中編
「はぁ……」
王国の夜会があった時。
突如として謎の光が発生し、王国全土を覆った事件が、3週間ほど前の話。
人々は、その光によって多少の混乱はしたものの、特に体調を崩すでもなく過ごしていた。
未だに原因が分からない事件ではあるが、特に王都に変化はない。
魔獣が溢れたなどという話も聞かないし。
人々も、その事を疑問に思いつつも忘れていった。
「殿下。また新しい釣書が来たそうですよ」
「……そうか」
第一王子ハロルド・レノックス。
立太子はまだだが、第二王子とは年齢差があり、順当に行けば王太子となり、いずれ王となるのはハロルドで間違いないだろう。
当然、そんな彼であるからこそ、その伴侶となる……つまりは未来の王妃になりたい令嬢は沢山いる。
王子の婚約者を決めるのは最終的には父である国王である。
だが、国王はハロルドがもうすぐ成人し、学園を卒業する年齢になっても婚約者を決めていなかった。
「王子妃教育にだって時間が必要なのにな……。陛下は何を考えておられたのだろうか」
「内外の情勢も安定していますし。ハロルド殿下が学園で出会った女性から選ばれるのを期待されているのではありませんか?」
「むぅ……。それで良いのだろうか」
第一王子の執務室で、王子に割り当てられた仕事をこなしながら側近であるゼンクとクロードと他愛無い会話を続けるハロルド。
「それはそうと、このところ、私に割り当てられる仕事が増えていないか?」
「そうですね……。以前の倍はあるような」
「国内で何か大きな動きでもあっただろうか?」
「いえ。あの光事件以外は特に目立ってない筈です」
「そうか? 上がってくる報告としても、別に例の光事件とは関わらない通常のものだな。ただ、私の苦手とする分野の仕事が増えたような気がするが……」
ハロルド王子が執務室に詰めているのは、王子としてこなすべき仕事の量が捌き切れなくなったせいだった。
ほんの数週間前までは、そんな事はなかったのに。
むしろ、ハロルドはそつなく政務をこなし、学園生活と両立してきた有能な王子として知られているぐらいだ。
「ふぅ……」
これまで出来ていた筈の事が出来ない。
音を上げそうになる。
国王に仕事量を減らして欲しいと願えば楽になるだろうか、と。
だが、それはハロルドのプライドが許さなかった。
(これまでだってやって来れたのだ)
割り振られる仕事をすべてこなしつつも、ハロルドは学園でも余裕のある生活を送れていた。
だからマリーアと逢瀬を重ねる時間もたっぷりと持てていたのだ。
なのに最近は彼女と会う事すらも難しい。
どころか学園に通うのも時間が足りなくなっている。
マリーアと会ったのもあの夜会が最後になるぐらいだった。
「それに」
「はい」
「また新たに王子としての教育が追加されたのは何故だと思う?」
そう。ハロルドが余裕のある生活を送れなくなった理由はまだある。
それは王子教育の時間と内容が増えた事が原因だ。
今までハロルドは王子教育と学園生活、さらには第一王子としての政務をすべて余裕を持ってこなし、その上でマリーアと共に時間を過ごし、デートだって何度もしてきたのだ。
だが今ではそれをどうやって成立させてきたのかさえ分からない。
王子としての政務の量は倍に……いいや、3倍にまで膨れ上がっている。
これはハロルドの思い込みなどではなく、文字通り3倍の量の仕事が最近になってハロルドにのしかかって来ているのだ。
増えた仕事量はハロルドがさらに2、3人も居なければ賄えないほどある。
そして王子教育。
今まで余裕のあるスケジュールで卒なくこなしてきた王子教育は、最近になって詰め込まれるようになって来た。
それもタチの悪い事に増えた教育内容はどれもこれもハロルドの苦手とする分野ばかりで。
隣国で使われる言語学に、外交に携わるもの。
国内の微細な問題から、各領地の特産、特色について。
また現在の派閥関係の推移、把握など……。
ただでさえ政務の量が増えているというのに、苦手な類の勉強が詰め込まれ、ハロルドは最悪な気分だった。
苦手と言えば、増えた仕事の内容だってハロルドが苦手とするものばかりだ。
(どうして、こんな事を私がしなければならないんだ……?)
