に持てばいいかと。
俺の理由は、それだけではなく。
辺境伯とは、国を守る為にある家門だ。
民を守る為にある家。
それは他のどの貴族家よりも強い使命となる。
だからこそ。
俺がこの地を守るのは。そして、この国を守るのは。
すべての民と『あの方』を守る事に繋がるのだと。
……そんな風に考えていた。
つまり、まぁ。なんだろう。
貴族として民を守る矜持とは別に、『惚れた女を守るんだ』なんて思いも同時に抱えてきたからこそ、今まで辛い鍛錬だってこなせてきたんだろう、という話。
姫と騎士なんていう近い距離の話ではない。
王族をそばで守る近衛騎士でも、直属の騎士でもなく。
前線で戦う事で……最も奥に控える、貴き方を守るのだという、遠く離れた忠誠心。
その気持ちを言葉にした事はない。
領地を守り、民を守る事が、ただ、そこに繋がるだけの話。
ただ、だからと言って『彼女』を婚約者の決まらない理由にしていたワケじゃない。
個人の感情だけで済まないというのが貴族の結婚だから。
……だから、まぁ、婚約が決まらないのは俺のせい、というか。
いや、直接、女性にそう言われたワケではないのだけど。
「……俺は、がっついたりしていないか?」
「はい?」
「嫡男の立場なのに婚約者が決まらない立場。エバンス夫妻にまで気を遣わせてしまう始末だ。だから、俺のシャーロットさんへの興味や態度を見て、無理矢理に彼女を……などと」
「いや。それは……ない事もないでしょうけど。色々と重なったから、じゃあないですか? それに彼女の事情を考えて、という話でもあるでしょう」
「まぁ、そうなんだが」
シャーロット・エバンス。
個人的な気持ちで望んだ関係だという面を無視しても、政略的な意味での理由だってあった。
まず、すでに判明しているように彼女は『魔力持ち』だ。
それも人並外れた……。
辺境伯家の先祖には『聖女』が居て、俺には聖女の使った癒しの魔法が受け継がれている。
残念ながら、結界の魔法は継げなかったけれど……それでも重要な要素。
この魔法があるからこそ、騎士としての活動を主としてこなしている面もある。
病気ではなく、怪我を癒す魔法。
誰が最も傷を負いやすいか、この魔法を最も活かせる場所は、と考えれば、当然にそうなった。
魔法の力が子供に継がれるとは限らない。
それでも子世代にこの力を残す努力をする価値があるのは明白で。
魔力持ちの女性、それも年齢の変わらない女性なんてそうはいない。
そして、そういった女性と縁を結べる可能性もそうはない。
だから魔力持ちと分かった時点で、彼女はきっと『候補』だったんだろう。
その上で。
平民として生きる彼女の気持ちは、何より優先された。
それは保護者となっていたエバンス夫妻が、シャーロットさんを娘のように思っていたのもあって。
だから。
そう、だから。
「互いに想い合っている……んだな」
彼女が、そういう風に思っていてくれなければ成り立たなかった話なんだ。
この手紙だって彼女が嫌がっているなら届かないはずで。
そういう面ではエバンス夫妻は信用できる。
けして俺の為に、彼女に無理強いなどはしなかっただろう、と。
だから……両想い、なんだ。
両想い。
彼女の笑顔を思い出す。
幸せな気分になった。
それは、まるで失った何かを、取り戻して……どころか、手が届きそうな幸福感。
「ふ……。マーク。シャーロットさんは……可愛い」
「はぁ」
「ふふ」
「……そのにやけ顔、彼女に見せないでくださいね?」
マークに呆れた顔をされながら、俺は嬉々として彼女への手紙を綴るのだった。




