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5話 壁

 学園に入学後。

 ある程度の期間が過ぎると、私もハロルド様も、政務に携わる事が許されるようになった。


 学園の授業は無意味、とまでは言わないし、復習にもなって価値がある事。

 人間は『忘れる』生き物だから。


 それでも私達は止まる事が出来ないの。


(きっと将来は、もっと)


 まだ学生だから。今、辛くても、この先はもっと上がある。

 それを『ただの苦しい事』にしてはいけない。


(誰の為に学び、誰の為にそう在るのか)


 ハロルド様への愛ではないだろう。

 王妃とは。妃となる者は、誰を見るべきか。


(『妃』とは職業……)


 王族の血を次代に残す事もまた。だけれど。

 きっと、多くの人が誤解している。


 『結婚』という文字が内包する、愛とか、恋とか、そういう要素を見てしまって。


(違うのね。『妃』とはそういうものじゃない)


 だって愛『だけ』が必要ならば、その座は用意されている。

 『公妾』という立場だ。『愛妾』とも呼ばれている。


 王子の愛を得るだけの者、そこに愛情があるのなら……その人間は愛妾になればいい。

 政務に携わり、民の未来を背負う必要はない。


(……それでも外には、王と妃……、ううん、王子とその婚約者には愛や信頼があるように振る舞わなければならない)


「…………」


(それではよくないかしら?)


 学園の授業、妃教育と政務、そして屋敷の管理と父の補佐。


 出来る。出来ている。成立させている。


 最近では、義弟のセシルもちゃんと父の仕事を覚え始めた。

 セシルの婚約者も決まったから、いずれグウィンズ侯爵家は、セシルと彼女が引き継ぐ事になるの。

 だから、きっとこれから、少しは楽になる筈。



 ……人は、あまりに『私』を犠牲にすると、公私を混同するようになってしまうと言うわ。


 『自分は私生活を投げうって仕事をしているのに』と。

 そうなってしまうと、いずれ『公』の部分に『私』を混ぜてしまう。


 それは最悪の事態だ。

 自分は頑張って仕事しているのだから、と国のお金に手をつけたりとか。


 だから比較的、ゆとりのある学園生活では私は『私』の部分を見つけようと思うわ。


 『私』を摩耗させると、他人に対しても不寛容になってしまう。

 それでは、きっと『公』の部分にも悪影響が出るから。



 なんて。そう考えて。


(……私の『私』って何かしらね)


 息抜き。楽しみ。趣味。やりたい事。人間らしさ。

 渇きを癒す飲み水のような、貴重な時間。


(今までは……)


 私には教育があった。学ぶ矜持があって。必要があって。


(皆は何をしているのかしら?)


 交流を持つ令嬢達にだって趣味と呼べる時間はある。

 何もいつだって仕事の話をしているんじゃないわ。


 流行のものがどうとか。他愛もない話をする事もあって。


(私の趣味は……やっぱり魔法の研究?)


 他の皆と共有できないわね。

 いえ。同年代に魔法使いが居るのかを調べてみるのもいいかしら。


 今まで自分の【記憶魔法】にだけ目を向けていたけれど、当然、その他の魔法使いだって居るのよね。




「シャーロット義姉様」

「セシル?」

「学園はどうでしょう? 僕も早く義姉様と一緒に通いたいです」

「そうねぇ」


 大変だ、と伝えようと考えて。


(私の『大変』な部分って、あんまり他の生徒と関係ないのよね)


 私がそうなのは、主に妃教育と政務があるからよ。

 屋敷の事はなんだかんだ言って優秀な使用人達が支えている。


(それも、いずれなくなっていく事だけど)


