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過去ーユキと龍臣、冬ー


 龍臣たつおみは、真夏でも長袖を着ているような子供だった。

近所の公園に1人でいるところを見かけるたび、不思議に思ったのを覚えている。

初めて言葉を交わしたのは、オレが10歳の年の冬。大雪の日だった。

学校からの帰り道、公園前を通り過ぎようとして、ふといつも1人でいるその子のことが脳裏を掠めた。何故かはわからない。

足は勝手に公園内へと向いていた。見渡す限り人影なんてない。雪だってもう積もり積もって、遊具で遊ぶことすらできない状態なのに。

なにかに引き寄せられるように、彼の定位置だったすべり台へと近づいた。


「……!」


 積もった雪から、服の切れ端が見える。

急いで駆け寄ると、やはりその子どもだった。仰向けになって埋もれていたから、足を滑らせて雪の上に落ちたのだろう。積雪量の多い日だったのは、運がいいのか悪いのか。


「ねえ! 大丈夫!? 聞こえる!?」


 触れれば、手足は凍りつくほど冷たくて、既に凍傷になっていてもおかしくはなかった。こんな日にマフラーも手袋もせず外に出るなんて。

急いで雪の中から体を引っ張り出すと、驚くほどその子は軽かった。服の上からでもわかる小さな体。10歳の子供がなんとか抱えて歩けるほど、ガリガリに痩せていた。


「さむい……」

「!……わかる!?」

「……かみ……さま?」


 うっすらと開かれた口から溢れでた言葉。

その弱々しさに、寒さではない震えが走る。


「もうちょっとだけ頑張って!」


 自分の着ていたダウンコートで小さな体を包んで背負い、大雪の中を懸命に歩いた。祖母の経営する病院が近くにあったことも、幸運の一つだったのだと思う。


雪仁ゆきひとくん! どうしたの!?」


 病院の入り口近くまで行くと、職員が気づいて飛んできてくれた。


「この子、雪の中で倒れててっ……何分経ってるかはわからないです!」

「体温が……とにかく雪仁くんも中に! よく頑張ったね!」


 看護師さんにその子を任せると、一足先に病院の中へと走っていく。その後をゆるゆると歩いてようやく受付に辿り着い時には、自分も既に疲労困憊だった。


「雪仁!」

「お父さん……」


 勤務医だった父が、酷く慌てた様子で走り寄り、オレを抱きしめる。


「雪仁、よくやった。偉いぞ」

「あの子は?」


 毛布に包まれながら問いかけると、父は「大丈夫、助かるよ」と涙を零しながら答えた。




 龍臣は要するに、被虐待児だった。

ろくでなしの母親と、その交際相手の男から日常的に暴力を受けていた。

あの日も大雪にも関わらず、外に締め出された挙句のことだったらしい。雪の上に落ちてからそう時間は経っていなかったようで、命に別状はなく、凍傷を心配された手足も壊死せずに済んだ。

父から報告を受けて病室に様子を見に行くと、龍臣は意識を取り戻していた。


「……あ」


 そっとベッドサイドに近寄ると、彼は虚な瞳をゆっくりとこちらに向けて口を開いた。


「……生きてる……」

「よかった。先生呼ぶね」

「なにが、いいもんか」

「え?」

「生きてさえいれば、幸せだとでも思ってんのかよ」


 およそ、9歳の子供が口にする言葉ではなかった。











「龍臣くん、雪仁と一緒に楽器やってみないか?」


 父がキラキラした目で龍臣にそんな提案をしたのは、オレが中学に上がったくらいだったと思う。

牧家の姉弟の中でも1番仲の良かったオレが、一つ下の龍臣と離れてしまった事を気にしたのだろう。

父は多趣味な割にこれといって長続きしないものだから、家にはギターやサックスにドラム、果ては三線まで置いてあって、その中から龍臣がドラムを選んだのは必然だったのかもしれない。 