『こんなモノは■■■■■■にやらせればいいのに』
……と。他人に任せられる筈もないのに、誰かに丸投げしたくなる欲求に駆られる。
(おかしい。今までこんな筈じゃなかった。私は優秀な王子の筈なのに)
苦手とする分野だって、こうも自分でこなさずとも今までどうにかなっていた筈だ。
側近に任せていたかと言えば、そんな事はない筈だが……。
「やはりハロルド殿下に、国王陛下や王妃様は期待なさっているのではないですか?」
「ハ……。期待されるからと仕事に勉強の時間を増やされるのではたまったものではないんだがな……」
学園に通うような年齢の今ぐらい、もっと時間の余裕を持って過ごしたいとハロルドは思っていた。
今まではそれが出来ていたし、許されていた筈。
王子教育だって、ここまでの内容を……。
(そうだ。最近、私に課せられる教育は以前、私が『無理だ』と投げたものじゃないか?)
もう昔の話。こんな難しい事は分からない、と投げ、そして免除された筈の教育内容だ。
それを今になって、改めて覚え込ませようとしている?
「やはり、殿下が学年の首席を取った事が陛下達の耳に入り、期待が膨らんだのではないでしょうか?」
「むぅ……。それか」
ストレスの溜まるばかりの最近のハロルドの状況だったが、嬉しい事もあった。
今まで上位には入れど、一度も学年首席を取った事のなかったハロルドなのだが……。
卒業を前にして、ようやく学年首席を取る事が出来たのだ。
(私の能力なのだから当然だ。むしろ今まで首席を取れなかった事の方がおかしい)
レベルの高い王立学園の教育において、首席を取る事が難しいのは分かる。
ハロルドもそれなりに努力してきたが……どうしても首席、一位を取れた事がなかった。
(卒業間近になって首席になれた事は、王太子として大きく評価に繋がるだろう……)
国王がその点を評価し、期待した事で最近になってハロルドに課す政務や、王子教育を厳しく詰めてきた。
なるほど、それは納得の出来る話ではあった。
その変化はつまり、学園卒業と共にハロルドの立太子をする可能性を示している。
その事は嬉しい。ようやく両親にハロルドが認められた証なのだから。
(だが、急に色々と詰め込み過ぎだ……)
スケジュールは詰め込まれ、今のハロルドには謳歌していた学園生活の余裕がまるでない。
マリーアと会う余裕すらもなくなった。
過密スケジュールに対するストレスもそうだったが、まずマリーアと会えない事もハロルドのストレスだった。
「……マリーアに会いたい」
「殿下」
困ったような顔をする側近のゼンク、クロード。
だがマリーアに会いたいと思っているのは2人も同じだった。
「はぁ……」
耐え難いストレスを感じつつも、何とか日々をこなしてく。
そんな時間が続いていたある日の事だった。
「ハロルドよ。お前の婚約者を、そろそろ決めねばなるまいな」
「は……。父上、いえ、陛下」
「うむ」
やはり立太子は間近なのだろうと、ハロルドは考えた。
今まで第一王子の婚約者の座を空席にしておいた陛下の考えは掴めないが……。
そこは国内外の情勢を見極めていたのだろう。
国王と王妃の揃った執務室で、ハロルドの婚約者についての話が始まった。
その場には宰相も同席している。
「もうお決めになっているのですか? 父上、母上」
「……そうねぇ。有力な後ろ盾になる家門の令嬢が望ましいのだけれど」
(となると侯爵家以上の家柄が望ましいのか)
現在の王国には公爵家はない。侯爵家が王家を除いて最も位の高い貴族となる。
「グウィンズ侯爵に娘が居れば良かったのに」
「グウィンズ侯ですか」
グウィンズ侯爵は、筆頭侯爵家だ。
諸侯の中でも頭一つ抜けた家門で、後ろ盾とするならば、たしかにかの家が最も望ましいだろう。
しかし、グウィンズ侯爵には娘はいない。
侯爵夫人が、とうの昔に他界されていて、二人の間にも子供が出来なかったせいだ。
侯爵本人もあまり、自らの子を残す事に積極的ではないのか。
既に縁戚から特別養子縁組で義理の息子を迎えており、その子に侯爵位を継がせる予定を立てていた。
会った事も勿論あり、あまり情に厚い人間とは言えないのだが……。
あれで亡くなった妻の事を愛していたのだろう。
後妻も迎えず、自分の子を作る事に執着しないなど、正直に言って意外の一言に尽きる。
グウィンズ侯爵が妻や、娘・息子を愛している姿などハロルドには思い浮かばない。
「グウィンズ侯に娘が居れば推して来ただろうな。その場合は侯爵本人が国政に絡まんとする目的だろうが。幸いと言えばいいか、どうか」
筆頭侯爵たるグウィンズ家に令嬢が居ないならば、残る家門に大差はない。
下手な選択をすれば、国内が荒れかねないぐらいだ。
それに問題がある。
「侯爵家で婚約者の決まっていない、歳の近い令嬢は、もう居ないのでは?」
「……そうね。めぼしい令嬢は既に相手を決めているの。それを割り込むのは王家と言えど、心証が悪過ぎるし、成立するかも分からないわ」
第一王子の婚約者がまだ未定だと言うのに。
諸侯は、その席を空けて待つような事をせず、さっさと令嬢達の嫁ぎ先を決めていた。
(普通は、もっと待つのではないか?)
