1話 シャーロットの日常
旦那様であるエバンス子爵は、朝から出掛けていく。
私が今、住んでいる場所。
エバンス子爵邸があるのはディミルトン領にある街よ。
領地を持たない貴族。
基本的に男爵、子爵が上の爵位を持つ家や王家に仕えていたりするの。
だから旦那様は貴族と言ってもこの領地を治めているワケじゃなくて、領地を治めている方に仕えている、という事ね。
とはいえ『平民』の私にとって子爵様は偉い人、身分が上の人なのは変わりないわ。
ほら。
『貴方は王様よりも偉くないんでしょ』なんて言って、侯爵様だとか、伯爵様をバカにしたり出来ないでしょう?
自分が平民な事は変わりないんだもの。
厳格な身分差はある。
でも、あんまり私達には関係ないわね。
それこそ『偉い人』で一括りにしてしまえるの。
平民は日々の生活を満たす事で精一杯。
時折、税がどうとか、ここをああして欲しいわね、なんて。
文句を言いながらも、それなりに満足をしている生活……。
そんな感じね。
それも、この街の治安がいいからかしら。
辺境領っていうのは、外国のお隣さんらしいの。
そのお陰で色々と珍しい品が外から入ってくるから、この領地は賑わっているんですって。
領主様や国の境を守る騎士団も居れば、街の中にきちんと目を光らせている衛士さん達も居るのよ。
「大きな、街ねぇ」
改めて。そんな風に思ったの。
でも気風というのかしら? 何かが違うと感じるの。
それは悪い意味じゃないわ。
うん。私達、平民に近い空気で、とても過ごしやすい……と言うのかしら?
「シャーロット~!」
「アンナ」
ベルさんの娘のアンナは、果物を売るお店の店員さんよ。
その果物の仕入れは、近くの領地にあって……。
とにかくアンナは果物屋の看板娘ね。
「今日も買い出し?」
「ええ。奥様に頼まれているの」
最近はよく買い出しを頼まれるようになったのよ。
旦那様と奥様に『計算』関係の事を教えられたの。
まだメイドとしての仕事をする前にね。
私が貴族である、という可能性を捨てていなかったお二人は、色々な方面から私の記憶を引き出そうとなさったわ。
そうして色々と覚えさせて貰っての一言。
『……忘れた事を思い出したのか、それとも今ここで覚えてしまったのか、分からん』
うーん。
どうなのかしら? 確かに『頭の中』で分断されていた場所が繋がって『分かる』という感覚はあるの。
でも、それが『思い出した』からなのか。
はたまた『覚えた』という感覚なのか。
どの道、身に付いてはいるんだけどね?
あんまり私の記憶からは私の正体に繋がらないみたい。
もう気にしてません。って言うのだけれど。
『いや。気にするかどうかの問題では……他家との……いや、その他家が分からんのだが』
ですって。
私が『やんごとなき身分』の人だった場合に備えていらっしゃるみたい。
でもねぇ。ないんじゃないかしら?
だって『シャーロット』を探している家はないらしいのよ。
それも1年過ぎても。なら、ね?
「シャーロット。今度、街で一緒に遊ぼう? メアリーも一緒に」
「遊びに?」
「うん。シャーロットは色々な『刺激』を受けた方がいいと思うの。貴方、きっと貴族じゃなくても『お嬢様』だったのよ」
「ええ……?」
貴族とお嬢様って何か違うのかしらね。
「でも、いいわ。一緒に遊びましょう。アンナ」
「やった!」
「ふふ」
アンナとは友人になって、メアリーとは同僚で歳が近いから仲良く過ごしているの。
お屋敷で出す為の食材は、まとめて運んでいただく方が多いのよ?
人数が多いからね。
でも、鮮度が大事なモノとか、何よりこの街で売られている物を買うのは、旦那様の方針なの。
まずはこの街の住人が豊かになる事が大事だからって。
うん。それは、とってもいい考えだと思うわ。
そういう理由もあって、私はアンナと会ってお話をする機会に恵まれているのよ。
もしかしたら、少なからず気を許している彼女と交流できるよう、奥様や旦那様が気を使ってくださったのかもしれないわ。
私は『平民』だから護衛なんて付かない。
だから、そこは普通の女性として、夜や街の外に一人で出歩かないように、とは注意されてるわ。
買い出しも日中ね。
買う物は少ないから、そこまで重くないのよ。
ただ、多少は重くても……こう、なんだか新鮮な気分なのよね。
うん。指示をされて買い物に来て、それを手に持って、運ぶ。
単純な話なのに、何か新鮮で楽しい気持ちになってしまうわ。
それで、街の治安がいいとは言っても、ほら。
酔っ払いが居なくもないし。
それに隣国から来る人も居るのよね。
国と国を行き来するのに、手続きとかお金が要るみたいだけど。
すごくしんどい思いをして山を越えれば、そういうのもなく、国の境を行き来できるんだとか。
この街や、領主様のお屋敷は、国の境になる場所の内、平地に陣取って防壁とか色々も建てていったらしいわ。
私はアンナと一通りお喋りして、雑談に花を咲かせた後にお屋敷に帰る。
お仕事、お仕事。
「シャーロット」
「あ、奥様。ただいま戻りました」
「ええ。いつもありがとう」
荷物を置いて、奥様に頭を下げて礼を尽くす。
メイドの作法は、とりわけ覚えるのに新鮮だったのよ。
ちゃんと良い評価も頂いているわ。ふふ。
「私達の娘が4日後に帰って来るの。だから部屋の準備を始めて貰うわね」
「……お嬢様?」
いらっしゃったの?
