綾瀬涼という男
綾瀬 涼という男は、人に好かれる天才だ。
少なくとも、浜路 慎からはそう見えていた。
出会ったばかりの頃、20歳そこそこで役者の経験がない彼は、右往左往しながら現場に真摯に向き合っていた。
その誠実さと素直さと、何より周りをパッと華やかにする明るさに好感が持てた。
実際のところは、フォローされるよりもする側に向いているのだろう。
気遣われてばかりの初期は、酷く恐縮していたように思う。
「涼、ちょっとおいで」
そんな彼が、役作りに頭を悩ませているのを悟って、慎は手招きをした。
ほとんど縋るような眼差しに苦笑して、隣に座る涼の背中を軽く叩く。
「困ってる?」
「あの……なんか……今の感じだと、声優さんの演技を下手に真似してるだけだなって、思っちゃって」
「ふん、なるほど?」
「歌とダンスと要求されてることとって、考えてたら、よくわからなくなりました……」
「あー。最近、合間にめちゃくちゃアニメのシーン見てない?」
「めっちゃ見てます。でも正解がわからないというか」
肩を落としてしょげる涼は、耳の垂れた大型犬に見える。
こういうところがこの後輩を可愛らしいと思う部分でもあって、慎としては、出来うる限り力になりたいと思ったりもする。
「正解なんかないよ。でも、そうだなぁ……」
彼の持ち味と経験を活かすなら。
「涼は、色んなことを考え過ぎない方が、上手くいくと思うよ」
「考え過ぎない、ですか?」
言葉の意味を理解しようとじっと見つめる瞳に、慎はワクワクした。彼の奥底には、緩やかに揺れる炎のようなものがある。
それを野心と呼ぶには些か仰々しいが、この役をモノにして見せるであろう予感がした。
計算で動くより、きっと抜き身のままの感覚で演じる方が向いている。彼の歌う姿を見た時、そう思った。
そう思わせてくれる役者は、意外にも少ない。
だからこそ期待をしている。
この可愛らしい大型犬が、狼に化けることを。
「本当に化けたよ……」
「え?」
たかだか3年で。
末恐ろしいと身震いすると、目の前の男は可愛らしい子犬のようにキョトンとしていた。
自分としては、後輩が予感通りの成長を遂げたことは喜ばしい。喜ばしいけれども、予想を遥かに超えてきたことには、空恐ろしさを感じるものだ。
あの初舞台から3年、慎と涼は何度か共演を重ねた。
その度に目覚ましく成長していく青年は、見ていて非常に小気味良かった。
元々気遣いの塊のような彼は、共演者にもスタッフにも好かれ、仕事もファンも順調に増え、のし上がったと言っても過言ではない人気を獲得していた。
「バイト辞めたって?」
「バイトをせずにご飯が食べられるようになりました」
こちらを拝むように手を合わせて、深々と頭を下げる。
いや、もう少し前に辞められただろと言いたくはなったが、色々と事情もあったのだろうと口のチャックを閉めた。
「いつも感謝しております」
「涼は律儀だなぁ。俺、なにもしてないよ」
「慎さんに助けてもらってばっかりですよ」
「頑張ってきたのは涼だよ。まー、運もあるけど、その運をモノにできるのも自分次第だからね」
照れた笑みを浮かべて、涼はもう一度頭を下げる。
経験を重ねて図太くなった部分はあるとは言え、根本的な素直さや人の良さは変わらないままだ。
人への感謝も忘れない。だからこそ、周りから大切にされる。それはもはや、才能と言っていい。
「これからもよろしくお願いします」
「こちらこそー。直近の舞台もよろしくお願いします」
「俺、BLは初めてなんですよ……めっちゃ不安で」
「いつも通り頑張ればいいと思うけどなぁ」
「恋愛ものやったことないんですもん……」
「いい経験になるねー」
「あっ、この人ちょっと楽しんでる」
「いやー、涼の初めていただいちゃうのかぁ」
「言い方ぁ!」
そんな可愛らしい反応を見せていた後輩は、稽古が始まった途端、予想を遥かに裏切る芝居を見せた。
