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1話 記憶魔法

「記憶の魔法。使ったらどうなるのかしら?」


 自分が魔法を使える、なんて聞いて。

 そうして大人しく過ごせる? きっと難しいと思うの。


 人生で一度きりしか使えない魔法、なんて銘打たれているなら別だけど。

 あくまで私は『記憶』という代価を差し出せば、いつでも魔法が使えるのだもの。


「……使い方、だと思うのよね」


 ええ。お母様が懸念されていた事も理解できるの。

 記憶を失う、という事はとても恐ろしい事よ。


 この重たい記録本に書かれている過去の【記憶魔法】の使用例を見てみれば分かる。


(この本。歴代の魔法使い達の『失敗談』なのよね……)


 私は、眉を下げながら苦笑いを浮かべたわ。



 魔法なんて魅力的な力。使わずにはいられない。

 だけど魔法に溺れれば、いつか私は記憶のすべてを失った廃人同然になってしまう。


 ……魔法に溺れるな、とお母様は言う。

 至極、その通りだ。

 きっと魔法に溺れてしまえば私は破滅する。


(だけど、何が出来るかは把握しておかなければ)


 そう、これは貴族の義務のひとつ。なんて。

 単に好奇心に突き動かされているだけなのだけど。



「シャーロット様。勉強を疎かにしてはなりませんよ」

「……ええ」


 私は家庭教師に見守られながら、思考を中断し、机に向き直った。



 私の家、グウィンズ侯爵家は王国でも随一の侯爵家。

 領地は広大で、その為に管理は難しく、お父様もよく頑張っていると思います。


 貴族としては。

 ……まぁ、お父様は家族を省みるタイプではありませんので。


 なら、お母様は寂しく過ごしていたかと言えば……分かりません。

 貴族だから。

 二人は政略結婚だったの。


 だから両親の間に、男女の愛はないのだと思う。

 お母様は家の管理をする屋敷の主人だったわ。


 その母が病に倒れられてからは執事長や、侍女長が屋敷を執り仕切っている。



「お母様のご病気を、私の魔法で治してみせるわ」


 母が病に倒れられて、真っ先に私はそう言った。


「シャーロット。病は、お医者さんが治すものよ」

「でも、お母様」

「……ふふ。大丈夫よ。大丈夫」


 本当に? 心配で仕方ない。

 そして、その心配は現実のものとなっていったのよ。


 母の病状は、どんどん悪くなっていった。


(ダメよ、ダメダメ。こればっかりは。大切な事に使うのだから。どれだけ失う記憶が多くても。使わなかったら、きっと私は後悔する……!)


 私は、母を救う為に自分の記憶を差し出す事を決めたわ。


 7歳の時だった。

 それなりに勉強は詰め込まれてきた。

 私の記憶なら、きっと!



「シャーロット……。よく聞いて」

「お母様。はい」

「…………貴方の魔法を、私に使ってはいけないわ」

「えっ」


 何を言ってらっしゃるの?

 だって、お医者様が治せない、死に向かっている病なのに!

 こんな時に魔法を使わないでどうするの!


「聞いて。シャーロット。……貴方の魔法は、私の家の者が継いできた魔法。だから、……そういう記録も残っていたわ。その本だけじゃなくね」

「は、はい」


 お母様も元々、貴族令嬢だった。

 たしかメイリィズ伯爵家……。

 お母様は、その家の長女だった。爵位はお母様の兄が継いでいた筈よ。


「長く、少なくとも私の祖父母の世代も魔法を使える者は居なかったわ。でも、その前の世代には貴方と同じ魔法使いが居たの。その事は、ちゃんと記録に残ってる」


 うん。残ってる。

 その人についての記録が。


 そして、その……失敗談が。


「シャーロット。私の言いたいこと、貴方なら分かる……?」

「…………失敗、されたのですよね。先代の魔法使い様は」

「そう……」


 先代の魔法使い。その方は、母と同じように重い病に倒れた妻を魔法で助けようとした方だった。


 だけど。


「……妻は助かった。それと引き換えに魔法使いは廃人となってしまった。自身の大事な記憶をすべて失ってしまったから」


 それだけ重い病気だったのか。

 或いは、そういう運命の者を救う事そのものが、禁忌に近いのか。

 人一人の命を救う事の代価。ならば、その人の人生を懸けてこそ成立するもの、なのか。


 本当に等価と言えるの?

 魔法だというのに。


 ……医者が治せない病気だからこそ、魔法を頼った。

 魔法がなければ治せない、つまり確実な死の病だった。


 だから死ぬ前に使ったとしても、それはとても、とても重たくて。

 失う記憶は、それだけに。



「シャーロット」


 お母様の真剣な目が私を見つめる。


「貴方の記憶を……すべて失っても私を治す事は、きっと出来ないわ。だって、貴方、まだ7つなんだもの」

「……っ! でも!!」


 やってみなくては!


