努力
「マリーア。またね」
「は、はい。ハロルド様!」
光に包まれた会場。様々な不安、恐れ、そして期待に満ちた夜会だった。
だけど。そんなのは全部、ただの幻だったの。
きっと、この光も王家の演出なんだろうって、そう思いました。
ハロルド様は優しく私に微笑みかけてくださって、夢のような夜が終わったんです。
「はぁ……」
そんな素敵な夜会を終えて女性寮の部屋へ戻る。
王都に邸宅を持つ貴族令嬢と違い、地方の男爵家が今の家、という私の帰る場所は、ここだった。
「そうだ。上手くいったんだって教えてあげ……」
(あれ?)
何を。誰に?
私は、首を傾げました。
ふわふわとした気分で終わった素敵な夜会。
何一つだって問題は起きなかったんです。
本当に、直前まで感じていた不安が嘘のように消えていて。
私は、今夜。今夜、ハロルド殿下と結ばれ……。
「あれ……」
結ばれてはいない。
仲良くは出来た。出来たけれど。
「あれ……?」
ハロルド様が、もっと、決定的な事を……だから、そうしたら私は。
(どうして?)
今夜が終われば何もかもが上手くいく確信を持っていた。
だからこそ不安で一杯だった。
筈なのに。
(何も、変わらなかった?)
劇的な変化は、ひとつも起きていない。
デートを重ねたハロルド様から、告白のような言葉も聞けていないし。
婚約者に据える、なんて言葉も聞かせては下さらなかった。
(どうして?)
……ううん。何がどうして、なのだろう。
私はなんで確信していたの?
たしかに夜会で、丁寧に扱って貰えたけれど。
でも。でも。
そうだ。私、最近は皆からも応援して貰えてたの。
運命の恋なんだって、そう祝福されていたわ。
周りの人達もたくさん優しくしてくれて……。
(そうよ。そう。私達は祝福して貰える)
だから。だから頑張らなくっちゃいけないの。
今まで思わなかった事、ううん。目を背けていた事を思う。
(大丈夫。頑張れる。私はハロルド様の隣に立てるから)
どこから溢れてくるのかも分からない自信が、今までの私を変えていた。
その日から、勉強の方にも精を出す。
ハロルド様と焦燥感を抱えながら何度もお会いし、デートを重ねてきたけれど。
腰を落ち着けて? 学業にも取り組もう、と。
貴族令嬢としての矜持や誇り……とは少し違う。
でも、似たようなもの。
私がなりたい貴族令嬢、という姿が漠然とあって。
そうなれるように努力しようって思ったんです。
◇◆◇
「難しい……けど」
図書館で一人、机に座って学園の勉強をこなしていました。
そこで分からない事があって。
『こんな時は』と、顔を上げました。
分からない事があれば聞けばいいのだ、と。
「あれ」
でも私の隣には誰も座っていません。
「……何してるの。自分で考えなくちゃ」
分からない所を他人に聞ければ楽ですが、今、頼りに出来る人は周りに居ませんでした。
ですから当然、私は自分の力で理解を深めなくてはいけません。
「…………」
勉学で躓く度に、分からない部分を『誰か』に聞こうと顔を上げる。
(何やってるの、私。もう癖になってる……)
頼りに出来る人なんて居ません。そういうものです。
でも私、中途入学で、学園でもそういう、その。
『落ちこぼれ』の成績の人が集められたクラスから始めて。
そのクラスの人数は少なく、それでも皆、元からの貴族子女ばかりだったのですけど。
半年以上、この学園で過ごして、勉強してきて。
ようやく学力がついてきたんです。
だから、自分の頭で必死になって考えれば答えが出せましたし。
時間が掛かるけれど、何とか自分で理解も出来て。
少し勉強が楽しくもなってきました。
(今まで分からな過ぎるから苦手だっただけなのね……)
ある一定のレベルを超え。その上で自分なりに噛み砕いて、理解に繋げる。
そうする事で、今までよりも格段に私の学力は……多分ですけど……上がり始めたと思います。
それもこの半年頑張ってきたからで。
(他人に甘える癖が……あったから)
そう。分からない事はいつだって皆さんが教えてくれたのです。
伯爵令嬢であるシーメル様や。彼女と同じグループで交流会を開いている令嬢達。
そんな彼女達に、私はいつもすぐに質問を繰り返してきた。
皆さんは優しく説明して下さって……。
(でも……そう。頼るだけでは成長しなかったんだ)
簡単に人に聞ける状況が、却ってよくなかったのかもしれない。
もちろん、それは今、私に基礎的な学力がついたからこその話なのだけど。
(はじめは何も分からなかったものね)
学園に通うまで。私は一年ほど家庭教師に学業を詰め込まれた。
ただ『何故』『どうしてそうなるのか』を理解しないまま詰め込んでいて。
だから、学業がとても苦痛だったんです。
でも学園に通うようになって。基礎の部分を理解した事で、かつて詰め込んできた勉強がようやく身に付いたようでした。
(これなら次の成績も少しは上に行けるかもしれない)
そうしたらハロルド様は褒めて下さるかしら?
