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10話 二つの魔法 ~聖女なんかじゃないのだから~

「いえね。ハロルド殿下。おひとつお伺いしたいのですけれど」


 微笑みを絶やさぬまま。

 私を睨みつける『元』婚約者を見据えて問いかけた。


 取り乱した態度は見せない。


(……妃教育の記憶を失えば、私も平民のような振る舞いになるのかしら)


 政務に携わるすべてを忘れる。

 マナーも忘れるだろう。

 淑女らしい振る舞いもすべて。


 言い訳すらもしない私の返事に、ハロルド様は眉を顰めた。


(私が使う魔法は……二つ(・・)


 一つはすべてを壊す魔法。私自身さえも。

 すべての『予定』を覆す為の魔法。


(だけど、それだけじゃ足りない)


 その魔法を使うのは、私を取り巻く何者かの思惑を裏切る為だ。

 私自身さえも予測の範囲外に置く為に、そして無辜の民を救う為の布石。


 だから使う魔法は、もうひとつ。



「私が居なくても、貴方は彼女を愛したかしら?」

「……なに?」


 視線はハロルド様だけでなく、マリーアさんに向ける。

 睨んだりなどしないわ。


 ただ聞きたいの。知りたい事でもあるのよ。


「希代の悪女シャーロット。最近では、そんな噂で皆様、大層盛り上がっていましたわね」


 たとえ、その裏に何者かの思惑があろうとも。

 こうして私を罵る貴方は、結局それらの噂に乗って、私を憎み、疎んでいる。


 その事実は変わらない。

 その責任は変わらない。

 だから『何者か』が悪いなんて言い訳、私は絶対に聞かないの。


「つまり、それだけ貴方達の話題は、私の事ばかりだったの」

「…………は?」

「マリーア・レント男爵令嬢が際立ち、愛らしく見えている理由は『悪女シャーロット』が居たから。そうでございましょう?」


 だから。そんな私が居なくても。

 私の記憶がなくなったとしても。


 貴方は彼女を愛するかしら? ねぇ、ハロルド様。

 私に敬意を払うべきだった貴方。

 互いに言葉を尽くし、信頼を築き上げなければならなかった王子殿下。


 そして私を裏切った友人達。

 今も私を『悪女』と信じている、そう思った方が『楽しい』だけの……貴方達。



「高貴な女が落ちぶれる様が、皆様の退屈凌ぎに良かったのでしょう。悪漢からではなく、醜い悪女から、可憐な乙女を守る事こそ男の本懐と酔いしれる美酒になったのでしょう」


 その浅ましさを指摘し、笑う。

 私は悪女シャーロット。

 希代の悪女、シャーロット・グウィンズよ。


 どうぞ貴方達の望む私を目に焼き付けてちょうだい?

 貴方達に捧げる『淑女の私』などない。


 微笑んで、すべてを許容してあげるなんて事、私はもうしない。

 する必要がないのでしょう?


 ねぇ、マリーアさん。

 このような立場に私が追い詰められるのを黙って見ていた貴方。


 私が許すと信じていたの?

 貴方の恋の為に、悪女と罵られ、人生を踏みにじられてもなお、貴方に微笑んであげるのだと。


 本当。………大っ嫌い。



「……!?」


 私が悪女として微笑むと、ハロルド様は驚いて見せたの。

 何の権利があって驚くのでしょう。

 貴方が私を悪女にしたのに。


「シャーロット! 貴様はやはり悪辣な!」

「表情ひとつで悪か否かを語るのですか? 浅はかなこと。貴方の快・不快は、罪も悪も定めるものではありませんわ。顔の造形もね?」


 浅はか。愚劣。愚鈍な王子。

 私に政務を投げていた事もお忘れかしら。

 その義務を果たさなかった怠惰な人。

 微笑み一つで他人を『悪』と決めつける。

 それが王子の特権だとでも?