「セシルには、そうね。きっと楽しいのではないかしら? 同じ世代の子女が集まっているのは、やっぱり大きな事よ」


 その性質上、学園周りは治安もいい。

 多くの家門の令息・令嬢を預かる場だものね。


 警備体制は厳しく、人数も割かれている場所。


 安全に、安心して、同世代の子と過ごせる環境なの。



「私も、沢山の人とお話するようにしているわ」


 私が目を向けるべきは民。

 だけれど、領地の視察に出掛ける時間は、もうあまり取れていない。


 『民』とは、少し違ってくるけれど……目を向けるべき者として、学園の生徒達には気を配っているの。


 爵位の差もある。

 侯爵令嬢達とは、ある程度の交流が出来ていたけれど、伯爵家より下位となる家門の生徒達と話をするのは、とても新鮮よ。


 シーメル様には苦言を呈されたぐらい。

 『いずれ王妃となる方が、下位の者達にそこまで優しくするのはどうでしょう?』って。


 でもね。

 うん。

 これもまた私の『私』だと思うの。今はそう思えるわ。


 知らなかった人達のことを知れて嬉しいもの。

 分け隔てなく、とは出来ないけれど、積極的に目を向けるぐらいはさせて欲しいわ。



「……それって、令息達にも話をされるのですか? シャーロット義姉様」

「ええ。そうだけど?」

「……あんまり、そういうのは良くないんじゃないかな」

「え? どうして?」

「だって、義姉様は、その。……ハロルド殿下の婚約者なんだし」

「ああ。それは大丈夫よ。二人きりで話をする事はないわ」

「そういう問題じゃ……」

「それに、そこまで令息達と関わりがあるワケじゃないのよ。婚約者のいらっしゃる方は、令嬢と一緒に話をしたりするの」

「……僕は、」

「なぁに? セシル」

「僕は、シャーロット義姉様に、あんまり他の男と話をして欲しくない、かな」

「はい?」


 私は首を傾げてセシルを見た。


「何を言っているの?」

「……義姉様。僕は……」


 義理の弟の目を、ふと見つめる。

 この子は苦しいような、そんな目で私を見ていたわ。


「僕は、僕が好きなのは……貴方なんだ」

「…………」


 私は、目を細め、セシルの言葉を聞いた。


 『好き』だと。その意味が、家族に対する親愛とは思えない、態度と表情。

 ……私の中で急激に、セシルへの愛情が冷めていくのを感じる。


 ずっと弟として接して来た。

 そのように信頼してきた。


 たしかに実の姉弟ではなかったかもしれないけれど。

 それでも私の中にあったのは姉と弟としての情だけだった。


 セシルはそうではなかった、という事?


 …………何か裏切られたような気分だった。



「…………口を慎みなさい。私は、貴方を弟として思い、そのように見てきました。そして、これからもそれ以上になる事はありません」

「シャーロット義姉様!」

「……人の気持ちを無下にしてはいけないけれど。こればかりは赦せないわ。せめて胸の内に秘め続ける事ぐらいは出来ない? 私は、もう貴方を義弟とさえ見たくなくなっている。悪い意味でよ」


「そ、そんな……!」


 断り方もある。あるかもしれない。

 でも。だけど。これは、ない。


「……セシル。貴方、婚約者が居る事。忘れてないわよね?」

「僕が望んだ事じゃない……!」

「…………はい?」


 私は、義弟の告白よりも、その言葉に驚いた。


「婚約なんて! ずっと断って欲しかった! だって僕は昔からシャーロット義姉様の事が……!」

「黙りなさい!」


 私は、セシルが声を張り上げるのを何とか遮った。


(侍女も近くに居る。聞こえたでしょう。なんて事なの……)


 屋敷の中で、こんな。

 醜聞も甚だしい。


 それに何より……ぞわりと、鳥肌が立った。


(何……? この感覚は、何?)


 単純に、そう、セシルの事が『生理的に嫌だ』という問題じゃなかった。


 私の中の魔力が、何かに反応している。

 この反応は?


 頭の中に数年前にあった短い出逢いを思い出した。


 家名を名乗らなかった少年に触れられた時の感覚。


(何かに囚われるような、嫌な気配)


 それはセシル個人じゃない。

 じわじわと、柔らかい布で首を締め付けられるような錯覚。


 私は、歯を食いしばって、耐え、セシルと向き合った。



「……はぁ。せめて、一人の人間として、貴方の気持ちに返事をしましょう。セシル。セシル・グウィンズ。私には婚約者が居る。そして将来、彼の妻になるつもりで生きている。貴方の気持ちには応えられない。……応えようとも思えない。個人として。身分も、立場も関係なく。貴方と共に歩く未来を、私は思い描けない。……どうか、これからは距離を置いてちょうだい。……グウィンズ侯爵令息」


「あ……」


 私は、足早にセシルの前から離れていった。


(距離を置かないといけないわね……)


 義理の弟なのだ。

 それを失念していたかもしれない。


 初めから『家族』の枠に入れて考えてしまっていたから。


(……セシルは違ったの?)


 私のことを『家族』や『姉』ではなく、『一人の女』として見ていたと?


(……そんな男が、同じ屋敷に住んでいるなんて)



 あるのは嫌悪感だ。そして裏切られたという失望。最悪な気分。


(思うだけならいい。どうして、それを口に出すの)


 叶わない恋だってある。そうでしょう?

 何より私達は貴族なのだから。

 何の為に、グウィンズ侯爵家の養子になったと思っているの?


 私の醜聞に繋がるような言動を。

 自分の気持ちを口にする事の方が、私の立場よりも大事だっていうの?


