7話 アプローチ
マリーアさんは、とても優秀な方だったわ。
呑み込みが早い子なの。
困っていた所は、初めの部分。
事情を聞いてみるに、本当にこの1年で詰め込んできたのね……。
でも、その勉強は『基礎』や『土台』を無視した暗記という形。
『何故そうなるか、そうするか』を理解できないまま、その頭の許容量一杯に無理矢理に詰め込んで『上っ面の形』だけを取り繕うような……。
(レント男爵は、よほど急がせた様子ね……)
なんて勿体ない事。この子は、研けば光る人よ。
私は、彼女をきちんとゼロから教育し直す事に決めた。
……『壁』はやはり感じるように思う。
でも、それはハロルド様達とも同じよ。
セシルは義弟なのにああだったから、その壁を取り払ったけれど。
(この『壁』に沿って生きる事は、間違いかしら。それとも)
だって、もしも私がマリーアさんの手を取って育てる事こそが『運命』だったのなら。
それは忌避すべき事でもないように思うの。
この子には期待している。
人を育てる事は……なんだか嬉しかったわ。
それにマリーアさんが話す市井の話も楽しかったの。
得難い経験……いえ、お話だったわ。
(私に足りなかったものは、これかしら?)
そう。私は生まれた時から筆頭侯爵家の令嬢で、幼い頃から第一王子の婚約者だったわ。
妃教育を始めとした高度な教育を受け、政務に携わり……。
でも、それだけじゃ足りなかったの。
私が培ってきたすべては『上に立つ者』の目線だけで固められていた。
市井の民から見た実感、価値観を知らなったのよ、私は。
(いくつになっても学ぶ事があるものね……)
マリーアさんとの話は、とても楽しかった。
私は彼女の事を『友人』だと本気で思っていたわ。
それは申し訳ないのだけれど、前から仲の良かったシーメル様とのやり取りとは違うものだったわ。
(あれ?)
素直なマリーアさんの感情表現に触れるに連れて違和感を覚えるようになったの。
マリーアさんに対してじゃないわ。
……シーメル様に対して、よ。
(私とタイミングや考えが合わない事もあったけれど、これは)
表立って私に敵対するワケじゃないの。
対立するような言葉をシーメル様は使わないわ。
だけど。……彼女の言葉は、いつも私が望まない方向へ導くようなものな気がした。
『比較する相手』が居て、初めて感じるもの。
本当に得難い出逢いだったのね。
でも、そんな風に好意的に彼女を受け入れられる時間は、唐突に終わりを迎えたの。
それがハロルド様とマリーアさんの出逢い、よ。
……奇しくも二人を出逢わせたのは私だったわ。
あっという間に打ち解けていく二人に、私は言葉を失うしか出来なかった。
(……でも)
マリーアさんの優秀さなら、いずれ『側妃』に据えられるかしら?
妃教育を、今から……。
足りない部分を補って……。
(厳しい。いくらなんでも)
そもそも、ハロルド様やマリーアさんがどうしたいのか。
私だけで考える事じゃないわ。
もしもハロルド様が彼女を『側妃』か『愛妾』に据えたいとお考えなら、きっとご相談下さる筈でしょう。
そんな風に考えていた。
ゼンク様や、クロード様も色々と考えて下さっている様子だったわ。
王家からの動きは今のところない。
「…………」
私って。
うん。……うん。
恥ずかしい事なのだけど。
今更になって気付いた、いえ、思い知った事があるわ。
……私とハロルド様、あまり良好な関係を築けているとは言えなかったみたい。
上手くやれていると思っていたのは私だけ。
なんて事かしら。
ああ、でも、これが政略結婚と……恋愛の違い、なのね。
ここに来て、私は、彼女の姿を見て、気付かされた。
ハロルド様とマリーアさんが出逢う前。
彼女は、私に政略結婚が嫌だと言ったの。
その時、私は『ひゅっ』と息を呑んでしまった。
バレてはいないと思うけれど。
そういう考え方はしてこなかった。
私は、あの時に衝撃を受けたわ。
そうして、今、過ぎ去ってから冷静に自分の心を分析する。
何故、私はあの時に息を呑んでしまったのか。
なぜ、衝撃を受けたのか……。
(私には、そんな恋愛なんて赦されないのに)
…………そんな風に、私は考えてしまっていたの。
それは、どういう心だろう。
嫉妬、なのかしら。
何もかも持っている筈の私。すべてを手に出来る筈の私は、マリーアさんの素直な心に当てられた。
今まで、侯爵領の民の税で暮らして来たというのに。
国民の税で、妃教育という高等教育を受け、育ってきたというのに。
あろう事か、私は『恋愛』が出来なかった事に……嫉妬などしている。
自由がないのは仕方ない。
国の為、民の為に尽くす事は仕方ない事よ。
だって、誰が私を今まで生かしてくれたの?