「ああ、知らないわよね。私達、娘が二人いるのよ」
「お二人も」
「ええ。もう嫁入りしてしまったのだけどね」
「まぁ」
旦那様と奥様、それなりのご年齢よ。
だから嫁入りする程のお嬢様が居たとしても不思議じゃないわね。
もしかして私に対してお優しかったのは、お嬢様が二人もいらっしゃるご家庭だったから?
年頃の娘を捨て置けない、というお気持ちだったのかもしれない。
「あれ?」
「うん? どうしたの。シャーロット」
「あ、す、すみません。何でもございません」
「……いいのよ。貴方が今、何かに思う所があったのなら教えてちょうだい?」
「あ、あの」
いつも奥様や旦那様は私のこうした反応を、丁寧に拾ってくださるの。
何が記憶の呼び水になるか分からないからって。
お二人はまだ私を『貴族』だと思ってらっしゃるから。
「ええと。お嬢様が、お二人共、嫁入り? されていらっしゃる……?」
「ええ。そうよ。二人とも既に結婚しているわ」
「えと。その。でも、そうしますと」
「…………」
何に私は引っ掛かったのかしら?
出てきそうで出てこない。
奥様は私の答えを急かさずに待ってくださるのだけど……。
「シャーロット」
「は、はい」
「……私達の娘、いえ、子供は二人だけよ」
「は、はい」
「その事に何か『引っ掛かり』を覚えたのではなくて?」
「…………、それは」
そこに引っ掛かったのかしら?
ん。
「……はい。何か、そこに引っ掛かったような気が、します」
「そう。私達の子供は二人だけで、その二人共が嫁入りした。いえ、『してしまった』の。こう言うと貴方には、しっくり来る?」
「あ」
してしまった。
確かにその言葉はしっくり来るわ。
「は、はい! なんだか、そう言うのがしっくり来ます!」
「……シャーロット。貴方ね」
「え?」
少し興奮したように、奥様の言葉に両腕をぐっと握ったのだけど。
あら。はしたなかったわ。恥ずかしい。
でも奥様は私の仕草に注意したんじゃないみたい。
「……エバンス子爵の『爵位』を継ぐ者がいなくなるんじゃないか。そういう事に貴方は『引っ掛かり』を覚えたんじゃない?」
「えっ」
爵位。
旦那様は、子爵様よ。
だから、その子爵位は旦那様が有している。
という事はいずれ、その子供であるお嬢様の内にどちらかが継ぐ?
のかしら?
でもお二人共、既に嫁ぎに出ているらしいわ。
そうね。そこは『おかしいかも』って思った。
かも、しれないわね?
「ええと。そう、かもしれません?」
「……やっぱり、貴方って」
「あの」
「いえ。いいのよ。ごめんなさいね。まぁ、その辺りが気になるのだったら教えてあげる。……お仕事頑張ってね。シャーロット」
「は、はい! 奥様!」
とりあえずエバンス家のお嬢様お二人が?
あら。どちらかお一人が? 帰って来られるらしいの。
ちゃんと空き部屋を綺麗にしないとね。
「メアリーはお嬢様の事、聞いた?」
「ええ。聞いているわ」
「そうなのね。お帰りになるのはお二人? それともお一人?」
「お一人ね。次女のサリー様よ」
「サリー様」
子爵令嬢……、いえ、もう夫人ね。
どこに嫁がれたのかしら?
「お二人共、嫁がれてしまって。お屋敷はどうされるのかしら? 旦那様を連れて戻って来られるの?」
「ううん。ちゃんとあちらの家に嫁いでいって家もあるらしいわ。お屋敷は、ずっと旦那様と奥様がお使いになるんじゃないかな」
「そう、なのね?」
そういうものかしら。
あら。でも『当たり前』かしら?