恋愛物は初めてだと、どの口で言っていたのか。
誰かを好きになるもどかしさと苦しさを、寂しさを、もがき苦しむ様を、泥臭く、しかし繊細に演じていた。
慎が息を呑む瞬間さえあった。
自分が相手を喰らうことはあっても、相手の空気に飲まれそうになったのは久しぶりだった。
「……恋愛物が初めてとは?」
「えっ?」
「いやいや、なに、こわ……」
「ど、どの辺がだめでしたか……?」
「ダメなわけあるか最高だわ馬鹿野郎」
「えぇ、褒められてます?」
「褒めてます!」
「痛いっ! えっ、褒められてます!?」
小憎たらしい位置にある頭を掴んでガシガシ撫でると、子犬のような顔で戸惑っていた。
さっきまで雄の顔をしていた男が。
末恐ろしい、と慎は再び思い直した。
『あなたの幸せが、俺であって欲しい』
そんな台詞が台本にある。
この後輩はどんな風に読むのだろうと想像していたら、本読みの時点から裏切られた。
稽古の時には、自分の予測など役に立たないからこそ芝居は楽しいと再認識させられた。
彼が感情のままぶつけるそれを受けて、返す。
この熱がどこからくるのか、興味が湧いた。
(なるほどねぇ……)
舞台が大成功に終わった日の打ち上げで、その正体を知った。
涼の音楽は聞いたことがあったけれど、どちらかといえば彼の人柄そのままが音に現れていたから、油断した。
子犬のように可愛らしい男は、随分と初恋を拗らせていたのだ。
否、初恋ではないかもしれないが、袖にされた相手に直向きな愛情を持ち続けるなど、早々ある事ではない。
その人の幸せを願いながら、どこかでずっと期待している。慎には、そう見えた。
「勿体ねえなぁ」
あんないい男を振るなんて。
帰り着いた部屋で独りごちて、ため息をつく。
未成年だった彼を振ったわけだから、相手は常識人なのだろう。涼の見る目は間違っていないと言うことだ。
だからこそ、可愛い後輩には無事リベンジを果たしてもらいたい。
そして想いが叶った暁には、しっかり報告してもらわねば。
酔っ払った頭でよく分からない思考を巡らせながら、慎は勢いのままベッドに沈んだ。
涼のライブは、やはり配信を観ることになった。
それでもリアルタイムで観られただけ、慎にしてはまだ良かった方だ。ギリギリの時間に仕事が終了し、家路に着きながらスマホを眺める。
家に帰り着いてからも一応余裕はありそうだったので、どうせならとパソコンのモニターで映し出すことにした。
「相変わらずセクシーな歌声してるなぁ」
初めて稽古で歌を聴いた時、感心したものだ。思えばあの時から予感していたのかもしれない。この純粋そうな大型犬が化けることを。
言われてみれば彼の曲には時々、こちらの予想を裏切るような意外さを見せることもあった。
嵐のように激しく、熱く、心臓を圧迫されるような何か。
(そういや、恋愛曲だったな)
失恋の曲、純粋に恋をしている歌詞は特に。
「お?」
最後の曲が流れた瞬間、涼の瞳が揺れたのを、慎は見逃さなかった。
ほんの一瞬丸い目を見開いて、何かを見つけたような。
「珍しい」
歌詞を間違えた。ギターは、自分が弾かないからよく分からないけれど、どことなく先ほどまでの音とは違うように感じる。
板の上で緊張すると言いながら、結果的に図太さを見せてきた彼のこんな姿を、初めて見た。
涼の今の心情はわからない。わからないけれど、不思議と心配はしなかった。
彼の声が、さっきよりも更に……。
「色気ぇー」
一体、何を見たのやら。
自分のこう言う勘は外れたことがないのだと、慎は得意げに笑みを浮かべた。
涼本人からの吉報は、まだ少し先の話。
涼は19歳で今の事務所からバンドデビュー。
メンバーは静馬の他に2人いましたが、解散後はその2人は退所。たまに連絡は取ったりしています。
慎と初めて共演したのが、アイドルもののミュージカル。
それから慎には懐いているのと、飲みに行くとお世話係みたいになっています。
おじいちゃんと孫