 甘やかし過ぎたのかもしれない。

 私にとってセシルは『家族』だった。


 家族は、私にとって大事な存在だった。


(……だから。距離を……縮め過ぎたのかも、しれない……)


 年頃の男性の気持ちは分からない。

 分かっているようでいて、分かっていなかった。


 家族と思っていない、同じ世代の女が、近くに居る。屋敷の中に居て、共に育つ。

 そんな状況がセシルに恋心を芽生えさせてしまった?


「……っ!」


 私は頭を抱えた。かきむしりたくなる衝動を必死に抑えて。


(なんて事、なんて事……)


 セシルの気持ちは、きっぱりと断った。

 彼は、しっかりと私を諦めてくれるだろうか。


 醜聞よ。

 こんなの、醜聞以外の何でもない。

 でも、私ははっきりと断った。

 侍女が聞いていたとしても、その事も同時に伝わる筈。


(それだけじゃない……。もっと、何か)


 義弟に向けられた恋慕と、それに対する失望や嫌悪。

 私が感じているのは、それだけじゃなかった。


 私の魔力が何かを感じている。


(この感覚は何……?)


 覚えがあった。これは数年前に、あの『アレク』と会った時の感覚と同じ。

 この感覚は、彼の魔力から伝わるイメージだと思っていた。


 だけど。


(違う……。これは、何か、違うわ)


 何か、もっと大きな何かの圧迫。


 私が『魔力』を持っているが故に感じ取ってしまっている、大きな圧力。


(何なの? 一体)



 家名を名乗らなかった『アレク』と、告白をしてきた義弟。

 二人に何の関係があると言うのか。


 ……この時、私の感じた圧迫感は、注意深く探ってみると他にも感じる人が居たの。



 一人は、ハロルド様。

 それから殿下の側近として、いつも傍に控えているゼンク・ロセル侯爵令息。

 そして、同じく側近のクロード・シェルベルク侯爵令息。


 ……彼らに共通して感じるような圧迫感があるの。


(この感覚は何なの)


 どう表現するのが適切か。


 ハロルド・レノックス。

 ゼンク・ロセル。

 クロード・シェルベルク

 セシル・グウィンズ。


 そして『アレク』……。



 彼等に共通する事は?


 私は、何か苦々しい感覚を覚えた。

 『関わりたくない』という気持ちと同時に『関わらなければならない』ような圧迫感を覚えるの。


 交流を持ちたくない、嫌いとまではいかなくても。

 なのに『絶対に』関わらないといけないような……。


 私の内包する魔力がそれを感じ取っている。


(……きっと魔力を持たない人間には分からない……感覚)


 私には魔力という『感覚』があるが為に。

 そこにある『見えない壁』を感じてしまっている。


 まるで見えない壁によって作られた迷路だ。

 他の人は、自然と歩いているつもりなのに。


 私だけは『壁』を知覚してしまっているが故に、その道を『歩かされている』ような……圧迫感。


 何故、あの時。

 セシルが私の告白した時に、この『壁』を感じるようになったの?


 まるで決められた道を歩かされているような、そんな感覚を。


 告白されたから? 好意を向けられたから?

 その好意を抱かれる事そのものが、私には『圧迫』だと感じた。


 私はハロルド様の婚約者だ。

 だから、他の男性を愛する事なんて……許されない。


 だというのに。


 まるで他の男性に、彼等に、無理矢理に興味を抱かせられるような、おぞましい感覚。


 ………………『運命』?


 こんなに、おぞましい感覚が。

 まるで運命の出逢いかのように。


 私の心の中を勝手にかき回すように。



「…………!」


 私は、誰に打ち明ける事も出来ないまま。

 この『壁』に悩まされる事になったの。


 魔法ではなく『魔力』について勉強を続けた。

 魔力持ちが抱える病気のようなものなのか。

 それとも私だけが感じる圧迫感なのか。


 義弟のセシルとは距離を取るようになった。

 必要以上に距離を近付かないように。


 私に恋慕を向けるなんて、それこそセシルの為にもならない。

 誰も得をしない事よ。


 ハロルド様とは……適度な距離を置いて、良好な関係を……築けていると思う。

 いえ、最近は、以前より……でも、それは政務の量が増えているからで



 日々の時間の間で、ずっと。私は『壁』の存在に苦悩していた。


 1年、2年と、ずっと。

 誰に打ち明けられる事でもないから、自分一人で抱え込んで。


 そして……ハロルド様達と同じような感覚を覚える相手と出逢うわ。



 …………それが『彼女』だったのよ。


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― 新着の感想 ―
[良い点]  凄く凄く、丁寧に「物語世界の強制力」について書かれていて良いです。  「現地」の人がそれに気付いたとしたらどんな認識になるか。  これは凄い作品なのではと思わせてくれます。  これからの…
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