侯爵家以下の家門からは最近になって、釣書が沢山届くようにはなった。
だが、侯爵家の状況はそういう状況で……どうも王子の後ろ盾になろうとする家はない様子だった。
ハロルドにとっては、その事に苛立ちを覚える。
まるでどの家も娘をハロルドの伴侶にしたくないような諸侯の態度が赦せなかった。
(だが……)
これはチャンスでもあった。
侯爵令嬢がダメであれば、次は伯爵家の令嬢。
しかし、そこまで落とせば令嬢の身分差などあってないようなもの。
となれば……。
「父上、母上。家格を気にせず……私の気に入る令嬢を選んでも構わないでしょうか? もちろん貴族令嬢からです」
マリーア・レントは元平民ではあるが、今は確かに男爵家の令嬢だ。
辛うじてだが貴族である。
「それは最近、貴方が執心している男爵令嬢のことを言っているのかしら? たしかレント家の庶子だったわね」
「……ご存知でしたか。はい。その娘です」
「ハッ!」
「!?」
王妃は、その事を確認し、鼻で笑った。
「調べたけれど……。とても王子妃が務まる女ではなさそうよ? 側妃も無理ね。愛妾が良い所としか言えない。今、話し合っているのは『王子妃』を誰にするか、よ。ハロルド。愛妾を決める話ではないわ」
「なっ……!?」
王妃にマリーアを蔑まれ、頭に血が上るハロルド。
「何てことをおっしゃるのですか!? 母上にマリーアの何が分かると!」
「分かるに決まっているでしょう。あの娘の動向は、こちらでも把握しています。その為人、能力も。せいぜい平民受けを狙えるかどうかという程度の相手。それなら、その女でなくても構わない程度の女よ」
「なっ……」
口をパクパクと開き、絶句するハロルド。
「ハロルドよ。お前の感情がどうあれ、正妃の務まる女ではないという報告を私も受けている。アレをお前が選ぶとしても、正妃の立場には据えられん。王妃が言うように今、決めるべきなのは『正妃』、未来の王妃となるべき令嬢だ」
「そ、そんな事を誰が言ったのですか!? まさか、」
「まさか? なんだ」
「だから、それは……マリーアを妬み、彼女の評価を貶めるような輩が、何か嘘を……」
(……あれ?)
「どこにそんな者が居るのだ。妬むも何もない。これは我々、王家が調べた客観的な評価だ」
「い、いや、しかし、そんな」
おかしい。
マリーアを不当に評価するなんて、きっと何者かの策謀に違いない、のに。
ハロルドは混乱する。だって、そうでなければマリーアの事は、もっと認められている筈。
「……はぁ」
王妃はハロルドの様子に呆れたように溜息をつく。
「……王子妃には今、滞っているハロルドの政務も行って貰わなければならないの。せめて学園でも上位の成績を残している令嬢でなければ……困るのは貴方なのよ、ハロルド? あの女に貴方の補佐が出来ると思って?」
「う……、そ、それは」
最近のハロルドが政務に追いたてられている事は、やはり知られている。
(だが、何故。最近、何もかも上手くいかなくなった……)
学年首席になったと言うのに、どうもハロルドの王子としての評価が下がっているように感じるのだ。
政務と王子教育に追いやられる今の環境では、せっかく手にした首席の地位もすぐに手放す事になるかもしれない。
ハロルドには、誰か、ハロルドを支えるだけの実力を持った令嬢が必要だった。
少なくとも元の生活を取り戻す為には、ハロルドよりも更に優秀な者がいなければ……。
本当に何故、今まで自分の生活が成立していたのか分からなくなる。
(こんな筈ではない。こんな筈ではなかったのに)
上手く事が運ばないストレスを誰かにぶつけたい衝動に駆られた。
蔑み、仕事を押し付け、怒鳴りつけても構わないような。
それでいて優秀な令嬢が……あって初めて、元のハロルドを取り戻せる。
(足りない……何かが足りない)
それはマリーアなのだろうか?
最近、彼女に会えていないから。自分は上手くいかない……?