「……頑張ろう」
私は、愛しい人の顔を思い浮かべると机に向かいました。
あの夜会の日から2週間以上が経過して。
私は、理解力の上がった学園の授業に精を出し、少しだけ夢中になっていました。
そして、ふと。
(最近、ハロルド様をお見掛けしていないわ)
まだ彼に恋をしている。
そのときめきを忘れてはいない。
ただ、不思議な事で。私は、何かの穴を埋め合わせるように彼との逢瀬を忘れ、勉強に身を入れていました。
どうして、そんなに集中していたのか。
その事を考えて。
(あ。私、最近、シーメル様の交流会にも出ていないんだ)
ハロルド様との逢瀬、そしてシーメル様達との交流会。
その二つが無くなった事で、私は、勉強の時間を多く取れるようになったんです。
(なくなった?)
前までは。でも。そう、いつもシーメル様に誘われて交流会に参加していました。
それが最近になって彼女に話し掛けられもしなくなったんです。
……元々、誘って頂けていたから参加できていた交流会。
男爵令嬢どころか子爵令嬢さえも居ないその会は、如何にも高位の令嬢の集まりでした。
(苦手……だったんですよね。でも参加したくないワケじゃなくて)
あの交流会。
確かに行きたい、隣に座りたい、という思いを私は抱いていたのですけど。
それと同時になんだかいつも胸が苦しくなるような気分になって。
特にその。周りの皆さんからの言葉が辛く……。
元々、私から参加をしたいからする、というのは許されない集まりです。
呼ばれなければダメ。だから今の私は誘いを待っているしかない状況でした。
(どうしてだろう。今はそんなにあの交流会に参加したくない……)
以前まではあんなに行きたいと願っていたのに。
今は、もうむしろ顔を出したくないと思っています。
「変なの……」
いい事なのか悪い事なのかも分かりません。
ただ、このまま私から何もしないのも失礼な事かもしれないと思い、私はシーメル様に会いに行きました。
「シーメル様」
「…………」
久しぶりに会ったシーメル様は……、どう言えばいいのでしょう。
まるで魂が抜けたように生気のない顔をしていらっしゃいました。
「だ、大丈夫……ですか? シーメル様」
「…………」
精気、覇気のない表情。
私を見返す目にも光が宿っていないような。
体調を崩されている?
いえ、どうでしょう。フラついているワケではありません。
「貴方は……レント家の女ね」
「え? あ、は、はい」
冷たい声でした。温度のない声。
拒絶のようにも感じますが、やはり無気力のようで。
「あの、シーメル様? 体調を崩されているのですか?」
「……何か用かしら」
私の問いは無視されてしまいました。
用事は、あってないようなもの。
「あ、あの。えっと。また『二人で』お話したいな、と」
「…………二人? ああ、貴方と。……何故……?」
「えっ」
何故、って言われましても。
「……私が貴方と話をする理由は……ない、でしょう?」
「え? で、ですが今まで沢山、私の話を聞いてくださって……」
「……そんな事をした覚えはないわ」
「ええ……?」
シーメル様はどうされたんでしょう。
だって、いつも。いつも?
(あれ)
シーメル様がいつも私に優しく。優しかった……でしょうか。
「……もう行くわ。……話し掛けないで」
「あっ」
シーメル様は私を置いて行ってしまいました。
その背中や歩き方にも、どこか……。フラついてはいないのだけど、魂が抜けたような儚さを感じる。
(一体、シーメル様は?)
やはり体調が悪いのでしょうか。
私は、いつもの交流会の皆さんにその事を伝えなければ、と思いました。
そして探して、いつも集まっていた方達にお話したのですけど。
「マリーアさん。少し、馴れ馴れしいのではなくて?」
「え?」
「たしかに貴方は今、ハロルド殿下と親しくしているけれど。シーメル様も私達も立場というものがありますのよ。ですから馴れ馴れしくし過ぎるのは止めていただけるかしら? 貴方は……所詮、今は男爵令嬢に過ぎないのですし」
「え、あ……。は、はい。それは……申し訳ありません、でした」
その言葉はショックでした。
同時に納得もしてしまったんです。
だって、その言葉は……今までの彼女達が隠してきた『本音』のように感じたから。
だから、どこか納得してしまって。
それに冷たくされたのに、私は……そこまで大きなショックではない、ような……。
私が距離を置かれる理由。
今まで仲良くしてくださったのに、急に余所余所しくなる理由。
それは分かりません。
ショックとそうでない感覚を同時に味わう、奇妙な状態で私は混乱しました。
(一体……?)
