6年前ー自覚する、夏ー
その男が有名バンドに所属しているドラマーだと気付いたのは、数日後のことだった。
「龍臣、来るなって言っただろ」
「来ないとか言ってねえし、泊めて欲しいから迎えにいくっつったじゃん」
「それも断った」
「なんでそう邪険にするかねぇ」
やれやれと頭を掻きながら、その人は見定めるようにこちらに視線を寄越した。上から下まで、じっくり品定めをされている。
「へぇ。えーと、君いくつ?」
「おい!」
「18、です」
「マジか、高校生まで誑かしてんのかよ」
「やめろ!」
庇うようにユキさんが前に立ってくれたけれど、こんな表情は初めてだ。
いや、さっきも似たような顔をしていた。苦くて、苦しいような。寂しいような。
「龍臣……お前の都合で振り回すな。この子は関係ない」
「珍しい。随分気に入ってんじゃん」
「……わかった、荷物とってくるから待ってろ」
「りょーかい」
「涼、戻るぞ」
「あ、はい」
【龍臣】と呼ばれる男に軽く会釈をすると、彼はいつの間に距離を詰めたのかすぐ後ろに立っていた。
「ユキの左足のタトゥー、見たことある?」
耳元に口を寄せて、ボソりとそれだけ告げると、彼は満足そうに笑う。
「……え」
「今度見せてもらいな」
笑っているのに、敵意しか感じられなかった。
結局ユキさんは穂澄さんに説教されながらも早々に帰る準備をして、方々謝りながら座敷を出た。
見送るように一緒に出て、スニーカーを履いているユキさんの左足を、悪いと思いつつ覗き見る。
「ユキさん、そのタトゥーって……」
よく見れば、左足首に彫り物があった。
あまり細かくは見えなかったけど。
「あぁ、若気の至りってやつ」
それだけ答えると、ユキさんは颯爽と店を出て行ってしまう。慌てて追いかけた店先で、【龍臣】さんが、ユキさんの肩を抱いていた。
親密そうに、誰よりも彼を理解しているとばかりに。
指先に髪を絡めながら耳元で何かを囁く様子は、切り取られた絵画のようにも見えて。
腑が、ジリジリと焦げる思いがした。
(あぁ、そうか)
俺はあの人に、恋をしている。
Prometheusというバンドが徐々に人気を伸ばして、ランキングでも名前を見るようになっていた。
バンドマンの端くれとしてチェックもしていたし、好きな曲もあったのだけれど。
「あの人……あーー、そーいう」
「なに、どうした?」
呻く俺を怪訝な顔で覗き込む静馬が手に持っているのは参考書。そう、今は学校。次の授業の準備をしたいのは山々なのだけれど、気づいてしまったらもう頭を抱えるしかない。
「いや、うん、なんでも……」
「なんだよ」
「後で聞いて」
「おう?」
たつおみ、と呼ばれていたあの男は、間違いなくプロメテウスのドラムの【龍臣】だ。
あのバンドがデビューした頃、ジャケ写を見て、酷く目立つ人だと思った。長身でスタイルが良くて、整った顔立ちに目立つ金髪、腕の刺青とバチバチのピアス。
普通なら、真ん中のボーカルに目がいくはずなのに。
「マジかー」
小さく呟いて頭を抱えた。
龍臣さんはなんというか、とにかくスキャンダルが多い。女優とすっぱ抜かれたり、恋愛禁止のアイドルとすっぱ抜かれたり、バラドルとすっぱ抜かれたり、もうとにかく女性関係の記事がよく出回る。
中には新曲リリース前の話題作りもあったりするのだろうが、派手に遊んでいるという噂はよく聞いていた。
(ユキさんと真逆じゃん……)
その人がなんで。
あの日、彼は紛れもない敵意を俺に向けていた。それがなんなのか、今ならわかってしまう。
(嫉妬と、牽制)
2人がどんな関係なのかは知らないけれど、龍臣さんがユキさんの周りをうろちょろする人間を牽制したいのだろうことは明らかだ。
触れ方だって……。
「クソっ、えっろい触り方しやがってええぇ」
「綾瀬ー、授業始まってるぞー」
「すいません!!」
「お、おぉ、元気だな……?」
ムカムカした勢いで謝る俺に、先生が気圧されていた。なんかごめん。
「なに、なんかあった」
「あった……」
昼休みの教室内、コロッケパンを片手に机に突っ伏した俺を、やはり静馬が呆れた顔で見ている。
モヤモヤするけど、これをどう説明していいものか。
「静馬、プロメテウスの龍臣ってわかる?」
「わかるもなにもお前、今やドラマーの間じゃ知らない人間おらんわ」
「なんか……アマチュア時代に接点とか」
「ないだろ。俺とお前が組む前にデビューしてんじゃん」
「だよなぁ」
「はあ? 龍臣さんがどうかしたのかよ?」
「……ユキさんと、どういう関係かとか、聞いたことある?」
よろよろ起き上がって恐る恐る見上げると、今度は眉間の皺が深くなっている。
「お前知らなかったの?」
「え、なにを」
「あの人、元々ジルのドラムだったんだぞ」
「……マジ?」
「マジ」
「えええぇー……え、なんで抜けたん。引き抜き?」
「さぁ。でもメンバーと滅茶苦茶揉めてたって聞いたけど」
ということは円満に抜けたわけではないということだ。
揉めた人間があんな距離感でユキさんと話すか?
