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過去ーユキ、20歳 ②ー

 合鍵を持っていたことを後悔したのは、あいつが女を連れ込んだところに遭遇した時だ。


「きゃっ、牧くんっ?」

「……は?」

「違うの、私っ! あの、牧くんのことが知りたくてっ」


 相手は、オレと同じゼミの女の子だった。

何度か飲み会に誘われたことも、個人的に誘われたこともある。目的はわかっていたから、その度やんわりと断りを入れていた。

バンド練習のために大学へ迎えに来た龍臣と遭遇したこともあるから、顔見知り程度ではあったけれど、何がどうしてこんなことになっているのか。

大体、ベッドに裸の男女が2人でいて、何の言い訳をしようというのか。

動揺したまま龍臣の方へ視線を向けると、悪びれもなく煙草を燻らせていた。


「ドアロックすんの忘れてたわ」

「そういうことじゃねぇだろ!」


 目の前で浮気しておいて、この太々しい態度はなんなんだと肩を掴んだら、空気の読めない女は庇うようにオレを止めに入った。


「待って! 私、牧くんが好きなの! だから怒らないでっ……!」

「うるっせぇな黙ってろ」


 何をどう勘違いしたらそんな話になるのか、吐き気がする。


「でもっ」

「今そんな話はしてねんだよ!」

「ははっ! ユキはお前みたいな尻軽に興味はねーんだよ」


 蔑んだ顔で、龍臣は乾いた笑いを響かせた。


「な、何その言い方!」

「わっかんねーかな。頭悪すぎだろ」

「はぁ!?」


 キレる相手を無視して、龍臣はオレの胸倉を掴んで引き寄せる。女の目の前で、抱き寄せてキスをされた。


「っ……」


 衝撃に、思考が暗くなる。

まさかという予想が膨らんで、否定するように体を突き放した。


「たつ、おみ……お前……」

「これでわかっただろ。軽々しくこいつに手ぇ出してんじゃねーよクソ女」

「なっ……! 最っ低!」


 バシッと鈍い音を響かせて龍臣を殴ると、彼女はとっとと服を着て足早に部屋を出ていった。

静まり返った空間で、この男を真っ直ぐに見ることができない。


「ユキ……」


 触れようとする手を、盛大に振り払った。


「触んな」

「……ごめん」

「何に、対して」

「……他の奴と寝て」

「わかってんならなんで!」


 漸く顔を上げて龍臣を見たら、彼の方が泣きそうな顔をしていて。

泣きたいのはこっちだ。恋人が他の女とヤッた事後なんか見せられて、挙句目の前で切り捨てて。


「なにが、してぇんだよ……」

「わかってんだろ?」

「わかりたく、ない」

「お前はわかってるよ。だって、誰より俺を理解してる。俺も、お前を誰より理解してる」


 本当はわかっている。

龍臣はオレに少しでも好意を持つ人間を、排除したがっているんだと。きっと、オレが来ることも予想していたんだろう。

ロックをかけなかったのは、ワザとだ。


「こんなことしなくたって、あの子の誘いは全部断ってた!」

「ヌルいんだよ。あーいう女はハッキリ立場をわからせてやらねーとつけ上がんの」

「だからって……」

「お前は誰にも渡さねえし触らせねえ」


 さっき掴み損った腕を取って、そのままベッドへ転がされる。


「嫌だ! ふざけんな!」

「ベッドもシーツも全部替えるから……ごめん、雪仁……」 

「やめろ龍臣!」

「愛してる」


 何がごめんだ、一つも反省してないくせに。何が愛してるだ、ふざけてる。こんな最低な状況で、まともな抵抗すらできなかったオレも。

この先、この龍臣の狂気を、止めることができなかったことも。全部、ふざけてる。




 