この感情は、何なのか。
分からないまま、また数日が経過しました。
「レント男爵令嬢」
「あ。クロード様」
ハロルド様の側近の一人であるクロード様が私の元へ訪れたんです。
そして、彼は私を連れて行きました。
ハロルド様が呼んでいるから、と。
(嬉しい)
会えない日々を常に想っていた……ワケじゃなかったけれど。
それでも彼に会える事は、すごく嬉しい事でした。
「ハロルド様はお元気ですか?」
「……もちろんだ」
「そうですか。それは良かったです」
馬車に乗せられ、王宮へ運ばれる私。
(え。王宮へ?)
流石に王宮へなんて行った事がありません。それなのに、こんなにあっさりと?
「クロード様。良いのでしょうか。私なんかが王宮に入っても」
「は?」
「え?」
彼は私の疑問に首を傾げました。何でしょう?
「今更何を。いつも……ん? いや。初めて、王宮へ上がるのか? レント男爵令嬢」
「え? は、はい。そうですけど」
「そんな筈は……ある、のか?」
「えっと?」
クロード様はどうされたんでしょうか。
「クロード様?」
「いや。と、とにかく問題ない。今までだってそうだっただろう?」
「えっと」
今まで。学園や街でのデートの話でしょうか。
「は、はい……?」
「うん」
互いに首を傾げながらも馬車は王宮へ入ります。
そして案内された先には、ハロルド様がいらっしゃいました。
「ハロルド様!」
私は嬉しさで微笑みを浮かべながら、彼の元へ小走りで駆けて行きます。
「お久しぶりです! 会えて嬉しい! 呼んでくださってありがとうございます!」
「あ、ああ……。久しぶりだな、マリーア。座ってくれ」
「はい!」
ああ、久しぶりの愛しい人だった。
私は、以前と変わらないときめきを胸に抱いて、彼の薦めた椅子に座る。
(ハロルド様。私の……初恋の人)
素敵な王子様。手が届かないと思っていたのに、彼は私に微笑みかけてくれた。
そして果てには、その。涙が溢れる程に、嬉しい言葉を言ってくれたんです。
「ハロルド様」
テーブルを挟んで真向いに座る初恋の相手を、私は見つめました。
すぐ近くに居るだけで嬉しい。
今日ほど、安心して彼の傍に居られた事なんてありません。
ずっと彼を見つめて。でも。
(あら?)
ハロルド様が困ったような顔をしていらっしゃいました。
「ハロルド様?」
「あ、うん……。いや」
いつもはもっとよく話すのに。今日の彼は何か……なんでしょう?
「その、マリーア。私達は、いつもどんな話をしていただろう、か?」
「え?」
急に何をおっしゃっているのでしょう。
私達は、いつも。
(いつも……?)
色んな話をしていました。たとえば、素敵な貴族令嬢になるにはどうすればいいのか。とか。
私にはそんな風になれない。とそう弱音を零すと、彼はいつも慰めてくれました。
そうして彼の婚約者に相応しいのは私だ、と。
そんな風な言葉まで掛けていただいたんです。
話題。話題。
話のとっかかりを見失いながらも、私はハロルド様との会話を続けました。
それは今まで感じた事のない、奇妙な交流でした……。
微妙な気分のままハロルド様との逢瀬が終わり。
それでも初恋を失わないまま、私は学園生活を過ごしました。
そろそろ次の成績発表の日で。私は、今回はそれなりに自信があったんです。
(頑張った。私、すごく頑張ったわ!)
……言いたくないですけれど。今までの私は、その。学年でも最下位でした。
その事が私を惨めな気持ちでいっぱいにしていましたが。
今回は、そうじゃない成績が取れた、と確信を持てました。
そして事実。私の成績は、ちゃんと上がっていたんです。
(やった!)
学年全体の成績順。
もちろん、上位なんかじゃありません。
ですが最下位が当たり前のような状態から、かなり上がって。
全体の3分の1。それこそ『中の下』辺りまで私の成績は伸びてきました。
『比べる相手』の居ない、自分の成績を見て、私はとても満足感で胸を満たします。
(やった。私、すごく頑張ったんだわ。これが結果よ)
前までの自分よりも、圧倒的に向上した成績。
それは私の自信へと繋がったんです。
そして会いたかった人の姿も見つける事が出来ました。
「ハロルド様っ」
「……ああ。マリーア」
また久しぶりに彼に会い、成績順位の事を聞かれました。
私は、上がった成績を自慢するように彼に教えて。
「ほら!」
と。嬉しくて仕方ない気持ちを隠さずに。
(褒めてくださるかしら? いつものように)
優しく微笑みかけてくれながら。
「……………………」
あれ? と。
私は、ハロルド様の態度に首を傾げました。
でも、それも一瞬のこと。
「……よく頑張ったね、マリーア」
「はい! ハロルド様っ。えへへ、頑張りました」
私は、彼に認めて貰えて嬉しくて笑顔になりました。
(嬉しい。すっごく嬉しい。今まで一番素直にそう思える)
嬉しくて。自分でも自信が持てて。だから。
……ハロルド様の表情が硬かったのは、きっと気のせい。