でも穂澄さんの様子を思い返せば、和解したとは考えにくいし。
「なに、ユキさんと龍臣さんの間になんかあった?」
あったけど、これを人に言っていいのかどうか。でも穂澄さんに聞くわけにもいかないし、結局静馬に相談するしかないのか。
「一昨日、交流会あったじゃん」
「あぁ、涼しか行けなかったやつな」
「なんか……途中で龍臣さんがユキさんのこと迎えに来て」
「迎えに来て!?」
ガタンと大きい音がしたと思ったら、静馬が机の脚に脛をぶつけていた。すげー痛そう。
「だ、大丈夫か?」
「いっ……だい、じょうぶ……それで?」
涙目になりながら続きを促すところが凄い。
「急にユキさん家に泊めてくれって話だったみたいなんだけど、なんか、距離感がこう……近くねーかなと。俺のことすげー品定めされた感じもするし」
「はぁ、なるほど。デキてるのではってことか?」
「そんなハッキリは言ってない!」
「言ってるようなもんだろ」
思わず立ち上がって注目を浴びてしまった。やらかした。今のは静馬のせいだ思う。
ストンと座り直して、持ったままのパンの袋を開ける。
「で? モヤモヤしてんだ」
「もっ……そ、だって……」
「お前さ、自分でわかってる?」
「な、にを」
「お前ユキさんのことになると、急に余裕なくなんだよ」
待って。俺、今までもそんなだった?
あの人を好きだと自覚したのはつい一昨日のことなのに?
軽く吃驚して静馬を凝視したら、長いため息をつかれた。
「無自覚だったわけか。わー青春ー」
「うぉい、俺は何も言ってない!」
「いやいやいやいや、だって今のそういう話だろ」
「ちがっ、あの2人がどういう関係なのか気にな……ぅぐっ」
「涼くん、それは自白というのです」
「ああああぁぁ」
再び机に突っ伏して呻く。コロッケパンは一口も食べられていない。おかしい、俺は恋愛相談をするつもりじゃなかったのに。
「でもお前、どーすんのそれで」
「どうって……」
「だから、もしその2人がそういう関係だったとして」
「そ、いう、関係……」
「いいながら凹むなよ」
「……別に俺は、ユキさんとどうにかなりたいとかじゃ、ないっつーか」
「嘘つけ健全な男子高校生がどうにかなりたくないわけねーだろ」
「あの人なんであんなに色気ダダ漏れなんだよおぉ!」
「おーよしよし、素直だなー」
なんで俺は自白をさせられているのだろう。
そりゃ、どうにかなりたいかと言われれば、どうにかなりたいけども。
でもどこか、触れてはいけないような。繊細なガラス細工に皮脂をつけることを躊躇うような、そんな気持ちもある。
(あの男は、どんな想いで触れるんだろうか)
ついあの夜の光景を思い出して、また少し凹んだ。
「おー、死んでんな」
1人の城であるはずの部屋に、時折ズカズカと足を踏み入れてくる存在がいる。
「うるせぇ」
「そろそろ転職すりゃいいだろ」
「んな簡単にいかねえんだよ……」
ノロノロとベッドから起き上がるオレの隣へ無遠慮に座って笑う顔を、もう何年見続けただろうか。
「無理して飲み会まで出なきゃいいのに」
ゴツゴツした大きな手が髪に触れて、くしゃりとすいて、耳に触れる。いつもより少し甘く響く声。近づく唇を、寸前で防いだ。
「やめろ」
「なんで」
「もうこういうことはしないって、言ったはずだ」
「了承した覚えがねーんだよなぁ」
「たつおっ……んっ」
ガードしていた左手を絡め取って、強引にキスをされた。いつもこうだ。
拒もうと思いながら、拒みきれない。求められるままに体をひらいて、受け入れて。
「ユキ」
「はっ……ぅ……」
「ゆーき、声出せって」
「ぁ、やだ……っ」
快楽に支配される。
この男とのセックスは麻薬だ。思考が霞がかって、そのうちに堕ちていく。オレも、そして龍臣も、この奈落からの抜け出し方を知らない。