 そんなことを何度も、何度も繰り返して、穂澄にはもう別れろと忠告されていた。

当たり前だ。バンド内の空気は悪くなるし、主にオレの音に影響が出る。

けれど不思議と、苦しんでいる時の方が音で溢れた。大きな喧嘩をして、龍臣に愛された後には、悩んでいた曲ですら書けた。


「狂ってるね」

「……そうだな」


 曲を聞いた後、直球で莉子が言う。

ヘッドホンを取って椅子に座り直すと、莉子は盛大なため息をついた。


「ねぇ、あいつがとち狂ってんのはわかるけどさ、あんたもなの?」

「……アレと付き合ってんだから、そうだろ」

「苦しい時ほど完璧に仕上げてくるとか、ドMかよ」

「はは、辛辣」


 笑いながら煙草を取り出そうとして止められる。


「こら」

「ごめん」

「実際問題、私と穂澄に特に害はないけど、これから先そうだとは限らない」

「……それは……」

「バンド仲間だってあいつの毒牙にかかった奴はいるんだよ。まぁ確かにビックリするほど全員がユキに言い寄ったり、やらしい目で見てる奴らだったけど……こっわっ」


 莉子は自分で言って自分の発言に肩を摩った。


「この先、あいつの行動がエスカレートしないとも限んない。だからと言ってあんたに別れる気がないのも知ってるし、もし別れるなんて言ったら刺し殺されそうな気もするし」

「それはない」

「即答すんな! どんな自信だよ!」


 バンバン机を叩きながら突っ込む莉子に軽く笑って、立ち上がったままのPCを閉じる。


「龍臣は……オレを傷つけたくて傷つけてるわけじゃない、から」

「はぁー? 惚気かよ」

「そうじゃなくて」

「なに」

「……いや、うん……」

「説明諦めんな!! あーあーヤダヤダ本当ーにやだこいつら! 怖っ! 2人揃ってこっわっ!!」

「おい……」


 手足をジタバタさせながら首を振る莉子は、ひとしきり暴れた後、急に真剣な顔で腕を組んだ。


「まぁでも……マジな話、別れた方がいいと私も思う。あんたたちが想い合ってんのはわかった上でね」

「……うん」

「歪だよ。別に綺麗な形に収まれとか言ってるわけじゃなくて、あんたたち2人の世界で完結したがってるくせに、結局周りを引っ掻き回しながら、全部壊して行くのはどうかと思うって話」

「迷惑かけて、ごめん」

「別に私に迷惑かけるのは構わない。呉越同舟みたいなもんでしょ。いくらでも面倒見てやるよ」

「え……カッコよ」

「そうだろそうだろ。崇めたまえ」


 ドヤ顔でふんぞりかえる莉子は頼もしくて、彼女の優しさにすっかり甘えてしまっていた。













 その時は、突然やってきた。

バイトで遅くなってスタジオ練に遅れた日、受付で穂澄と出会して、お互い遅れたことに苦笑いしながら階段を降りて行くと、防音のはずの部屋から、叫び声がした。


「ちょ、なにっ?!」


 穂澄が慌てて重い扉を開けたら、壁に押し付けられた莉子の首に、龍臣の手がかけられている。


「莉子!!」

「なにやってんだよ!!」


 穂澄が龍臣を引き剥がす中、咳き込みながら座り込む莉子を支えようとした。


「触んな!!」

「っ……な、に」

「俺以外に触んな」

「ーーーー龍臣……」

「ふざっけんなてめぇ!」


 殴りかかろうとする穂澄を、莉子が引っ張って止めた。


「莉子! お前なにされたかわかってんのか!?」

「っ、ゲホッ……わか、ってる……」

「なら……あぁクソ、大丈夫か」

「だい、じょぶ……だから」

「ユキ、お前こいつ連れて帰れ。莉子は俺が病院に連れて行く」


 おそらく後頭部を少し打ったであろうことを悟って、穂澄は莉子の体を支えながら椅子に座らせる。

今は穂澄の言う通りにするしかしかないのだろう。頷いて、龍臣を引っ張ってスタジオを出た。

初夏の湿った空気が纏わりつくように、重い。


「なんで……莉子に手ぇ出した」

「……」

「龍臣!」


 引いていた腕を離して振り返ると、捨てられた子供のような顔でじっと下を見つめている。


「何でお前がそんな顔すんだよ」

「……悪い……」

「謝んのはオレにじゃない」

「ん……ごめん…」


 埒があかないと、もう一度龍臣の腕を取って足早に家へと連れ帰った。

多少荒っぽく突き放して、ベッドに座らせる。


「訳を話せ」

「……俺が悪い」

「そんなことは聞いてない」

「……」

「お前、本当にわかってんのか!? オレたちが止めなかったら、どうなってたと思ってんだ!」

「……わかってる」

「わかってるならなんとか言え!!」

「ごめん……」


 どれだけ問い詰めても、龍臣は訳を話さない。祈るように両手で口元を押さえて、怯えるように体を丸くしていた。

龍臣が自分の凶暴性と狂気を、恐れていたのは知っている。知っていながら、放置した。

この男を、手放したくなくて。愛されていたくて。

嵐のような凶悪さを持っていたのは、オレの方なのかもしれない。


「龍臣……もう、無理だ」

「っ、」

「終わりにしよう」


 両腕を掴んで縋る龍臣を見下ろしながら、あの雪の日のことを思い出す。

寒くて暗い部屋で、龍臣の孤独が埋められればいいと、願っていた。オレが、そうなりたかった。

傷つけ合うのではなく、救いのように。

夜が明ける時、ただ隣で笑い合える存在でいたかった。


「……愛してる」


 オレの顔を見ないまま、龍臣は言う。


「愛してるよ……龍臣。でももう、解放してくれ……」


 オレから、解放されて欲しい。


「お前がっ……お前が俺を生かしたんだろ!」

「龍臣……」

「だったら捨てるなよ……簡単に捨てるなら、最初から手を伸ばすな!」

「っ……」


 正論だ。生きることは龍臣にとって地獄だったから。


「ユキ……頼む。お前がいないと、息ができない」

「龍臣……オレを、恨んでるか?」


 手を、伸ばしてしまったオレを。

受け入れてしまったオレを。

もういっそ、恨んで、憎んでくれればいい。

お前を癒すことも、満たすこともできないから。


「愛してる」


 ベッドへ引き倒されて、左足首へ手が触れて、摩って、口づけた。

誓いのはずだった傷痕が、この時、互いの枷に変わった。




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