「私には【記憶魔法】がありますわ」

「……!?」


 私が何故、二つの魔法を使うのか。

 その理由は私の、一人の人間としての意地と、感情だ。


 ……義務は果たすわ。ええ、果たして見せる。


 だけど、それだけじゃ足りないの。

 せめて、精一杯。貴方達を嫌いだと伝えたい。


 ええ。ほんの一時かもしれない。

 一瞬かもしれないわ。

 私自身によって、すぐにすべてを壊すのだから。


 だけど、そのほんの短い時間でも。私は伝えたいの。

 貴方達の事が嫌いだって。そう伝えたいのよ。


 悪女とされ、罵られて、蔑まれて。

 それでも笑って、ただ国に尽くすだけ、なんて。


 ……私はね。そんな聖女様なんかじゃないのよ。


 一人の人間。

 民の事を考えたとしても、私を裏切った人達の事まで……すべてを許容して、幸せを願うなんて『嫌』なの。


 だからこその二つの魔法。

 一つは王国の民に捧げる魔法。


 もう一つは……私の感情を貴方達に伝える魔法よ。


 だって私は聖女なんかじゃないのだから。




「まず。私がこれまで受けてきた『王子妃教育』についての記憶。それも王家に入る場合のみ、必要だった記憶を代償にして『断絶の結界』を張りますわね?」

「…………は?」


 焚べる。焚べる。

 私の記憶を薪にして燃やす。


 黄金の天秤が私の前に現れ、片方の秤の上に私の記憶を乗せた。


 これが婚約破棄という宣言をした『意味』。


 ハロルド・レノックス。貴方が踏みにじった私の『人生』の重さ。



「これが私の、王子妃教育を受けた記憶。ハロルド・レノックス第一王子の妃となる為には覚えておかなければならない記憶、ですわね? ふふふ」

「まっ、待て!!」


 今更になって、私がその記憶を失う事を止めようとした。

 あまりにも浅ましい。


(婚約破棄したのだから『不要』という事でしょうに)


 何を止める事があるの? それとも引き起こす事象が怖い?

 私が誰かを傷付けると? あはは。貴方の中ではそうなのでしょうね。



 天秤の片方。引き起こす事象に願うのは……彼等の拒絶。

 明確に意識するのは私の前に立つ数人。


(それだけじゃないわ。……私は、私を裏切った人達を拒絶する)


 『シャーロット・グウィンズを悪女に仕立て上げた人間』達が二度と、私に近寄れませんように。


 ……そんな『願い』を私は天秤に込めたの。

 そう、願いよ。


 私の魔法は、引き起こす事象は重要じゃない。

 記憶を失う事こそがこの魔法の肝。


 だから起きる事象は『願い』に過ぎない。

 しごく具体的で、現実に作用する『願い』……。



「──記憶魔法」

『我が叡智を手放し、かの者らを拒絶せり』


 黄金の天秤から光が迸り、私を包み込む。

 同時に消えていく。燃えていく。


 私の記憶の多くの部分が。



 私が、そのような人生を歩んできた事だけを残して。

 ……学んでも、何一つ身につけられなかった、哀れな女のように。


 己の記憶を焼き尽くす、暗い愉悦。


(私は『妃』になど、なりはしない)


 どんなに覆そうとしても、絶対に。

 どんな運命に翻弄されようとも、それだけは絶対にだ。


 その事を、私を最も踏みにじり、裏切った者達に知らしめた。



「あ……ああ……!」


 先程まで憎々し気に私を睨んでいた癖に。

 あたかも私の記憶が、『妃となる資格』が失われた事を嘆くような。

 そんな表情を浮かべるハロルド・レノックス。


「ふ……」


 ああ。ありがとう。


(その表情を見れただけで私、満足よ? ハロルド様)


 少しだけでも貴方が踏みにじったモノの重さを感じてくれたなら。

 ええ。その後は……もう興味すらない。


 だから二度と関わらないで欲しい。

 二度と私に触れないで欲しい。

 二度と、私に近寄らないで、欲しい。


 どこまで私の魔法が、私の『願い』を叶えてくれるかは分からないけれど。



「今の魔法の行使によって、私の身体にハロルド・レノックス第一王子、ゼンク・ロセル侯爵令息、クロード・シェルベルク侯爵令息、マリーア・レント男爵令嬢が触れる事の出来なくなる『断絶の結界』を張らせて頂きましたわ。貴方達は、もう、ある程度の距離も私に近付く事さえ出来ません」


 なんて。

 私は口から出任せ半分を語る。

 本当は分からないのよ?


 だって失う記憶の『価値』がどれだけ尊重されるのか、私自身でさえも知らない。

 確実に私を裏切ったのだと分かる、名を連ねた貴方達ぐらいは拒絶してくれると信じているだけ。


 私は己の記憶を焼いた高揚感のまま、その『結果』を試してみたくて彼等に近付いた。


 バチィ!


 まぁ!

 弾かれた。いえ。私は弾かれていないけれど。


 たしかに彼等を……拒絶する何かが発生したわ?


