6話 隣町でのデート
乗合馬車は、少し縦長の馬車を馬2頭で引いて進む馬車よ。
多人数を運ぶ馬車なので、細長い車体の内側、左右に座席があるわ。
ちょっとだけ横幅が広いようにも感じる作りね。
でも見知らぬ他人が向かいに座っている状態。
私は御者側の一番端に座り、その隣にリック様が座った。
左右の側面は、ガラスの嵌められた窓がある。
窓は、座席に座った時の胸より上部分からで、大きめに取り付けられているわ。
この窓のお陰であまり窮屈に感じないようにされているのね。
私は、身体を斜めにして座った席の後ろの窓から、流れていく景色を見た。
これだけでも楽しいのよ。
暮らしていた街の知らない姿が見える。
馬車が走る街道には石が平らに加工されて敷き詰められ、隙間には土が詰められている。
その上で土埃が立たないように固まる薬剤が被せられている……らしいわ。
舗装された道のお陰で乗合馬車の揺れが抑えられていて、この道は辺境領の街々を繋いでいるの。
大きく栄えた領地なのね。
すべてを目にした事はないけれど、豊かなのだと分かる。
立地の性質上、中央の街から四方八方に丸く広がるのではなく、国内側に扇状に広がり、発展しているみたい。
街を出れば大きめの川があって、そこに丈夫な石橋が架けられている。
乗合馬車が乗っても平気なぐらいよ。
……なんだか、この地の歴史を感じたわ。
色々な事があってこの街は出来ていったのでしょうね。
「この街は好きかな」
ん。リック様が窓の外を眺めていた私を見つめてそう尋ねてこられた。
距離はとても近いわ。
乗合馬車の隣の席だもの。
彼は意外と体格もいいから、より近くに感じる。
個人のスペースが圧迫されている感じね。
密着、しているワケではないけれど、そんな風に。
でも不快ではないのよ?
むしろ私は……コホン。それはいいとして。
「はい。好きです。この街。優しい人達がいて、お世話になって。ここでの暮らしも気に入っているんですよ」
「……そうか。それは良かった。俺もこの街のことが好きだから。
たくさんの人が生き生きと暮らしている。
守りたいと思える。そんな街で、土地だよ」
「はい」
リック様は騎士様だからね。
街に対する愛着も人一倍なのでしょう。
こういう方達のお陰で私達は安全に暮らせているのよね。
とてもありがたいことだわ。
流れる街の景色を眺めたり、リック様と言葉を交わしている内に乗合馬車は、あっという間に隣町に着いてしまったわ。
「ええと、頼まれた買い物が……」
「シャーロットさん」
「はい?」
「ゆっくりして来いと言われたんだろう? エバンス夫人に」
「え、ええ。そうですね」
「じゃあ、まずしなくちゃいけない事があるね」
「え?」
しなくちゃいけないこと?
「まず、楽しまなくちゃ」
「楽しむ?」
「ああ。実は夫人に言われていてね」
「奥様に? 何をですか?」
「シャーロットさんを楽しませてあげるように、って。今日は夫人からの仕事でもあり、貴方の息抜きでもあるんだ」
「ええ?」
どうしてそんな。
「普段から頑張ってる貴方に、労いの意味で?」
「頑張っているのは私だけではないのですが……」
メアリーだって朝が弱いのに毎日頑張っているわ。
他の使用人達もそうよ。
けしてあの屋敷で、私だけが頑張っているワケではないの。
「そうだね。でも今日は、君の番。労いで休みや楽しむ時間を与えられたとしても。使用人の全員が一度に屋敷を離れてしまったら困ってしまうだろう?」
「それはたしかに」
「うん。その辺り、エバンス夫妻はちゃんと使用人達を見ているさ。誰かだけを休みなく働かせて、逆に誰かだけは甘く過ごさせる、なんてことはしないよ」
「それは……そうですね」
旦那様や奥様は、私のこともちゃんと見てくれているし。
記憶喪失で迷惑を掛けてしまっていた私が、今も他の使用人達と仲良く過ごせている。
それは旦那様達が、私を『えこひいき』する事なく、きちんと働かせ、他の皆の事もきちんと労っているから。
そうでなかったら、きっと私は他の皆や、メアリーとも仲良くなれなかったはずよ。
誰だって、きっとイヤだもの。
隣の人だけが労われて、自分だけが苦労をさせられている、なんて。
「ね? エバンス夫妻の手腕を信じるといい。今日は君の番さ」
「ん」
そうね。そういう事なら……いいのかしら?
「さぁ。まずどこに行きたい?」
「ど、どこに」
「うん」
ええと。どこに、行きたい? 考えた事がなかったわ。
「ど、どこでしょう?」
「あはは。じゃあ、気まぐれに街を歩いてみるかい? 貴方にとっては、それだけでも新鮮な経験になる。疲れたなら休める場所へ案内するよ」
「リック様は、この街に詳しいのですか?」
「うん。辺境領にある街は、概ね見てきているからね。特にこの街は行き来もし易いから。色々と把握できているよ。もちろん、街に住んでいる人達には及ばないだろうけど、ね」
「まぁ」
騎士様のお仕事で他の街の巡回もなさるのかしら?