この身は、私の力は、レノク王国に還元されなければならない。
レノクの民を守る為にこそ発揮されなければならない。
それこそがシャーロット・グウィンズの人生。
……母には返せなかった。
私を生み、育て、愛情を与えてくれた恩を。
だから、せめて国に、民には、返さなければならない。
「…………」
そう思っている私は異端なのだろうか。
どうして、そうしている私の隣で、ハロルド様は自らの恋愛を謳歌しているのか。
(いえ。国益に反しているワケではない。彼には『愛妾』を娶る事も許されている……)
私は誰に嫉妬をしている?
マリーアさん?
それとも……ハロルド様?
「…………」
いつしか私の悪評が立ち始めたの。
私がマリーアさんを虐めているんですって。
そんな事はしていない。
(どうしてマリーアさんは否定してくださらないの?)
どうしてハロルド様は私を庇ってくださらないのだろう。
王家の者達は何をしているの?
私の周りに今も、王家の影が付いている筈……。
ハロルド様の周りにだって。
であれば、私がそのような事をしていない証拠は確かな筈よ。
(何故、王家は沈黙を選ぶの?)
『助けて』と……そういう言葉が浮かんで。
私は気付いた。
──私は、一体、誰に助けを求めればいい。
そんな心を預けられる相手は誰だ?
ハロルド様ではない。
だって、彼は問題の渦中の人だ。
(それに……)
どうしてだろう。私は、彼に頼る、縋る、という選択肢を持っていなかった。
信頼……して、いない?
ハロルド様の事を。将来の伴侶、婚約者だというのに。
私はハロルド様の事を愛している。愛している。愛していなければならない……。
「ハ……」
何を言っている?
そう思った事なんて、ほんの少ししかない癖に。
私は何をしているのだろう。
一体、誰を信じて生きてきた。
(……ひとり、だわ)
私は、私の中で自己完結してきた。
教えられた事を、投げつけられてきた事を、何でも出来てきたから。
シーメル様にだってお話はしたけれど、頼った事はなかった。
ハロルド様が相手でも……彼から押し付けられた仕事をこなしても、彼に私の仕事を押し付けるような真似はしなかった。
……頼るような真似をしなかった。
したのは、せいぜい彼が仕事をサボらないように、勉強をするようにと。
その結果が今、なのね。
なんて無様。
私は上手くこなせていると思っていたけれど、その実、誰の心だって掴んではいなかった。
何が未来の王子妃。
何が筆頭侯爵家の令嬢。
私の正体は……頭でっかちな、空っぽの女のまま。
母を見殺しにした賢しい子供の頃から、何も変わってはいなかったのよ。
「…………」
「──シャーロット様」
「!?」
そして。悪評が立ち、孤立し始めた私の元に、接触してきた人が居たの。
一人の女性よ。
ピンクブロンドの髪にワインレッドの瞳をして。
綺麗だけど、レノク王国の民とは顔立ちが違う……異国の女性。
「あな、たは?」
今、彼女はどこから現れただろうか。
それに……周りの雰囲気が、何か……違うような。
「お迎えに上がりました。姫様。いいえ、シャーロット様」
「……誰?」
突然現れた女性に問いかける。
ゴクリと唾を呑み込んだわ。
「私は【鏡の魔女】。我が主の命により、貴方様を救いにやって来た者です」
「はい……?」
彼女は、私に向かってそう告げたのよ。