あいつの中の憤りや怒りが募れば募るほど、それをドラムにぶつけていたし、それが龍臣にとっての自己肯定の一つでもあった。

高校生の頃には、その辺のコピバンを遥かに凌ぐほど上達していた。

同時に、女遊びも酷くなっていたのも知っている。否、相手は女だけじゃなかったか。

いつの間にかオレの身長を超え、恵まれた体格と顔立ちに周りは色めき立っていたから、相手には困らなかったと思う。


「龍臣、お前いい加減にしないと刺されるぞ」


 そう苦言を呈した時もある。


「似合いの死に方だろ」


 軽い口調で返す時はいつも、オレの顔を見ようとはしなかった。

荒んだ生活の割に学校にはきちんと出席し、人当たりも悪くないところが更に質が悪く、彼女を取られただのとトラブルになる度余計な傷もこさえていた。

所属した軽音楽部の仲間のほとんどは呆れ返っていたが、逆に信奉者の数も多かった。


「お前置いて行くのだけが心配なんだけど」


 卒業後、東京の大学に進学が決まっていたオレは、この男の今後だけが不安のタネで。

未だ落ち着かない龍臣をこのままにしていていいのか、何度も自答を繰り返した。


「ならユキがこっち残ればいいだろ」


 珍しく拗ねた様子に首を傾げたら、捨てられた子供みたいな顔で腕を引かれた。


「ここにいろよ」


 カーテンを閉め切った暗く寒いアパートの部屋で、龍臣はどうしようもなく孤独だった。


「……そういうわけには、いかないだろ」

「嫌だ」

「龍臣……」


 制服が皺になりそうなほど握りしめる手に、そっと自分の手を重ねたら、今度は体ごと引き寄せられる。


「ユキ」

「……うん」

「ユキ……」


 どこかで、罪悪感があった。

あの日、龍臣を助けたのは自分で、あの小さな子供を生かしてしまったのも自分だった。

生きることが龍臣にとっての地獄だったのなら、その地獄に連れ戻したオレが突き放すのは正しいのか。

わからないまま、ここにいる。


「龍臣……ん……っ」


 黙ってしまった彼の名前を呼んだら、唐突に唇が触れた。何が起きたのか理解するまでに時間がかかって、その頃にはもう、息を奪うように口付けられていた。


「ふ、っ……ぁ……たつ、……んんっ」

「ユキ……」


 ぬるりと舌が差し込まれる感覚に、咄嗟に体を突き飛ばした。


「なにっ……なんで……」

「なんで? 気づいてなかったのかよ」


 鼻で笑う龍臣はどこか痛々しくて。


「ずっと、こうしたいと思ってた」


 オレを押し倒すその手は、少しだけ震えていた。


「……龍臣」

「ずっと、お前を俺だけのものにしたかった! ぐちゃぐちゃに犯して、縛り付けたかった!」

「龍臣、待っ……!」

「頼むから!」

「っ、」



「俺を置いて行かないでくれ…」



 永遠の別れでもあるまいし、なんて軽く言えるほど、無神経にはなれなくて。

静かに雪の降るその日、初めて龍臣に抱かれた。

別に、罪悪感や同情だけで受け入れたわけじゃない。

結局のところ、オレも龍臣が欲しかったのだと自覚していた。

薄暗く閉じた部屋の中で、互いの息遣いが重なる瞬間、この男を酷く愛おしいと思った。












 

「何考えてる?」


 懐かしい夢を見たとぼんやりしていれば、あの頃よりも少し低い声が耳元で囁く。


「……別に」

「ふーん? ま、いいけど」

「龍臣」

「ん?」

「……オレを、恨んでるか」


 聞くのは、何度目かわからない。後ろから抱きしめる腕が一瞬だけ強張って、すぐに力を増す。


「愛してる」

 

 答えは、いつも同じ。

オレたちは絡まり合ったまま、どこへも行けないでいた。





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