大変なお仕事だわ。
それから。
リック様と一緒に街を回り始めたわ。
目につくお店に気まぐれに入ってみたり、綺麗な景観を眺めてみたり。
人がたくさん。
整った街だけれど、完璧なんてワケじゃないのよ。
まだ整えている途中の場所があったり。
栄えている。でも、観光地、とはおそらく違っていて。
取り繕われた表面上の街ではなく。
ここには人の営みがあったの。
……人が住んでいるのよ。良き人も、悪い人も、きっと居る。
そんな普通の街。
普通の人々が……暮らす、国。
リック様が『守りたくなる』とおっしゃった意味も理解できる。
私の知らない人達。関わった事のない人達。
喋った事のないような人達。
それでも彼等には彼等の暮らしがあって。
辺境伯、というのはそんな『国』を守る一番目のお役目を担っているというわ。
他の高位貴族とは違う意味での重要なお立場。
「ご立派ですよね」
「うん? 誰が、だい?」
「……辺境伯様。私達、市井の者の暮らしを守ってくださっている。もちろんリック様達のような騎士様、衛士様もそうだけれど」
「…………」
「私、こうして普段は目にしない人達の暮らしを見て。何故でしょう。そう思うのです。騎士でも何でもない私なのに。ただの平民に過ぎない私なのに。
この人達の暮らしを守りたい。そういう風に感じました」
本心から。私はそう思いました。
しみじみと感じた、と言うべきかしら?
(ふふ。おかしい。平民の私は守って貰う側でしかないのに)
日々を精一杯に生きるだけ。
ほんの少し、楽しくて。
ほんの少し、充実していて。
そして時には不満だってあって。
それでいい。
それが平民で、それでも私は十分なのに。
なんとなく『彼らを守りたい』と、そんな風に思ったの。
「…………貴方は、」
「はい?」
少し人の流れから離れた場所。高い場所から街を見下ろせるような場所に、今は二人きりでいる。
もちろん声を出せば人に届く距離よ。
それに視線の先には街を歩く人が居る。
だから静寂の中での二人きりではない。
でも、そんな場所でこんなお話をして。
リック様は私の隣に立つのではなく、少しだけ離れた場所から。
私を見るその目は何故だか遠くを見るみたいに。
「……実は」
「はい」
「最近、夢を見るんです」
「夢?」
「はい。俺はここから離れて遠く、王都に居て」
王都……。
「そこで遠くから誰かの姿を見ます」
「誰か、ですか?」
「はい。その方はとても綺麗な方で。それ以上に……きっと誇りがあった。見た目の美しさに惹かれて。『彼女』がそれだけじゃない事を知る。そうすると」
「はい」
そうすると。
「……自分の至らなさに恥ずかしくなります。俺は、まだまだなのだな、と。皆それぞれに背負うべきものを背負っていて。きっと俺よりも重たいものを背負っている方もいる。己の重責など、彼女に比べればと。そんな風に思い、精進したくなるのです」
「まぁ」
騎士様だものね。でも。
「その方は女性なのですか? 頑張っている男性、騎士様ではなく?」
「そうですね。女性です。美しい方だった。誇り高い人でした。ですが」
「はい」
「……覚えていないんですよね。確かに居た、と。そう感じているのに。俺の目標、俺の憧れだった人。尊敬すべきだった人。俺にはこの地で頑張る大切な理由で。あれは、あの方は俺の『夢』だったのかと。そう悩む事もありましたが……」
夢の中の誰か。
その方は、リック様にとって特別な方だったのかしら?
それも女性の……憧れの人。
「…………」
チクリ、と。胸に棘が刺さったような、小さな違和感を覚えました。
それはほんの些細な変化だけれど。
私には、それが何か分かりました。
(ああ、私、今……)
──嫉妬。しました。
小さく、小さく、嫉妬したの。
その女性に。彼の夢に出てきた女性に。
本当に小さなこと。だけれど。
それだけで私は、私の気持ちを自覚しました。
まだ出逢ってから、ほんの少しだけなのに。
今日一日、楽しく過ごして、たくさん話した。
たったそれだけなのに。
(私は……彼のこと……)
意識、しているのだと。そう自覚しました。
メアリーが私の事を『ニマニマ』と意地の悪い笑顔で見ていた理由が分かる。
私より先に私の気持ちに気付くなんて、メアリー。
あなた、凄いわ。
リック様は、2度目に会った時に……私と、私の母の絆を肯定してくれました。
もしかしたら、あの時には……私。
「たとえ、夢の中の彼女が幻だったとしても。あの方の矜持に負けないように励みたいと思います。……何故だか、それを今日。特に貴方の言葉を聞いて。……貴方の姿を見て。改めて感じたのです。こうありたい。この地を守りたいという気持ちを」
「まぁ」
リック様は少しだけ戸惑ったような瞳で私を見つめてくださいました。
困惑。遠い目をして。
リック様は騎士様です。
ですから平民の私よりも身分は上の方。
だというのに、私を……見上げるような?
その姿が、なんだか可愛らしい。
なんと表現すべきでしょうか。
こう、擦り寄ってくる、泣きそうになっている子犬さん……みたい?
「ふふ」
「シャーロットさん?」
「私を見て、そうおっしゃってくれるのなら。とても嬉しいです。どうか守ってくださいませ。きっと私も……自分にできる限りの事をしてみせますから」
もうすぐ、日が暮れます。
日が沈む前には屋敷に帰らないといけないですね。
なんだか一日があっという間でした。
「はい。そうしましょう。……帰りましょうか」
「ええ」
自然と。彼が差し伸べる手に手を重ねました。
それだけで胸の奥に温かな火が灯る。
私は、彼に気付かれないように、その心の揺らめきを大事に、大事に抱えました。




