5話 乗合馬車に乗って
「シャーロット。屋敷での仕事は楽しい?」
「奥様?」
いつものようにハウスメイドとして屋敷でのお仕事をしていると奥様に話し掛けられたの。
「は、はい! いつも良くしていただいてますから! とても充実しています!」
「……そう。……シャーロット。あのね」
「は、はい」
「貴方は、もしも貴族の令嬢に戻れる……。いえ。なれるとしたら、イヤ?」
「え?」
奥様から掛けられた言葉に、私はキョトンと放心してしまったわ。
「あの? どういう意味でしょうか」
「……あのね。シャーロットが今、楽しいと言うのなら、こんな提案をすべきじゃないのだけど。それでも。まだ見つからないだけで……やっぱり貴方はどこかの令嬢だったのだと私達は考えているわ」
「それは」
先日のリック様とのやり取りでも分かった事でした。
私はどこかの家の娘。
少なくともある日突然、この世界に現れたワケではありません。
お母様が亡くなった事は覚えているけれど。
記憶が無くなったとしても『それまでの私』はたしかにこの世界で生きてきたはず。
だから、私は貴族の娘なのだと。
でも、貴族の家に生まれたからって必ずしも貴族のまま生きていくとは限らないそうです。
爵位を継げない子供は平民になって生きていく。
今の私のように働きに出て、という事もあるそう。
ですので……きっと私が今の生活を続けたいなら、それでもいいと。
旦那様や奥様はそう思ってくださっていると思います。
「シャーロット。貴方は記憶を無くし、貴族としてのすべてを失ったと思っているかもしれない。でもね。『残っていた』でしょう?」
「残って?」
「ええ。……もちろん、これは『義務』の話ではないのよ。ただ、貴方には『資格』や『権利』があって。そして私達との『縁』もあった」
「えっと?」
義務ではなく。
私の資格、権利。そして奥様たちとの、縁?
「貴方のお母さまから受け継いだ魔力。貴方は今もそれを持ったまま失っていない。だから。……なくはない、のよ。もちろん貴方が望んでくれるなら、だけれど」
「ええと、奥様? 意味が理解しかねるのですが……」
「……そうね。ごめんなさい。私が言いたかった事を言うわね」
「は、はい」
何でしょう? 改まったように。
奥様の目はとても真剣なもののように感じたの。
「シャーロット。あなた、私達の『娘』にならない?」
「えっ」
む、すめ? 奥様たちの?
「え? え? どういう?」
「私、リリー・エバンスと、私の夫であるレオン・エバンス子爵の……『養子』にならない? っていうこと」
「ヨウシ?」
「……法的な手続きを取って、私達の娘、『子供』として取り扱うという事よ。私達の娘のエリーやサリーのように。貴方は未婚だから、つまり貴方を『エバンス子爵令嬢』として。私達の正式な『家族』として迎える、ということ。法的にも家族になるわ」
「家……族」
奥様や、旦那様と。この家の一員になる、ということ。
お仕事の上での関係だけじゃなくて。
『娘』として。
私の頭の中にこの1年の記憶が浮かびました。
優しくしてくださった旦那様と奥様。
そして屋敷で共に働くみんな。友人になったメアリー。
家族。
その言葉は、とても大事な意味を持つような気がした。
『今の私』がそう感じるのよ。
「……どうして、そのようなことを?」
「ええ。ちょっと座ってお話しましょうか」
「は、はい」
そうして私は奥様について行き、そこにあるソファーに向かい合って座ったわ。
「シャーロット。貴方はどこの家かは分からないけれど、貴族の家の娘なのは、ほぼ間違いない。ここはいいわね?」
「は、はい。奥様」
「……今の貴方は、私達が『雇っている』という立場よ」
「はい」
「そんな貴方は、仕事を、この生活を、充実して過ごしている、という。なら、ここから離れたくはない……と思っている?」
「え、は、はい。そう思っています。お屋敷に居させてくれるなら、と」
「そうよね。嬉しいわ。私達もシャーロットが居てくれるなら嬉しいと思っているの」
「奥様」
ほわっと。温かい気持ちが胸に湧き起こりました。
嬉しいと感じているのだと思います。
「だけど。今のままの貴方では、貴方の家が見つかった時。『帰って来い』と言われたら、私達は庇うワケにはいかなくなるの。魔法を使える家系は、基本的に伯爵家以上の家系よ。『ただのメイド』の貴方では庇い切れない……」
「あっ」
そうです。
私の出てきた家がそのように言ってきたなら。
私が『ここに居たい』という気持ちだけでは……。
きっと奥様や旦那様に迷惑を掛けてしまいます。
だから私は記憶もない『家』に帰らなくてはいけなくなる……。
ゾクリ、と嫌な感覚が背を震わせました。
『嫌だ』と……私の無くした記憶が訴えてくるように。
「だからシャーロット。貴方を私達、エバンス家の養子に迎えようと思う。そうしたら、どこの家が何かを言ってきたとしても、ある程度、抗う事ができる。貴方に猶予や選択肢を与えてあげられるわ」
「で、ですが。その養子とするのも……やはりご迷惑をお掛けする事に繋がるのではありませんか?」
だって、結局は同じような問題に衝突してしまうかもしれない。
「1年よ」
「え?」
「シャーロットを引き取ってから、もう1年。その間、私達も貴方の家を探したわ。辺境伯家にも協力して貰ってね。でも貴方を捜している家は見つからなかった」
「…………」
「もちろん何か事情があるのかもしれない。だから最初から敵意や悪意を向ける気はないけれど。それでも簡単に『実家だからすぐにシャーロットを引き取ります』なんて言葉を、貴方の気持ちを無視して言わせたくはないわ」
「奥様……」
「事情を正確に把握して。残っている……ご家族と会って。それでシャーロットが『帰りたい』って思うのなら、名残惜しいけれど、それでもいいのよ。『そうじゃない』場合に、貴方が嫌がっているのに家に連れていかれるかもしれない場合に。そういう手続きをしていれば……きちんと貴方を私達が守ってあげられる。そう思うの。どうかしら?」
「……奥様。ありがとうございます」
私はじーんと感動してしまったわ。
そこまで考えてくださっているなんて! と。
「うん。まぁ、そういう理由もある、っていう事なのだけど」
「へ」
そういう理由もある?