「聞いて。お願い、シャーロット。7つの貴方が、記憶のすべてを失っては、きっと取返しがつかなくなる。それで私を治せるとも思えない……。私が死んでしまうのに。……貴方が私の事を覚えていない、なんて。私、その方がずっと嫌よ」

「お母様……」


 そうだ。私が魔法を使えば、きっと母の事を忘れてしまう。

 だって、今の私にある記憶は、勉強で得た知識と、お母様との事ぐらいしかないのだもの。


 ……それで、もしお母様を治せなかったら?

 病に倒れるお母様の事を、私は何の興味もない目で見つめるの?


 言葉さえ忘れて?

 掛ける言葉もなく?


「っ!」

「ね。シャーロット。お願い。私の事を忘れないで。貴方の事を大切にして。仕方ない事だってあるの。失うモノをすべて取り零さないようにするなんて、無理なのよ。たとえ、それが魔法の力であっても」

「……、……はい。お母様」

「いい子ね、シャーロット。本当に。だからどうか。魔法に頼らないで。私の思い出を貴方の中で生きさせてちょうだい……」

「お母様……」


 使えない。

 私の【記憶魔法】は使えない。


 なんて無力。なんて無意味な力。

 魔法と銘打たれているというのに、大切な人一人も死の淵から救えない!!


(記憶を失えば、どうなるの?)



 ……これは、心の問題であり。

 そして『リスク』という打算の問題だった。


 魔法を使ってもお母様は治せないかもしれない。

 だけど、確実に私はすべてを失った人形になる。


(それでも万が一、助かるかもしれない……)


 歯を食いしばりながら、毎日、毎日、その選択肢と向き合った。

 お母様との思い出を大切に過ごしながら。


(この思い出を手放せば、お母様の命を救えるのなら)


 だけど、日に日にやつれていくお母様の姿を見て、思うの。


 ……『ああ、足りない』と。


 たかが7つの私の思い出は、記憶は、母を死の運命から救い出すには、あまりにもちっぽけで。



 ……私は、賢しい子供だった。

 無駄に賢くて。

 だからこそ引き起こした後のリスクを考えて、踏み止まって。

 出来ない事の理由を計算して、思い止まったの。


 子供らしく、愚かに、お母様を救いたくて必死になって、がむしゃらになればいいというのに。


 たかが7つの私は、現実なんてふざけたものを見て、冷酷に、魔法を使うのを踏み止まったのだ。



(ごめんなさい。ごめんなさい、お母様)


 救えない。救う力があるかもしれないのに。


「お母様。お母様……」

「シャー、ロット……。貴方を、愛しています、からね……」

「お母様っ。私も、私も貴方を……愛しています……お母様、お母様っ!」


 そうして。


 天秤の秤を、どちらにも傾けず。

 私は、母が天に昇るのを見送った。


 私は、母の大切な『記憶』になれただろうか。


(救えたかもしれない、のに)


 すべてを投げ出せば。私のすべてを差し出せば。

 大好きだったお母様を私は救う事が出来た筈だった。


(母を救えなかった、魔法)


 何が魔法だというのだろう。

 あまりにも無意味な力だった。


 母の病が重くなければ救えただろうか。

 医療が発展していれば、もっと軽い病で済んだだろうか。


 ……私の記憶に、もっと『価値』があれば大切な人を救えただろうか。


 これから、私は自分の力にどう向き合っていけばいい。


 身の程を知っていればいいのか。

 魔法などと言っても、万能などとは程遠い、と。

 所詮は、人間の力に過ぎないのだと。


 死にたい程の絶望感が心を埋め尽くす。

 無力だった事。そして、自分が救えたかもしれない事実は、重く私にのしかかった。


(それでも……お母様は、私を愛してくれたの)


 だから簡単には死ぬ事は出来ない。


 楽な道ばかりを選んではいけない。

 魔法に溺れてもいけない。


 ……使うな、という事ではなく。

 見極めなければならなかった。



 私は、侯爵家の一人娘として生き、学びながら。

 自身の魔法に常に向き合い続ける事になった。




「…………」


 母が亡くなった後、しばらくして。

 母の実家であったメイリィズ家に、魔法についての記録を送っていただくように伝えた。


 お父様が私の魔法の事を把握しているのかは分からない。

 そんな事さえ話す機会がなかったから。


 やがて母が亡くなって1年過ぎ、2年過ぎ。


 もうすぐ私が10歳になる頃合い。



「……【記憶魔法】」


 侯爵令嬢として学びながら、手に入る魔法の研究をすべて手に入れ、自身で理論を構築する。

 何が出来て、何が出来ないのか。


(一生、使わない、という選択もある)


 多くの人にとって魔法は縁がないものだ。

 だから私もそれに倣い、ただ一人の人間として歩いていく選択肢はある。


 だけど。


(向き合わなければ、私は……前に進めない)


 あの日、本当に私は母を救う事が出来なかったのか。


 この【記憶魔法】がちっぽけなものだと知れたなら、救いはある。

 無理だったのだ。どうしても叶わなかったのだ、と。


 魔法という言葉に踊らされ、勝手に期待を膨らませていただけで。

 母の病を治す事なんて、そもそも無理だったのだと、知れたなら。



(だけど、もしもこの魔法が万能の力を持っていたのなら)