だって旦那様達のお嬢様がどうあっても、旦那様達だって生活していくのだし。
うん。何も変な事、ないのよね。
私、何に引っ掛かったのかしらね。
そうね。奥様がおっしゃったように『子爵』がどうなるのか、かしら?
お嬢様達が嫁いでしまった上で、旦那様がまだ子爵なのだから、つまり?
ああ、もどかしい。
その場合はどうだ、っていう事が思い浮かびそうなのに。
私、そういう事は『知らない』のよね。
「あ。メアリー。アンナが今度、一緒に遊びに行きましょうって言ってくれたの」
「本当? シャーロットも一緒?」
「ええ。3人で」
「ふふ。じゃあ、楽しみにしてましょう。お屋敷で働くメイドのお給料の力、アンナに見せてあげるわ」
「もう、何言ってるの?」
他愛ない会話。他愛ない日常。
そんな日々が続いていったわ。
記憶が思い出せなくてもどかしい思いをする事もあるけど、概ね生活に問題なかったわね。
そうして屋敷ではサリーお嬢様のご帰宅に向けて色々と動き始めたの。
同時にアンナとメアリーと一緒に街で遊ぶ計画も立てていったわ。
もちろんメアリーに夜更かしさせないようにしてね。ふふ。
サリーお嬢様のご帰宅をお迎えする日。
私もメアリーも屋敷の者達も、屋敷の外に綺麗に並んで頭を下げて、丁寧にお迎えしたわ。
この辺りの作法もきちんと学習済みよ。
「あら」
え?
お嬢様、いえサリー夫人? が私の前で立ち止まったわ。
「……貴方がお母様の言ってた『シャーロット』さん?」
「えっと」
頭、上げていいのかしら?
えっと立場が上の人だし、言われてからでないと。
「どうしたの? 顔を上げていいのよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
そう。そう言えばね。ありがとう『ございます』なのよ。
しっくり来るわ。
あの頃は、この『ございます』が出てこなかったのよねぇ。
じゃなくて。
「お帰りなさいませ、サリー様。その。はじめまして。私は、屋敷でメイドとして働かせていただいているシャーロットでございます」
「うん。お母様に聞いているわ。……そうね。うん。ごめんなさい?」
「え?」
「……私も前は子爵令嬢で、今は男爵夫人なんだけどね。貴方の顔には……覚えはないみたい」
「あ」
もしかして旦那様や奥様達がお嬢様にも尋ねていらっしゃった?
お手紙か何かで。
「それは、はい。ありがとうございます。お気になさらないでください。私は、その。あまり『前』の記憶に拘っておりませんので……」
「うん。お父様もお母様も気になって仕方ないだけだから。貴方が今、満たされているなら、まずそれでいいと思うわ」
「はい! お屋敷では奥様にも旦那様にも、皆さんにもよくして頂いております!」
「あはは。そう。ありがとう。貴方の評判もいいからね。お互いに、良い関係でいるみたいで嬉しいわ」
「はい。ありがとうございます」
とサリー様は、朗らかに笑ってくださったの。
旦那様や奥様のお嬢様らしい人柄の良さを感じたわ。
サリー様は、私より年上みたいね。
この国のお貴族様達には、私やメアリーと歳の近い貴族のお子さんが沢山いるらしいのよ。
王子様がお生まれになるのに合わせたとか、どうだとか。
貴族って大変ねぇ、なんて。
まぁ、私には関係のない事なのだけど。
いえ? お屋敷で働いているのですから、関係なくはないわね。
うん。旦那様達をしっかりお支えしてこそ私達の生活も成り立つの。
だからこそサリー様にだって精一杯、丁寧にお仕えしないとね!
それで、よ。
別に盗み聞きするつもりじゃなかったのだけど。
ごく自然に旦那様や奥様とサリー様のお話を耳に入れる形になったの。
夜になったから、はい、お仕事終わり!
というワケにもいかない日もあるの。
旦那様達は夜もお屋敷にいらっしゃるのだもの。
そこまで忙しくはないのだけれどね。
だから夕食を過ぎた後も私は屋敷の中で働いていてね。
「サリーの縁談が、もう少し遅ければ……なぁ」
「またお父様ったら。私は今の縁談で満足しているんですから」
「分かってるんだが……こうも」
「またパトリック様のご婚約は決まらなかったのですか?」
「……そうなんだ。本当に、こんな事なら、お前か、エリーを嫁がせずに残しておくべきだったと思うよ」
「それは、ちょっと。ねぇ。分相応って言葉もあるのですし。辺境伯夫人は、ちょっと私には。私は本当に今の旦那と家にも満足していますよ」
……あんまり聞いちゃダメなお話みたい。
私は、そそくさとその場から立ち去ったのよ。




