9話 対応
一体、何のお話でしょう?
パトリック様の婚約者になるのは彼女?
そういう『主張』をされてしまったのだけど。
(待って? パトリック? パト……『リック』?)
リック様は騎士様だけど爵位を継ぐお立場らしい。
そして、よくよく考えると私、この期に及んでまだ彼の『家名』を聞いていなかったの!
もう婚約がどうのって話が出ていたのにね。
(それにパトリック様、って。たしか)
そうよ。そのお名前って、この地を治める方の。
ディミルトン辺境伯様のご令息のお名前じゃないかしら?
(あ……。だから)
色々と脳内で繋がっていく。
メアリーが、いったい何に気付いたのか。
旦那様、いえ、お義父様が妙にリック様に敬語なところ。
それにわざわざ奥様が目を掛け、私との縁談を用意した理由。
それに『聖女様の末裔』だなんて、そんなに凄い肩書きの方。
これは曖昧だけれど。
辺境伯家というのは王国でも上位の方。
魔法使いはおおよそ伯爵家以上の高位貴族の出身であるという情報。
ならばリック様だって伯爵家以上の家門だというのは想像に容易い。
そして、この領地に滞在していて伯爵以上の方となると?
それに、それに。
リック様はたしかこの辺境の領地の色んな場所に赴くと言ってなかったかしら?
それって騎士としてじゃなくて領主の息子として……?
『なぜ身分を隠して?』も、なんとなく理由は察せられる。
変に明かさない方が皆の、普段の『街』を、人々の暮らしを見る事が出来るから。
爵位を継いだ後ではそれは中々に難しいことでしょう。
だから今の彼は。
(まさか、そういうこと、なの?)
まだ確定ではない。
リック様が、すなわちディミルトン辺境伯家のご令息、パトリック様である、という『推測』は。
でも、この目の前にいらっしゃるグレゴリー子爵家のカルミラ様。
(この方は『パトリック様』の婚約者が自分であると主張しに来た。わざわざ私を狙って)
(それってグレゴリー子爵家では『私が』パトリック様の婚約者に据えられる、という予測を立てたということ?)
(私と婚約の話が出ている相手はリック様。その事をお義父様たちが隠しているかは分からない)
(公にしているのだとすれば、彼女から見て、そういうこと。ならば)
ぐるぐると様々な情報を繋ぎ合わせて思考を巡らせる。
その間、カルミラ様に向ける微笑みは絶やさないまま。
(我ながら器用ね、私って)
ここまでぐるぐる考えながら、微笑みや姿勢は変えないって。
そんなことをなんだか他人事として感じ、分析している自分まで居るのよ。
「カルミラ・グレゴリー子爵令嬢。初めてお目にかかりますわ。私はシャーロット・エバンス。エバンス子爵家の義娘です」
私は立ち上がり、背筋をしゃんと伸ばし、胸を張ったまま。
「──『貴方と同じ』子爵令嬢ね。同じ立場として、お会いできたこと。嬉しく思いますわ」
ニコリと微笑みかける私。
メアリーたちと笑い合うのとは別の笑顔よ。
用意した『仮面』のような微笑みを、自然体でして見せたの。
そうすると、やはりカルミラ様は面食らったようにたじろいだの。
(こちらを下に見ていたのね。当然、平民として見下していたのだから)
貴族なのだから、ある意味でそれは当然。
でもね。
身分差を厳格にすることと、身分差で相手を見下すことは別の話じゃないかしら?
だって、そのような態度を見て慕う平民はいないわ。
ええ。平民だったからこそ、そう思う。
表向きに下手に出ようとも心では嫌われてしまう。
もちろん相手が自分を見くびるのであれば厳しく対応するのは正しいことでしょう。
でも彼女はそういうのとは違う様子……。
「な、何が……同じだというの? 平民のくせに……!」
ほら。
彼女はどちらかというと身分によって自分を大きく見せようとしている雰囲気。
私が彼女の自尊心に付き合わねばならない道理はない。
「いいえ。既に申し上げたように私はシャーロット・エバンス。エバンス子爵の義娘にございます。既に平民ではございません。たとえ上位の爵位持つ方であろうとも、この誇りを踏みにじられる筋合いはございませんわ。まして『同じ』子爵家の娘ですもの。貴方と私の立場は同等。その認識が揺らぐ事はございません」
「なっ、なっ……」
当てが外れたのだろう。
元は平民の、平民上がり。
根性、性根はただの平民に過ぎない。
故に脅せば言う事を聞かせられると。
だけど。
私は、実の娘であるお義姉様たちよりも、よっぽどエバンス子爵家に恩ある身。
なればこそエバンス子爵の名が見下される振る舞いなど、できようはずがない。
私が彼等の『弱点』になるなど、あってはならない。
「くっ……!?」
「……それで? 一体、何のお話でしたかしら?
ああ、どちら様とのご婚約者様であるとか?
そちらはグレゴリー家とお相手の家の間で取り決められる話。
私が意見を言うことなどございません。
また、我がエバンス子爵家の婚姻についても、貴方が意見をする話ではございませんこと。
きっとお分かりいただけると存じます。
ええ、グレゴリー家のご息女たるならば、その程度のこと、当然に承知しておりますでしょう?」
そうして一際強くニコリ、と微笑んでみせたの。
(あら?)