(素敵。ああ、本当に)


 それだけで私の怒りが少し晴れる。

 そして『安心』したの。


 だって、ね。

 これで彼等が私に近寄れない、って。そう思えたから。


 それは何より嬉しい事だと思えたわ。ふふ。



 それでは……ええ。

 私は改めて覚悟を決めた。

 今度は、もっと『大きな事』をして見せる。


 今の一度の魔法で、私はもう満足したの。本当よ?


 だって……2つ目の魔法を使ったら私自身でさえ、どうなるか分からないから。

 悔いは残さないようにしておきたかったの。


 私自身さえ『予測』できない。

 そんな風にしなくちゃいけないのよ。


 『壁』は私の思考の範囲内にある。

 私は、私自身を裏切り、その予測から抜け出して見せなければ……。


 きっと『壁』の中に閉じ込められてしまう。

 その先にあるのはレノク王国にとって良くない未来よ。


 だから壊す。だから裏切る。

 私自身さえも、裏切り、捨てる。



「『いなかった事』に致しましょう。シャーロット・グウィンズという女そのものを。この国から私の痕跡を消し去る事を『代償』にして、私の存在そのものを消去する。両方の天秤に乗るものが、すべて『私』なのです。ふふふ。私の【記憶魔法】、最大最強の出力を誇る、自滅の業にございます」



 捧げて、願うの。

 かつて出来なかった事をする。


(……お母様は救えなかったけれど)


 それでも、この魔法の先で『誰か』が救われますように。

 私は『願い』を掲げるの。


「ま、待って! シャーロット! 私、貴方のこと忘れたくないの! だからやめて! そんな事!」


 シーメル・クトゥンが私に言い縋ってくる。


(あら)


 先に張った拒絶の結界が、彼女を拒んでいる事を私は感じ取った。


(あはは……。そう。貴方は、やっぱり)


 友人だと思っていた。長い付き合いだったわ。

 けど、やっぱりね。そういう事なのだと。


 だから、それを理解できただけでも良かったと思う。

 同時に……彼女の事なんか心底どうでもいいって思えたわ。


 どうでもよくなってしまった、かつての友人を冷たく見据えて。

 私は構わずに黄金の天秤を見た。



 捧げる。捧げる。私の人生を。


 黄金の天秤が私の記憶をどう評価するかは分からない。


 結局、そんな事を確かめられる程の回数、この魔法を使う事は叶わないから。


 記憶の『長さ』なのか。『価値』なのか。或いは『重要さ』なのか。

 その判断基準は分からないまま。


(私の人生を、すべてを捧げてしまっていい)


 どうせ、これは自暴自棄も含めた魔法。

 ……自滅に等しい、覚悟の魔法。


 その代わりに私は願う。


 どうか私に最後の『義務』を果たさせて欲しい。


 この身が今日まで生かされた事実、私が生きてきた人生に『価値』があるのなら。

 その『価値』を無辜の民の幸せに捧げましょう。


 『価値』の分だけ……レノク王国を守る『何か』となってちょうだい。


 そして私自身を消す。

 私自身のすべてを消去する。


 シャーロット・グウィンズという記憶を、記録を、存在を焼き尽くして。



(……それでも、まだ。私の人生に……それ以上の『価値』があったのなら)


 願いを叶えても、まだ私にそんな価値が残っていたとするのなら。


(どうか。私自身の手で、『壁』の外側で、自らの手と足と……意思と、力で)



 ──幸せを掴める『未来』が……ありますように。



 黄金の天秤が引き起こす、不確かな魔法に。

 私は、私のすべての『価値』を捧げたの。


 そうして、その後に待つ私の『未来』は……。


 ただの身分を失った無名の廃人か。

 ……それとも。



「──極大『記録』消去魔法」

『天よ。我が名と栄誉を捧げます』


 黄金の天秤から迸る光は……私のすべてを包み込んでいったのよ。


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― 新着の感想 ―
[良い点]  まさに女傑。  ノブリス・オブリージュを体現したかのような在り方をしてきた彼女に対して誰も彼もがぞんざいな扱いをしていたのが本当に許せないし腹が立つ。  シャーロットの何を見てきた?  …
[一言] シャーロット編は本当に読みごたえがありますね。シャーロットの内面(主に思考の流れ)をとても丁寧に描写して下さり、どうも有り難うございます。 ここからは読者にとっても未知の部分(期間)のお話…
[良い点] とても面白いです。 以前、シャーロット様の内面が解らないと書かれておりましたが、悲しくも美しい令嬢に描かれて感嘆いたしました。
2023/08/31 22:03 退会済み
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