「シャーロット」
「は、はい?」
「私も『貴族』だから」
「え、と? はい。そうですね?」
「……『使える』と思ったのよね」
「使える」
何が? でしょう?
「相性も……良さそうに見えたし。満更でもなさそうな気配もあったし。何より『魔力』持ち……という面からなら。家格よりもある意味、重要……。どうせ家格は今の状況なら……。まさに適任、適材適所……」
「お、奥様?」
あら? あら?
お優しい奥様の雰囲気から、やり手の『商人』様のような気配が立ち昇っているわ?
私の気のせいかしら?
「シャーロット」
「は、はい」
「あなたを私達の娘にします」
「へ」
娘に『ならない?』から『します』に変更されて断定されたわ?
あら? 私に選択肢、あるのかしら、それ……。
「手続きと準備を整えながら……何度か。うん。そうよね。気持ちが大事なのですから。ね?」
「は、はい」
何が『ね?』なのか分かりませんけど。
あと、何故そんな風にニッコリ笑っていらっしゃるのかしら。
ちょっと、違うわね?
お母様のように感じていた奥様の笑みじゃなくて。
どちらかと言うと悪巧みをしているアンナのような笑みだったわ?
◇◆◇
「ええと? ごぶさたしております……?」
「うん。先日以来ですね。シャーロットさん」
何故か。
そう。何故か。
私は、再びリック様と引き合わされていたのよ。
本当に何故なのかしら。
「今日はエバンス夫妻の頼み事があるそうですね」
「は、はい。何故か隣町まで買い出しに」
「買い出しですか?」
「はい。時間を掛けてもいいから、という事でお小遣いまでいただいてしまいました」
「ほう」
「……それで」
「シャーロットさん、お一人で隣町を歩くのは危ないので俺が護衛をする。そういう事ですね?」
「は、はい……。そう聞いております」
何故そうなったのでしょう。本当に。
「なら、一緒に行きましょうか。俺も、貴方の事が気になっていたんです」
「えっ」
気になる? それは一体どういう。
「初めて貴方に会った時。不思議な気持ちになったんです。それは魔力が強いから、ではなくて。貴方の顔を見て、貴方という人を見て……俺は何かを感じた。感じそうになった? かな」
「あっ」
そう言えば。
「リック様、たしかに初対面の時に何か思い出せないご様子でしたものね……」
「うん。あの時、シャーロットさんの事を……すごく高貴な人のように思えて。それに」
「それに?」
「……遠くから。……なんと言えばいいのでしょう? 目の前に貴方が居るというのに。遠くから見て綺麗だと感じたんです」
遠くから見て?
「ふふ。何ですか、それ」
目の前に私が居たというのに。
遠くから見て?
「お近くから見られては綺麗じゃありませんか? ふふ」
「近くで見た貴方は、お元気そうで綺麗というより『お転婆』でしたね。友人達とおしゃべりをしながら街を歩き、そして人にぶつかって」
「うっ」
恥ずかしい。
あれ、不注意だったのは絶対に私の方だったものね。
「そ、その節はどうも……」
「あはは。良いんですよ。お淑やかな令嬢よりも元気な女性の方が。この辺境の地には似合っていますから」
「そ、そうだといいのですけど」
メアリーやアンナ、ベルさんもお元気で……うん。
そういう感じかしら? 私も皆みたいになれているといいわ。
「では」
「はい?」
リック様が手を差し伸べてくださいました。
「隣町へ行くのでしょう? 歩いて行っても良いですが……乗合馬車が出ています。きちんと貴方の『護衛』を務めて見せますよ。レディ」
「まぁ。ふふ。嬉しいですわ。紳士様」
騎士様なリック様は、少しふざけた、崩した雰囲気で『貴公子』風を装って見せてくれたの。
だから私もそれに乗って『レディ』の真似事をしてみたわ。
実際の私は、やっぱりまだ、ただの平民で。
乗るのも二人きりの馬車じゃなく、他の皆と一緒に乗る乗合馬車だったけど。
「ふふ」
なんだか、それも楽しいと思えたの。
ああ、私、乗合馬車に乗るの、初めてなんだわ。
だから。きっと、ドキドキして、ワクワクするのね。