 母を見殺しにしたのは…………私だ。



 黄金の天秤が私の前に現れる。


 片方の秤に乗せるのは私の記憶。些細な、記憶。


 記録を取る。これから私が失う記憶について。



 乗せる記憶は、ほんの些細なもの。私にとって無価値に等しい、日常のエピソード。


(友人、知人、交流を持つ人間の記憶を失うのは、リスクが高い)


 それは貴族子女として致命的になりかねない。

 侍女などの周りの人間との思い出も同様。


 生活に支障をきたしかねない。


 だから、天秤に焚べる記憶は。



「……お父様との思い出」


 家に帰って来ないお父様。母の死を看取ろうともしなかったお父様。

 恨みさえ抱いている、お父様。


 ……貴方との思い出を、魔法の『実験』に使わせて貰います。


 そうして消費される程度の価値。それが貴方との記憶。


 大切な母との記憶を失くさないように、慎重に取り扱う。



「…………」


 父との些細な記憶を乗せる。私は、この記憶を二度と思い出さなくなるだろう。


 ──カタリ。天秤が傾く。小さく、小さく。


(なんて小さな記憶)


 量の問題ではない。これはたぶん『質』の問題だ。


 試すつもりさえないけれど、お母様との記憶だったら……。


 記憶の価値は、私自身にとっての価値なのかしら。

 つまり、大切な記憶ほど、より大きな事が出来る。

 過去の記録からしても、その傾向は散見される。

 逆に『量』がまったくの無関係かと言えば、そうでもない。



「──【記憶魔法】。『夜に灯りを』」


 自然と、私の口を突いて出たのは、魔法の進む方向性か。


(なる……ほど?)


 軽い喪失感と共に、机の端に灯りが灯る。

 私の父との思い出は、夜中に部屋を照らす程度の価値となって消費された。


 あれから使えなかった。使わなかった。

 使った事もなく、使えると思えなかった、魔法。

 一つ、肩の荷を下ろしたような、そんな気分。

 母の死からもう2年が過ぎていての話。


(お母様の事を思い出す事は出来る。直近で覚えた令嬢としてのマナーも問題ない)


 では、お父様との記憶は……?


「…………」


 何を失くしたのかが分からない。

 果たして、それは記憶を失っているからか。それとも最初から失っていないのか。


(元より価値の薄い記憶だったから)


 記憶が消えたとしても影響はない。


「はぁ……」


 乗り越えた。いいえ。1歩だけ前へ進んだ。


 そして証明した事は、確かに私が魔法を使えるという事……。


(でも……)


 お母様の命を天秤にかけてしまった、あの日の傷は癒える事はない。


「あはは……」


 それはそうよ。

 だって、それを証明するには『大きな事』をしてみせなくちゃ。

 その時の私は、すべてを失ってしまう。


 失って。何もかもを捧げて『大きな事』をしてみようとして。


 そうして、ようやく。あの時の自分の決断に、向き合えて。



(……そんなの、出来るワケ、ないのにね)


 すべてを失う選択なんて選べるワケがない。

 だって、お母様は私が生きていく事を願った。

 そう願って愛してくれた。


 なら私は、あの頃の自分を慰める為なんかじゃなく、前を向いて……生きていかなくちゃいけないわ。



「楽な道を選んではいけない。魔法に溺れてはいけない」


 お母様の言葉を、声に出す。


 魔法についての心構え。でも同時にそれは侯爵令嬢としての心構え。


 学んだ今の私は知っている。

 グウィンズ侯爵家は、王国内でも最も力ある家門。

 私は、その一人娘なのだ。


 だから辛く苦しい未来が待とうとも、義務を果たさなければならない。



 一つ、何か小さな記憶を手放して。

 いつまで光るか分からない、小さな部屋の灯りを手に入れて。


 ……そして、私は前に進んだ。

 お母様の死から止まっていた、私の心の中の何かを踏み越えたの。



 そうして10歳になった私に、最初の果たすべき『義務』が与えられたわ。

 それは、この国の第一王子殿下との……婚約。


 出逢う前から、父と王家で取り決められ、覆せない決定として与えられた政略の道。


 家での教育に加えて、王子妃となる為の教育も加わるという。


(……魔法についての研究や、実験を済ませておいて良かったわね)


 きっと私の時間は、どんどん削られていくだろう。

 そして。


 初めて、会う、将来結ばれる相手とのお茶会。

 王と王妃、父の監視の下、行われる顔合わせ。


(結婚……。男性と、)


 不安がないとは言わない。

 その言葉に迷いが生まれていないとも言わない。


 けれど、そのすべてを押し殺し、一切、顔に出さないように。


 にこやかに、穏やかな表情で。優雅なカーテシーを。



「──はじめまして。ハロルド・レノックス王子殿下。私、シャーロット・グウィンズと申します」

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― 新着の感想 ―
[一言]  いつ頃「自身に関わる記憶ならば他者のものでも効果を発揮する」と判ったんだろうね。  そこがかなりのブレイクスルーというかシャーロットにとっての転換点になったのだろうか。
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