ハロルドの婚約者を決める会議はこの席では曖昧となったまま解散となった。
そうして。
ハロルドは、政務や王子教育を無理矢理に中断させ、王宮にマリーア・レントを招いた。
側近であるゼンク達の計らいだ。
ハロルドには癒しが必要だった。
「ハロルド様!」
花のように微笑みかけてくる令嬢が王宮の庭に現れた。
それは何度も逢瀬を重ねた相手であるマリーア・レント男爵令嬢。
(……あれ?)
愛しい筈の彼女を見て、何故かハロルドは違和感を覚える。
「お久しぶりです! 会えて嬉しい! 呼んでくださってありがとうございます!」
「あ、ああ……。久しぶりだな、マリーア。座ってくれ」
「はい!」
何度もデートをしてきた女性。
隠れるようにして彼女に会う時はドキドキしていたし。
元平民らしい仕草も可愛らしいと思っていた。
……誰かと比べて。
可愛げのない誰かと比べて、彼女の方が可愛らしい、と。
そう思っていた筈、なのだが。
(誰と比べて、だ?)
いつも口うるさい令嬢? そんな令嬢は存在しない。
ハロルドは学園でも王宮でも、令嬢に詰め寄られた事はない。
勉強しろ、仕事をしろ、そういう風に言ってくるのはせいぜい母親だけで……。
最近では教育係についた者達がそう言ってはくるけれど、令嬢にそう言われた事はなかった。
「ハロルド様」
自分の事を愛おしそうに見つめてくるマリーア。
その瞳を見て『こういう風な目を向けて欲しい』と考えた事はあった。
だが、だが。
(なんだ……? マリーアにそんな目で見られて、感じていた筈の気持ちを……感じない)
マリーアが傍に居る事で感じていた感情があった筈だった。
四阿で揃ってお茶を飲む時。
マリーアばかりを構う意図があった筈。
彼女を可愛がるほど、感じる優越感や……掻き立てるような何か。
それが今は……。
(何も感じない……。何故、私はマリーアをあんなにも可愛がっていたんだ?)
「ハロルド様?」
今までと変わらない愛らしさを向けてくるマリーア・レント。
彼女のハロルドに対する気持ちは何も変わっていないように思う。
「あ、うん……。いや」
いつも会話が弾んでいた筈だ。
彼女を持ち上げるような言葉がスラスラと浮かんだ筈。
そう、彼女こそ自分の婚約者に相応しいというような、何か決まった台詞があった筈なのに。
「その、マリーア。私達は、いつもどんな話をしていただろう、か?」
「え?」
彼女と交わした一番多い話題は何だっただろう?
そうだ。たしかマリーアは憧れている女性が居るのだとか言っていて。
『彼女のようになりたい』『彼女みたいであれば、私のこともハロルド様は見てくれますか』と。
いじらしいマリーアの言葉に、いつもハロルドは返すのだ。
『彼女よりも君の方が素敵だよ』『君の方が僕の婚約者に相応しい』
……そんな会話の応酬で、自分達は互いの想いを確認し合っていた。
そうして、だから。
(……何故なんだ? マリーアに求めていた何かが……分からない)
こんなモヤモヤとした何かは、側近のゼンクやクロードとの会話でも最近よくあった。
いつも一緒になって盛り上がっていた話題があったのに、そういうものがなくなったのだ。
では、マリーアの可憐さについて話し合っていたかと言うとそうでもない。
「…………」
グラグラと色々なものが揺らぐ。
「その。ハロルド様」
「な、なんだい。マリーア」
あまりの違和感に気分が悪くなってくるが、そんな姿を彼女に見せられない。
「実は……最近」
「あ、ああ」
「……シーメル様が、冷たいんです」
「……うん? シーメル? シーメル・クトゥン伯爵令嬢?」
「はい……。以前までは……何度か『二人で』お会いした筈なんですが。今はもうお誘いしても受けていただけなくて。前までは……もっと会話も弾んでいたように思うんです。そう、一緒になって……沢山、話を聞いていただけて。でも、シーメル様はもう私の話を聞いてくれなくて。私、誰にお話を聞いていただければ良いか分からなくなっていて。
ハロルド様も最近、姿を見せてくださいませんし……」
(クトゥン伯爵令嬢とマリーアの仲が良い? いや、そんな事はなかった筈……)
むしろ二人が会話を交わしている姿など見た事がない。
「それに、あの」
「あ、ああ」
「最近、皆さんが優しくないんです……」
「優しくない?」
「はい……。いつもは皆さん、優しくして下さって、色々と助けて下さっていたのに。まるで学園に通い始めるようになったばかりみたいな、余所余所しい態度ばかりで」
「そう、か……」
(だから。だから、何だと……言うのだろう?)
ハロルドは、かつて盛り上がった筈のマリーアへの感情を見失い、混乱したままだった。