何故か。そう、何故か。
カルミラ様だけでなく、味方の……エバンス家の従者、護衛まで。
もちろん顔見知りになっている、その二人までが。
『呆気にとられた』という顔で私のことをポカンと見つめてきたわ?
あら。あら?
どうしてかしら。
何か対応を間違ったかしら。
もしかして強気に出ちゃダメな家門だった?
ええと、ええと。
グレゴリー子爵家。
この家もまた大きな領地は持たない貴族だったはずよ。
お屋敷は……辺境からは遠くなく。
国境からは離れている場所……。
それでも辺境伯領から見た『周辺の貴族』の一家門と言えるわね。
(たしか隣国、ベルファス王国との国境が、山林を挟んでいて……)
ディミルトン辺境伯領にある『壁』や『門』からは街道が整備されている。
隣国と交易をするならば、もっとも苦労のない、平地に作られた場所ね。
グレゴリー家は、そういう辺境領が接する国境の状況とは真逆。
山林を越えなければ隣国に出れない、小さな領地を治める家門だったわ。
令嬢教育が始まって間もない私の頭にそういった情報が入っているのは、おそらく立地が近いから。
(リック様が、もしも辺境伯令息のパトリック様だとしたら)
まず先にこのディミルトン辺境領の周辺について私に教えようとしても、おかしな事ではない。
むしろグレゴリー家のことが既に頭に入っていることが、よりリック様の正体について……。
(……ええ。この対応で問題ない相手のはず。特に注意せよ、上に立てろ、という話は聞いていない)
彼女の態度、言葉から私を見くびり、何らかの『意図』に呑ませようとしたのは明白。
であれば、そうは出来ない相手と示さなければ。
それこそ私は『平民上がり』なのだから。
余計に、こういう相手には相応の態度を示さなければいけないわ。
「ふ、ふざけないで……!」
「あら」
護衛が居るのに。
手を上に振り上げたわ、この方。
それでも私がその事に動じて差し上げることはない。
もちろん護衛が付いてくださっている事もあるけれど。
お相手が、やはり貴族令嬢なのだから。
「その振り上げた手。もしも、この私に振り落とさんとなさるなら。
相応のお覚悟の上、と判断させていただいてよろしいですわね?
たしかグレゴリー子爵令嬢は、どちら様とのご婚約を願っているご様子でしたが。
その体たらく、お相手の方に知られて問題ありませんか?
私はエバンス子爵家の義娘。
そういう事をされたのなら、敬愛する義両親に報告をせねばなりませんわね」
大きく問題にするぞ、と。
家同士の争いとして問題にし、広めるぞ、と。
(ほとんど脅しみたいね……)
自分で言っておいて、なんだかこう。冷静になる。
でも、スっと出てきたのよね、言葉が。
本当に自然に。
「……もういいわ! とにかく! パトリック様と婚約するのは私なの! 前からそう決まっているのだから! 貴方は平民らしく邪魔をしないでちょうだい!」
「貴方の目の前にただの平民はおりません。一度の言葉ではご理解いただけなかったこと、悲しく思いますわ。ああ、グレゴリー子爵令嬢は……そういう方、ということ? であれば幼子のように、優しく、何度でも、お聞かせいたしましょう。ふふ」
(皮肉まで……つらつらと出せてしまったわ)
(あれ? これって『前の私』なのかしら。『前の私』って、本当に一体)
頭の中に二人の私が居て、冷静に対処しつつ、皮肉まで発してしまう私と。
そんな事が出来てしまうことに驚く私がいる。
それでも混乱をきたさない私。
冷静な態度のまま、姿勢を崩さない私が居る。
(……こういう相手。貴族で、油断ならない相手と、対峙したから?)
この辺境で出会った人達は、貴族含めてそういう人がいなかったの。
だから。
ここに来て、こんな私の一面が出せてしまったこと。
つまり『前の私』を取り巻いていて、前の私が慣れていた相手って、こういう……?
なんだか。
そう、なんだか他人事のようで、自分自身に申し訳ないのだけど。
『前の私』にね。『ご苦労様』って声を掛けてあげたくなったわ。
『私の事』なのにねぇ……。
なんだか遠い目になっちゃう。
「くっ……!」
騒いだ事で目撃者が増え、どうも分が悪いと認識できたのか。
カルミラ様は……その。逃げるように立ち去っていったのよ。
なんとなく、可哀想な気がしなくも……。ええ。
「す、素晴らしい対応でした。シャーロット……、お嬢様。毅然とされていて……その」
「まさに……貴族でした」
「あ、ありがとう?」
従者、というか。侍女として付いてきてくれた方と。
護衛として付いてきてくれた方が、口々に私を褒めてくださったの。
ちょっと混乱……というか、少し引きながら。
ひ、引かないでほしいわ?
「だ、だめな対応、だったかしら? エバンス家の実情と合ってなかったり?」
「いえ。そんな事はありません。むしろ……その、完璧でした」
「はい。完璧……でした、ね?」
「あ、ありがとう?」
3人が3人とも、あの。
『なんでそんな完璧に対応できた?』って感じで、困惑しながら褒めたり感謝したりしたの。
わ、私……何か、こう、やっちゃったのかしら?




